第35話

 ~ ☆ ~


 ここ暫く、酒に頼らずとも夢見が良い日々が続いた。

 これが医者の言う”メンタル面での回復”なのだろうか。

 その理由はカティアに指摘されたとおりでもあり、人間味のある日々を過ごせているからだろう。

 停滞も腐敗もしていない。

 少なくとも、真新しい事に触れ、少しずつ歩んでいる……。

 そんな、気はするんだ。


 けれども、俺は一抹の不安がある。

 それは”満足できなくなったらどうしよう”という問題だ。

 ミラノたちが対処してくれたが、縁談の話を聞いて……認識してしまった。

 今までなら学園を卒業しても、日常はそう簡単に壊れないだろうとタカを括っていた。

 だが、違う。

 そんなのは、認めたくなかっただけなのだ。


 学園を出れば、ミラノたちとていつまでもそのままではいられない。

 いつか自分がそうなったように、婚姻のタイミングを迫られるのだ。

 その時の事を、一切考えてこなかった。

 いや、考えたくなかったんだと思う。

 ……自分が、どうなるのかなんて考えもしなかった。

 

 ──我のところに来い、ヤクモ──


 それを考えた時、初めてアルバートの提案が現実味を帯びてきた。

 

 ──それがアルの望む事なら──


 グリムと結婚させてでもと言ったのが、今更重く圧し掛かってきた。

 ミラノの護衛をやってはいるが、それも学園を卒業したらどうなるかなんて分からない。

 卒業後に結婚したとして、ノコノコ”騎士です”なんて付いて行ける訳がない。

 じゃあ、どうなる?

 良くてアリアの付き人になるが、それでも”ミラノが失われる”事実に変わりはない。

 この時代じゃ、LINEだのSkypeだのDiscordだのはない。

 ネット世代の弊害というヤツだ。

 携帯電話やネットから切り離されると、一瞬で他人との距離が隔絶してしまう。

 無線を失った軍隊と同じで、そんなの……耐えられない。


 くそ、くそくそくそくそくそくそくそくそ……。

 誰も手放したくない、誰も失いたくない。

 ミラノが居て、アリアがいて、カティアが居て……。

 アルバートが居て、グリムが居る。

 そんな日常を当たり前として欲する、それがそんなに罪深く高望みだというのですか? 神様。

 いや、違う、そうじゃない。

 今まで”男友達しか居なかったから、起きた問題”なのだ。

 男友達は数名を除き殆ど結婚していない。

 ネットも自由で、家族奉仕とは縁遠い連中が殆どだった。

 だから、隔絶するという事が起き得なかった。

 だが、時代と常識が違う……。

 状況、時間を問わずに他人とつながれるネットワークが存在しない世界では、訪問も面会も優先される事柄によって潰される。


 俺は、ミラノの騎士でありながら他人なのだから。

 

 だから、変な夢を見るのだ。

 俺が……俺が、ミラノと結ばれる夢だなんて。


「アンタの言う4年、ちゃんと待ったわよ」


 ……それは、俺のエゴだ。


「だから、返事をちゃんと聞かせてくれる?」


 あぁ、こんな夢は一番の”悪夢”だ。


「私と、婚儀を結んでくれますか?」


 そんなの、イエスだ。

 『はい』だ、『of course』だ、『勿論』だ、受けるに決まってる。


 だが、こんなの……”夢”なんだ。

 いつだって俺は理想主義者だ、現実なんて見ちゃ居ない夢想家だ。

 ミラノとの関係はそんな物じゃない、主従関係でしかなくて、そこに男女の関係は微塵にも無い。

 彼女は”俺の有する知識と技術と能力”を欲しているだけで、それを適切に吐き出せるように精神的なケアを図ると言っただけに過ぎない。

 主人としての義務に、隷下の人員管理が含まれているだけだ。

 そこには評価と好悪こそあれども、恋愛感情は……無いんだ。

 

 だからこの悪夢を終わらせろ、はやく俺を現実に戻してくれ。

 こんな事なら、否定される夢の方がマシだ。

 目覚めろ、起きろ、眠るな……。


「ぶはぁっ!?」


 ……理解している、自罰的な意識があるからこそ普段の悪夢から目覚めたいと思っていないのだと。

 むしろ、幸せで報われ恵まれている夢の方が”悪夢”になってしまうのだと。

 つまり、俺は抜け出したくないのだ、変化したくないのだ。

 自分が自分であり続けるために、ただ子供のようにダダをこねている。

 胸が痛い、吐き気がする。

 それでも……それでも、受け入れなければならない。

 選択肢は二つに一つだ。

 徹底して仕える者として尽くし、ミラノを送り出すこと。

 あるいは、ミラノと男女の仲になってでも”奪わせない”こと。


 どちらを選ぶ?

 ……選ばない、という事は、出来ない。


 ── 召喚したんだから、その面倒は見ないとね ──


 あの日の約束が、胸を縛り上げる。

 それが無ければ、たぶん俺は……従者として尽くす事を選べたのだろう。

 だが、無理だ。

 俺は……踏み込まれてしまった。

 踏み込まれた上であんな事を言われたら、心に楔が穿たれるに決まってる。

 つまり、主人としてのミラノじゃない、ミラノ個人を……俺は失いたくないのだ。


 羞恥心が血を廻らせるが、そもそもの血液量が足りなくてすぐにフラつく。

 クラりとして、起きると同時に起こした身体を、そのまま寝床に横たえた。


 ……何が自衛官だ、何が英雄だ。

 俺にだって欲は有る、物欲だけじゃない、性欲だってある。

 めちゃくちゃにしたい、繋がりたい、愛されたいし愛したい。

 家庭が持ちたい、子供が欲しい、その子供を育てたい。

 個人としての日常ではなく、家族としての日常も欲しい。

 そんなの、考えるに決まってるだろ。

 もう既に青春も過ぎ去った、その上で30歳にもうなる。

 そんなことを考えないわけが無い。

 

 妹が真っ先に結婚し、産まれた子供を何度も見せに来てくれた。

 もちろん、滞在中に叩き起こされたり付き合わされる事で自分の時間なんて持てやしない。

 泣く事から多くを察して、空腹なのか、オムツの中身がぐちょぐちょなのか、でかい実を出したのかを察しないといけない。

 あるいは、退屈だとか、寂しいとかも全て泣いたりグズることから察しなきゃいけないから大変なものだ。

 だが……その労力や割いた時間以上の嬉しさがあった。

 ハイハイの練習に付き合い、寝返りの練習に付き合い、自分の側に居る時にそれらを覚えてくれた時は嬉しかった。

 まだ立ち上がれない時に、立つ練習をしていた時も楽しかった。

 立って歩けるようになった時、一緒に遊ぶ時は楽しかった。

 そして今じゃ、ネット越しに音声ファイルや通話で片言ながらも名前を呼んでくれる様になった。

 幸せや、嬉しさが凝縮されていた。


 子供が笑顔で追いかけてくる幸せが想像出来るか?

 子供が早く来てと笑顔と期待で振り返るのは?

 それでも、好奇心に塗れながらもちょっと恐いからと服を引っ張って連れて行こうとするのは?

 美味しいものを満面の笑みで美味しいと言い、ちゃんとごちそうさまやいただきますが言えるのは?

 

 世間や巷では”当たり前”な物が、俺には……手に入れられなかった。

 





 そして、思ってしまうわけだ。

 自分の子であったらなあ、と。

 


 だが、そんなものは現実を前に打ちのめされる。

 自分に”価値”が無ければ、そもそも相手に振り向いてもらえない。

 それだけじゃない、子供を道具や自己満足のためのツールにしているのではないかという疑念が渦巻くのだ。

 そして、結局何も出来ずにいる。


 異世界に来て、若返って、英雄になったからと言って本質が変わるわけじゃない。

 認められることなく5年間も無駄にし、なにも成し遂げられなかったグズという事実は覆らない。

 英雄という評価だって、チートと武器があってこその物で、独力で成し遂げたものじゃないのだ。

 つまり、同じような人間にチートと武器を持たせれば同じことが出来る。

 代替出来てしまう、使い捨ての英雄の完成だ。

 俺という個人にではなく、付属しているものに全てが含まれてしまっている。

 だから、英雄という評価に俺が追いついていない。


 頭がスッカスカなまま、よろめきながら久しぶりにベッドから立ち上がる。

 窓まで近寄って、それから空を眺めた。

 ……綺麗な、月だ。

 星空が綺麗で、自分の悩みなんてちっぽけに思えてくる。


 ── べっつに。アンタがしょっちゅう倒れるから様子を見に来てるのよ。悪い? ──


 はは、久しぶりに会ったけど……言い返せない。

 このまま自然回復に任せて良いのか? 本当に?

 血が足りないのを輸血に頼れず、すぐに回復出来ないのを……時間経過で?

 ……そんなの、タダの足手まといじゃないか。

 何日掛かる? いや、何週間?

 その間、俺は騎士としての仕事所か側にいる事だって出来やしない。

 つまり、何にも出来ない訳だ。


 ……決意は決まった、さっさと外に出よう。

 窓から忍び出て、人の気配が少ない裏側にまでやってくる。

 この前アーニャのところで貰ったコーラのペットボトルが、まさか役に立つなんてな……。


 ナイフでペットボトルの底を切り抜き、ブラックテープで拳銃に括りつける。

 開けたペットボトルの中に紙を大量に敷きこみ、消音と消炎効果を粗悪ながらに付与する。

 お手製の簡易サプレッサーの完成だ。

 まったく、笑えるし泣ける出来合いだ。

 

「──……、」


 他人に殺されるのと、自殺はかなり違う。

 震える、恐い。

 自分で死ぬのが、こんなに勇気が居るだなんて。

 カチカチと引き金が震え、走馬灯のように今までの事が頭の中をよぎる。

 引けない、引きたくない。

 自分で死ぬという行為が、他人に刺される事よりも恐いのだ。

 

 しかし、その引き金を引く為の決心をさせてくれたのは、ミラノとの思い出だった。


 ── アナタを呼んだ、私の責任だから ──


 その言葉を思い出したとき、引き金はもう引かれていた。

 痛みを感じる暇は無い。

 命が失われ、ただ少しだけ零れていく命の欠片の中でボンヤリと虚ろになっている。

 それも数秒で、主幹機能を失った肉体は生命を喪失した。


 相手は責任を遂行しようとしている。

 ならば、俺は義務を遂行しなければならないんだ……。

 それが、資本主義であり、等価交換なのだから──。

 与えねば、貰えない。

 なら、貰う為には、与えられる状態にまで、回復、しないと、な……。





 ~ ☆ ~


 アレから少し経ったけど、アイツは幾らか元気になったかしら?

 今日は殆ど意識が虚ろだったみたいで、そろそろ寝すぎで逆に疲れているはず。

 こんな時間だけれども、ちょっとお茶を飲みながら雑談するくらいは許される筈。


「この身体になって便利な事ってあるものね」


 魔力体として、認識出来ないように実体化を解いて行動する。

 それだけなのに殆どの人には見えなくなる。

 動物とか、たまに察知する人も居るけれども、そう多くはない。

 だから軟禁状態に近くても、普通に部屋を抜け出せる。

 

 この屋敷に連れて来られてから、ずっと部屋にいる事しか出来なかった。

 食事は毎食貰えるし、ささやかながらもお酒だってもらえる。

 必要なら書斎の書物だって読ませてくれるし、幾らでも寝させてもらえる。

 けれども、いい加減アイツの様子を見に行きたくなった。


 普通に歩き出して、アイツの部屋に行く。

 なんだか、それだけで少し心が躍る。

 瞼を閉じて、昔自分に仕えていた騎士と……関係がまだ破綻していなかった頃を思い出す。

 倒れた事があって、その面倒をみてたっけ……。

 遠い日の記憶だけど、未だに思い出せる。


『無理しなくて良いのよ。体調を崩すときもあれば、病に臥す時だってある。その中でアンタに無理をさせるほど愚かなつもりはないもの。だから、ゆっくり休みなさい』


 珍しい事もあったものねと思っていたけれども、アレが最初で最後の安らいだ二人の時間だったかも知れない。

 あの後色々あって、お互いに落ち着く暇も無くて……。

 私はそれで義務ばかりを課した、私は周囲に報いようと必死だった。

 けれども、それは……亀裂を入れたのみならず、破綻にまで追いやった。


 いまでも、何でヤクモがあのチンチクリンに付き従っているのかが分からない。

 私とどう違うの? 私と何が違う?

 何も違わない筈。

 だって、公爵家の長男のフリという重責を背負わせたくせに。

 それだけじゃない、父親から言われるがままに騎士爵を功績に宛がう様に与えた。

 自分では何もしてない、そうでしょう?

 

 けれども、彼女は違った。

 同じようで、何かが”違う”。

 なんだか、すんごい負けた気分にさせられる。

 魔法じゃ勝っているのに、主人としては別ってこと?

 気に食わない……。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 アイツの部屋の前にまで来た。

 それは近いのに、なんだか遠くに感じられた距離。

 小さく、夜間勤務の連中に気づかれないように見計らう。

 そして、扉を勢いよく開き体を滑り込ませ、閉ざした時はまるで高揚しきった感じだったのを覚えている。

 それは遠い昔に読んだ恋愛小説を思い出させる。

 愛しい人の部屋に内緒で訪れるといった光景だったはず。

 普段は中々会えず、夜に逢引をするような関係。

 家の関係で大っぴらに出来ず、だからと言って家の歴史や都合なんて知らないというもの。


 ……今にして思えば、あの時の私が今の私のようであれたのなら、随分と違ったのかもしれない。

 全ては遅かったのだけど。


「あれ?」


 部屋に入ると、肌寒さを感じた。

 変だなと思ったけれども、それもそのはず。

 窓が全開で、暖炉の炎を上回る勢いで部屋を冷やしていた。

 もしかしたら寝汗が酷かったから、身体を冷やしたいのかもと思ったけど、そういうわけじゃ無さそう。

 ……なぜなら、当人がここに居ないのだから。

 

「え……?」


 一瞬、あの日の事が蘇る。


 ── お前にゃついてけねーよ ──


 それが最後に交わした言葉で、彼の部屋はがらんどうだった。

 あの日の事を思い出して、再現なのかと神様を呪いたくなる。

 呼吸が止まって息苦しくなり、ブワリと汗が滲んだ。

 私の……嫌な心的外傷、トラウマ。

 追体験させてから落とすだなんて、神様って奴は、どこまでも酷な事を……。


 けれども、そうじゃない。

 ボンヤリとした意識の隅っこで「いてて」という声が聞こえたから。


「アイツっ……!」


 見れば裏庭を辛そうに歩いている。

 どこに向かうつもりなのかは分からないけれども、その動きは普通じゃない。

 それはまるで逃げ出すような……あるいは、抜け出すような歩き方だった。


 巡回している人を察知すれば身を隠す、あるいは数名だった場合には物を投げて意識を逸らし、分断する。

 視界を限定させるなどと、やっている事はバカみたいに本気だ。

 けれども、その歩みと行動だけが遅々たる物で、辛そうにどこかへと向かっている。


 私も後を追うように窓から飛び出す。

 着地する時にフンワリと浮遊の魔法を使って何とか足音を殺して、アイツの後を追った。

 

 そして、たどり着いたのは屋敷の片隅。

 人が来る事の少ない、建物の裏手だった。

 そこでヤクモは色々なものを取り出し始める。

 何をするのか分からずに、ただ見守る事しかできない。


 アイツがクラインを演じていた時、見えないはずの私を見つけていた。

 だから下手に出て行けば見つかりかねない。

 ただ、何かをしているということしか分からない。

 ”けんじゅう”というものに、何かを括りつけている。

 不恰好だけれどもそうする必要があるという事?

 一体何のために?

 

 高そうな紙をバカみたいに詰め込んで、弾が出る場所に入れている。

 たしか、あれって炸裂の爆発を利用して物を飛ばして、それによって死殺傷するんだったはず。

 それじゃあ弾の邪魔をしているだけじゃ──


「……ぇ?」


 けど、私はそれが何を意味しているか分からなかった。

 私は、彼が何をしようとしているのかを悟れなかった。

 守る為に誰かに向けていた”じゅうこう”を──。

 彼は、自分の頭へと添えた。

 

 理解が出来ない、反応が出来ない。

 それはたった数秒だった筈、あるいは物凄く長く感じられるくらいの間だったかもしれない。

 あの時は頼もしく聞こえた筈の炸裂音は、イヤに小さな音で死を賜った。

 勿論、それは……アイツに。


「い、ぁ……ッ」


 私は、何も出来なかった。

 ただ死体になっていく所を見ているだけで、その空虚になった目が月と星々を映して綺麗に光っている。

 様々な情報が、疎らに入ってきて、全然絞りきれない。

 キンと、”やっきょう”が壁を叩いた。

 カシャンと、”ジュウ”が地面に落ちた。

 ドサリと、しゃがみこんでいた彼の身体が地面に倒れる。

 ビシャリと、何かが壁に張り付いた。

 虫は、それでも夜の静けさを演出している。

 月は相変わらず綺麗で、アレを見続けられるだけで人類を守る価値があると思った。


 屋敷の屋根の上に、ロビンの姿が見えた。

 ロビンの眼、綺麗な水色で輝いて見える。

 ヤクモの赤と茶の眼が、瞬きすることなく私を見ている。

 それは空虚で、先ほどまで生きていたことを感じさせない。


 どこか、私を批難しているような気さえした。

 あるいは、助けを求めていたようにも見えた。

 もしかしたら怒りを滲ませていたのかも知れない。

 憎しみを、みせていた?


 ああああああああああああああああ。


「なっ、めんなぁ……!」


 歯を食いしばった、自分の顔を叩いた。

 痛い、涙が出る。

 というか、口の中も切ったかもしれない、血の味がする。


 けれども思考だけがスッキリして、私が思いのほか混乱していたのだなと自覚できた。

 自覚できたからと言って、目の前の光景に納得できるわけが無い。


 死んだ。

 英雄とか言われたのに、英霊にも認めてもらえたのに、騎士にもなったのに……。

 自分の手で、あっさりと彼は死んでしまった。

 事故でもなく、殺されたわけでもない。

 彼は、自らの意志で自分の命を絶ったのだ。


 なんで? どうして?

 色々な事を考えるけれども、答えはもう聞き出せない。

 けれども、一つだけ判断材料はある。


『情けない……』

『身動き取れないとか』


 たぶん、恥じたのだろう。

 もしかしたら理解し切れていない範疇の中に、兵士や戦士としての矜持があったのかもしれない。

 戦えない兵士に意味は無く、戦いを断たれた戦士に価値は無いとか。

 考えてみれば、魔物の襲撃の時だって出来る限りの人間を助けていた。

 戦う事も誰かを守る事も出来ない。

 なら、生きていても意味が無いと判断したか……。

 或いは、甘んじている境遇を嫌がったか。


「──頭がこわれちゃった」


 姉さんなら蘇生の魔法が使えるけれども、それは万能じゃない。

 血を流しすぎたり、内臓が壊されたり……。

 とにかく、生き返っても問題が無い状態にならないと蘇生は行えない。

 コイツは、私にその機会すら与えてはくれなかった。

 頭が壊されたら、もう無理。

 呆然と、まるで身内が亡くなった時のようにボンヤリとしている。

 

 頭の中身って、こうなってたんだ……。

 赤みがかかってるような、黄色のような。

 けど、そうじゃない。

 私だって、冗談で頭の中が見たいといっていたわけじゃないけど。

 こんな風に見たかったわけじゃ……。






 けど、私は”呪い”というものを甘く見ていた気がする。

 様々な呪いを見てきた、けれどもこれはその中でも飛び切りの”呪い”だ。

 全てが、ヤクモに戻っていくのを見た。

 血が、頭の中身が、肉が、神経が。

 収束して、まるで”なかったこと”のように肉体が目の前で修復されていく。


 こんなの、魔法で見た事はない。

 有るとしたら、不死の呪いだ。

 死後いいように操られる死者の軍勢を見た事が有る。

 浄化をしなければ、彼らは再生と修復を繰り返して幾らでも蘇る。

 それと同じように、彼は再生していた。


 何がおきているか分からない。

 けれども、このまま居続けるのは良くないと再び身を隠す。

 そして、何が起きるのかを見守った。

 じょ、浄化の魔法ってどうやるんだっけ?

 姉さん任せだったから、ほとんどぼやけてる……。

 ももも、もし今この場でゾンビ化しちゃったらどうしよう。

 わわ、私が止めないと……!


「……あ゛~……、しんど」


 ……え?

 コイツ、今喋った?

 というか、普通に……生きてる?


「……やっぱ、死ぬのってなれないな。けど、体調は……うん、回復したみたいだ」


 ──嘘。

 死んだら、おしまいな筈なのに。

 コイツ、自分で死んで……生き返った?

 それどころか、回復したとか言ってるし、ワケわかんない。

 けど、言葉通りみたいで、ヤクモは周囲を調べて痕跡を残さないようにするとすぐに立ち去る。

 その足取りは軽く、文字通り”復活した”感じだった。


 私は、アイツが壁をよじ登って部屋に戻るのを見送ってから現場を調べる。

 ……変な所で細かいのか、アイツの痕跡はまるで残ってない。

 飛び散った筈の血や内臓物も無いし、それどころか”やっきょう”という物も探したけれども見つからなかった。

 先ほどの行為を見ていなかったのなら、私は何も知らずに居たと思う。

 アイツが、まさか、こんな……。


 受け入れてから、なぜだか涙が零れてきた。

 そして、悲しさがこみ上げてくる。

 休む事を拒絶し、普通である事を当たり前とし、何かあれば身体を張ることを当然の如く行う。

 まるで、それは機械の様な生き方だなと思った。

 私は、そこで初めて自分がどれだけ出来損ないだったのかを自覚する。

 魔物を殺す、殺す為に魔法を編み出す、編み出した魔法で更に魔物を殺す、その為に体調をも犠牲にする。

 私とヤクモにどれだけの違いがあるのだろう?

 無い、ぜんぜん。

 だからこそ、私は……仲間に迷惑をかけ続けてきたんだ。

 

 ── マリー、ちゃんと休まないとダメだよ ──

 ── マリー? 休まないと、……とかが心配するよ? ──


 色々な人が気にかけてくれていたはずなのに、私はそれをうるさいと突っぱね続けた。

 それでも何とかなったのは、単純に結果を出せていたし……人手が足りなかったからだと思う。

 誰も率いることは出来なかったけど、それでも良かった。

 ……けど、結局の所そんなものは独善でしかなかった。

 私の為に魔物を殺し、私の為に魔法を編み出す。

 それが結果としてみんなの為になっただけで、本質は違う。

 それと同じで……ヤクモを見て、私のした事が少しだけ客観的に見る事が出来た。

 

 アイツは善い事をしているという実感も感覚も無く、ただ『そうした方が良いだろう』という無感情で無機質な”反応”からそうしているようにしか思えなくなった。

 善人ではない、それ以下の……見方によっては私以上の悪人。

 助けるくせに、何も返させてくれない。

 気持ちや感情を沢山巻き込みながら、それを一方的に振り払う。

 それは──あの人と同じだ。


 仲間だと思ってたのに、一緒に全てを乗り越えていくのだと言っていたくせに……。

 自分一人で乗り込んでいって、自分一人を犠牲にして全てを終わらせてしまった。

 歴史にも残らない、名前すら語られる事のない……彼女のように。

 あれは──許されない裏切りで、それと同じ事をしようとしている。

 その結末は、私は既に体験している。


 多くの人を救うかもしれない、多くの人に感謝されるかも知れない。

 多くの人に頼られるかもしれない、多くの人に信用されるかも知れない。

 多くの人が好意を抱くかもしれない、中には愛情を抱く人も居ると思う。

 けれども、それを──裏切るんだ。


 感情も、気持ちも、関係も全て置き去りにして。


 部屋に戻ってからと言うものの、私は眠れなかった。

 そのまま朝を向かえ、軟禁状態ながらも迎賓に近い扱いの食事がやってくる。


 ……貰った薬、まだあったっけ。

 貰った薬は、飲むと眠くなる。

 無理やり寝て、意識が泥やお酒に沈んだみたいにぐちゃぐちゃになる。

 眠りながらも色々と考えてしまう私には、ちょうど良いくらい。

 

 朝食後に少しばかり寝て起きると、窓の外から声が聞こえる。

 アイツの部屋が近いから、そこから声が聞こえてくるのだろう。


「分かってる。無理はしない、約束するよ」


 その声が、言葉が、今では少しだけ憎く思う。

 ……無理をしても死なない?

 いえ、そうじゃない。

 どんな状態に陥ろうと、死ねば全てが無かった事に出来る。

 それを羨ましいと思うか、冒涜と思うかは人それぞれかもしれない。

 けれども、私は思う。

 

 彼はなぜ人気の無い場所にまで向かったのか、それは知られたくないから。

 知られたくないのになぜ自分を殺したのか、回復する必要があったから。

 回復しなきゃいけない理由は?

 たぶん、足手まといな自分がイヤだったから。

 自分が傷病者でいる事の方が耐えられなかったと考えれば、人柄は幾らか掘り出せる。


 けど、それは……。

 巷の噂や情報とは人柄が違って見える。

 表向きの若干敬意を感じられない、粗野とも粗暴とも言えるような態度や口調の裏。

 ──強がり?

 

 違う、そうじゃなくて……。

 休めば良いのに、どうして死んでまで回復するのか。

 そこまで追い詰められてるのか、或いは強いられているのか……。

 そうじゃないとしたら、そうしてまで尽くす事に意義を見出しているということ?

 ……それは、物凄く気に入らない。

 なんというか、私が”ボッチ”みたいじゃない。


「スン……。そこまで頑張らなくて良いのよ、そもそも」


 怪我をしたら普通に治せば良い。

 疲れたら休ませて貰えば良い。

 お腹がすいたら食べれば良い。

 病気になったりしたら回復するまで寝させてもらえば良い。

 態々自分を殺してまですぐに回復する必要は、無いはずなのだから。


 ただ、それを言い出したら私も助けられたワケだし、何かしら報いないと筋が通らなくなる。

 少しだけ考えて、私にしかできない事はすぐに思いつく。

 私が、今度はアイツを助けるんだ……。


 うん、そう考えると少しだけ希望がわいて来る。

 私はあの時の後悔を繰り返さずに済む。

 あの時私は踏み止まる事を選んだ。

 いつものように、何事も無く戻ってくると信じて──後を追う敵を食い止める事で助けようとした。

 けど、その結果は真逆に終わった。

 魔力を使いすぎて分解されていく所を目の当たりにして、いつも私は一手足りないと後悔する。


 今度は間違わない。

 私は、アイツを助ける。

 それで何かが変わるわけじゃないけれども……。

 当たり前のように身を投げ出して、当たり前のように死ねるのを許容する事は出来ない。

 たとえそうすることで誰かの為に役立てるとしても、そんな歪な在り方を認めない。


「ちょっと良いだろうか?」

「……何かしら、公爵」

「先日の夜間、警備の者がなにかの”音”を聞いたそうで。それとほぼ同時にロビンが君がその周囲に居た事を確認している。その話を聞ければと思ってね」


 あぁ、当たり前か。

 私の事をロビンは見えるし、何かあれば報告をあげて当然よね……。

 形式上は保護しているという形かも知れないけど、今の今まで辺境伯は私の存在を秘匿し続けた上に公爵家の領地に潜り込んでいた事は問題にせざるを得ないもの。

 一瞬、言ってしまえばアイツは無茶できなくなるんじゃないかと考えてしまう。

 都合よく利用する人物であれば機にもかけないだろうけど、公爵なら……少しは信じられる。


「ぁ──」


 けれども、それが出来なかった。

 言おうとして言葉が出なくて、それから少しだけ口を閉ざす。


「……なにかな?」

「──言えない」

「そうなると、君の待遇を変えなければならなくなる。少なくとも、英霊を召喚したにも拘らず、それを秘匿し続けた辺境伯に何かしらの意図があると考えなければならないからね。……現状が現状だ、フランツ帝国との関係にも亀裂を入れかねない。来たのがヘラ様で姉だというのだから心証も宜しくないだろうし」

「だとしても、私は言えない」


 言えば、アイツの事を共有できたと思う。

 けれども、私はそれを私だけの秘密にする事に決めた。

 下手に言いふらすとアイツの立場が危うくなる。

 たしか、変な邪教徒もいたはずだし、ヤクモの血肉を食えば自分たちも同じになれるとか考え出したら命に関わる。

 それだけじゃない、死んでも生き返ることが出来る、それを嫉妬したり疎んだりする人だって居る筈。

 なら、私だけの秘密にした方が安全に決まってる。

 それに……自分しか知らないアイツの一面があると言うのは、少しだけ心が温かくなる。

 ……私は、恋愛と言うものをした事が無かった。

 本の中で描かれる絵空事でしかなくて、実際にそれで後悔したのは一度だけ。

 なら、あの時と同じ気持ちになれているのなら、これもきっと同じものなんだと思う。

 私は白馬の王子様を待ったりはしない。

 けれども、共に戦い歩む相手が居たらなって……。


 それだけは、ずっと思った。





 ……沈黙を貫いたのは、結果として逆の効果を齎した。

 ロビンが最初から最後まで見ていた事が、全てを見ていたワケじゃないにしても私の無実を裏付けてくれたのだから。

 ただ、そうなると影に潜ったアイツが何をしたのかと言う事を公爵はしきりに気にしていた。

 それでも──私は、アイツのことを喋らなかった。

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