第40話

 ふぅ、やっぱり……屋敷に戻ってきたらやる事が多すぎる。

 ヤクモに折角起こしてもらったんだから頑張らないと嘘だし、彼の記憶に触れて僕の未熟さを思い切り感じた。

 

「そこまで。ヤゴ、後で今日の訓練で感じた事を纏めて置いてください」

「え~……」

「礼は?」

「「有難う御座いました!!!」」


 個人戦闘の訓練が終わって一息つくけど、ヤゴはしきりに首をかしげている。

 やはり、ヤクモと入れ替わっていたのが大分気づかれつつあるみたいだ。


「な~、クライン」

「な、なに……?」

「なんかあった? 前より動きが鈍く、悪くなってる気がするんだけど」


 とまあ、戦闘面で大分遅れをとっていると聞いたら奮起しないわけにはいかない。

 とは思いつつも、今はまだ振り回されているのが現状だ。


「なんというかね、身体の使い方や力の使い方が分かってない人みたいな動き方するよね。必要な分だけ必要な場所に力を入れて、必要な所に必要な体勢で潜り込むのを忘れちゃった、みたいな──」

「ヤゴ。貴方はここでお喋りしている余裕があるのですか? 先日のも字が汚かったと、何度かやり直させたでしょうに。今日は大丈夫とでも?」

「うわっ、やばっ……。じゃ、じゃあねクライン! また明日!」

「うん、また明日……」


 ヤゴとの訓練が終わり、身を綺麗にすると今度は色々な来客が有る。

 それは現在来訪中のヴァレリオ家の者だ。

 訓練している光景を見ているのが楽しいらしいけど、その後で此方に近寄ってくるまでがテンプレってやつだ。


「なあ、ヤクモって奴の事を聞かせてくれよ!」


 ああ、始まった……。

 どうやら口止めしているにも拘らず、どこかで情報が洩れているようだ。

 屋敷のものだろうか?

 少なくとも表口からマリーを負ぶって戻ってきて、血だらけで気を失っただなんて事に口へと戸を立てるのは難しい。

 

「聞いたぜ? 英霊マリーを背負って、英霊ヘラと共に傷だらけで屋敷に来たって。で、これは俺の憶測なんだが、軍事演習中に発生した爆発と何らかの関係があるんじゃねえかなって踏んでるんだよ」

「現場を検証した兵士からは『中心部から外に向けて木々がなぎ倒されていた』と言う話が出ています。それと、穿った痕跡や、血の痕など」

「──悪いけど、それに関して僕は口にする権利が無いし、もし聞きたいのなら僕の父さんかそちらの当主に聞いたほうが良いよ」

「それで聞けないからこうやって来てるんだろ?」


 ……話が分からない人たちだなぁ。

 けど、これって僕が黙っていたらどうなるんだろう?

 突撃敢行?

 いやいや、それは……。


 なら、僕がここは踏み止まって、食い止めなきゃいけない。

 これは、彼で言うのなら”偽悪的行為”に他ならないけれども。

 

「……英霊たちが絡んでる以上、繊細な対応をせざるを得ないと思うんだ。僕は当事者じゃないから、勝手にしゃべると言うことは彼らの信を裏切る事になる。僕は、アイアスやロビン、マリーやヘラを裏切りたくない」


 それは、自然と出た言葉だった。

 けれども、言っていて不愉快ではないながらも……あぁ、僕は彼らを”ダシ”にしたんだなあと理解する。

 英霊を盾にして、相手にマウントをとって、一切の反論を封じる。

 事実、エクスフレアもキリングも言葉に詰まったようだった。

 そして、目論見どおり諦める事になる。


「だよ、なぁ……」

「──分かってましたけどね。ただ、それでも……気にはなったんです」

「二人とも、何でそんなに気にするのかな?」


 そう訊ねると、二人は顔を見合わせる。

 それから少しばかり間を置いて。


「「アルバートの側に居る男だから」」


 と、そう答えたのだった。


「アルバートの奴、学園の話をしたがらなかったからさ。友人は居るのか、授業はどうなのか~とかな。けど、そんな奴が今回はある男のことをしきりに話すもんだから、気になったのさ」

「助けてもらっただけじゃなく、守っていただいたのもありますから。それに……気になるのです」

「気になる……?」

「ええ。私や兄が気にかけても、最近ではアルバートは気に病むばかりでした。あの子は……確かに兄のような勇猛さも私のような魔法への理解も、父のような武芸も有りません。ですが、私たちより秀でていないというだけであって、別に劣っているというわけではないのです。それに……こう言ってはなんですが、優しさと言う武器があるんです」

「優しさと言う、武器?」

「あ~、えっとだな。言ってしまえば、下の連中から受けが良いんだよ。俺やエクスフレア、勿論親父以上にさ。けど、それを言ったら拗れちまって……。だから悩んでたんだ。それを一発で直したヤクモが気になるんだよ」

「アイアス様との稽古も、日を追うごとにやる気を損なってましたが、この前……これは内密に願います。アイアス様が大喜びで褒めるくらいには、立ち直っていたので」


 ……なんだか、弟想いなんだなあ。

 僕も一応は妹たちを大事にしてるし、両親だって大事に想ってるから……。

 そういう意味では、親近感が湧く。


「なあな、魔物の群れからアルバート達を救ったってのは本当なのか?」

「大きな事を成したのに謙虚な方と聞いてますが、どうなんでしょうか?」

「あ、いや、えっと……。それが、ほら。僕もつい最近まで療養してて、ヤクモと会ったのも数日前だしさ……。腰を据えて話を聞いたりは、まだしてないんだ」

「お前も二人の妹を救われたもんな。……その辺、なにか思ったりはしないのか?」

「意識が無かった時の事だったから、後から聞いて……まあ、見ての通りだよ。僕がもっと強ければ、倒れていなければ、学園に居たならって強く思ったかな」

「まあ、それは……俺も思ったわな。何で北門になんかいっちまったんだろう、って。南門の方に行ってたらアルバートを直接……そうじゃなくても、数名だけ兵士を貸し与えたのが馬鹿げた考えだった」

「──キリング兄さん、後悔しても仕方の無い事です。あの日、地面が揺れるという惨事に我々ではどうしようもなかった。魔物がまさか浸透してきて学園を強襲するという考えをするほうが難しい事です」

「だとしてもだ……。あ゛ぁ゛~! 無性に槍ぶん回したくなってきたぜ!」


 そう言って喚きだすエクスフレアの側に、一人の女性がやってくる。

 あ、えっと……。


「すみません、こういう場では初めまして、イリーナさん。デルブルグ家の長兄、クラインと申します」

「覚えていただいて有難う御座います。ヴォルフェンシュタイン家の長女、イリーナと申します。エクスフレア様の従者をやらせて頂いております。今後ともよろしくお願いします。エクスフレア様が何かご迷惑をおかけしてないか気になったので此方にまで来てしまいました」

「あのな……」

「『うぉぉおおおおおっ! 槍が振りてぇーーーーーッ!!!!!』って叫び声が、お屋敷の中にまで聞こえたので」

「え、うそ。そんなにか?」

「はい」

「やっべ。親父に聞こえてなきゃ良いけど……」


 僕よりいくつか年上だけれども、こういう面を見ているとそれを感じさせないのが良い。

 中身は五年前のまま止まっていた僕は、外見以上に経験と体験が少なすぎる。

 だから、歳相応の人付き合いが分からない。

 

「エクスフレア様は思ったままに、気の向いたままに行動しますので。もしそれで厄介だなって思ったら、何時でも私をお呼び頂ければ」

「……一つ聞いても良いかな?」

「はい、なんなりと」

「僕がそれでイリーナさんを呼んだとして……。その後、どうなるの?」

「首に縄をつけて、或いは簀巻きにしてでも取り押さえます」

「やめろぉ! 呼ぶな、絶対に呼ぶなよ? クライン! イリーナの奴、こういう時は冗談じゃなくマジでやるからな! この前だって馬の鍛錬で半日馬に乗って、3頭ほど潰した時とか……もう──」

「……何があったの?」

「馬から引き摺り下ろされて、二泊三日の馬の世話役をやらされた。しかも、早朝から夜遅くまで。んで、馬をもうちょっと理解する為に馬小屋で寝かされたんだぜ?」

「そっ、それは三年も前の話じゃないですか!」

「はは、懐かしいなあ……。他にも、学園での勉学における成績が奮わなくて、自分やイリーナに泣きついて──」

「あの一週間は、忘れられない一週間だ。何が忘れられないって、辛さだけが刻み込まれてあの時に何を記憶したのかすら今じゃもう思い出せねぇ……」

「クラインさんがこれからどうされるかは分かりませんが、勉学は……少なくとも、基礎教養は絶対に落とさないで下さいね? じゃないと、槍の英雄の問いに詰まって”俺”とか、書いた挙句に暴れまわる人の二の舞になりますから」


 お、おう……。

 それは、なんというか……。

 やだなあ! そんなはっずかしいのは!

 

「因みに、恥ずかしくて有耶無耶にする為に暴れただけですので」

「だって、アイアスその時居なかったし、分かんなかったんだよぉ……」

「自分の家の祖先くらい覚えておいて下さいね?」


 僕らの家の祖先って、そういえば聞かないなあ……。

 何でだろう?

 少なくとも建国の王と四人の英霊がヴィスコンティ建国に携わっている筈なんだけど。

 

「……デルブルグ家の祖先って、英霊の誰なんだろう」

「んぁ? 公爵が知ってるんじゃないのか?」

「何かしら受け継いでるとは思いますが」

「ん~、このお屋敷って僕が産まれる前に移り住んだらしくてさ。その前の事は父さんも母さんも話したがらないんだよね」

「とは言え、他家の事柄は我々も知りませんし。知ろうと思ったら王家に尋ねるくらいしか方法が無いかと」


 少なくともロビンの素質を継いでるとは思わないんだよね。

 隠密、狙撃、弓とナイフ、そして格闘。

 父さんは剣を使うけれども、剣に纏わる英霊といったら騎士のファムくらいかな。

 英霊ファム……。

 会った事は無いけれども、書物では忠義の者として書かれている。

 建国後にも魔物の残党が人類を害しようとした時、その寿命が尽きるまで国の為に尽くしたとか。

 

 ……そう、だったらいいなあ。

 

「──イリーナ、クラインをそんなに見つめてどうした? まさか惚れたか?」

「私は常にエクスフレア様を想ってます。そうじゃなくて、彼のヤクモという人物とクライン様は……良く、似てお出でだなあと」

「そうなのか?」

「アルバートが言ってましたよ。違うのは片目の色と、表情くらいだとか。とは言え、我々もまだ会っていないのですが……」

「……似てるのは見た目だけだよ。彼の方がもっと立派だ」


 父さんからの話では、町の中で一握りの人々を救出していたのだという。

 その噂は北門と南門でバラバラだけれども、無償で人を救い出したとか。

 それを、凄いと思うと同時に羨ましいとさえ思った。

 物語でしか見ないような無償の善意、何も求めずに行った人助けなんて。

 それだけじゃなく、ミラノたちを無傷で学園にまで送り届けた事にも驚きを隠せない。

 その為にどれくらいの知識が必要で、どれくらいの体験が必要で、どれくらいの思考が必要で、どれくらいの理解が必要で、どれくらいの強さが必要なのか想像もつかない。


 少なくとも、個人の強さだけではない。

 少なくとも、人を指揮する能力だけじゃない。

 少なくとも、人とは何かを理解しているだけじゃない。

 少なくとも、指示を出す頭の良さだけじゃない。


 全てだ。全てが僕には必要だ。


「──って、エクスフレアは軍事演習のときに活躍してたね。見てたよ。父さんもザカリアスも褒めてた」

「へへ、よっしゃ。褒められたか……。親父は『そうか』しか言わなかったからな」

「エクスフレア兄さんの補佐は楽ではなかったですが……」

「キリングが補佐してくれるのなら前だけ見て突っ込んでいけば良いからな。あとはなぎ払うだけさ」


 エクスフレアの率いる切込み部隊とその補佐のキリング率いる魔法部隊散兵部隊による突撃は、父さんやザカリアスから聞いたところかなりの脅威だったらしい。

 今までの魔法使いといえば、後方から魔法を戦況にあわせて放つだけの、場合によっては混戦のせいで出番がないという可能性があったとか。

 それが、少数による散兵戦術のおかげで戦略規模での運用ではなく、戦術規模での運用が出来るようになったとか。

 その分魔法使いに対する負担は大きくなったけれども、その不満を黙らせても効果的な事が判明した。


 ただし、その分精鋭化した魔法使いが必要になるという事で、そこは二家で話し合っているみたいだけど。


 ……けれども、その有用性を僕はヤクモの記憶から理解をしている。

 大火力を用いる事が出来る魔法使いが一人、たとえ部隊から切り離されても命令と責任を遂行する兵士が居れば、それだけで敵にとって打撃になる。

 人数が多ければ抵抗力も火力も増すけれども、隠密性を求めるのなら少数化が好ましいとも。

 それは、オルバとの戦いで自爆攻撃をした光景から学んだ。

 

「……エクスフレアのような突撃と、キリングのような補佐……。後一つ、騎兵に並ぶ何かが欲しくなるね」

「遊撃か?」

「それは自分も考えましたね。エクスフレア兄さんの切込みを補佐するにしても、どうしても脇が甘くなります。全てが全てエクスフレア兄さんの突撃で決着をつけるのではなく、相手を崩し、その亀裂をこじ開け、或いはわき腹を守り、逃げる敵を後ろから蹴散らしたり横合いからなぎ倒せるような部隊があれば良いのですが」


 けれども、それを求めるとしたらどういった部隊になるのか想像もつかなかった。

 ヤクモで言う三兵戦術と言うのになるのかもしれないけど、今のままじゃ歩兵と砲兵しか居ない状態だ。

 魔法使いを馬に乗せる?

 いや、それは……。


「とは言え、兄さんのような武芸に秀でた上に攻撃に優れる魔法使いを揃えたなら、それだけで戦線の一部は穴だらけに出来ると判明しました。これからは魔法使いも後方職だけではなく、前線で武器を奮う事も考える時代かも知れません」

「いや、そうも言ってられねぇんだわ。あの……ザカリアスとかいったか? あいつに俺は足止めされて、張り付かれたら何も出来なかった……」

「何でもかんでも単独の部隊でやらなくても良いのに。離れてくれれば、自分の部隊が援護できましたから」

「ちなみに、どれだけ暴れたのか聞いても良い?」

「さあ、百から先は覚えてねえなあ」


 あぁ、そりゃ……ザカリアスが張り付いてでも止めるよね。

 現場の部隊長等は魔法使いじゃない人が多いわけだし、魔法がつかえる人が部隊の長として突っ込んできたら数以外で勝るものは無いわけだし。

 ザカリアスも魔法は使えないけど、昔大分”鳴らしてた”らしいから父さんからの信用も厚い。

 中でも対魔法使いの戦い方を心得ているとかで、執事長に納まりながらもいざと言う時は父さんを守り敵を切り裂く剣になる。

 昔は父さんに連れられて護衛役をしていて、剣術指南や心構えなどと言ったものを施していたらしい。

 ザカリアスは「戯言を旦那さまが昇華し、使えるものにしたまでですよ」とか言ってるけどね。


「……僕も、強くなれるかな」

「強くなりたいか。なら、取って置きの秘訣を俺が授けてやろう」

「あぁ、嫌な予感がしてきましたね……」

「同感ですわ、キリング様」


 あぁ、二人とも既に頭を抱えてる。

 けど、それを知らずにエクスフレアは話を進める。


「倒れるまで武器を奮い、手足がぶっ壊れるまで素振りを繰り返して、数百数千と兵士のあたり稽古をしてもらい、ちょっと隙を見て外に出かけては魔物相手に積み重ねたもんをぶちかまして、生きて帰ったらまた武器を振り回す!」

「……おかしいな。僕の耳が変なのかな。魔法はどこにいったのさ」

「魔法なんて武器に合わせて、戦いの流れで自然とかませる瞬間に咬ませれば良いんだよ!」


 ……あ、ダメだ。

 これ、理論や理屈じゃなくて感覚派だ。

 こう思うからそうする、そしたら出来た。

 本能や直感から来るものに従うだけでも成功してしまうという、誰の参考にもならないパターン。

 僕が眉間を抑えると、キリングとイリーナは同意するかのようにうなずいていた。


「エクスフレア兄さん、それは非論理的です。それを真似して上達する人は貴方だけです」

「いいさいいさ、いつかは同意してくれる奴が居る筈だからな!」


 とはいえ、それほどまでに追い込んだのだろうという事は、外見に表れている。

 手はゴツゴツとしているし、体躯も筋肉質だ。

 その頬には十時の傷がついていたり、片耳の皮膚の色が薄れていたりと負傷も多かったのだろう。

 

「ま、クライン。お前がどんな方法で強くなるかはわからねえけどさ。いつか手合わせしてくれよ」

「──君のお眼鏡にかなう位になれるのなら、それを楽しみにしてるよ」

「いつかは当主同士として肩を並べるんだ。学園では一緒にゃなれなかったが、これからは一緒だ」


 そう言ってエクスフレアは握りこぶしを差し出してくる。

 僕はそれに、同じように作った握りこぶしを重ねた。


 

 数年の歳の差があっても、まるで同い年の友人のように接してくれるのは、初対面の時から変わらない。

 イリーナも、キリングもだ。

 家の都合や身分の関係から中々自由に会うことは出来ないけれども……。

 5年ぶりでも、まるで昨日会ったかのように接してくれるから──僕は彼らが好きだ。





 ~ ☆ ~


 まさかこんな事になっているなんて……。

 体調が回復したと報告しに来た彼に、私が若かった頃に使っていたマジックアイテムが付けられていました。

 ……隠し部屋にしまったまま、もう二度と目にする事は無いだろうと思っていましたが。

 クラインがお腹の中でお腹を蹴り始めた頃に、良人を信じ手放す事にしました。

 それが、なぜ彼に……?


「その眼鏡はどうしたのかしら? たしか……しまっていたはずなのだけど」

「いや、あの……すみません。公爵に用事があって部屋に伺った時に──ある種の事故のようなもので」


 あら、眼鏡が曇りましたね。

 つまり、彼は誤魔化しているのでしょう。

 良人には曖昧な説明しかしてませんでしたが、私はこれを使って散々色々と調べ上げてましたからね。

 

 瞼を閉じれば懐かしい記憶が蘇るものです。

 若かりし頃、まだ当主にもなって居なかった良人。

 良人の周りには……残念ながら、女性が多く居ました。

 女誑し、ということではありません。

 ただただ、兄が家を継ぐものだろうと楽観視して遊びに精を出していた良人は、様々な人間関係をお持ちでした。

 その一つがザカリアスやアークリアで、決して悪い人ばかりではありませんでしたが──。


 それでも、婚約を決めたにも拘らず女性関係を疑っていた私は、大分あれで締め上げたものです。

 ムッツリさんでしたから、無意識だろうと意識していようと色香に惑わされて散々眼鏡を桃色に染め上げていましたから。

 それを、こう……。

 今にして思えば、貴族にあるまじき行いだったと恥ずかしいばかりですが。

 良人を管理し、束縛し、理不尽な目にあわせていたものです。

 

 正式に結婚してからは良人も一筋となり、私もそんな良人を疑う人にあらざる者になりたくはありませんでした。

 ですから、外して……遠い記憶のものとしていました。


「それをつけたのが自分であれば外せる筈だけれど」

「いえ、それが……。公爵がつけたものなので、今しがた外す為の条件を満たすために必死に考えてくれている……ハズです」


 一度つけると、所有者が許すまでは外れない仕組みになっています。

 例えば、私の場合であれば良人の不貞を疑わないというものでした。

 他にも、使い方によっては『聞き出したいことを聞き出すまで』等と言う、尋問にも使えると聞いてます。

 ただ、実際に使ったのは良人だけでしたから。

 それが事実かどうかは分かりません。


「此方へ。外せないかどうか、見てあげましょう」

「はい、すみません」


 近寄ってくる彼が膝をついて、椅子に腰掛ける私に届きやすい高さにまで降りてくれます。

 眼鏡に手をかけては見ましたが、やはり今の所有者として認められていないのでしょう。

 外れる様子はありませんでした。


「仕方がありません。不便かと思いますが、暫くはそのままで居て頂戴ね」

「はい。まあ、今の所不利益を被ってないので大丈夫ですよ」

「そう思うのは結構ですが、不特定多数の人物とあってしまうと、眼鏡の色が変色して貴方の言葉や行動が分かってしまうものですよ?」

「あ~、参考に伺っても宜しいでしょうか?」

「例えば、他人を如何わしい目で見たり、妄想や想像をすると桃色になる。嘘をつくと靄がかかり、誤魔化すと濁ります。逆に、どのような言葉であっても気持ちと言葉が一致していれば眼鏡は透き通ったままで、それは鏡などによって当人が確認できないようになってます」

「……目を見て話す習慣がついてると、覗き込まれてる感じがしないから厄介ですね」

「ですが、それで不利益を被っていないという事は、無暗矢鱈に変色するような行為が発生してないという事なんでしょうね」


 良人は……ああ、思い出せば色々ありましたね。

 右を見れば身体つきの良さに目を奪われ、左を見れば太陽のような笑みに目を奪われ、前を見れば胸の大きさに目を奪われ、座れば飲食を運び込んでくれる甲斐甲斐しい子に気持ちを奪われ……。

 文字通りの七難八苦というものでした。

 それでも、選ばれたのは私でしたが。


 ……ミラノとアリアは、そういった事を学んでいるのでしょうか?

 いえ、それ以前にあの子……クラインも女性を泣かせないようにと教えられてない。

 ミラノには、殿方の手綱をいかに握るかを教えないと目の前の彼で苦労するかも知れませんね。


「そういえば、良人が貴方を家に迎え入れたいと言っていたみたいだけど。貴方は、それについてどう思っているのかしら?」

「まあ、養子として迎え入れられれば後ろ盾や身分を得られると考えて、悪い話じゃないかなと思ってます」

「……あら」

「クラインは兄弟が出来たみたいな感じだそうで、もう既に楽しそうにしてましたけどね」


 ……養子?

 そうではなかった筈なのだけど。

 良人の話ではミラノと一緒にさせることで、彼女にも他の生き方を考えてもらうとか言っていたはずなのだけれど。

 

 あぁ、もしかして……言い難いからと言いよどんでしまって、伝わらなかった可能性が高いわね。

 あの人も、何時まで経っても変わらないんですから。

 大事な事を中々良い出せなくて、そのまま有耶無耶にしてしまったり、後で後悔したり。

 ……良く見てましたよ。

 本人は隠しているつもりだったかも知れませんが。


「で、そうすると年齢的には兄のようだけど身分は下って言う関係になるので。そこが難しいな~って」

「そうですね」


 ……元気になってきたからか、つい昔の事を思い出してしまいましたね。

 そのせいで、養子ではなく婚姻だと言いそびれてしまいました。

 しかし、それは大丈夫でしょう。

 いずれ良人かクライン、或いはミラノが伝えるでしょうし。

 私が態々口を挟んでやり取りを複雑化させる必要はありませんから。


「貴方は、クラインやミラノ、アリアをどう思っていますか?」

「それは、好悪ですか? それとも人物評価ですか?」

「どちらでも構いませんよ。けれども、母としては……貴方がどう見ているのかは聞いておきたいと思っています」

「えっと……。まあ、クラインに関しては、良い人なんじゃないかなって思ってます。それ以外はこれからという事で」


 ……嘘、誤魔化しなし。

 そもそもあの子が目を覚ましてからあまり時間も経っていないでしょうし、第一印象としては悪くないと思います。


「アリアはどうですか?」

「んと、アリアも……実はうちのカティアを預かってくれている以外、学園でも中々接点が持てなくて。色々な科目の授業で付き添ってきましたけど、ミラノと少し席を離してるので……。ただ、色々と気づいたり、気遣いが出来たり、ミラノをそれとなく宥めてくれたりして、悪い印象は無いですかね。ただ、時々気持ちが昂ぶったり、天候や気温の落差が激しいと咳き込んで辛そうにしてるのは、可哀相だなとは思いますけど……」

「可哀相、ですか」

「昔、弟が幼かった頃同じように病弱だったんですよ。あの時を思い出してしまって。あの時は色々な医者や薬のおかげで成長するにつれて回復しましたけど、あの時の医者や薬が今ここにあればなと……考えたりはします」


 ……同じく、すべてにおいて嘘や誤魔化しが無いわね。

 口から出任せや、気持ちの乗らない口先の言葉にもそれぞれ色が出ます。

 相手に良く思われたいから良いことを言う、思いもしないことをその場にあわせて言ったりすればすぐに分かるのですが……。

 それが、無い。

 

 言い方は違うけれども、あの子を思い出させる物言いには胸が温かくなります。

 こうも違うのに、言っている事や考える事がにているだなんて。

 きっと……クラインとは良い関係になるのでしょうね。


「ミラノは、主人としてもどうでしたか?」

「主人としては……まあ、不満は幾らかありました。けれども、彼女は彼女なりに気を使おうとしてくれて、それが不足していたり至らなかったりするだけなんだなと思っています。まあ、自分が此方に馴染んでないので、思想や思考、常識で色々な意味で迷惑をかけたり、或いは衝突する事もありますが……」

「ありますが──なにかしら?」


 眼鏡の色が、濁る。

 気持ちが落ち込んだり、或いは塞ぎこむような思考をしている。

 何かあの子とあったのかしら?

 それも、”嫌な気分”になるような何かが。


「それでも、彼女は自分に”人間のような生活”を再びさせてくれています。もう、二度と手に入らないと思っていた、当たり前のようでいて大事な日常を。それを与えてくれたという意味では、召喚されたことを含めて……主人で良かったなと、心から思っています」


 ドロドロと濁っていたのに、その瞬間に眼鏡は何事も無かったかのように彼の眼を映した。

 それが真実だと、マジックアイテムは彼の清廉潔白さを証明してくれました。

 なら、眼鏡の色が濁ったのは……召喚される前の事を思い出していたから?

 だとすると、どういう生活を送っていたのかしら? この子は。


「じゃあ、私の子供たちは……良く思われてるわけね」

「まあ、公爵夫人に直接言う事ではないとは思いますけどね」

「いいえ。貴方には貴方の人生があったはず。それを、どんな神様のイタズラかは分からないけれども、全てを無にしてしまった。それはあの子だけの責任にしてしまうには、重すぎるもの」


 今まで寝込んでいて、母親気取りかと思われるかもしれない。

 それでも、あの子のしたことは私の責任でもある。

 あの子が背負いきれないものは、私や良人が背負う。

 親は、これから親になるだろう子たちの後ろ盾なのだから。


 私の言葉をどう受け止めたのか、彼は笑いました。

 顔を臥せて、けれども隠すように。


「──母さんにゃ敵わないな」


 ボソリと零したその言葉を、私は聞き逃したりはしませんでした。


「あら、私を母さんと呼ぶにはまだ早いのではないかしら?」

「ああ、いや。母は強しとも言いますから。ミラノが立派なのも、この母親があってこそなんだろうなと思いまして」

「もう一度母さんって言ってくれる?」

「幾らでも。母さん」


 母さん、そう言われて心が温まるのを感じました。

 それから、短い時間ではありましたが彼とのやり取りをまるで実の子のように楽しみました


 彼が立ち去ってから、私は良人を呼び出します。

 私は良い気分だったのに対し、良人は逆に幾らか怯えていた様子でしたが。


「貴方」

「な、なにかな?」

「あの子は、娘たちを悪く思っては居ませんよ。聞きたかったのでしょう? 娘を預けるに足る人物なのかどうかを」


 良人は”なぜ分かったんだ?”と言う顔をしました。

 ですが、それは男だからなのかも知れませんね。

 隠していたつもりなのかも知れませんが、母親としてすぐにそんなことは思い至ります。


「忌憚無くあの子の事を言っていましたが、感謝の気持ちの方が強かった。だから、たぶんあの子と一緒に居れば良い感じにかみ合うと思うの。歯車のように、或いは運命のように」

「出来れば、文字通りの意味で”噛み合う”事が無い事を願うよ」


 あら、それは私が貴方をとっ掴まえてやる事なす事に不満を抱いて噛み付いたことを言っているのかしら?

 そう訊ねると、怯えた子供のように「そんなことは無いぞぉ!?」と後ずさり。

 まったく、何時まで経っても可愛いんですから……。















 ~ ☆ ~


 ま、連中が眼鏡の色が変わるのを注目している事くらいは理解していた。

 残念なのは、自分でその状態を把握できない事で、どういった条件や組み合わせで反応するのかの確証が持てなかったのは大きかった。

 だが、残念な事に眼鏡の色が分からなくても自分の眼鏡がどういう状態になったのか、理解する方法は幾らでもある。

 それは、他人の目の動き、表情、反応、瞳孔の状況、唇……。

 他人の顔色を伺ってきた俺が、そこから逆算して自分の状態を把握できるとは思わなかったんだろ?

 だから甘いんだ。

 イリーナ、マリー、ヘラ……。

 あんな表情の変わりやすい連中が居れば、試行回数を増やして調整する事だって出来る。

 多くの情報、角度、手段、あからさまな嘘から不都合な事を言わないという事くらいやってのける。


 自分が嘘だと認識しているものは、嘘だとばれる。

 自分が言いたくない事があったり、明らかに別の回答を持ち出せば誤魔化したとばれる。


 なら、半分本当半分嘘の……事実を口にするが言いたくない事はそもそも口にしないという手法がある。

 言葉にしていなくても感情や行為で反応するとは思わなかったが、それでもこれも試行を重ねた結果誤魔化せると判明した。

 感情と言葉の二つから読み取り、それで判別するという手法をとっているのだろう。

 だから、嘘を言わなければそもそも嘘だと認識していても、口にしていない以上は嘘にはならない。

 誤魔化したくとも、事実を述べながらも情報を意図的に欠落させてしまえば、誤魔化しとは判別されない。




 だから、俺は詐欺師で、立派ではない上に善人ですらないのだ。

 こんなものは、英雄でもなんでもない。

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