第22話
~ ☆ ~
久しぶりに戻ってこられたお嬢様達は、去年とは幾らか違って見えました。
この4年間、事情を知っている身としては見ているだけでも辛いものはありました。
お屋敷に居る間は、お互いに演技を止める。
つまりは、外ではミラノ様と呼ばれている少女が家の中ではアリア様に戻られる。
……外では、アリア様と呼ばれる子が、ミラノ様に戻られる。
それは、ご両親の為として二人で決めた事だそうで。
理解は出来ますが、お屋敷に居る間の”アリア様”は、部屋からあまり出ませんでした。
自分の出生を理解しているからか、学園主席を毎年飾っているとは思えないくらいです。
ですが、今回はこうして部屋から出てこられました。
それどころか、仲良くやっていると聞きはすれども目にする事が少ない”ミラノ様”とご一緒に、パンを作ると頑張っております。
この光景、是非とも旦那様と奥様に見せたかったと思います。
「さっき何処が悪かったんだろ?」
「手順は間違って無かった筈……」
「──そういえば、街中でパン屋が焼いたパンをすぐに出さないのって、何か意味があるのかな?」
「熱いから? ……いえ、そう言うのじゃなさそうね……」
学園では、お二人は逆なのでしょう。
今は”ミラノ様”ですが、学園ではアリア様として。
今は”アリア様”ですが、学園ではミラノ様として。
それでも、きっとこうなのだろうという確信は得られるくらいにはやり取りは自然でした。
「ベシャベシャになったのは水の量を間違ったのかしら?」
「ううん、それはないと思うよ。計量して居れたし、それは二人で確認したもん」
「……魔法の水じゃダメだとか」
「じゃあ、次は汲んできた水を使ってみようか」
私は魔法を使えないので、お二人が色々と試行錯誤しながらも”高貴”とされる魔法を気安く使っているのを、幾らか安心して見てしまいます。
貴族至上主義という思想が蔓延っているのを知っていると、民草への罰や苦しめるのを目的とした行使じゃなく、こういった事に使われるのは安堵してしまうからです。
クライン様も……お茶をご自信で淹れられる時に魔法を使っていました。
旦那様はラムセスにお預けになられてるそうですが、回復の兆しは未だに見られないとか。
……御労しい限りです。
今も元気であられたなら、お二人はもっと自然に振舞えたのでしょうが。
「ザカリアス様。お手紙を預かっております」
「あぁ、有難う」
若い者が手紙を持ってきてくれました。
それを開きながらも、二人が此方を見たので隠します。
この時間を邪魔するのは、少しばかり心苦しいですから。
ですが、何がお二人をこうさせたのか……。
「ふむ……」
ヤクモ様という、ミラノ様の召喚なさった若い方が切っ掛けなのでしょうか?
旦那様からお聞きしましたが、お二人だけでなくヴァレリオ家の三男とヴォルフェンシュタイン家の三女をもお救いし、学園まで連れ帰ったとか。
その後、残念ながら戻る事は叶わなかったけれども、驚くべき事に旦那様の目の前で生き返ったとも聞いております。
功績をたたえられ、ヴィスコンティ国では勲功騎士として当代限りの爵位を頂いたとか。
……お会いした事はありませんが、クライン様に似た方だそうです。
言葉遣いや背景、生きてきた歴史こそ違えども根っこの思考は似ていると感じたそうです。
であれば、お二人が頑なにしてしまった心を幾らか解したのがその方なのかもしれませんね。
ただ、素の彼とお会いするのはまだ先になりそうですが。
奥様を元気付ける為に一時的にクライン様を演じていただくとか。
その為に急遽服まで用意して、今は此方に向かっているとも聞いております。
お二人がこのようになられたのであれば、奥様も同じように元気になっていただければ良いのですが。
とと、お手紙を読まねば。
急ぎの用件であれば、重大ですからね。
見れば、旦那様の印が蝋に捺されています。
予定時刻を遅れているのと、何か関係があるのでしょうか?
──……!
「これは──」
「どうしたの? ザカリアス」
「な、なにか失敗してた?」
「いえ、少しばかり場を外させていただきます。カティア様、申し訳ありませんが、場を任せても宜しいでしょうか? 何かあれば、この呼び鈴をお鳴らしください」
「ええ、分かりましたわ。ザカリアス様」
アリア様の使い魔にそう告げてから、普段どおりに歩く。
……そう、出来ている筈だ。
しかし、この件は急ぎ女中の長をしているアークリアにも伝えねばならない。
「失礼します、奥様。ザカリアスです」
「良いわよ、入って」
「失礼致します」
優しい声だ、しかし……かつてのような元気は無い。
昔であれば優しさと意志の強さを兼ね備えた声をしていたが、今では優しさしか感じられない。
それが、今では物悲しい。
部屋に入り、一礼をする。
傍には、アークリアが控えている。
「どうしたのですか、ザカリアス。ここは私が任されていますが」
「急遽、お話すべき事柄が出来たのですよ。それで、奥様。申し訳ありませんが、アークリアをお借りしても宜しいでしょうか?」
「ザカリアス! それは権限を越えてますよ!」
「旦那様からの、重要なお話です」
そういうと、アークリアは言葉を呑みます。
奥様に一礼をすると、アークリアは「申し訳ありません、奥様。少しの間、席を外させていただきます」と告げた。
彼女を連れ出すと、あからさまな怒りの表情を見せます。
人の使っていない部屋に入り、鍵をかけました。
「ザカリアス。見損ないましたよ。あんな強引でなくとも、もう少しやりようがあったのではありませんか」
「いいえ。急遽、女中長としての貴女にしなければならないお話ができたのです。お叱りは後ほど」
「なんのですか、一体」
「旦那様からのお手紙です。お読みを」
そう言って、手紙を渡します。
その内容は既に私は読み上げ、噛み締めてあります。
なので、後は長である彼女に伝えなければならない事です。
少なくとも、旦那様や奥様に近いのは私と彼女ですから。
「……クライン様が?」
「ええ」
アークリアは今回の件を知っています。
ヤクモなる人物がクライン様を演じる、それによって少しでも奥様を元気付けられはしないかと。
しかし、最後まで反対したのも彼女ですが。
「あぁ……。ザカリアス! 貴方は……! 貴方は、これを信じると!?」
「私は、旦那様がラムセスにクライン様をお預けになったのを、この目で見届けてます。その旦那様が、クライン様が目を覚まされたと言うのです」
「貴方は、貴方は……っ!」
アークリアが、手を強く握り締めました。
きっと、本当であれば私の頬を叩きたいのでしょう。
顔を赤く染め、それでも抑え込もうと頑張っているように見えます。
「5年ですよ? 5年……。今まで貴方や旦那様以外から、聞く以外に何も出来なかったというのに、それを信じるのですか? 今回の事だって私は反対しました。奥様がより一層傷つくかも知れないと、貴方にも伝えた筈です。なのに、今度はクライン様が目を覚まされたと? どこまで……どこまでふざけた事を言うのですか!」
「納得はしていただかなくて結構です。ですが、理解だけはしてください」
「貴方はそうやって! 昔も同じ事を言って、私を置き去りにした時と同じ事を……」
……ええ、分かっています。
旦那様の為に、平穏を捨て兵を従え戦う時にも同じ事を言いました。
そして、あの時と同じように「納得はしなくてもいい」と告げています。
卑怯かも知れませんが、仕方が無いのです。
だから、かつては夫婦であった筈の私たちも、また他人同士になってしまったのでしょうが。
「……旦那様がそう仰るのであれば、従うのみです。ただ、実際どうなのかは……目にしないと分かりません。ですが、私たちは旦那様に仕える身です。第一声が否定では、宜しくないのでは」
「貴方が受け入れすぎるからです! それに、誰もかもが反対しない方が、お屋敷の為にもなりませんが、これとそれとは別です!」
「ええ、そうでしょう。勿論、私も盲目的に従っている訳ではありません。何か、納得できるものがないのであれば、或いは……旦那様が狂ったと思ったなら、諌め、止めますとも」
……あの二人が似ていると言い、旦那様もそう言う位です。
毎年何度か様子を見に行っているようですが、目を覚ます様子が無い。
であれば、”狂ってしまった”と言う考え方もあるかもしれません。
ヤクモ様を息子だと思い込んでしまいたくなるくらいに。
その場合は、目を覚まさせなければなりませんが。
「ただ、手紙をよく読んでみてください。食事が出来ないほどに衰え、お屋敷に戻るのは元気になってからとあります。つまり、少しばかり暇を頂いて私が見に行こうと思っています」
「……それで、私にどうしろと?」
「いいえ、特には。ですが、執事の長としてその事を貴女に伝える義務があります。貴女はただ、今まで通りにしておいて下さい。もし事実であれば……色々と忙しくなるでしょうから」
「ええ、事実であればの話ですが」
私たちの話はそれで終わりです。
再び厨房へと戻るのですが、その時に顔面へと飛んでくるものがありました。
「蓋!?」
なぜ焼き釜の蓋が飛んでくるのか理解は出来ませんでした。
それを避けるも、今度は熱いものがいろいろと飛散しておりました。
そちらは、当然避けられません。
屋敷中が俄かに騒がしくなり始めました。
「……何事、でしょうか?」
「か、窯が爆発したの……」
「その……魔法で火力をあげたらいいかな~って」
「そうですか……」
顔に付着したものは、パン生地でしょう。
あるいは、だったものというべきでしょうが。
少し溜息を吐いて、先ほどのことは少し思考から外します。
「料理長。申し訳ありませんが、復旧をお願いします。お嬢様方、少しこちらに来てください。私めが、少しばかりお手本をお見せしますので」
「でも……」
「それじゃ意味が──」
「そのお気持ちは、ご立派かと思います。ですが、あまり失敗しても料理人たちが嘆く事になりますし、食べ物を粗末にするのは神だけでなく民草にも申し訳がありませんから」
こう言えば、お二人は納得するしかないでしょう。
しかし、間近で爆発を受けたからか二人とも生地や煤まみれです。
カティア様は……無事なようですが。
「カティア様、申し訳ありませんがどなたかにご入浴の準備をしていただくようにお伝え下さいませんか?」
「え? あ、ええ!」
カティア様が去ってから、私は独り身だった頃の事を思い出しながら手順を思い返します。
「さて、これからお見せするのは私の存じ上げている、簡単なものです。料理人には敵いませんが、それでも口にするには十分なものを作れると自負しております」
「「お願いします」」
「材料は大分目減りしましたが、それでも……お二人の分を作るくらいは出来ますね。何かご注文はありますか? 味付けや乾した果実や肉を入れたり、或いは肉の詰め物を挟んだり、野菜と豚肉を薄く切って挟み込むとか出来ますが」
「あの、えっと……。見ただけなんだけど、こういうのって出来るかな?」
ふむ。
パンのような物からバターの匂いがしていて、砂糖のような甘さもあったと。
少し考えてしまいますが、それを傍にいた料理長が助けて下さいました。
「それならあれですよ。パンを更に焼いて、カリカリにしたものにバターと砂糖を使う、簡単な奴かと」
「簡単……」
「かん、たん──」
「ああ、いや! お嬢様方は生地からお作りなので、話はその先のことです!」
「有難う御座います」
さて、昔のように上手くやれれば良いのですが。
上着を脱ぎ、袖を捲くり、用意を整えてからゆっくりと進めていきます。
しかし、長い年月料理をしていなかったとは言え、若い頃にしていた事は見に染み付いていますね。
それに、お二人が食い入るように生地を作る所を見ているのも、些か楽しくはありますが。
「生地を作るときに、捏ねるのは材料がきちんと混ぜあうようにする為です。これが不足しますと、記事の中で偏りが出来てしまって、膨らまなかったり中でベシャベシャになる箇所が出る事があります。それと、こうやって空気も混ぜる事で焼いた時に膨らみが出来るのです」
「なるほど……」
「空気を混ぜ込む……」
孫のように可愛いものですね。
私の孫は残念ながら私に似てしまって、剣を振るってばかりですが。
少しは年頃の少女らしく、幾らか家事に纏わる事を覚えて欲しいものです。
ただ、剣を長年扱っていた身としては、あの才能を殺すのは偲びないのですが……。
「さて、生地を作ったら幾らか生地を寝かせます。そうする事で、よりパンを焼いた時に膨らむようになるのと同時に、美味しくなります。ここで注意しなければならないのは、寝かせすぎると今度は発酵しすぎて臭いがしてしまいます。それに、中身が幾らかスカスカになってしまい、食べ心地もよろしくありません」
「寝かせるって、これ生きてるの?」
「休ませなきゃいけないんだ……」
「あ~……詳しい原理は、よく分かりません。寝かせるというのは言葉の綾で、置くとも言いますね。決して生き物などでは御座いません。ですよね? 皆様」
「「「はい!!!」」」
聞き耳を立てていたのでしょう。
窯をどう直すか、汚れた料理場の清掃などをしていた若い衆が笑うのを見てしまいました。
これを放置するとよろしくないので、見ているということも含めて巻き添えにさせていただきます。
「さて、これをおいている間にお二人はご入浴でもなさって下さい。一所懸命なのは分かりますが、その姿だと笑われてしまいます」
「「あ……」」
「ザカリアス様、遅れました。既に旅の疲れを癒すためにと、準備していたそうです。いつでもどうぞと仰ってましたわ」
「だそうです」
「「は~い」」
幾らか、自分たちのしてきた試行錯誤が隙間だらけの持論でしかないと悟ったのでしょう。
本を読んでも、実際に作ってみるのとでは大分違いますから。
私も若い頃は大分失敗しました。
それでも、知り合いや友人に聞いて、やっとの事で何とか作れるようになったのです。
とは言え、なぜ失敗したのか、何をしたらダメなのかを学んだという意味では良い経験になったでしょう。
っと、その前に……。
「料理長。先ほど笑った方には、せめて当人のいる場所で笑わないようにご指導を。それと、貴方方の仕事場をこのようにしてしまったのを謝罪します」
「あ~、良いって。もっと酷いバカを俺は知ってるからな。家ごと全焼させるよりはマシさ」
……昔を知ってる人が居ると、やりにくいですね。
もう30年近くも昔の話なのですが。
咳払いをしてから、少しばかり時計を見る。
「今夜は”羽目”を外して来ていただいて結構ですよ」
「おっ、良いね。ザカリアスは話が分かるな。というわけだ! 笑った奴ら後でお仕置きだ! だが、夜は楽しみが待ってるから覚えとけ!」
「「「はい!」」」
元気が良いのは良い事です。
そういう意味では、ミラノ様もアリア様も良い意味で元気なのが傍で見れて喜ばしい限りです。
入浴が終わり、使い魔の方も綺麗になって戻ってきた所で、寝かせた生地を修理の終わった窯で焼きます。
時間は、おおよそ覚えております。
「……一つ、質問しても宜しいですか?」
「ん?」
「なに?」
「なぜ、お二人がこのようなことを? 誰かに頼めば、それこそ学園であれば買ってくれば良い事じゃありませんか。なにも、私たちのように苦労する必要は無いかと」
「ザカリアス、それは違うよ」
「私は……いえ、私たちは自らの手で報いなきゃいけない時がある。まだ知らないことが多いけど、それでも貰ったパン菓子で喜んでいる所を初めて見たのよ。だから、これは初めて自ら報いる事が出来る一歩目なの」
「……ヤクモ様ですか」
「ええ、そう。アイツは、文句も言わずに従ってくれた。その上、私たちの命を救ってくれた。父さんが色々してくれたけど、それは私達が報いた事にならないもの。仮にも主人だからこそ、父さんとザカリアスのような関係を、私は作りたいの」
「──なるほど」
それは、責任か義務か──あるいは、どちらもでしょうが。
そう思っていると言う事を知ったら、旦那様は感心するでしょう。
しかし、それは手作りである必要はないのでは?
「……報いる、というのであれば下賜なさるというのでも良かったのでは?」
「「え?」」
「その……。手作りである必要は、無いと思いますが」
そう言ったとき、”アリア様”の方が大きくうろたえていました。
しかし、”ミラノ様”もうろたえはせずとも押し黙ってしまいました。
口を何度か開閉して、言葉を吐き出しかけては失っている”アリア様”は、少しばかり見ていて気の毒になります。
「だ、だって。アイ……ヤクモさん、手作りのものを貰って、喜んでたから……」
「そ、そう。手作りしてくれた事も喜んでたの!」
「分かりました」
……対抗、しているのかも知れませんね。
それが二人とも無自覚なようですが。
”負けたくない”と、そう思ったのでしょう。
別のものではなく、同じもので他人を上回りたい。
自分が一番で、或いは優れていたい。
──であれば、私は更に厄介な事をしなければいけませんね。
お二人が”好き始めている”と言う男を、害をなす人物かどうかを見極めるという事を。
~ ☆ ~
ザカリアスからパンの作り方を教わって、翌日。
あの時の手順を完全に真似をして二人で作ってみる事にする。
ただ、ザカリアスにまた新しい手紙が来たみたいで、ちょっと席を外してたけど。
「パンをこねる時は材料をちゃんと混ぜ込む為」
「空気を混ぜ込んで、膨らませる為」
昨日はミラノに捏ねて貰ったけど、今日は私がやってみる。
生地を作るのって、最初は簡単だけど少しずつ難しくなってくる。
硬くなってくるというか、力が必要になってくる。
それでも、あの時のザカリアスの手順を見ていると、それなりに混ぜ込んでいたから、失敗しない為にも真似しないといけない。
「混ぜる時は万遍に」
「偏りが出来ないように、しっかりと」
注意事項を読み上げてくれるミラノに、自分なりの解釈を付け加えて捏ねる。
けど、こうやって二人で読み上げていると、まるで魔法みたいだなって思う。
昨日よりも確りと出来た手順は、魔法の詠唱と同じで”何をしたいか”とか”どうしたいのか”を書いている。
つまり、これは私たちの知らない魔法なんだと思うと、それはそれで楽しい。
「順序良く、慌てず騒がずゆっくりと」
「丁寧に、繊細に生地を作りましょう」
そう、これはパンを作る為の魔法。
パンを作った後で、パンを使った魔法もあるというだけのお話。
疲れるけど、汗もかくけどやるしかない。
──下賜でも良かったのではないですか?──
何でだろう、そう思わなかったのは。
ミラノが『手作りのお菓子で喜んでた』って言ったからかな?
買って来た方が確かに簡単だし、私達が作るよりも美味しいものがあげられるはず。
けど、そうしなかったのはなんでだろう?
「優しく生地を捏ねましょう」
「大事に愛を籠めながら」
……手作り、って部分が引っかかったのかな。
ううん、違うかも。
ミラノが見たことのない”初めての笑顔”ってのが気になったんだ。
ずっと、ヤクモさんは笑顔を見せてくれた事はない。
そんなヤクモさんが笑顔を見せてくれたパン菓子が、私は気になったんだ。
いつも真面目で、ずっとどうしたら良いかばかりを考えてる。
”私達の為”と言うのを優先して、個人的な事はほったらかしで。
けど、そういうヤクモさんを笑顔に出来る事があるのなら、少しはそうしてみたいと思うのは変なのかな?
どうせ私は学園に戻れば詠唱が満足に出来ない子になる。
それでも、ミラノを支えられるように階層ごとに置かれている料理場を使って出来る事はあるはず。
「これくらいかしら?」
「これくらいだね」
ザカリアスが戻ってきて、生地の様子を見てくれる。
どうやら出来合いは良いらしいので、これはこれで置いておく事に。
「ザカリアス。忙しいのなら外していてもいいけど?」
「ああ、いえ。旦那様からのお手紙が来てまして。到着は明日になるそうです」
「二日も遅れるって、何かあったの?」
「どうやら──彼の方が、少しばかり体調を崩したようで。馬車で酔ったのでしょう」
……あ、そっか。
別に戦えるとは言っても、馬に乗れるとは言ってなかったもんね。
私達はもう慣れてるけど、慣れてない人にはあの揺れはキツイかも。
何日か乗ったままだし、体調崩してもおかしくないか。
「……そっか。まあ、遅れるというのなら仕方が無いわね」
「馬に慣れるのって、時間が掛かるって言うもんね」
「なので、お二方には申し訳ないと」
「大丈夫。父さんは悪くない。悪いのはそんな事で体調を崩す軟弱なアイツよ」
「あはは……」
と、ミラノならこういうはず。
そして、それを聞いた”アリア”は苦笑する。
この組み合わせはもう散々やってきたから大丈夫。
けど、大丈夫かな?
馬で酔って体調を崩すって……。
目眩かな? それとも沢山吐いちゃったかな?
気になる……。
「そういえば、昨日ザカリアスが作ってくれたパン料理は美味しかった!」
「あ、そうだ。あれを母さまでも口に出来るような物に出来ないかな?」
「出来なくはないですが……。なるほど。今日お目見えでしたね、そういえば」
「うん、そうなの。前と違って、また少し成長しましたって所を……見せたいし」
「それに、美味しいものを食べたら、少し元気になるかもしれないし」
母さんとはまだ会ってない。
アークリアが言うには少し安定してるけど、それでも自分の中に閉じこもったままだって。
前よりも、また痩せたみたい。
昔は少しふくよかだったのに、今じゃ普通くらいなんだとか。
はやく元気になって欲しいなあ……。
「そうですね。料理長に奥様にお出ししている献立を聞いたうえで、少しばかり相談してみましょう。そうしたら、体調に合わせてお出しできるものが変わるでしょうし」
「ありがとう、お願いね」
けど、昨日のザカリアスが作ったのと、殆ど同じ所まで生地が作れた。
これなら、ヤクモさんが来たときには美味しいものが作れるかも知れない。
「……できたね」
「そうね」
ミラノも同じ事を考えてたみたい。
前進してる、間違いなく。
それは、あの時見せた笑顔に近づいているという事。
お屋敷に来たときは兄さんの演技をしているけど、それでも受け取ったら驚くかな?
驚いて、よろこんでくれるかな?
それを考えると、生地がもう少し早く発酵と言うのを終わらせてくれても良いのにと思ってしまう。
けど、魔法じゃそれは出来ない。
待たなきゃいけないんだって。
魔法は何でも出来るわけじゃない。
急ぐだなんて事は、出来ない。
けど、魔法で考えれば分かりやすい。
魔法を使いすぎれば魔力が無くなる。
つまり、今の私達は魔力の回復を待っている時間なんだ。
「待たないとね」
「待たなきゃだね」
「では、お待ちしている間に昔話でもしましょうか。まだ家を継いでいなかった、旦那様との冒険のお話を」
「「聞きたい!」」
父さんは昔の話をあまりしてくれない。
お兄さんが居たみたいだけど、それも聞かせてはくれなかった。
だから、ザカリアスがこうやって聞かせてくれるお話じゃないと、父さんの若い頃の事は知る事が出来ない。
「では、あれはまだ前当主がご存命だった頃。辺境にてマンティコアが出没した時のことです」
ミラノも、私も話を聞いてるのは楽しい。
父さんの知らなかったことを知ることが出来るから。
今じゃ凄い落ち着いてるけど、昔はそんなに”御転婆”だっただなんて思わなかったから。
今までも、父さんがザカリアスと一緒にしてきた事を沢山聞いてきた。
作り話かなって疑った事もある。
けど、それは今でも使ってる羽ペンから真実だと理解した。
『旦那様は、コカトリスを討伐する際に私を信じて、石像になられたことが有ります』
『私はただの平民で、旦那様は貴族であるにも拘らず』
『私は、その期待を裏切らないように努力しました』
『その時の羽根を使って、ご自身を戒める為に今でも傍に置いているそうです』
私たちには、まだ父さんみたいなものは何も無い。
けど、一つだけ踏み出したものはある。
学園の中で全てが終わっていた私達が、外を知る切っ掛けになってくれた。
……ヤクモさん、早く来ないかな。
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