第26話

 ~ ☆ ~


 目を閉じれば、何時でもあのときの光景は蘇ってきやがる。

 人間が滅ぶかどうかの瀬戸際って奴の中に、オレたちはいた。

 死体と血に塗れたなかで、世界はただただ冷たさしか齎さなかった。

 弱者に死ねと言わんばかりに降り注ぐ雪は肌を焼き、傷ついたものは短時間で骸にされてしまう。

 全ての生物を嫌うかのような風は、吹きすさぶだけで生身の生物を切り刻み出血を強いた。

 戦力比はもはや比べるまでも無く劣っていて、一人が十体や百体を殺さなけりゃ同等と言えない位だ。

 

 オレは……他の英雄連中とは違う。

 一歩間違えりゃ存在しないくらいに秀でたものなんか無ぇ。

 力ではファムに負ける、技術ではタケルに負ける、速さではグリムに負ける、魔法ではマリーにまける、じゃあ仲間の役にたつかなんて言われたらヘラにすら劣る。

 それでも、一人の放った言葉が、辛うじてオレを”英霊”って奴に推し留めてくれている。


『──はさ、顔が良いんだし、弱者の理屈や思考が分かってる。他の皆はどっかしら優れてて、そういった人の話が素直に聞けない時だって有る。けど、君の言葉なら多くの兵士は賛成してくれる。それに、弱者の思考を持った人が居ないと、兵士たちに出来るかどうかの判断を誤ることもあるからね。だから、君がいつも反対してくれて助かってるし、だからこそ君に兵士はついて行く』

『……そんなので、良いのか?』

『良いんだよ。能力なんて無くても、それでも何とかしたいと君が願って槍を振るっているのを背中を見ている兵士たちは知っている。君が一番敵をひきつけるように立ち向かってる事も、全部ね』


 ああ、今ではもう名前すら思い出せねぇ。

 だが、あの白銀の髪と笑顔は今でも思い出せる。

 何でお前がここに居ない?

 何でお前が英霊として呼び出されない?

 いや、理解してるんだがな。

 結局、忘れ去られた英雄だから歴史から消え去っちまった。

 歴史に刻まれず、一緒に戦った兵士の中からも飛び去った。


 居ないモンは仕方が無い。

 溜息を吐いて、目をゆっくりと開く。


「おら、坊≪ぼん≫。立て」

「言われずとも、なぁ!!!」


 目を開けば、居るのはヴァレリオ家三男の小僧が一人。

 あの時の戦いに比べれば、児戯も児戯。

 殺気どころか本気を出す必要すらないくらいに、何の危機も無い相手だ。

 父親ほどの気概も胆力も無い。

 長兄ほどの戦いに長けた資質を備えているわけでもない。

 次兄ほどに冷静に周囲を見られるほどの視野や、うてる手札を多く持っている訳でもない。

 だから小手先の技だけでも軽くいなせる。


 だが、前回の休みに比べれば……何かが違う。

 なんだ? この感じは──。


「クソ爺……」

「はは、その爺にいいようにされてるお前はガキだガキ」

「抜かせッ!!!」


 槍を手に取り、闘志のように焔を纏う。

 ああ、良い熱気だ……。

 ただのでかい焔ではない。

 ただの熱い焔でもない。

 静かな焔でもない。

 小さな、小さな焔だ。

 だが、その色はオレの好みだ。

 現実を前に潰されそうで、けれども踏み潰され、揉まれ、消えそうになったからこそ持つ”爆発性”をこいつは持っている。

 父親も、長兄も、次兄も……殆ど完成しきってしまっている。

 つまり、見えてしまうってやつだ。

 どのように成長し、育つのかと言う”可能性”が。

 

 だが、坊は違う。

 父親に押しつぶされ、長兄に圧倒され、次兄に磨り潰されている。

 例え”すれ違いや誤解”だとしても、こいつはそれでもう焦がれてきた。

 焦がして、焦がして、焦がしつくした先に出るのは”それでも”という諦め切れないものだ。

 父親は自分の生を家族に脅かされたりはしなかった。

 長兄は何事も殆どが運よく自分の望むように転がってくれた。

 次兄は大きな挫折や失敗とは無縁の人生だ。

 だからこそ”挫折も失敗も命の危機でさえも”味わい続けている、こいつの方が面白い。

 下手すれば自分を焼く。

 そうでなくとも、他者を焼くかもしれない。

 だが、こいつは辛うじてギリギリの所で自分を炙っているだけで、焔をため続けてきた。

 その焔が、色となって見えているとは誰も考えはしないのだろうが。


「くたばれクソ爺!!!」


 焔を纏い、その焔を爆発力に変えて突進してくる。

 ……もう、幾度と無く見てきた技だな。

 弱点は大まかに幾つか有る。

 一つ、すでに待ち構えてしまっている相手に放つには適さない。

 二つ、突撃や突進は放った後の隙が大きい。

 三つ、横撃や横槍などと言った正面以外からの攻撃に弱い。

 四つ、堅実ではないから相手との力量差大きい場合は反撃や回避をされる可能性が高い。

 五つ……。


「まぁだ学ばねぇのか? 坊。疲れて追い詰められると、一発屋になるのは……」


 今まで何度も見てきたぞと。

 そういおうとした。

 だが、槍を掴んで押さえ込んだつもりが──そこに坊の姿は無い。

 槍を止める為に片手で掴んだが、焔が……目隠しになったか。

 だが、どこ──。


「くた、ばりゃぁぁあああああ!!!」

「うぉっと!」


 チラつく焔の中、不自然な箇所が見えた。

 その魔力の流れを読んで、坊が”頭上”へとどうにか抜けたのを読み取った。

 回避が間に合うかどうかは危うかったが、槍を棄てて片腕で”蹴り”へと対処した。

 腕を振るうと、坊は地面を転がった。


「くそ、がぁ!」

「はは、どうやった? 今のは面白かった。いんや、良い味出してたぜ?」

「はっ、言うか戯けが」

「そうか。なら憶測だ。突進して相手に突き刺すはずの槍を最初から捨石にして、槍を相手が掴んでる間に踏み台にして跳躍、頭上から落下奇襲と言った所か。焔を出したのは相手に必殺の意図を誤認させて、全く違う攻撃こそが本命……といったところか」

「分かってるではないか! クソ……」

「いんや、経験で考えただけだが、それを相手に教えちゃダメだろ。だが……前の休暇よか良い感じだったな」

「……本当か?」

「少なくとも、闇雲でも出鱈目でもなかったからな。だが、槍の一族が槍を手放しちゃダメだろ?」

「槍で敵わぬ場合、あるいは……先ほどのようなので勝ちが拾えるのなら、槍とて武器の一つに過ぎぬわ」


 ……へえ、良い顔をするようになったじゃねぇか。

 少なくとも闇雲に槍を振るうよか、断然面白い。

 だが──。


「なあ、坊。一つ聞いても良いか?」

「なんだ」

「今の状況って、奇襲を防がれた上に槍を奪われただけになっちまった訳だが……この後の事は?」

「あ」

「バカかよ。死にさらせやぁ!!!!!」


 コイツにはまだ槍で相手をするほどのことは無い。

 長兄や次兄はまだ槍を使わせてくれる分、こいつは弱いが……。

 坊は、まだ”確定”していない。

 先ほどの”武器を手放す”という行為も、”奇襲や目晦ましを行う”という行為も今までの坊には存在しなかった考えだ。

 と言うことは──。

 なにか、変化があったということだ。


 蹴り飛ばされ、二転三転と地面を転がる。

 ……そう、思っていた。

 だが、坊はほんの僅かに動いただけで、足をガッシリと掴んできやがる。

 お? これはこれで面白……。


「……戦いを知ったか?」

「槍に拘れるほど、我は秀でていない。かといって、生半可な魔法は生き残れない……。なら、”生き残る”為であれば、この手足こそが原初の武器となる……!」

「ほう?」

「有る男は蔑まれ、疎まれ、己の住処から無理に呼び出されながらも他が為に戦った。教えを請えば、武器など”道具の一つに過ぎない”と言われた。ああ、そうだ。事実だ。なら、我に必要なのは、なりふり構わぬことだ!」

「それで誇りはどうする? 槍の一族でありながら、槍を道具として使い捨てることを嘲られると思うがねぇ」

「笑いたい奴は骸になった。誇りを守るがあまり死んでは、それこそ恥さらしだ。大事なのは生き延びて……我こそがアルバートと言う男が槍の一族たらん生き様を示し続ける事。死ねば終わりだが、生きれば……それが新たな槍の伝説になる。枝葉のような瑣末であろうとな」


 振り払おうとするが、足にしがみつく坊は離れない。

 今までとは違う。

 小突かれてすぐに諦めるような、或いは仕切り直しを自ら作るような甘ったれた感じではない。

 足を止め、溜息を吐く。


「まあ、その意気や良しと言いたいが……。お前、拳骨喰らう位置に居るな?」

「なにうわげばっ!?」


 足にしがみつけば必然とこうなる。

 こいつは諦めないと言う”重要なもの”を手に入れたが、今度は”次”を考える頭を育てにゃならんか。


「坊。改めて言うぞ? お前にゃ父親のような勇敢さはない。長兄のような戦いへの才能も無けりゃ、魔法や視野で場を支配する能力も次兄にゃお取る。だがな、オレはお前の面倒をみるのは、何も哀れんだり暇つぶしにやってる事じゃねぇんだ」

「ぐぎぎ……」

「それでいい、それでいいのさ。家柄は父と長兄に投げ捨てろ。尻拭いは次兄にでもやらしちまえ。お前はその代わり、三人にゃ無いものがある」

「なん、だ? それは……ッ!」

「”素直さ”って奴だよ、坊。お前は父君のような勇敢さが無い事を知っている。長兄のような戦いにおける才が劣っているのを自覚している、ましてや次兄のような小ざかしさも無い。それを受け入れるのが、どれほど難しいか知ってっか? ましてや、家柄や槍の一族とかそんなメンドーなもんを背負っちまってるのにな」


 そう、自分が弱いと認めるのは難しい。

 オレがそうだったように、受け入れるにはかなりの時間を要した。

 家を失い、家族を失い、配下を全て死なせて己のみが生き残って……ようやくだ。

 だから、オレが弱さを受け入れるよりも若いうちに坊は弱さを受け入れている。

 口に出来るだけ大したものだ。

 それだけじゃない。

 今までは槍の一族という事に縛られ、槍で戦う事のみに拘っていた。

 だが、それを自ら捨てた。

 それが喜ばしいかって? 喜ばしいに決まっている。

 

「おし、それじゃあ今日の訓練は終了だ坊。今日のやりあいの中で学んだ事、見出した事を頭ごと身体も冷やして考えてこい。それと……坊が新しく学んだ事をひっくるめてな」

「あぁ!」

「その前に、礼だな」

「う……。あ、有難う御座いました」

「明日もまたよろしくな……。っと」


 それで、その日の訓練は終いだ。

 後はまた、退屈な時間が待っているだけだ。

 自主的な鍛錬、槍捌きの訓練をすれば夜が来る。

 そして──仲間が来る。


「来たか、ロビン」

「ん。おまた~」


 深夜、呼び出したロビンがこっちに来る。

 たぶんこいつの事だろうから、坊の変化に関わる事を知ってるだろうと呼び出したわけだ。

 

「なに?」

「坊に変化があった。その理由をお前なら知ってるはずだと思っただけさ。学園の監視も”自主的に”やってるお前なら」

「ん、しってる」

「じゃあ、全部吐け」


 オレはロビンほど隠密や潜入と言った要素に長けていない。

 主人と繋がりながら、その位置や状況を誤魔化すだなんて芸当はロビンほどに出来ない。

 だから屋敷やその近隣から離れれば即座に父君の静止が入る。

 まるで、勝手な事をするなといわんばかりに。

 

 まあ、それでも自分が動けないのなら他人を動かしてやればいい。

 ロビンなら自分が動くよりも格段に素晴らしい情報をくれるからな。

 

「なるほど……そうか」

「ん、そう」


 聞けば、ヤクモが学園で坊の面倒を見ているという。

 戦い方を叩き込むだけではない、その理屈や考えに関しても幾らか教えているそうだ。

 槍とは武器の一つでしかない、道具でしかないと言い切った。

 そして、結局は戻るわけだ。

 手足こそが原初であると。

 それらを鍛えた上に、”道具”が乗っかると説いた。

 それに……あの坊は感化された。


「アイアス、たのしそー」

「楽しい? 違うな、嬉しいのさ。坊は今まで鬱屈していた。その分、爆発力に期待してんのさ。今からなら……”オレ”にも追いつける」


 そうさ、オレは一番の弱者だ。

 兵に気に入られ、弱者の目線から見上げるだけだ。

 一人毛色の違う奴も居たが、それはそれとしても目的は同じだった。

 なら、出来る事は坊のような奴を理解してやる事。

 すでに熟れた連中には、どうして良いか分かるわけが無い。

 勝手に育て、それでもオレに敵わないのは知るか。

 オレは強くない、だから槍の一族と云われながら”槍以外の手段”を平気で使う。

 だから、オレは坊こそが一番育つと信じている。


「英霊に期待して、自らに蓋をした連中なんざ必要ねぇのさ。坊は強くなるさ」

「……そう」

「ああ。そうしたら、従者もそれに連なって強くなる。そっちはオレが面倒を見る必要もねぇしな」

「ん」


 坊にくっついてる従者は、まだ自分の方向性を見失ったままだ。

 潜入や隠密、工作と長けちゃあいるが……そんなものは”特性”じゃあない。

 坊が成長すりゃ従者も育つ。

 そういう風に、”ヴァレリオ家とヴォルフェンシュタイン家は出来ている”んだからな。


「やっぱ、強いか?」

「ん、つよい」

「なら、いつかはオレもヤクモと手合わせをしたいもんだ」


 英霊に頼り切った世界の中で、英霊を知らずに天上へと挑み続けるかのように己を甘やかさない男。

 いや、違うな。

 ”神に祝福されたもの同士”で上手くやれるに違いない。

 少なくとも、オレたちを特別視してる連中よりかは楽しめそうだ……。





 ~ ☆ ~


 私は、ヤクモさんは変わったのだと思っていた。

 あるいは、戦いを通して自信を得たと。

 けど、違った。

 

「ごめん、母さん。ちょっと……具合が悪くて」


 そう言って、本当に具合が悪そうに逃げ出したのは、見間違いじゃなかった。

 戦いの中でも、疲れていても見せる事の無かった苦しそうな顔がとても気になって、私は追いかける。

 もちろん、部屋に入ろうとしたけれども何か……物が置かれてるみたいだった。

 なにも、そんな所まで兄さんに似なくてもいいのに。

 兄さんも、人と関わりたくない時は部屋の机とかを扉の前に置いて誰も開けられないようにしていた。

 だから、昔のように窓を使う事にした。

 兄さんの部屋の窓はもう何度も変に壊れている。

 鍵をかける事も開く事もできるけれども、歪んでいるから外からでも開ける事が出来てしまう。

 魔法防御がかけられているのに、その魔法防御が無視される。

 だから、少しだけ浮かんで、鍵あけの魔法を使うだけで……部屋に入れる。


「おんなじことしてる……」

「ミ、ラ──」


 その時の顔を、私は何で見る事が出来たんだろう?

 ううん、むしろ……見ない方が良かった。

 あの顔は、昔のあの子がしていた顔と同じ。

 自分は存在しない方が良いと、望まれずに産まれてきたんだと蔑み続けていた頃のような。

 自分で自分を痛めつけながら、それでも救われたいと願っているかのような顔。

 ギリギリの所でまだ踏み止まっていて……誰かが手を差し伸べたなら、まだ助かる。


 泣きたい、けど泣きたい理由が自分自身だからそれが許せない。

 許せないけど、許してもらいたい。

 あの子のように……自分で自分を傷つけて、悲しんでいるようにしか見えなかった。


「音は遮断したから、演技しなくても大丈夫。それより、何でそんな顔をしてるのか……聞いてもいい?」

「──……、」

「大丈夫。ここで聞いた事は誰にも話さないから。それとも、私のいう事が信じられない?」


 反応は、とても鈍い。

 否定したい、信じてると言いたい。

 けど、そうすると”裏切る”から出来ない。

 嘘をついちゃいけない場所だと、そう思ってくれているのかもしれない。

 だから悩む、真剣に悩んでる。

 目が震える、唇が震えている。

 それでも、判断しなきゃいけないと考えている。


「分からない」

「分からない?」

「ミラノには、恩とか有る。けど……俺は、背中を預けるとかそういったやり方でしか信じる信じないを判断してきたから……」


 ……それは、どういった人生なのか分からない。

 けど、形は違ってもあの子と同じように生きてきたのかも知れない。

 多くを切り捨てて、成長や学習の為に多くを費やして。

 そして、ヤクモさんがよく言う”仲間”とか、そういった人たちに気がついたら囲まれていたんだろう。

 だから、同じ組織や行動をする相手としか信頼関係を築けない。

 それを不幸だとは言えない、彼の犠牲にしてきた時間によって得たものが、私たちを救ったのだから。


「もしかして、辛い?」


 その後の反応は、今までの中で一番顕著だった。

 辛いんだと思う、けれどもそれを出す事を恐れている。

 一瞬、子供のように泣きそうな顔をした。

 けれども、それを苦渋の顔へと……無理やり大人になったかのような表情を作る。

 それが……結局の所答えだと思った。

 

 当たり前だよね、それが普通。

 ……記憶が欠落していても、前居た所の事は覚えている。

 知らない人たちの中で、知らない常識を押し付けられて、知らない言語と文字に囲まれて、知らない事柄を覚えるように強要される。

 街の中で民を無償で救った事もあるから、きっと……誇り高いんだと思う。

 私たちよりも貴族らしい誇りを抱いていて、弱者の為に手を差し伸べる。

 けど、それは──自分を強者側へと追いやる考えだ。

 だから、表に出ない事柄だとしても、”弱み”を出せずに居る。


 じゃあ、私に出来る事はなんだろう?

 すこしでも、この苦しみや悲しみを癒せる……安心させる方法は。

 ……少しだけ考えて、一つだけあった。


「アナタが家族と向き合う事が出来なくなったの、弟や妹と会う事が出来なくなったの、赤ちゃんの未来を確認する事が出来なくなった。アナタの──世界も、居場所も奪った。だから、それに見合う何かを何かを与えなきゃいけない。それは当然でしょう?」

「──さあ、どうだろうな。けど、そうだな……。言ってもらえただけでも嬉しいよ」


 たぶん、それは言葉通りの意味じゃない筈。

 言葉通りに受け取るのなら、ただの社交辞令として受け止めたようにしか聞こえない。

 けど、そうじゃない。

 少し……あの、死んだ目をしていたあの子の時のように、刺さった気がする。

 目が、少しだけ活きた……そんな気がした。


 そうだ、そうだった。

 ……褒美だとか、そういう話じゃ済まないんだ。

 召喚された時点で、失ったものの方が大きすぎるんだ。

 お金じゃない、身分じゃない、地位でも爵位でもない。

 欲しかったのは、たぶん……居場所なんだ。


『そう、言ってくれるだけでも嬉しい』


 5年前、産まれる筈の無かった子がそう言った。

 自分が誰にも求められてないのでは、愛されてないのではと思っていた。

 自分のせいで兄さんを失ったから。

 自分が居なければ家族が嘆き悲しむ事も父や母や苦しむ事も、私がこんな身体にならずに済んだとも。

 けど……それでも、私はあの子を受け入れた。

 それは同情なんかじゃない。

 兄さんが言ったからじゃない。

 生きてるから、生きていても良いって言うのは……おかしなことなんかじゃない。


「──俺は。さっきの言葉が守られる限りは……ミラノとアリアを守るよ」


 だから、そう言って私を見た時のヤクモさんがいつものように頼もしく見えた時……。

 ああ、これで良かったんだなって思った。

 失ったものに代わる物をどこまで与えられるかなんて分からないけど、そうしないといけない。

 ……そんな気がした。


「……ちょっと休むよ。体調が悪くなっただけって、ミラノからも言ってくれないかな?」

「理由はなんていうの?」

「そうだなあ……。立ちくらみ、目眩あたりで」

「分かった」


 扉の前にある障害物を片付けると、ヤクモさんは寝床へと潜った。

 部屋の外には、”ミラノ”とカティアちゃんが居る。


「あの、ヤクモさんは……」

「ちょっと体調が悪いんだって。目眩がして、クラッと来たみたいで。私は母さんに一言いって来るから、アリアはザカリアスに伝えてくれる?」

「分かりました」

「──……、」

「カティも、そう心配しなくていいから。ちょっと話をしたけど、大事じゃないみたいだし」


 そう言ってから、私は先ほどの会話の中で知った事をどうするか悩んでしまう。

 兄さんが生きてた……その事を伝えるべきかどうか。

 それから、ヤクモさんとの事──。

 

 けど、兄さんのことは言うにしても、ヤクモさんとの事は秘密にしておくことにした。

 だって、ヤクモさんにとっての主人は”ミラノ”であって、私じゃないから。

 あとで……いつか、私たちの秘密が言えるようになったときに、このことは言わないといけない。

 告解とも告白ともいえる、罪深い感じ。

 だけど、何でだろう。


 ちょっとだけ、秘密にすると決めた時気持ちが良かった。

 それが何でだろうと考えた時に、この子じゃなくて私しか知らないヤクモさんを独り占めしてるからなんだと気づいた。

 ……ああ、ダメダメダメダメ。

 ヤクモさんは兄さんとは別人、ヤクモさんは兄さんとは別人。

 

 だけど、兄さんとは別だとしても自分だけが知ってる事があると思うと、少し嬉しいのはなぜ?


「母さん、兄さんは……ちょっと体調が悪いみたい。目が回ったらしくて……」

「いいのですよ。母はそんなことを気にしておりませんとも」


 ああ、兄さんが生きていると伝えられたらどんなに良いだろうか。

 母さんも、また昔みたいに元気になってくれそうなのに……。


「それで、今はザカリアスに言って……ちょっと寝るって言ってたわ」

「そう……。無理もないわね。今日まで長らく意識が無かったと言ってたもの。……アークリアも、彼が過不足ないように見てあげて頂戴ね。大事な子なんだもの」

「分かりました、奥様」


 アークリアが深く頭を下げた。

 母さんが言った事をちゃんと守ってくれると思うし、これなら大丈夫かも。

 ふぅと一息を吐いて、退室しようとする。


「待って頂戴、ミラノ」


 呼び止められて、なぜか心臓がキュッと縮んだ気がした。

 けれども、悪い事はしていないのだからゆっくりと振り返る。


「なにか」

「……あの子を、ちゃんと見てあげて頂戴ね。たぶん、色々と分からない事があって、今は貴女の方が色々と知ってるでしょうから。年上かも知れないけど、お互いに……貴女とアリアのように支えてあげて頂戴ね」


 それは、母さんの思いやりなのかも。

 ただ、それを受けて言葉は無くともちゃんと頭を下げてから部屋を出る。

 扉を閉じるのとほぼ同時にザカリアスが階段を登って廊下へと姿を見せた所だった。


「ミラノ様、クライン様の御加減がよろしくないとアリア様から伺いまして」

「ええ。部屋で少し横になってるみたい。……ちょっと話をしたけど、そこまで重くないみたいだけど、気を配ってあげられる?」

「勿論。誓ってそのようにいたします」

「じゃあ、あまり長居しないようにね」


 その言葉の意味を理解してくれたのか、頭を少しばかり下げた。

 ザカリアスはゆっくりと歩いていって、ヤクモさんが居る部屋へと入っていった。

 ……うん、私にも出来る事はあるんだ。

 あの子だけじゃなくて、私にも……出来る事が。

 なら、どうしたら妹としてヤクモさんを支えられるだろうか。

 どうしたらヤクモさんが落ち着けるようになるだろうか?

 ちょっと色々考えてみたいけど、それは誰に聞いたほうがいいのかな。

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