第31話
~ ☆ ~
『……やってくれた事やしてくれた事に、凄い感謝してる』
あぁ、遠い日の記憶だ。
もう何百年前だ?
思い出すのも面倒だ。
『皆は色々言うだろうけど、自分は……それでも助かったって言わせて貰うよ』
それは、名前すら残らなかったオレの同類。
ただ違いが有るとすれば、歴史から消滅する事を相打ちの条件として受け入れたのはあいつだ。
オレは、歴史からその名を消されただけの卑怯モン。
それでも、そいつの言ってくれた言葉だけが心を占めていた。
『これから先、君のような人が必要になる事も有る。だから、皆を支えてあげて欲しい』
それが、最後のマトモなやり取りだった。
そして……そいつは粒子となって消えた。
魔法を使いすぎたんだ。
ショック死するのではない、肉体を組織している全ても魔力に変換した結果、分解されてしまった。
身につけていた衣類も、防具も、髪の毛の一つですらもこの世には残らなかった。
ずりぃ奴だよ、まったく。
そして、今度はハズレ英霊として召喚された。
だが、その主人もハズレで、ハズレ英霊の名に恥じない。
「はっ、それが目的か……」
ご主人サマは、オレを呼び寄せるくらいにはドス黒い奴だ。
その目的を聞いた時、唾棄したくらいだ。
だが、それを否定も拒絶も出来なかった。
だから、本当の意味での”汚れ仕事”をすることになった。
「英霊を殺せ、ね」
かつての仲間を手にかけろ。
それが言い含められたオレの任務だった。
勿論細かい条件は沢山指定されたが、そんな事は既に慣れきったものだ。
英霊の端くれになる前は、味方を粛清し、或いは殺すことで部隊の指揮や規律、統制を引き締めてきた。
敵よりも味方を殺した数の方が多いかも知れない。
それくらいに、殺した経歴が有る。
だが、その指示に乗っかる事にした。
どうせやるのなら汚れ仕事上等と言う奴だ。
英霊自信、自分ら以上の相手が居ない現状に弛んでいるのは目に見えている。
これは注意喚起にもなる。
双方にとって。
人類にとって、英霊とは蓋になりつつある。
それに危害が加えられ、殺められる存在が現れた時……人類も幾らか目覚めるかも知れないからな。
それに、英霊にとって自分を脅かす存在が居ないのは頭打ちと同じだ。
オレは、人類の未来と言う奴のために、別の角度から挑戦する事にする。
敵対する事も、その結果理解されぬまま死ぬ事だって構わない。
オレが死んだとしても、その先でアイツらが未来を掴み取れるのなら本望と言う奴さ。
……仲間は、全員が全員”綺麗”過ぎる。
身分が良過ぎたのがここで足を引っ張るとは思いもしなかったが、だからこそ汚れ役をやる事に意味がある。
──ヘラの奴、自分がトチ狂ってるとは気がついてないみたいだからな。
かつての遺産、遠い昔の人類が残したとされる”洗脳装置”。
内容は『大英帝国の復活』の為に、意識を支配するものだとか。
えげつないものだ事。
念のため定期的に様子は見ているが、致命的な事にはならなさそうだ。
まさた首都が支配されてるとは当人たちですら気づいてないだろうに、可哀相なこった。
「……で、公爵領周辺をうろついてるマリーが適任だろうかね」
様々な細かい条件の中、襲撃を受ける一番手はマリーとなった。
マリーは魔法に長けた女だ。
詠唱速度、行使後の復帰速度、その火力や多彩さは侮れない。
……いや、侮るも何も、最弱はオレなんだが。
ただ、全員が意識しなかった”研究”とやらをオレがしているだけ。
相手を知り、己を知れば百戦危うからずだったか……。
英霊の弱点は、己の力量を増やすことばかり考え、相手を理解する事に劣る事だ。
オレは、その逆だ。
相手を理解する事に長けている。
相手の選んだ手札に、後出しで常に有利な手札を叩きつけるだけのイカサマ野郎。
……だからこそ、生き残る事が出来た。
「よう、マリー」
「ッ!?」
「そんなに驚いて、どうかしたのかな? まるで鬼にでも見つかったような反応じゃあないか」
森林の中、公爵が軍事演習を行っている近くに彼女はいた。
分かりやすい、分かりやすいねえ……。
マリーは臆病さを隠すために攻撃的な性格をしている。
だからこそ、親しい奴なんてほぼほぼ限られていた。
毒舌、罵倒、暴言なんて当たり前だ。
距離を縮める前に”専守防衛のための先制攻撃”で誰もが敗退してきた。
結果、人類の存亡の危機に陥った中で部下すら持てなかった悲惨さが有る。
まあ、オレは恐怖と圧力で支配していただけで、何度も何度も見捨てられて死に掛けたわけだからどっこいどっこいと言う奴だが。
驚きすぎて、大きな三角帽子がずり落ちかける。
それを必死に頭に留めようともがく所も、いい加減見慣れた。
臆病で、不器用で、その癖体裁や見栄えは気にする。
舐められないように、見下されないように、自分が対人関係で絶望的に経験が足りないなりに補おうとして。
「アン、タ……」
「おいおい、久しぶりに会った仲間だろ? 少しは喜べよ」
「──出て来ると思ってなかった」
「そりゃ、寂しいこって」
「だって、アンタ……英霊になる時、表明しなかったもの」
ああ、それは本当だ。
英霊になる事を決めた時、オレは傍らに居ただけだった。
誰も声をかけてはくれなかった、そしてオレも英霊なんて下らないものになるつもりも無かった。
人間同士のあの醜さを見せ付けられて、自分を犠牲にしてまで未来永劫生き続けるつもりなんておきなかったからだ。
だから、英霊の儀が完成する間際……ふと思い出したわけだ。
唯一、オレの事を認めてくれたヤツの事を。
終わるギリギリで、オレもこっそり自分を加えた。
ただ、それだけの事だ。
「呼ばれなかったのさ。誰も、その場に居るオレに声をかける事すらしなかった」
「……それは」
「分かってるさ、オレが”穢れた人間”だって事も。自分のしてきた事を考えれば、加えたくないって事もな。召喚された時、主人や認められない人間を殺して回る可能性を考慮したんだろ。それは、正しい」
マリーが口ごもる。
ああ、そうさ。
コイツは、臆病なんだ。
けれども、それ以上に……あの中では、優しかった。
ヘラとは違う、自分の思う優しさではない。
マリーは、自分が弱いから他人のことをよく見ている。
だからこそ、他の英霊とは違って……最後の最後まで気にかけていた事も知っている。
「……アンタ、いつこっちに?」
「もう大分前だな。ただ、主人が大分放任主義でね。姿形を変えながら色々な国を歩き回って、知る為に動き回ってた。北の独立国家種郡から、南は砂漠の中の大都市まで。西は神聖フランツ帝国から、東はユニオン共和国とその先の汚染地域まで。汚染地域ってのは、酷いもんだ。肌が酷く焼け爛れる。包帯なしじゃ人前に出られないよ~、ママーってね」
「嘘吐き」
「勿論、嘘だ。だが、オレはこの包帯を取ることはしないが」
足から下半身、胴体から腕、首から頭まで包帯だらけだ。
焼け爛れたというのは本当だが、そんなものは魔力で治癒も回復も済んでいる。
ただ、鼠にはこれが相応しいからそうしているだけでしかない。
顔を隠す、素性を悟られないようにする、筋肉の動きや目の動きなども隠して優位性を確保する。
それだけのものだ。
「……それで、アンタは何? 子煩悩な主人に言われて潜入調査?」
「ハ、なんだよそれ」
「私の召喚主が私を使ってやらせた事よ……。娘が縁談を持ちかけた相手の事を知りたいからって、私を使って拘束と脅しをかけて連れ出したの」
「プッ……」
なんだそれ?
英霊を使ってやる事が、娘の相手を知るために人一人を脅す?
「バカじゃね?」
「ええ、ホント。馬鹿げてると思うわ」
「それで、そのご主人サマとやらは満足したのか?」
「あ~……そこまで気にしてなかったわ。私はタダ酒とタダ飯をかっ喰らってたから」
「オマエ、酒を飲むヤツだったか?」
「飲んでみたら、案外美味しかったのよ。それに、眠れなくて……。不眠症、とか言う奴らしいけど」
……まあ、色々あったからな。コイツも。
騎士には見捨てられて自分が誰も従えられない上に、従って貰える人物じゃないと折れた。
傭兵に好意を抱きつつあったが、それに浮かれて暗殺されて恋を片鱗のままに踏みにじられた。
そしてようやくできた親しい相手は、自分を置き去りに先走って相打ちになり、消滅した。
それだけじゃない。
自分を庇って両親が死んで、お屋敷の連中でさえも目の前で殺されていった。
他の連中よりも、精神に刻まれた傷は深い。
それでも恨みと怒りと復讐心のみで立ち直った。
……それだけの女だ。
戦いの最中は常に気を張り詰め、殺すことに生き甲斐を見出していた。
だが、英霊と化してからは落ち着きを取り戻して、昔を夢見るようになったに違いない。
復讐すべき対象が居なくなり、妄執と執念が消えてしまったワケだ。
「眠れないのは辛いねえ」
「確か、アンタもそうじゃなかった?」
「もう眠るだなんて”大層な贅沢”は止めた。ウトウトしては目が覚める、それに自分を適応させて睡眠だと納得させる。8時間眠らなきゃ睡眠じゃないというのは、普通に生きている連中に許された特権だからな」
もう眠らなさ過ぎて、目が乾いた感覚もしなくなっている。
それでも生きていられるのだから、人と言うのは不思議なもんだ。
「……アンタに会えて、少し良かったかも。勿論最良とは言わないけど、仲間が居るって事を知れただけで良かった」
「ふん?」
「アンタでしょ、ロビンでしょ。あと、噂では姉さんと、タケルと、ファムと、ヴァイスと、マスクウェルが居るみたい。ロビンにしかあってないけどさ」
「……なるほどね」
話をしてくれたのは、若干お情けと言う事だったのかも知れない。
いや、そういうことは無いのだろう。
ただ、頼れる者が居ない中では彼女の攻撃的な自己防衛も意味を成さない。
終わりの見えない戦いは精神を磨耗させる。
それは経験のあることだ。
嫌われ役は何度でもそれを味わう。
孤立し、周囲の状況が見えない中でただ敵が押し寄せる。
森林に身を隠して汚泥の表面から水を啜る。
木の皮を剥がして虫を捕らえ、それを食事とする。
それだけじゃない。
深い霧の中、ただポツリと見える明かりを目指して起伏も道も分からない中を当て所無く彷徨う事だって有る。
「……マリー、終わりだ」
「なに、主人にでも呼び出されたの?」
「いんや、警告と……謝罪だ。オレの主人は、お前ら英霊を殺して欲しいと俺に命令した。そして、オレはそれに半分くらい乗っかる事にした?」
「へ?」
間抜けな面だ、見ていて悲しくなる。
マリーは、さっきも言ったが対人関係が絶望的だ。
経験が少ない、だから学んだ事柄が少ないし知った事も少ない。
だから──仲間に裏切られると言う事を、考えた事も無い。
剣を容赦なく振るうが、それが彼女の首を断つ前に弾かれる。
「爆ぜろ!」
「なる……」
腕に絡みつく魔力、そこから呪詛のように魔法が構築されていく。
そして発動した魔法が首を切ることなく空を切らせた。
彼女は退き、首元を触る。
……虚を突いたつもりではあるが、半分本気でもこんなもんか。
自分の肉体の性能が以前と違うとは感じてはいたが、どうやら他の英霊連中もそうなのだろう。
少なくともマリーはここまで反応が良かったほうじゃない。
今ので首を切られると思って退いた所で反した刃で肩を貫く筈だったんだが。
まあ、そんなことはどうでもいいさ。
マリーを攻撃して、攻撃し続けて恨みを買い恐怖を煽る。
コイツがその先遣隊になるわけだ。
英霊であっても、脅威になる奴が居ると。
ただ、一つの誤算が有るとすればそんな場に一人の男が紛れ込んだ事だ。
噂くらいは仕入れてある。
学園での襲撃で一躍有名になった”英雄”ヤクモ。
……ああ、楽しかったな。
仲間からは畜生だ、処刑人だと言われてきた。
戦いでも同じように、正々堂々と戦った事は無い。
だからこそ、バカみたいに真っ直ぐにぶつかってくるヤクモの相手は……良かった。
オレは、英雄になりたかった。
脚光を浴びて、誰からも賞賛され、誰もがついてきてくれて……そして、巨悪を倒す。
しかし、そうはならなかった、そうはなれなかったのさ。
だからこそ、こうした戦いは良い。
生きている実感を与えてくれる。
隙を狙い、相手の虚を突いて一方的に殺すだけを戦いとは言わないのだから。
それに……ヤツは笑っていた。
ヤバいだろうに、追い詰められているだろうに、マリーとの連携だってちぐはぐで何度も被弾していたのに。
追い詰められれば追い詰められるほど、笑うんだ。
一度、諦めたかと思った。
圧倒的な力量差を前に、絶望したのかと思った。
だが、そんな事はなかった。
「サプライズだ……」
そう、サプライズだ。
英雄と言う名を冠するに値するくらいの素養はあるらしい。
腹部に突き刺さった剣を見て、これが今回の終わりだと理解した。
これ以上はご主人サマの所に戻る事も回復も間に合わない。
だから、目的は達したとして諦めた。
勿論、ご主人サマは一部始終を見ていて、その結果に満足していた。
「……暫くは活動は控えるからな。流石に、内臓までブチ抜かれて、魔力だけじゃ回復しきれない」
適当な御託を並べたが、それを受け入れてくれた。
見抜かれたか、それともどうでも良かったのか……。
だが、これくらいはしないとやってられない。
オレは、これでめでたく仲間に宣戦布告をした裏切り者になったのだから。
だからこそ、マリーの純粋な顔が突き刺さっていた。
「まだ、ヒトのような感情が残っていたとはね」
あるいは、今まで殺してきた連中をオレは仲間と見ていなかったか。
マリーたちだけを仲間と思っていたからこそ、あの時の敵意や裏切られたと知った時の顔が抜けないのだろう。
『君が一番仲間を大事に思ってくれている。だから、支えて欲しいって思ったんだよ』
……まあ、そうだな。
仲間以外は、どうでもいい。
”オレ自身も、どうでもいい”
これから先、人類と共にアイツラが勝利すれば……それで良い。
~ ☆ ~
クラインが戻ってきて、俺もようやくヤクモに復帰できた。
なのに……今度は重傷だ。
血が足りない、色が判別できないくらいに脳に悪影響がでている。
起き上がるだけでも、それこそ意識があるだけでも苦しい。
こんな事なら、死んだほうが全快できる分マシだ……。
あぁ、そうか。
結局、俺は死をゲームのように受け入れてただけだ。
死はその後の持続する苦しみを断ち切ってくれる。
だが、下手に生き残ると……こうなるのだ。
「ラムセス、何か落ち着く物はないのか!」
「こ、このような衰弱振りでは飲ませるのが難しいです」
「治癒師、どうなってる!」
「き、傷は塞がってます! ですが、流した血の量が多すぎたのです……」
「まさか死ぬとは言うまいな!」
「血にまで干渉できませんよ!」
あぁ、なんだ?
クソ、俺は起きてるのか?
それとも、寝ている?
分からない。
わから……。
その後、マリーが見舞いに来て、クラインがミラノにのされて、ミラノに愚痴愚痴と長いお小言を言われた。
血が足りない分気分は沈めど高揚なんてするはずがない。
もう無理に寝て、休む事にした。
翌日には治ってくれてたらなとは夢想してみたが、そんな事はない。
頭の中に血が行ってないのが寝たままでも分かる。
身体を起こしたらどうなるかなんて、考えたくもない。
「衛生兵……MEDIC……」
輸血してくれ、輸血……。
起き上がれないと、出来る事が無い。
ひぃ~ん、訓練したいよ~。
そうじゃなくても自由になったんだからもっと色々したいよ~……。
VITA出してちょっと遊んでみたけど、画面酔いするくらいに脳みそダメダメで辛い。
音楽流すとなんか頭キンキンするし、全然癒されない。
あ~、だるい……。
「ダルそうね」
……この瞬間、もっとだるくなったのは秘密だ。
「あの、マリーさん。面会謝絶って知ってます?」
「あ、様子見に来てあげたのにそういうこと言っちゃう?」
「言っちゃうんですよ……水」
「水ね、ちょっと待って」
……起き上がれるだろうか?
くそ、自分の身体じゃないみたいだ。
半分くらい起き上がったところでもう限界だ。
頭の中から血が抜けていく、血の気が引いていくのを実感で分かるだなんて。
「無理しなくても良いのに」
「少しくらい、強がらないと示しがつかないだろ?」
「私に気負わせない為に?」
「──まあ、それも有る」
「”も”?」
「あんまり倒れすぎると、ダッセーし。男だから見栄を張りたいんだよ」
カティアにも、ミラノにも。
使い魔をしているカティアは憎まれ口やからかっては来るが、その後ピッタリとくっついて離れたがらない。
ミラノは……あんな事を言ったばかりだ。
ミラノは、俺が召喚されて郷愁に占められた時、その事を正式に謝罪してくれた。
それだけじゃない、寂しくならないようにしてくれると……そう言ってくれたんだ。
俺が、帰ってこられる場所になってくれると。
そんな事があった手前、倒れては約束が果たせない。
俺は、その約束がある限りは……彼女らを守ると。
誓ったんだ──。
「ほら、冷やしてあげたから感謝して飲みなさい」
「わーい、ありがとうごぜえますだ」
「なんで訛るし」
「そっちこそわざわざ押し付けがましく言わなきゃ素直に感謝できたのに……」
「ほら、起こしてあげるから飲みなさい」
そういわれ、彼女に上体を起こされる。
頭から血の気が引いていって、これはマジでヤバいと思った。
けど、耐えろ。
深刻そうな顔は……するな。
「……本当にキンキンに冷えてる」
「英霊が自ら冷やした水なんて、一生飲めるかどうかね」
「そもそも、英霊が水を冷やして下賜する場面なんて想像もつかないっての」
……しかし、飲んだら不思議と楽になった気がする。
そういや、意識が無かったんだっけ。
「それで、朝早くから来た理由を聞いても?」
「……落ち着いてアンタと話ができなかったからね。それで来たのよ」
「こんな朝に?」
まだ4時だ。
昨日下手に真面目になったせいで、自衛隊時代の起床時間を思い出してしまったのだろう。
6時に起床となるのだが、その2時間前に目が覚める変なクセが有る。
起床ラッパで起きたくないからね、仕方ないね。
「……どうして、私を助けようと思ったのか。それが聞きたかったから。英霊って、たぶんアンタが思うよりはずっと強いわよ。そんなヤツの前に、よく立ちはだかれたなって思って」
「別に、大した理由なんてない。ただ……イヤだったんだ」
「イヤ?」
「たとえ歴史から名を消されようとも、最後まで仲間だった筈なんだ。けど、召喚されて主人の意向にそってかつての仲間を殺すだなんて、それを受け入れるのが……イヤだったんだ」
俺には、出来ない。
想像してみて吐き気がするくらいいやなのだ。
自分の仲間を、同期を、後輩を、先輩を、上官を、隊長を、家族を殺すという行為が理解できない。
深く息を吐いてから、うなずく。
「それに、英霊が死ぬという事がどんな損失を生み出すかも分からないし。それに……見捨てるのは気分が悪い」
「敵わない相手を前に逃げた所で気分が悪いもクソもないでしょ」
「違う。出来るか出来ないかは別にしても、逃げたってのは……ずっと付きまとう。足を引っ張るし、後ろ髪も引っ張る。心には影を落とすし、心にはずっと刺さった棘になる。他の何かで埋め合わせの出来ない傷が……残り続けるんだ」
「──心の、傷?」
「後悔って言えば分かりやすいんだろうけど」
その言葉を、マリーは暫く咀嚼するかのように受け止めていた。
それから──頷いていた。
「それが、アンタの行動理由?」
「善人のように無償で善意を行える立派なヒトだとは思ってない。後悔したくない、引きずりたくない、だからそうした。それだけなんだよ」
「それは、学園での行動も同じ?」
「……結構耳が早いんだな」
「情報網ってやつがあんのよ。で、どうなの?」
「同じだよ。それに、貴族連中で言う”高貴の勤め”ってのがあるように、俺にも……出来るだけ果たしたい勤めが有る」
「それって、なに」
「……べつに。前に属していた組織、部隊での宣誓だよ。国民の負託にこたえることを誓ったんだ。なら、自国民じゃなくても目の前で困ってるヒトを見捨てるってのは、俺が……俺が、仲間を裏切る事にもなる。それを裏切ったら……俺には、何も残らなくなる」
アーニャは全盛期の肉体を与えてくれたけれども、文字通り自衛隊時代が俺の全盛期だったと思っている。
国の為に働き、国に尽くし、国民と触れ合い、国民を助ける……。
血と汗と涙を流して、それでも6年間は頑張った。
あの時の仲間たちを裏切ったら、俺の人生の半分以上を裏切る事になる。
それだけはしたくなかった。
「──大事なもの?」
「俺が……生きていた事に価値があるとしたら、その矜持を守っている時くらいだからな」
「どこかの誰かの為に?」
「どこかの誰かの為に」
産まれた事に意味があるとしたら、それくらいだ。
俺が立派なのではない、属していた組織や居た場所、関係者が立派なだけなんだ。
両親はヒトに優しくしなさいといった。
自衛隊は国や国民の負託に応えなさいと誓わせた。
関係者はその為に必要な心構えや知識、技術を与えてくれた。
多くの場面において、自分はすぐに心が折れる。
けれども、折れた心を即座にそれらで補強するから、何とかなる。
あるいは、自分を偽りったり立派な人物を演じることでしか立ち向かえない。
「──それは、アンタのご主人様を守った時もそうなの?」
「……いや、それはまたちょっと違う」
「違う?」
「──俺さ、こっちに来る前まではずっと一人きりだったんだ。両親も居なかったし、ずっと一人で生きてた。だから、なんというか……人間、のような生き方をまたさせて貰えて、それが嬉しかったし楽しかったし、それを失いたくないなって」
「沢山怒られて、沢山嫌な事もあったでしょうに」
「だとしても、死んだように生きているのと、嫌な事があってもちゃんと歩んで生きていけるのは大分違う。嫌な事と同じくらいか、それ以上に……良い事や、嬉しい事があった。嫌な事もなければ、良い事も悪い事も無いままに時間だけが過ぎるのは……”死んでないだけ”って言うんだよ」
死んでないだけ。
意志も無く、行動も起こさず、誰とも関わらず、何も変化の無いままに時間が過ぎる。
朝の4時に目覚めて、パソコンの前に座って、腹が減るから飯を食って、夜が来るから寝るだけの日々に何の意味がある?
俺が無駄にしている時間の向こうでは、色々なヒトが”活きて”いる。
ミュージシャンになりたいと言っていた連中が、9年かけて武道館でライブをやるようになった。
イラストレーターになりたいと言っていた人が、7年かけてスマホアプリや連載漫画に関わるようになった。
ぜってー働かねーと言っていた人が、就職して結婚して二子ももうけて幸せそうにしていた。
それらが全て、俺が死んだ日までの間に起こった事だ。
”死んでないだけ”であって、生きても居ない。
それが、どれだけ悔しいか分かる人は少ないと思う。
いっそ壊れた片足を切り捨てたいとさえ思った、むしろ生きている事に意味を見出せずに死にたいとさえ思った。
けれども、そうする勇気が無いから、死ぬまで死んだまま生きてきただけだ。
「……バカみたい」
「へいへい。英霊サマには理解できない、ちっぽけな悩みでしょうよ」
「別にそうは言ってないじゃない。悪く受け取らないで」
「ふ~ん?」
「私だって……認められたくて頑張ってたんだから」
その言葉は、少しだけ突き刺さる。
……英霊連中なんて、どうせ恵まれた連中が”不幸で目覚めた”とか、そういった認識しかしていなかった。
だからこそ、意外だった。
「同情なら要らないぞ」
「同情じゃ、ない。……英霊だなんて持て囃されたところで、誰も”私”を見てくれないもの。どんなヒトだったか、どんな事があったのかなんて誰も興味を示さないし」
それは、別の意味での”孤独”だった。
功績や評価ばかりが一人歩きし、当人を誰もが見てくれないというものだ。
○○をした△△さんというように、何をした人かということしか見ない。
俺もまた、人類を救済した英霊の○○という見方しかしていなかった。
「……どんな人間だったんだよ」
「優秀ならそれで良いと思って、その他の全てを切り捨てた馬鹿な女よ。しかも、それを他人にまで強いて呆れられて、気がついたときには誰も傍には居なかった類の」
「──……、」
「私の傍には一人の騎士が居た。けど、私はその人に課す事ばかりで報いる事を知らなかったから。崇高な使命と身分や地位があれば、勝手にそれに従ってくれると思って、愛想を尽かされたのよ」
「……──」
「お屋敷に戻っても両親に認めてもらえたか分からないまま、気がつけば家ごと全部失った。残ったのは……姉さんだけ」
ドクンと、心臓が一度だけ高鳴った。
それから、自分が馬鹿げた見栄を張っていたことに気がついて恥ずかしくなる。
「それで、ただただ復讐をしたくて戦ってただけで、英霊からは程遠い人物よ」
「──……、」
「お世辞は結構よ。誰がどう評価したとしても、私はただただ全てをぶち壊した連中を許せなかった。タダその為に魔物を焼いて、焦がして、引き裂いて、バラバラにして、押し潰して、グチャグチャにして、吹き飛ばして、木っ端微塵にして、溺れさせて、窒息させて、切り裂いて、殴り飛ばして、へし折って、拉げさせて、捩れさせて、引き千切って……色々な殺し方をした、一瞬は満たされるけどそれでも足りなかった。万の魔物を殺しても、千の部隊をなぎ払っても、百の軍隊を潰しても、十の将軍を惨殺しても、たった一つの家族達には届かなかった」
それは、輝かしい功績の裏の話だろう。
聞かされて、だからどうしようとか……そういうのは思いつかなかった。
「だから、少し安心した」
「あん、しん?」
「アンタも、私と同じなのよ。気高い理想とは別に、後ろめたい行動原理がある。渇いて、餓えて、満たされないものを満たすために”正しい事”をしてるだけなんだって」
……なぜだか、マリーにそう言われた事に”安心感”を覚えた。
自分は……英霊たちと、同じ?
「そんな──」
「嘘でも同情でもないし、取り繕ったものでもないわ。……ただ、アンタは同じなのよ。私たちのように、脛に傷を持って、それでも上を見る事を諦める事が出来なくて、堕ちるには真っ直ぐすぎて……ただ、他の人より少し長く勇敢で居られて、他の人より少し勇敢さを発揮する理由を自分の中に持ててるだけで──私たちと、同じなのよ」
「で、こちら側へようこそってか?」
「……その通りよ。私を助けた事、高くつくんだから」
「具体的には?」
「ようこそ、英雄側の世界に」
そう言って、マリーは初めて花が咲いたような笑みを見せた。
満面の笑みだ。
目の下にまだ幾らか隈が残っているし、あの自爆覚悟の大爆発のせいで幾らか髪が短くなってしまった。
けれども、過去に怯え眠る事ができず、暗いままの彼女よりかはずっと良かった。
「アンタのような人が居れば、きっと今度の人類の危機ってヤツもうまくやれる気がするわ」
「……そんなもんなのかな」
「ええ、そんなもんなのよ」
ただ、それを否定する気にはなれなかった。
彼女は手を伸ばしている。
これが本当の『英雄の世界への架け橋』なのかも知れない。
けれども、心が高鳴る。
踊る錯覚さえ覚えたくらいだ。
俺が、英雄? 英霊に認められた?
それは、きっと生きていた事に意味を持たせる事が出来るくらいのすごい事なんだと思う。
これは……手放せなかった。
彼女の伸ばした手を、俺は掴んだ。
彼女は、更に笑みを深めた。
「……手放さないからね」
「大げさだな」
「大げさじゃないわよ。アンタは、それくらいの事はしたんだから」
本当に楽しそうだ。
いや、嬉しそうなのか……? これは。
分からないけど、彼女は助けてもらえた事に対して好色を示している事だけは間違い無い。
「裏切ったら殺す、見捨てたら殺す、勝手に出て行ったら殺す」
「こえぇよ!?」
や、やっていけるのかな……?
なんか、一気に不安になってきた。
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