第27話

     ~ ☆ ~


 何を言ってるのか、最初は信じられなかった。

 けれども、徐々に……そう、徐々にアリアの言っていた言葉が飲み込めてきた。

 

「生きて、た?」

「そう、アイツがまた何かやったみたい。まだ誰にも確認は取ってないけど、嘘は言ってない筈」

「そう──」


 嬉しい筈、嬉しくない訳がない。

 なのに、私は今喜べないで居る。

 5年も前に亡くなったと思っていた兄さまが生きていた、身内が息を吹き返してまた一緒に居られる。

 その事実は良い事のはずなのに──。

 ズキリズキリと胸がただ痛い。


「どうしたのよ」

「え? あ、ううん。ちょっと……驚いちゃって」

「5年ぶりだもの、何を話せばいいのか……。色々話したいことが有る。色々……色々あった」


 そう、色々有った。

 私は、自分が目の前の少女と同一人物ではない事を受け入れ居るのに1年掛かった。

 それから4年間……私の為に斃れた兄の代わりになろうと、ただひたすらに自分の価値を高める努力をしてきた。

 魔法の系統数でも、詠唱速度でも、複合魔法でも、それこそ無に足を突っ込んでさえ居る。

 主席を毎年取り続けて、それでも私のした事に少しでも報いるように頑張ってきた。

 そう、4年も……。

 

 少しずつだった。

 本当に、今年を含めれれば残り3年で全てが終わる。

 そうしたら、立派な人を旦那として迎え入れて家の役に立てると……そう思っていたのに。

 けど、今日それは全部崩れ去った。

 兄さまが帰ってくる。

 それは裏返せば、私にはもう用が無くなるという事で……。

 今まで、私が積み上げてきた”存在する意味”が、崩れてしまった。


 ”姉さま”は、無邪気に喜んでいる。

 けれども、私は……どうしていいか分からなかった。

 ただ、生返事を繰り返していたような気がした。

 そして、少し疲れたと言って、部屋へと戻った。


「──なぁんだ」


 結局、世界さえも私のことを嘲笑ったんだ。

 誰かの代用品、誰かの映し身、誰かの代わり……。

 兄さまの代わりに自分が生きてしまった、それを背負ってきたから生きてきたのに。

 その背負ってきたものが無くなって、そうしたらポカァンと……どうして良いか分からなくなってしまった。

 兄さまの代わりにデルブルグ家の主柱になる。

 それが……私が私を許す為の目的だった。

 その為に努力を重ねて結果を出す事が、私が生きていても良いと認められる唯一の方法だった。

 自分が生きていても良いと思えるようにしないと、自分に価値なんて見出せなかったから。


「神様は酷ね。私は……じゃあ何のために──」


 あの時の事を思い出しても、連中が何を私に求めていたのかなんて分からない。

 気がついたら兄さまが倒れて、意識を失って……父さまが誘拐を行った連中を全員倒して……このお屋敷に居たくらい。

 溜息を吐いて、ゴロンと寝転がった。

 こうしているとアイツみたい。

 本当に嫌な事が有ると、本も読まずにゴロゴロしてる。

 音楽を聞きながら、時々”めもちょう”と言うものを見返してすぐに瞼を閉じる。

 

 ……あれを見ていると、自分だけの空間が無い中でせめて自分の中に閉じこもろうとしているみたいに見えるからそっとしている。

 アルバートとの決闘をした次の日とか、そんな感じだった。


 けど……けど、アイツと私には決定的に違うものがある。

 確かに魔法の知識や技術では私は上。

 確かに授業を受けているから、周辺国のことや歴史を知っている。

 確かに、貴族だから礼節についても沢山理解して行うことが出来る。

 確かに、公爵家の娘だからアイツよりもずっと偉い。


 ……けど、私は未だ何も掴み取っていない。

 アイツは私たちを守りきった事で叙任し、騎士になった。

 アイツは……噂では、多くの人を救った事で人々からの評価を得ている。

 アイツは、私達の知らない理屈でもっと凄い魔法が使える。

 アイツは、私たちよりも恵まれて居ないのに、自分に出来る事で他人に尽くしている。

 アイツは、アルバートやグリムとも親しくなり、それだけじゃなくて相手を問わずに何人かと親しくなっている。

 自分で、この短期間で色々なものを得て、色々な事を成し遂げた。

 

 私は、父さんの厚意で学園に通わせて貰っている。

 私は、友達も居なければ親しい相手もいない。

 私は、与えられる知識で満足していた。

 私は、あの子から知識や経験を受け継いだだけ。

 私は、たまたま父が公爵だっただけで私が偉いわけじゃ……ない。


 アイツと、私は違う。

 ずるい……ずるい、ずるい。

 

「……アリア、少し良いかな?」

「──父さま」


 部屋に父さまがやって来た。

 私が寝転がってるのを見て、目線が少しだけ泳ぐ。

 直に起き上がって、無様を晒さないように気をつける。


「ごめん。ちょっと、色々有って」

「……そうか」

「──……、」

「……──」


 話が続かない。

 それは、良くない。

 父さまは悪くなくて、悪いのは私なのに。

 けど、私に何が言えるのか分からない。

 それで父さまが機嫌を良くすると思えないし、それが出来ると思えない。


「──聞いたよ。息子の事を、聞いたそうだね」

「……じゃあ、本当だったんだ」

「ああ。貴重な薬を貰ったようでね、回復が大分早いみたいだ。一週間前後でとりあえずは様子見も必要ないだろうという結論に落ち着いている。だから、そう遠くないうちにこちらに来るさ」

「──うん」


 兄さまが、来る。

 休みの内に、この屋敷に。

 それは嬉しい事なんだから、何か言いなさい……。

 じゃないと、私はただの嫌な子になってしまう。


「良かったね、父さま。これできっと母さまも元気になってくれる筈。そしたら……」

「ああ、そうしたら彼が演技をする必要も無くなる。そうしたら、客として迎え入れるつもりで居るよ」


 そう、だよね。

 母さまは、少しずつだけど元気になってる気がする。

 これで兄さまが戻ってきたらもっと元気になるだろうし、私たちを救ってくれたアイツと会ったらもっと喜ぶ筈。

 兄さまに似ているし、息子のように思うはず。

 けど、私は……。


「……一つ、ちゃんと話をしておきたいと思ったんだ」

「──それは、大事な事?」

「うん、そうだね。私と……君に関係する、大事な話だ」


 ……兄さまが戻ってくるから、価値が無くなったと言うことかもしれない。

 兄さまの代わりになるから、あの子は身体が弱ってしまったから”ミラノ”を名乗って長女として頑張ってきたけど、そうする必要が無くなったのだから。

 胸が、少しだけ痛んだ。


「もう、君はミラノじゃ無くても良い」

「……だよね」

「ああ、待って欲しい。ちゃんと全部説明するから、最後まで聞いてくれないか」

「聞くよ……。そうするしか、できないもん」

「……息子が居ない間、君があの子の代わりになろうと頑張って来たのは知ってる。けど、もうそうする必要は無いんだ。自由……と言って、伝わるかどうか。もう、無理に背伸びをして、立派であろうとする必要は無いし……なんなら、入れ替わる必要も、もう無いんだ」

「それって……」

「上手く、伝えられてるかは自信は無いけど。私は、あの日からずっと君を娘だと……そう思ってる。君も、娘であろうとしてくれた……それを、感謝している。けれども、もうそんな家の為に、あの子の代わりに無理をする必要は無いんだ。だから、好きに生きて欲しい──」


 好きに生きる。

 そんなの、考えた事も無い。

 好きに生きるって、何だろう?

 4年前、学園に来る時から……私は立派になることしか考えてこなかった。

 主席になるのなんてただの過程でしかなくて、まだその途中だったから……。


「なにか、無いかな」

「……急に言われても、困るよ。それに、あの子はまだ身体が弱いし……あの子から”無”を奪ったままだもん」

「別に、そんな事は重要じゃないさ。何でも良い。今は公爵としてじゃなくて、父親として話しをしているんだから。私は……家を優先せざるを得なかった、だから君のしてきた事を受け入れながらも、父親らしい事が出来なかった。だから、望むのなら何でもしてやりたいと思うのは、変だろうか」

「……分からないよ」

「分からなくても良い。もし、行きたい場所があれば行かせてあげるし、学びたい事があるのならそれを支援する。オルバ殿のように王宮仕えがしたいのならその為に必要な事をさせてあげるつもりでも居る。どうかな」


 なんでも……なんでも?

 けど、そうは言われても……何も浮かんでこない。

 それでも、一つだけ浮かぶ事がある。

 結局、私は……今までしてきた事を棄てられない。

 だからこそ、どうしても許せない事が有る。


「……まだ、将来とか遠いことは良く分からない。けど、私は……もっと、魔法を極めたい」

「学園じゃ満足できない、ということだろうか」

「うん、そう。学園で学んだ事は、確かに大事だよ。けど……けど、そんなものは基本と基礎でしかなかった。魔法が沢山使えても、沢山の系統を習得しても……実際に、あんな事が起きなければ、私はそれで優秀だと思い込んだままだった。そして、私の考える”学園で教わる事”とは違う式で行使される魔法を使う、アイツ……じゃない、ヤクモさんの魔法を、少しでも吸収したい」


 魔法使いなのに、魔法使いですらなかった人に劣る。

 学年主席でも、生徒ですらないパッと出の使い魔に魔法で負けた。

 それが、屈辱だと思えた。


「私、もっと魔法を使えるようになる。もしかしたら、あの子の身体を治せるかもしれないし……ヤクモさんは、その可能性を持ってるから」

「……分かった。なら、今は保留と言うことにしておこう。けれども、最後に重ねて言わせてくれ。私も、妻も君を娘だと思って、大事に想っている。だから、できるのなら……もっと、頼って欲しいし、甘えて欲しいんだ」

「けど、もう14だし……」

「それでも、まだ14なんだよ。それに、君たちは5年もの子供で居られる時間を費やしてくれた。その分だと考えてくれれば……私も、少しは父親らしく有れたと思えるんだ」


 父さまは、そう言って微笑んだ。

 けれども、それは疲れたような悲しげな笑みだった。

 そして……父さまが、心の底からそう思って言ってるのだろうと思った。

 思えば、学園に入ってから今までお屋敷に戻るのは休暇の間だけ。

 その休暇の時も、いつも勉強ばかりしていて家族の触れ合いなんてしてこなかった。

 事務的に、義務的に、責任の下で何かをした事以外に……家族としての想い出は無い。


 ……じゃあ、ここで私が拒否をすれば父さまが悲しむ事になる。

 受けるしか、無い。


「分かったよ。それじゃあ……私は、自分の生き方を、探してみる」

「……そうか、有難う」

「ううん、どういたしまして……かな?」

「それと……後で二人で執務室に来て欲しい」

「なんで?」

「いや、まあ……。彼に因んだ事なんだが──」


 少しばかり、父さまは目線をさまよわせた。

 それから、言わざるを得ないと覚悟をしたように一度咳払いをする。


「この間、叙任を受けただろう? その上に活躍が学園に広まってる──というよりも、ヴァレリオ家の三男が勝手に言い広めているのだが。その関係で、彼に色々な”声掛け”がされている」

「……どっかの部隊に引き抜きたいとか、そういう話?」

「ああ、そうじゃなくてだね……。つまりは、縁談が幾らかきているんだ。勿論、そういった勇敢な人物を欲する組織も幾らか居るみたいだがね」

「うっ……」


 ……そ、そうなるのは当たり前か。

 少なくとも、主人の為に命までかけたという事で気に入る人は居るだろうし、そうじゃなくても『そんな人物を従えている』という箔はつく。

 ただ、なぜか──



 ズキン……



 ──胸が痛い。

 アイツが、居なくなってしまうと言う事を考えるのが、イヤだ。

 まだ、私は何も知らないのに。

 そうじゃなくても、アイツは私に仕えているはずなのに。

 けど、拘束力は無い。

 アイツが良いと思えば、どこかに行ってしまう。

 むしろ、今までずっと大人しくしていたほうが不思議かも知れない。

 

「それでだ、そういったものを拒否するにしても長引かせるにしても、そのご息女達を私は知らない。だから、二人にどういった人物なのかを教えて欲しいし、それで口実を作る手伝いをして欲しい」

「断るってこと?」

「まあ、有り体に言えばね。公爵として言うのであれば、あのような人物を他家に流してしまうのは損失だし、父親として言うのなら……彼には恩があって、それを埋め合わせる事も返礼する事も無くどこかに行かれてしまうのは気分が悪い。……出来るのなら、家に取り込みたいんだ」

「取り込む……」


 一瞬、その言葉を聞いて眉を顰めてしまう。

 理解はしていても、それを納得は出来ない。

 それに、アイツはそういった押し付けられたり一方的なことに関しては大分嫌がる。

 アリアがアルバートとの決闘を強く非難した時、言い分を聞かなかった事で裏で色々と零していた。

 それだけじゃなく、貴族と言う事で脅しをかけたマルコが杖を折られた上に、ちゃんと構えていろと一喝されたとか。

 

 ……けど、少しだけポヤンと考えてしまった。

 兄さまが居て、アイツも居て、今までのように関われるのならそれは楽しいんじゃないかって。

 兄さまはこれから苦労するだろうけど、クタクタになりながらも笑顔を向けてくれる。

 アイツは今までのように知らないし分からない事で苦労して、時々変な事をして怒られてガックリとうな垂れる。

 けど、そんな二人に良かった所とかも言って、そうしたら少しして一息吐いて「そんなもんか」って元気になる。

 学園を出てからも、そんな日常が続くかも知れない。

 そして、アイツは……どうするんだろう。

 執事にでもなるのかしら? それとも騎士として屋敷に仕えるのかしら?

 なんにしても、兄さまが当主になって、父さまが代を譲って隠居したから穏やかに暮らして。

 そんな屋敷に二人が居る、そして私は話をして新しい魔法の考えとかを取り込んで、もっと色々なことが出来るようになって……。


 そう考えたら、その未来の方が私は良いなって思えた。

 だから、少しだけ悩んだけれども……その話を受け入れた。


「取り込むって、具体的にはどうするの?」

「まあ、そう……だね。例えばだが、君が彼を迎え入れるとか」

「なんだ、それだけ?」

「は……え? それだけ? いやいやいやいや、アリア君? 君はなにを言ってるか理解してるのかな?」


 何で父さまがそんな事でうろたえるのか良く分からない。

 

「? 良くわかんないけど、そうしたらいいんでしょ?」

「まあ、嬉しくはあるが……」

「なら、それで良いと思う。良くわかんないけど、色々また覚えれば良いだけの話だし」


 迎え入れるって事は、父さまや母さまのような夫婦になるって事でしょ?

 良く分からないけど、それで助かるし有り難いのならそれでいいと思う。

 それに、少しだけ考えたら気分が良い。

 アイツに、いきなりそのことを告げたらどんな顔をするだろうか、どんな反応をするだろうか? って。

 絶対驚いて、戸惑う筈。

 その顔を想像するだけでも楽しいのだから、その先もたぶん楽しいに決まってる。

 そう考えるだけで、”自由にしていい”と言う言葉が、少しだけ素晴らしいことのように思えてきた。




 ~ ☆ ~


 娘たちを招いて、とりあえずあれ以来送られてきたものを全て渡す。

 家柄を考えれば全てを断るのは容易いことではあった。

 しかし、そうやって私が家柄を笠に来て拒絶した所で、学園に身を置く彼を守れるわけではない。

 学園で媚を売られ、篭絡を受ける程度ならまだ良い。

 だが、嫌がらせを受ける可能性を考慮すれば、そうすることは難しい。

 最近国内ではきな臭い事や噂を聞く。

 それだけでなく、わざわざ敵を自ら増やす必要は無い。

 ……辺境伯とて、その言動は幾らか怪しいのだ。

 だが、軍備を理由に幾らか重めの税をかけてはいるが、ロビンはそれを着服したり贅を凝らしている様子はないと聞く。

 怪しいが叩く理由は見当たらない。

 であれば、灰色であっても黙るしかないのだ。

 この前の襲撃によって王に向けた紛糾は絶えない。

 頭の痛いことだ。


「それで、私たちにこの作業をやらせると」

「アリアには既に説明してあるが、彼をわざわざ他所にやる理由はない。しかし、国内情勢を考えると所属を理由に拒否を突きつけるのは難しい。よって、それらしい理由を息女たちを知っている二人に任せたい」

「ふ~ん……」


 ミラノはそうは言うが、その数を見て徐々に唇を引きつらせた。


「ちなみに父さん、数はどれくらい?」

「既に40は越えた。もしかするとこれから先増えるかも知れないので、可及的速やかに片をつけて、それを周囲への喧伝にしたい」

「40……」


 数を聞いて、アリアも戸惑っているようだ。

 あ~、だがアリア?

 父さんとしては、ようやく甘えてくれるかも知れない娘を、そう簡単に渡すつもりは無いからね?

 例え息子に似ていようが、どれだけの恩義があろうがそれはそれ! これはこれ!

 貞淑な夫人として、清い付き合いをしてもらいたい。

 ……息子が倒れてからと言うものの、そういった事に興味を示す暇も無かったのが今となっては悔やまれる。

 ミラノも概ね同じような感じだろう。

 二人揃ってそういった事に疎いというのは、些か困る。

 だ、だからといって彼に色めき立つのはまだ許容し難い!

 や、屋敷に居る間に……そんな事で彼を目で追い、頬を染める色恋沙汰に耽る娘など……。

 まだ、まだ見たくはない!


「あれ、これって……」

「あぁ、辺境伯の娘からも来ているのだ。これに関しては、特に慎重に取り扱って欲しい。彼は今まで軍事的な事柄に関して重要な場所を委ねている。それが変に臍を曲げられるだけでも困るが、いざと言う時に離反でもされては敵わないからね」

「マーガレット……。ああ、彼女か」

「たしか、色が分からないって子だっけ?」

「……そうなのか」

「うん」


 ……奥方に関しては、出産時に亡くなられたと聞いている。

 それ以来か、辺境伯にきな臭い噂が流れ始めたのは。

 昔であれば当事はまだ存在していたライラント家と繋がりがあるとか。

 あるいは、金で人を雇って後ろめたい事をしているとか。

 その時にロビンが居れば色々と探れただろうけど、彼女はその時居なかったのだ。

 過ぎた事だ、考えても仕方が無いが……ミラノのことを考えれば同情的になってしまうのは悪い癖だ。

 ミラノは誘拐された時の事件が原因で長い詠唱が出来ない虚弱な身体になってしまった。

 そしてアリアも……他者には明かせない出自になってしまっている。

 だからこそ、出生したにも拘らずそんな困苦を背負っている彼女に、同情的になってしまう。


「……どのような子なのかな」

「悪い子じゃないかしらね。ただ、秀でた事は回復に長けている位で、勉学や魔法で噂になるような事は無かったかな……」

「ただね、お裁縫とかそういった事が得意なのは聞いた事が有るかも。それと、薬師の真似事が出来るんだとか」

「薬師、か」

「一度だけ、私が世話になった事が有る。魔法の詠唱に……咳き込んじゃって、失敗した時に怪我をしたの。その時に塗り薬と貼り薬を持ってきてくれて、そのおかげで楽になったかな」

「……貴族らしからぬ子だね」

「母親が居なかったから、使用人たちとの交流を重ねてるうちに覚えたみたい」


 ……辺境伯は底の知れない方だが、それは別にしても娘さんの方は存外普通の子のようだ。

 蛇のように細めた目で、底を見透かすような感じで見てくるような人物がもう一人居たらと考えると……それは、嫌なものだ。


「……分かった。とりあえずマーガレットに関しては慎重に扱うわね。けど、それ以外は理由があれば切っていいのよね?」

「ああ、それが例え若干無理やり言わせた言葉だとしても、彼からの言葉を理由にしても構わない。少しばかり曖昧な事柄をまるで大事であるかのように指摘して、その返答に対しては態度を崩さずに曖昧な返答を繰り返すようなものでもね」


 時間稼ぎと言われるだろうが、それでも良いのだ。

 そもそも彼は現在は”ミラノ”に仕える騎士なのだ。

 そして、”ミラノ”に仕えているという事は公爵家の娘に仕えているということでも有る。

 そんな人物に対してこんな事をしたという事実が、そもそも間違っている。


 ……まあ、まさか”ミラノ”が彼を婿として迎え入れる事になんら抵抗を見せなかったのは別の意味で驚きではあったけれども。

 それでも、それが既成事実として確立したのなら、変にちょっかいを出す事もなくなるだろう。


「これ、どれくらい掛かるかしらね……」

「一日じゃ絶対終わらないよね」

「理由や口上も出来る限り同じにならないようにしないといけないわね」

「それだけじゃなくて、相手を変に刺激しない理由にしないと」


 ……あれ、娘たちってここまで逞しかったか?

 おかしいものだ。

 学園とはそんな魔境だっただろうか。

 少しばかり、父親として心配になってきた。

 もう少し、困って私を頼ってくれても良いのだよ?


「あぁ、ミラノ。それとは別に告げなければならない事が有る」

「ん? なあに、父さん」

「これは一応まだ思考の段階ではあるが……アリアに、彼を婿として迎え入れるということも考えてはいる。そうすれば、煩わしい事も無くなるだろうからね」

「え!?」


 ……え?

 いやいやいやいや、その反応は父さん想定して無かったよ? 

 待て待て待て待て、待ちたまえ。

 主人をしていた”ミラノ”であればまだ分かる。

 今となっては問題にはしていないが、同室で生活をしていたそうじゃないか。

 だからこそ、転ぶ可能性はあるだろうと想定していた。

 だが、”アリア”までその兆候があるとは思わないじゃないか……。

 

「げほっ、けほっ……」

「お、驚きすぎじゃあないかな?」

「ごっ、ゴメンなさい。けど、急……そう、急だったから、驚いて」

「──息子が帰ってくるのだから、彼女はもう家の為に頑張る必要は無いんだ。なら、将来を誓った相手を作って、安穏とした生を送ってほしいと思うのは、父として我侭であろうか?」

「そう、は……言わないけど」


 やはり、納得していない。

 ああ、恨むぞヤクモくん……。

 今はまだ児戯のような、玩具の奪い合いのような感じでしかない。

 だが、これがもし彼女たちが色恋を知り感情を深く動かすようになった時、どうなるか想像がつくかい?

 

「じゃ、じゃあ。逆にするか? ミラノが迎え入れるという事で──」

「……なんか、それはそれで譲られたみたいでイヤ」


 じゃあどうしろと言うのだね!?

 母さん、娘たちをどうして良いのか私には分からない!

 あ、そうか……。


「じゃあ、母さんに相談してきなさい。それで、納得のいく答えを二人で相談しなさい」

「「は~い」」


 ……危機は去った。

 これで変な事をして、ようやく父娘の関係が構築できたと思ったら失敗するという憂き目を見ずに済んだ……。

 世の中には「父さん嫌い」という娘さんも居るそうだ。

 うちの娘にそんな事を言われたら、暫く立ち直れなさそうだ。

 その時は、せいぜい振り回させてもらおう。

 私が悪いんじゃない、知らないうちに娘たちに毒牙をかけた自分を恨みたまえ。


「そ、それじゃあ早速取り掛かってくれるかな? 父さんはヴァレリオ家との軍事演習に関して、色々と予定があるからね」


 そう言って、娘たちを執務室から追い出した。

 その足音をまるで盗人のように聞き耳を立ててから、遠ざかったのを確認して深く椅子へと凭れる。

 ……父親への甘え方を知らない娘たちだとは思ったが、どうやら私も娘たちにどう父親らしく接することが出来るのかを知らないようだ。

 


「あぁ、そうだ……彼女を手配しないと」


 そういえば、剣術の指南役としてザカリアスの孫娘を呼ぶ予定だったのだ。

 剣術や馬術などといった事を、ある程度修めたいという要望を彼は挙げていたのだ。

 それは”長年眠っていた息子が、年月の経過に焦っている”と考えればそう不自然な事ではないだろう。

 それに、本来なら数年前から既にそれらは学んでいるべき年齢なのだから、おかしくは無い。


 さて、また支出に関して色々と言われるだろう。

 しかし、私は不義の人間になるつもりは無い。

 彼に息子を演じてくれといったのだから、それに見合う対価くらいは支払うつもりで居る。

 そして、今では息子の命を救い、二人を解放して父と娘として関われる機会をくれた。

 決して安くは無いのだが、それに関しては黙っておこう。

 ただ、私は静かに値切りながら謝礼として彼に何かを与える。

 それでいいのだ。


「……剣、か」


 息子も、そういえば剣術を学んでいたなと今更ながら思い出した。

 それから、息子が帰ってきた場合を視野に入れて、孫娘の滞在期間の延長が出来るように腹案も考えておかねばなるまい。

 いや、それだけではないな。

 息子が帰ってきた時、急にやって来た彼を使用人たちが受け入れられるような話を考えておかねばなるまい。

 ……帰省前に体調を崩し、回復し次第追ってこちらに来るという事でとりあえずは良いだろうか。

 

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