第23話

 ~ ☆ ~


 娘たちが来ると聞いても、私の心は沈んだままでした。

 いけませんね、こんなままでは……。

 それでも、私は神に祈りながら後悔する事しかできませんでした。

 

 良人が、あの子が目を覚ましたと言って連れて来てくれるそうです。

 ですが、分かっています。

 あれから5年も経てば、どんな希望も潰える事でしょう。

 最初の一年は、目が覚める様にと願った。

 二年目は、そんなに重いのかと心配をした。

 三年目は、ダメなのかも知れないと気が沈む。

 四年目になると、良人のついた優しい嘘だったのではと考えてしまう。

 そして五年目……ただただあの子の事を想いながら部屋に居るだけの日々。


 ええ、分かっていますとも。

 それでも私には二人の娘がいる。

 本当なら嘆き悲しんでいる場合では無いと言うのに。

 もう、身体の方が気持ちよりも衰えてしまった……。


「奥様」

「ええ、分かっていますとも」


 元気、元気を出さなくちゃ。

 今回は……娘たちが世話になったという方は来られなくなったと聞いているけれども。

 それでも、色々と聞きたいことは尽きないわ。

 それに……娘たちも変わったとザカリアスから聞いてます。

 なら、私も──何時までもここには居られないわね。


「今日は、少しだけ調子が良いわ。きっと、二人と会えってあの子が言ってるのよ」

「──クライン様、ですか」

「ええ、そう。母親面出来るとは思っていないけれども、そうしろって言ってるんだわ、きっと」


 クラインは性根の優しい子でした。

 その子が最後に、アリアのことを頼んできたんですもの。

 あの子が私を……こんな不甲斐無い母を受け入れてくれると良いのだけど。


「母さん」


 来た。

 私の愛しい娘たちが。

 扉越しでも、大分懐かしい声だとしてもそれがどちらなのか位は分かります。

 この声は実の娘のほう。

 あの子達は気づいてないみたいだけど、私や良人のことを『さま』付けするのはもう一人の子の方だから。


 部屋の中に入ってきたミラノが、まず最初にお辞儀をしてくれました。

 それから、アリアが続いて倣うように礼をします。


「急ではありますが、学園がお休みになったので戻ってきました。お加減は如何ですか?」

「ありがとう、ミラノ。今日は貴方達が来ると聞いて、元気を溜めておいたのよ。母親らしい事も、貴族らしい事も出来ないけど、少しは貴方達に立派なフリ位はしないと」

「ご自身を大事になさって下さい。私たちも何時までも甘える子供ではありませんから。元気になるまで待つくらいの事、難しい事じゃありません」


 ……ああ、ごめんなさい。

 本当なら、二人ともまだ甘えたいでしょうに。

 けど、私がこんなだから……ごめんなさい。

 お屋敷の事など、10の時から考えて育つだなんて。

 

「……二人とも、近くに来て頂戴」

「母さん?」

「母さま?」

「もう、堅苦しいのはお終い。少しだけ、ね? お願い」


 二人が近くに来て、私はその存在を確かめるように二人を抱きしめる。

 ああ、二人とも生きてる。

 ちゃんと、ここに居るのよ。

 けど──。


「母さん!?」

「なんで泣くの!?」

「……心配、したのよ。学園が襲われたと聞いて、また……また私は失うのかと。あの子だけじゃなくて、二人とも居なくなってしまうんじゃないかって、気が気じゃなかったの。だから、こうやって無事な姿を見られただけで。私は……私はっ──」


 あぁ、ごめんなさいクライン。

 私はダメな母親です。

 貴方を失った事にばかり気を割いていて、失いそうになって初めて娘たちに気を回せたのですから。

 生きている。

 あぁ、生きて……。


「……泣かないで、母さん。私たちは無事だから」

「──そうだよ、大丈夫だよ」

「アリア。貴方も私の娘です。あの子が下さった、素晴らしいわが子ですとも。貴方も、これから先傷ついたり悲しみに溺れたりしないで頂戴ね? 二人とも、私に取ってかけがえの無い大切な宝なのですから」


 長年会ってきたのに、抱きしめて久しぶりに我が娘の香りを感じた気さえします。

 もっと、子供らしく振舞えたのなら、私がもっとしっかりしていたのなら抱きしめる機会なんて沢山あったでしょうに……。


「奥様、お顔を清められて下さい」

「ありがとう、アークリア」


 アークリアがハンカチを差し出してくれたので、それで涙をぬぐいます。

 そうでないと、私は泣いただけのダメな母親で終わってしまいます。

 落ち着きを取り戻してから、少しばかり抱きしめて気づいた事があります。


「二人とも、パンの良い匂いがするわ」

「あ、そうだった」

「カティ、持ってきて」

「失礼致します」


 そういえば、アリアに使い魔が出来たと聞いていましたね。

 ただ、部屋に入ってきたのは可愛らしい子。

 綺麗なお服を着て、見た目は高貴な娘に見えるかしら。

 年は大分幼く見えるけれども。


「お初にお目にかかります、奥様。私、カティアと申します。アリア様の使い魔として召喚されました。以後、お見知りおき下さいませ」

「あらあら、ご丁寧に有難う。とっても礼儀正しくて良い子ね」

「有難う御座います奥様。まだまだ人としての知識だけでなく礼儀や作法など未熟な所は多いですが、お二方からこれからも色々と教わり精進したいと思っております」

「ちなみに、何の使い魔なのか聞いても宜しいかしら?」

「猫ですわ」

「猫……」


 アークリアがうめくような声を上げるのを、私は聞き逃しませんでした。

 そういえば、アークリアは猫が苦手だったかしら?

 たしか、ザカリアスとの一件で泥棒猫だとか、そもそも猫自体が苦手とか色々聞いているのだけれど。

 けど、それを顔に出さなかっただけ立派ね。


「それでは、私はこれから貴方をカティアと呼ばせていただきます。貴女も、私の娘のように接してくれると嬉しいわ」

「そこまでの配慮に感謝します、奥様。そのお気持ちに応えられますよう、相応しい子女の振る舞いを覚えたく存じます。……それと、此方をどうぞ。お二方が、奥様のためにとおつくりになられたものです」


 そう言って、彼女は籠を差し出しました。

 布が被せられていて中は見えないけれども、パンの匂いと繋がりがあるのでしょう。


「……ミラノ、アリア。もったいぶらずに教えて頂戴? またなにか新しく始めたのでしょう?」

「ええ、その通り!」

「ちょっと、パンを作ってみたんだ。それで、母さまでも食べれるようにザカリアスに少し手伝ってもらって……」


 そう言って、二人は籠をカティアから受け取ると布を取り払ってくれました。

 そこには、パンを薄く切って色とりどりの野菜と、薄く切られた肉が挟まっています。

 食が細くなった私でも、それが美味しそうだと思えるくらいには見栄えの良い物でした。


「あらまあ、美味しそう……」

「奥様──」

「いいの、いいのよ。ただ、傍に居て頂戴ね? アークリア」

「──はい」

「も、もし食べられないなら無理しなくても良いけど……」

「うん。ちょっと、練習してみて、それで母さまにも見てもらいたくて、それで……」

「分かってます、分かってます……」


 これは、不器用な形で見せてくれた”甘え”なのでしょうね。

 それを受け取らないだなんて真似は、出来る訳もありません。

 

「一切れいただけるかしら?」

「「どう……」」


 どうぞと、二人ともそれぞれに差し出してきました。

 けれども、お互いに相手が差し出しているのを見て戸惑っていますね。

 それを微笑ましく見ながら、やはり”双子のようにそっくり”なのだなと思いました。


「両方、頂くわ」


 そう言って、私は両方を受け取りました。

 勿論、料理人たちが作るものとは違い、見た目は不揃いです。

 これはザカリアスという”男らしさ”が溢れた結果なのでしょう。

 見た目よりも食べられるかどうかを追求した結果の、サンドイッチ。


「あぁ……」


 アークリアが、監督をしたのがザカリアスと聞いて額に手をやりました。

 ええ、分かります。

 自身の良人だった人が、実利の為に見栄えを気にしないだなんて、元妻としては恥ずかしい所があるのかもしれませんね。

 けれども、食べてみると見た目なんか気になりません。

 これは、二人が初めて私に見せてくれた”甘え”であり、私への贈り物なのですから。

 一度焼いた肉は、私でも食べやすいようにと油を幾らか落としてくれているようでした。

 野菜が新鮮で、その種類を細かく分けつつも抑える事で厚くならないように配慮してますね。

 そして、野菜と肉の組み合わせが飽きさせず、むしろ食欲を誘ってくれます。

 見栄ではなく、これは……本当に。


「奥様、無理をなさらず……」

「アークリア。悪いのだけど、何か飲み物を頂けるかしら?」

「──……、」

「……──」

「美味しいのだけど、少しパンが乾いてるから喉が渇いちゃって」

「「っ!」」


 嬉しそうな顔、歳相応の表情。

 私は、なぜ二人を今まで蔑ろにしていたのかしらね……。

 こんなにも可愛らしい子が傍にいたのに、4年も──。


 水を貰って、二つを綺麗に食べました。

 勿論、細った食ではお腹が少し溢れてしまいそうです。

 けれども、娘たちの前で少しばかり虚勢が張れずして、何が母親でしょうか。


「美味しかったわ、とても」

「やった!」

「やったね」

「けど、どうして急にパンを作る事にしたのかしら? 学園では花嫁修業はしないでしょうし、私やジュードもそのような事は言ってない筈ですが」

「あ~……」

「あはは……」


 少しだけ考えてから、ありそうな可能性を考えます。

 それは、私がまだ”貴族”では無く、ただの”魔法が使えただけの娘”だった時のお話。


「……二人とも、これだけは覚えておいて頂戴ね。お料理って、誰に取っても大きな武器になるものなのよ」

「大きな?」

「武器に?」

「ええ、そう。殿方は何時だって、何かあると真っ先に飛び出していってしまいます。それは、此方の気持ちがどうあろうとお構い無しに。けど、気持ちが許せなくても、悪気があってそうしている訳じゃないと言う事を理解しなきゃいけないの。それと同時に、真っ先に飛び出した殿方は疲れきって帰る事が多いのです。そういった時に、空腹ならば食を、喉が渇いていれば美味しい飲み物を、疲労に沈んでいるのなら疲れを溶かす湯船を、そして眠りに落ちそうなら心地よい寝床を作ってあげる事が、最大の喜びとなります。それは、目に見えるものではなく、爵位だとかお金だとか……そういった即物的なものでは有りません」

「「うん」」

「けれども私は、ジュードと出会ってからこうなるまでは毎日そのようにしてきたつもりではいます。だから、貴方達もそう出来るようにしてあげられたなら、きっとそのパン以上に喜ばれると思うわ。ねえ? アークリア」

「はい、その通りで御座います。ただ、愛想を尽かす前に適度に手綱を握って、殿方を制御するのも必要です。でないと、いつかお傍からも飛び出してしまいますから」


 さすが、経験がある人の言葉は違うわね。

 けど、それでも貴女は傍に居ることを選んだのでしょう?

 私は、貴女がやってきた時の事を今でも覚えていますとも。

 ザカリアスと夫婦としてやっていけるとは思えなくなったけれども、愛したのは最初も最後も彼だと貴女は仰ってくれたわね。


「あの、母さん」

「べつに、そういう人じゃないけど……」

「相手が誰であれ、ですよ。心の在り方、気の持ちようはそうあると好ましいという話です。……きっと、貴方たちを守ってくれた方にお渡ししたいのでしょう?」

「「うん」」

「なら、多くは聞きません。けど、私が母として今言った事を覚えていて頂戴ね。殿方は複雑な事を色々言うのだけれど、結局は簡単で単純な事で喜ぶのですから」


 ……早く会ってみたいわ、私の大事な娘たちを守ってくれた子に。

 きっと、良人の事だから私を元気付ける為に”息子が帰ってきた”と、無理をさせてるのでしょうけど。

 けれども、私はそれでも楽しみに待っていますよ。

 



 ~ ☆ ~


 うぅ、胃が痛い……。

 クラインをちゃんと演じられてるかな?

 なんか、この口調はこの口調で馴染みがあるから平気だけどさ。

 ただ、待遇が……というか、こんな生活に慣れない……。

 寝ても覚めても付き人が居るような感じで、着替えをさせようとする召使までいる感じ。

 要らないよ! 自分で着替えるからさ!

 

 というわけで、屋敷を出歩けば他人の視線に晒されるので、結果として部屋に閉じこもる羽目になる。

 クライン、早く来てくれー!

 手遅れになっても知らんぞー!!!


「う~ん、三兵運用に関する理論は読んでおいて損は無いかな。魔法使いってどれくらいの実戦運用がされてるのか分からないし。けど、剣術の基礎理論も読みたい。あ゛ぁ゛~、時間が足りない……」


 まあ、それでも退屈はしないで済みそうだけどね。

 クラインが大分勉強家だったみたいで、部屋に置かれている本棚には色々と参考になりそうなものが多く置かれている。

 それこそ、個人での戦いから集団戦に至るまで。

 戦闘から戦争や、魔法使いに出来る事に関わるものまで存在する。

 中でも興味を引いたのは、やはり魔法を武芸に織り込むというものだろうか。

 イメージですぐに出てくるのはテイルズあたりだけれども、あんな感じで魔法を織り交ぜて戦えたら楽しいだろうな……。

 オルバの戦い方も一種の魔法を織り交ぜた近接戦闘とも言えるし、あれはあれで行使できれば格好良いと思う。

 それに、デバフ系統と言うか呪いなんてものもあるのか……。

 こりゃ、魔法に関する知識を深めていかないと死ぬしかないかな?


「兄さま、今大丈夫かな?」

「あ、は~い。どうぞ」


 アリアが来たみたいだ。

 お屋敷に着いた当初はミラノの分の荷解きもしていたみたいで中々出会う機会は無かった。

 けれども、幾らか手すきになったのか顔を出してくれるようになった。


 けど、兄さまか……。

 クラインを演じてるとは言え、実の妹にすらいわれた事の無い親しみのあるこの呼び方……。

 なんだか、良いなって。

 実の妹はもうお兄ちゃん呼びから一気に兄さん、兄貴と可愛げが無くなってしまった。

 一時期お兄呼びもあったっけ? あれは良かったけど。


「何の本を読んでるの?」

「あ~、えっと……。戦場における兵士の相互補助?」

「──……、」


 うっ、そんなジト目で見られても困るんですけど!

 

「へっ、部屋にあったものがそういうのだったから、つい……」

「──あぁ、そう言えば兄さまは昔から難しい本を読んでたもんね。この部屋……入るのは、あの時以来だし」

「……そっか」

「本棚の中とか、何が置かれてるかなんて気にした事なかった」


 ……そっか。

 兄の事を思い出したくなかったのか、それとも責任を感じて封印していたのか。

 そんな場所を、あまり穢すのは良くないか。

 本を閉じると、彼女へと向き合う。


「それで、何かな?」

「そろそろお茶の時間でしょ? それで、その……皆で一緒にと思って呼びに来たんだ」

「そっか……。それが当たり前なんだよね」

「うん、そうだね」

「なら、ご一緒させてもらおうかな」

「場所は姉様の部屋だよ」


 アリアに連れられて移動する。

 途中ですれ違う使用人たちが作業や行動を止めて頭を下げるのを、なれずに応対する。

 今はクラインだから仕方が無いけれども、やはりなれない。


「兄さまは……ちゃんと返すんだね」

「ん? なにを?」

「使用人が頭を下げたら」

「そりゃ、相手が礼儀を尽くしてるんだから、こっちもそれに応じないと……いけないんじゃないかな」


 ちょっと自衛隊チックな考えでもあるが。

 下級者は上級者に対し敬礼をするのが当たり前で、上級者は火急の用件でもない限りは応じる。

 或いは、傍に居る次級者がそれに応じる事になっている。

 

「──次からは、そうしないほうがいいかな」

「ううん、そのままで良いよ。兄さまは……昔からそうだったし」

「そっか」

「そうそう」


 なら、間違いじゃなかったんだろうね、たぶん。

 自衛官らしさを兼ね備えながら、けれども素の自分でいる。

 それくらいがきっとクラインに近いんだろう。

 眉を寄せず、むしろ純朴で何も知らなさそうな顔をしないと……。


「やっと来た」

「いらっしゃいませ、クライン様」

「あ~、えっと……遅れてごめん」

「大丈夫、今用意が整った所。往復に掛かる時間も込みで準備してたもの。それくらい考えなきゃ、一人前の貴族なんて言えないわ」

「だ、そうですわ」


 今はアリアの使い魔という設定になっているカティアが、すこしばかり楽しげにニヤリとした。

 なんだろう、こう……主人としてトコトンダメなんだろうなあ。

 ミラノやアリアの傍に居る時の方がカティアは楽しそうだ。

 というよりも、自分の傍にいる彼女が笑った所を見た事が無い気がする。

 泣かせてしまったし、使い魔としてちゃんと使って欲しいとまで言わせてしまった。

 もし、あまりにも自分が不甲斐無いようであれば、使い魔としてのつながりを断った方が幸せかもしれない。

 勝手に望んで、勝手に棄てる……。

 最低なご主人様だな、自分は。


「……なんだろう、出来立てのお菓子みたいな香りだね」

「そ、そうよ。出来立てのお菓子よ」

「美味しそうな匂いだ……」


 パッと見たところ、学園で貰ったあのパン菓子に似ている。

 余った食パンでも作れる、簡単なおやつになるものだ。

 こっちに来てからは自由も無いし、自炊する必要も買出しをする必要も無いからご無沙汰だったけど。

 何だかんだ、お手軽で美味しいんだよね。

 ただ、違いがあるとすれば少し……こう、不恰好と言うか。

 手馴れない人が作ったのかなと言う荒さを感じる。

 発酵が均一じゃないのと、若干混ぜ具合が均一になってないから焼いてからの膨らみ方に荒れが有る。

 ……こう見えても、炊事班でパン焼きまでやってた事があるからな。

 揚げ物、料理、汁物、炊き込み何でも御座れだ。

 なんなら、天幕の中で食材を買ってきた副班長に調理を任される位でも有る。

 山の中の簡易料理人としての自負は少しある。


「ほら、一つ食べてみてよ」

「そうだね。頂きます……っと」


 そう言ってから手をつける。

 ああ、うん。

 バター使いすぎかな? 折角焼いたパンがバターで少しビチャビチャだ。

 砂糖もそれで溶けちゃって、これじゃ食感が楽しめない。

 ……けど、バターが多いのなら多いで、それは別の味わいになるし、嫌いじゃない。

 

「うん、美味しい」


 それは、率直な意見だった。

 とは言え、結局の所貧乏舌なので自分で食べると許容範囲が広すぎて参考にならないとのこと。

 自衛隊色に染まりすぎて、なんならパック飯や缶詰ですら美味しい美味しいと食ってるので、小隊陸曹にまで哀れまれたくらいだ。

 一度ばかり曹長に「お前に本当に美味しいものを食べさせてやる」と言って、少しばかり値の張りそうな料理店に連れて行ってもらったことがある。

 ステーキ系のお店で、テキサスだったか、テキーラだったか……。

 とにかく、肉の厚みや焼き方も豊富で凄いお店だった気がする。

 まあ、食べたよね。

 美味いといったよね。

 けど、呆れられたよね。

 美味しいものを作れるという事と、美味しいものを食べた時に当人が得られる幸福度の量って、比例しないんだなって悟ったよ。


「ほ、本当?」

「よかったぁ……」

「……なにか、意味があるお菓子なのかな? これは」

「お二人が作ったものですわ、クライン様」

「へぇ~、料理できたん……だ」


 つい言ってしまってから、これはマズいと判断する。

 クラインがこんな事を言うだろうか? 言うわけがない。

 やべぇよやべぇよと、肝を冷やしたが……大丈夫そうであった。


「そりゃ、兄さんが居なくなってから5年だもの。試す機会くらいはあったわ」

「うん。まあ、苦労したけど」

「へぇ~……。けど、うん……美味しいよ」


 学園の中に居ると、どうしても食事は味が薄いし、量は少ない生活になってしまう。

 しかも、自分は主人と同席してお菓子を食べる事もできないので、甘味自体がレアなのだ。

 自然と顔が綻んでしまう。


「「わらっ──」」

「ん?」


 食べていると、なぜかミラノとアリアが何かを言いかける。

 なんだろうと見るが、すぐに首を横へと振る。


「「なんでもないなんでもない」」

「変なの」


 けど、今回に限っていつものお茶じゃなくて紅茶と言うのは趣が有っていいかな。

 苦味のある筈のお茶に甘味をかませる事で程好く楽しめるようになっている。

 これに関しては自分は粗雑だから思いつきもしなかったけど、こうやってささやかな気遣いをされると嬉しいものがある。


「あれ、お話は? お茶を楽しむのなら、何か話をするもんじゃ……ないのかな?」

「あ、うん。そうね。ちょっと忘れてた」

「忘れてって……えぇ──?」

「あはは、忘れてたね~」

「はぁ……。けど、そういうのも悪くは無い……かな」


 話す事はなくても、彼女たちにとってクラインと同じ時を過ごすのは二度と得られないものだったのだから。

 話してしまいたい、言ってしまいたい。

 けれども、それは出来ない。

 下手に騒ぎを拡大させたくないと、公爵に告げられたのだ。

 だから、それが例えミラノやアリアであっても……その時が来るまでは、黙っていないと。


 そうして、クラインが戻ってきたら、こんな贋物のやり取りなんてしないで済むんだ。

 本当の兄と、本当の姉妹同士で行うお茶会。

 そこには、俺は要らない。

 だから、早く元気になって、両親だけじゃなくてこの二人も笑顔にさせてあげてくれ、クライン。

 俺は、誰も笑顔にさせることは出来ない。


「そういえば~、クライン様ってパンは作れるのかしら?」

「ん? え? もう、断然、ばっちし」

「え~?」

「うっそ……」

「嘘、じゃないよ?」


 素の自分で喋ってしまったけど、これはたぶん”パンが作れる”ということに驚いてるのかも知れない。

 少しばかり頬をかいてから、周囲を見る。

 たぶん、聞き耳は立てられてないはず。


「……簡単な調理くらいは出来るようにって、叩き込まれたんだよ。だから、パンだって作れるって」

「アリア、カティ。確保」

「は~い」

「え? え???」

「御免あそばせ」


 二人にガッシと背後から捕まる。

 羽交い絞めにも近く、何でこうなったのかは分からない。

 ミラノが、なんだか良い笑顔をしている。

 うん、とっても”いいえがお”だ。


「それじゃあ、兄さんにはちょっと私たちにご教授していただこうかしら。たぶん、たいそう自信がありそうだし」

「そだね」

「えぇ~!?」


 ズルズルズリズリと、短い至福の時間は終わりを告げた。

 その後、連れ出された俺はというと、マントを脱ぎ上着を脱ぎ、袖をまくってなぜか……パンを作らされている。

 計量器などの勝手が違うので若干戸惑いはしたが、それでも慣れればいくらかは目分量で対処できる材料がある。


 おやつの時間をとうに過ぎた頃、焼きあがったパンを少しばかり覚まして蒸気を飛ばす。

 そして少しだけ考えて、お返しにもっと美味しいものを作ってしまおうと考えた。

 決して意趣返しではないけど、料理人たちも集まってきてしまった事だし、短時間ですぐに終わる全く同じものを作る事に。


「坊ちゃん、流石ァ!」

「手馴れてますね!」

「すげえや!」


 喝采を受けながらも出来上がったものは、残念ながら二人が作ったものよりは上手に出来ている。

 ベタッとバターがついているわけではなく、カリッと焼けたパンを黄金色に見せるくらいの見栄えのよさ。

 そして、砂糖が溶けないので幾らか粉砂糖のような綺麗さもある。

 なんでクラインを演じてる筈なのに、パン作りなんかしてるのだろうと思わないでもなかった。


「ぐぬぬ……」

「悔しいけど、美味しいなあ……」

「何が違うと思う?」

「やってる事は同じ筈だよね?」


 そして、二人は自分の作ったものを認めながらも、それがなぜこうも違うのかを研究し始める。

 その様子を見ながら、苦笑するしかない。

 あぁ、学園の天才はどこに行っても”理解できないまま放置しない”のだなと。

 

「坊ちゃん。もし何かあっても、その腕前なら雇ってもらえますよ」

「あはは……そうならない事を祈るかな」


 そして、料理人の才能が有るかも知れないと太鼓判を押された。

 まあ、どうせ下積みから始めないといけないんだけどさ。

 こんなうろ覚えの我流料理なんて、どこに行っても通用するわけが──。


「なんだか、良い香りがするね」

「とと、父さん!?」

「いやはや、クライン様には敵いませんな」

「ザカリアスさんまで!!?」


 気がつけば、公爵だけじゃなくザカリアスまで来て食べている。

 そして、公爵は姉妹がそれを前にして色々と書き込んでいるのを覗き込んで、少しだけ嬉しそうにしている。



 ……ああ、きっと公爵もこういう光景が見たかったんだろうなと。

 そういう意味では、俺のしたことは間違いじゃなかったんだと思えた。


「息子よ。婿入り修行かな?」

「全然違います!!!」


 なぜ次期当主が婿入り修行せにゃならんのだ。

 嫁さんが来い!!!

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