第21話
~ ☆ ~
アーニャに貰ったエリクシールという名の万能薬だが、どうにも利きがおかしい。
昨日までほぼ死に体だったクラインが、一日休んで翌日の朝になったらもう自力歩行できるようになっていた。
酒を飲んで家族の写真と動画を見て、憧憬に耽った上で爆睡していた俺を起こしたのは、他でもないクラインだった。
「んがっ……」
休日モードで寝ていたとは言え、状況の変化には身体が反応して起きてくれる。
公爵はラムセスの家で泊まっていたのだが、なぜかこいつは宿に部屋を取ったはずの場所に居る。
せんまい個人部屋で、窓なんか無い。
だが、叩き起こすのに十分な光量を持つランタンを付けられては、匂いでも目覚めないわけが無い。
……嗅ぎなれた石油ストーブじゃないんだぞ、火事かと思って目が覚めるわ。
「うわあ、酒くさいな……。どれだけ飲んだのさ」
「ほっとけよ……。これでも一応21だぞ」
「え? そうは見えないけどなあ……」
「てか、お前……。昨日休めって、あれほど──」
「それなんだけどさ。僕も驚いてる。まさかもう自分の足で立ち上がって歩けるだなんて。着替えだって自分でしたんだ」
そう言って、まるで子供のように……。
いや、子供か。
五年前と言えば、単純計算でも12歳くらいの筈。
1人で浦島やってるような状態なのだ。
時に取り残されて、これからが一番辛いだろうに。
「というか、朝早すぎない? まだ……こんな時間帯、平民が置きぬける時間だろ」
「寝すぎたせいで早起きしちゃってさ。それに、父さんやラムセスが起きてたらこうやって出歩く事も出来なかっただろうし」
「休めるうちに休んでおいたほうがいいぞ。それは義務と責任が生じる筈だ。少なくとも、お前なら」
「なんで?」
「……マジか。お前、生き残ったのなら次期公爵家当主だろうが。体調が万全になるまで休むのは義務で、それをお前が実施しないと下の連中も同じように休めないから責任が生じるんだっての。それに、大丈夫だと思ってぶっ倒れたら、大丈夫だと信じた連中が困るんだよ。だったら、最初から休んでもらったほうが周囲に取って助かるんだ。仕事も、行動も崩さないで済むからな」
と、そんな感じのことを言っていた気がする。
運用訓練幹部だの訓練陸曹だのがそういったことでボヤいていた気がする。
そうでなくとも、班長や先任がそういったことを気にしているので、体調や体力が資本なのだ。
大丈夫と言うのなら、それを信じて組み込む。
だが、その”大丈夫”が大丈夫なかったなら被害が生じる。
安全な場所までの移動、急遽の衛生の手配、大丈夫からそうでなくなった事で生じる人員配置の見直し……。
階級も身分も関係ない、それぞれに重要な役割がある。
だから、体調や健康を偽るのは許されない。
「だから、君の所に来たんだ」
「はい?」
「僕は僕の事が分からない。けど、自分のことを把握するために何かはしたい。だから、散歩の付き添いにでもと思って」
「──言っても、聞かないよな」
「妹たちの事も聞きたいし、僕は君の事も知っておきたいからね」
……まあ、そういわれると断れない。
俺はこれからクラインを演じるのだから、その当人が安心出来ないとなれば大問題だ。
それに……そういった苦悩は良く分かる。
俺だって、妹に色々あって日本に居られなくなったことを今でも覚えている。
そんな妹が結婚すると聞いた時、相手の事を疑ったくらいなのだから。
自分に似た素性の知れない男が傍に居る、それだけでも大分疑われる事だろう。
「はぁ……。どうせ、書置きだけして出てきたって感じだろ?」
「はは、バレた」
「散歩する間これを腕に付けてくれ。それで体調とその腕時計のどちらかで異状があったら直に帰るからな」
「”うでどけい”?」
実際には、電流をはなって目覚ましになる上に腕につければ脈拍数も計れる優れものである。
多機能すぎて役立つに困らないが、他人に使うだなんて思いもしなかった。
「寒いだろうからこれも着とけ。あと、そんな靴で散歩とか足が死ぬから履き替えろ。それと、散歩だけのクセに効果の薄いマントなんか外しちまえ」
「わわわ!?」
「お前に何かあったら責任問題になる上に、ぬか喜びだったと言われるの俺なんだからな。従え、さもなくば帰れ」
貴族の道楽なんて付き合いたくは無い。
そもそも何のメリットも無い上にデメリットの方が勝ちすぎているのだから。
しかし、このクラインってのは……貴族らしさをあまり感じさせない。
どちらかと言えばミナセやヒュウガのような気さくささえある。
ミラノは何だかんだ「貴族はこうあるべき」と言うのをガチガチに持ってる。
アルバートもグリムもそうだし、アリアもあまり表には出さないけど時折漏らす事さえある。
けど、必要だと説明されて現代の靴を履いたり、貴族を象徴するようなマントを脱ぎ、変わりに秋服を羽織るなどと言いなりが過ぎる。
そこまで考えてから、自分が何で若干威圧的とも強弁とも言えるような物言いをしていたのかを考えて、クラインをまるで『かつての自分』のように見てしまっていたからだと理解した。
現実を知らず、ただただ理想と正しさや正義心しか持たない、クソッタレなガキだった自分を思い出すから。
姉妹を思うのも、母を思うのも正しい事だろう。
けど、それで倒れたら意味が無いのだ。
「はは、暖かい」
「予定は?」
「ラムセスが目覚めて、朝食を運ぶくらいまで。君の聞きなれた言葉なら、一時間くらいって所かな?」
「んじゃ、ゆっくりと散策だな」
まだ夜と見まがうような中、俺はクラインと共に出る。
秋の世界はただただ肌寒い。
念のために灯を灯せるようにとランタンだけは持っておく。
「学園での二人って、どんな感じなのかな」
「アリアと知り合ったのは少し後なんだよ。俺が召喚された当初体調が悪かったみたいでさ。暫くはミラノだけだった」
「……そっか」
「魔法の事とか教わって、授業に連れまわされて……少しずつ色々学んで。最初はミラノしか居なかったけど、アリアが来て、カティアが来て、アルバートに喧嘩売られて、グリムと出会って……。まあ、色々あったなあ」
両親が亡くなり、家族が集う事がなくなった実家。
弟も転勤してどこかへ行き、妹は結婚した南米に留まった。
いつもなら一時帰国してきた両親に合わせて、弟や妹も来ていたのに──静けさだけが、友達になった。
独りになり、感情も生活も平坦化していった先で、生きたまま死んでる生活を続けた。
それが、アーニャによって第二の生を授かり、その途中でミラノに無理やり召喚され、従い続けているうちに誰もかもがやってくる。
姫さんが来て、オルバも来て……トウカと出会って、料理長のおっちゃんとも出会った。
そして、浮いたままだった俺が誰かに繋がる事で人間のように生きることが出来ている。
「悪い事、だったかな」
「いや、良いことなんだろうなって思ってる。確かに、色々あったよ。悪い事も、良い事も。けど、その悪い事だって繋げて見ればいい事になってることもあるし、逆もある。総合的に見れば、良い事だらけだったさ」
「なら、少しは報われるかな」
「ん?」
「妹が……君を召喚したんだよね。なら、その責任は回避できない。君の生活、君の友人、君の場所……”君の帰る場所”をも奪ったんだ。使い魔に人間が出てくるだなんて聞いた事はないし、君が……記憶喪失の英霊で無い限りは、既に過分なほどに尽くしてくれたと思ってる」
「えい、れい……か」
「違うんだろう?」
「少なくとも、人類の歴史に名を残すような偉人ではないな」
……英雄や英霊と言うのは、創作でも作品でも聞きなれた言葉だ。
人類史に名を残す人物か、或いは分岐点を乗り越えた人物。
しかし、俺たちの時代にはもう”英雄”なんてものは求められていない。
一人の英雄ではなく、10人の傑物。
10人の傑物よりも、100人に普及された高い教養や知識……。
英雄を濾過し、薄められ、繋ぎ合わせたキメラのような知識が教育のように広められる。
栄誉や栄光を求める時代でもなく、国の繁栄と拡大を競う時代でもなく。
インターネット等によって情報の速度が速くなり、世界が身近に……いや、狭くなった。
誰もが身動きを取れなくされた中、戦いの中の英雄と言うのも静かに消えていった。
ただ、心は踊るものがある。
英雄。それは、成し遂げた人物に送られる肩書き。
100万の軍勢を退け、或いは難攻不落の城を内部から攻め落とし、もしくは王になり自ら先陣を切ることで滅びの中から逆に相手を駆逐し、逆境の中にて自らをその地に縛り付けて追っ手から王や民草を守る。
……まさに、英雄だ。
そんな人物に憧れないわけがない。
もし、英霊とやらに出会えるのなら、聞いてみたいものだ。
何が違うのか、何をしたのかと。
その片鱗でも手にできたのなら、俺にだって生まれた意味は与えられるだろう。
「普通の両親の下に生まれ、普通に教育を受けて、普通に成長して……何事も無く大きくなって、ちょっと兵役に就いただけの、普通の人間だよ」
「普通の人間、か」
「普通の人間でも、勇敢になるときもあるし、正義に震える事だってある。たまたまだよ、たまたま」
自分を過信しない、自分を信じない、自分を疑え、自分を受け入れるな。
俺のは正義心でもなければ、勇敢さの欠片でももっているとは思わない。
強いとも思わないし、戦術的な思考や班や分隊行動に関しても知識が足りてるとは思わない。
ミラノたちを率いている時だって、ずっと恐かったんだ。
自分の視界ですら信じられない、見逃していた場合はそこから正面でありながらも奇襲されうる。
逆に、敵を奇襲した時だって恐かった。
短時間で仕留めるのは必須条件なのに、それが絶対に出来る自身がないから。
刺しどころを誤って、捻ったが為に骨に食い込んでナイフが抜けなくなった時なんか泣きそうだったし、不測の事態故に少しばかり漏らしさえした。
まあ、オークやゴブリンの方が盛大に糞尿ぶちまけてくれたり、血を大量に浴びたから誤魔化せただろうが。
俺は、俺の事を信じない。
ただ、こんな俺よりも立派な考えとやらがでてこないから、仕方が無く俺の案を採用しているだけだ。
代わってくれる奴が居るのなら直にでも喜んで代わった、あんな恐い目に合うのはゴメンだ。
けど、誰も代わりなんかやってはくれなかった。
だから、やっただけでしかない。
「ああいうのは、本当に運が良かったとしか言えない。最初から、最後まで。全てに至るまで運が良かっただけなんだ」
「そっか……」
「──そういえば、ミラノって血と刃物がダメなんだってさ。これは伝えておいたほうがいいよな?」
「それは初耳だなあ……。けど、有難う。覚えておくよ」
「推測だけど、お前が目の前で刺されたのが原因だと思う。その時の事を思い出すみたいで、半日は子供みたいになってた」
「──教えてくれて有難う。けど、そんなミラノがよく剣を与えたね」
「お前と俺を強く重ねてたんだろ。お前が剣を使っていたみたいだから、それを俺に求めた……とかさ」
「それはあるかな? どうかな……。あると思う。ミラノは……小さい頃から、僕にべったりだったから。僕がやる事成す事の多くを見てきたし、もし当事と変わってないのなら、君に僕の影を見出してもおかしくないと思う」
……昔は、ミラノがべったりな子だった?
想像できないなあ。
5年前が事件で、その時9歳だとしてだ……。
あぁ、けど。貴族だから俺たちと生活の基盤が違うのか。
そうなると身近な子供となると兄以外に居なかった訳か。
「そういえば、お前の淹れてたお茶を真似して今でも飲んでたっけな。それでも兄には及ばないとか言ってたけど」
「そこまでか……」
「それに、自分は主席かも知れないけど兄が居たなら主席は兄が取っていただろうって事も言ってたかな」
「それは買いかぶりすぎだね!」
まあ、どうだろうな。
本当に買い被りかどうかは分からないけれども、当時12歳で単独でミラノたちを救出しにいった位だから、無能ではないと思う。
ただ、ミラノは兄を失ったという強いバネがあったわけで、クラインは姉妹や家族を大事に思っているから強ち間違いではないかも知れない。
姉妹が喜んでくれるから、父親が誇らしく思ってくれるから、母親が喜んでくれるからそうあろうとするかもしれないのだ。
……って、なんでそんな事を分析しなきゃいけないんだ。
他人だ、他人。
「……そういや、元気になったら学園には入るのか? 入ったとしても年下の姉妹よりもしたの学年になるけどさ」
「ん? 行くよ? なんでそんな小さなことの為に学ぶ機会を自ら潰す必要があるのさ」
「まあ、そう……だけどさ」
「起きたら起きたで、これから大変なんだよ。うふ、えへ……。5年間の空白って、きっついなぁ……」
あぁ、そりゃ……同情するね。
次期当主なのに、生き延びちゃったからまた勉強とお稽古の日々か。
しかも、本来ならやっていたはずの事柄がごっそり抜け落ちているから、これからスパルタじみた教育を受けてから学園送りになるだろう。
同情? しねぇよ!
「……けど、一つだけ言えることがある」
「なにかな?」
「我武者羅に、追い詰められても死ななければ学べるし成長出来るって。逆に、追い詰められない中で安定した成長と教育を受けても、いざと言う時に使えなきゃ意味が無いって……俺を訓練した上官が言ってたかな」
前期教育での話ではあるが。
それでも、理不尽に耐え、追い詰めた中でも同じことが出来るようにならなければ意味がないといっていた。
だから苦しめと、だから悲しめと言ってたのを覚えている。
一度苦しみや悲しみ、絶望を体験しておけば、比較して「大丈夫」と思えるからだとか。
実際、その言葉の通りに追い詰められたし、惨めなくらい色々な目にあったわけだが。
「それに、余裕があるときはごちゃごちゃ色々考えてしまいがちだけど、余裕が無くなった時に初めて適切な行動を適切な力量でスパリと出来る事もあるし。学習や教育の締めとしての手段として、覚えとくと良いかな」
「分かった。有難う」
そう言って、クラインは眩しいほどの笑みを見せる。
俺は、その笑みを見て嫌な気分にさせられる。
鬱屈する前の自分もこんな感じだったのかと、見ていて腹が立つのだ。
純粋といえば聞こえはいいが、底抜けのバカと言えばそれで終いだ。
「……ちょっと腕時計見せろ」
「うい」
「──歩いてるだけにしては血圧と心拍数が高いな。運動不足か」
「し、仕方が無いだろ。5年も寝てたわけだし」
「けど、基準値の範疇には収まってるから、このまま散歩を続けるとしますかね」
「やたっ。あ、そうだ。君の武器に関して教えてよ」
「え~? やだよ」
クラインは、何でも知りたがったし、なんでも理解したがった。
その中に、付随する形でミラノ達との出来事を話すこともある。
そうやってグルリと一周してクラインは満足しないのだが、時間が時間だ。
連れて帰るとラムセスと公爵が既に起きており、二人とも幾らか慌てているような様子だった。
「書置きしたのに」
そんな問題か?
まあ、いいんだけどさ……。
~ ☆ ~
アイツ、ちゃんとやってるかしら?
父様と二人で遅れてこっちに来ると言ってたけど、予定した時間にも来ない。
……まさか、何か問題があったんじゃないだろうか。
変に運が悪いというか、間が悪いところがあるから何かに巻き込まれた可能性があるかも。
「”アリア様”、大丈夫ですわ。ご主人様には特に何も起きていない様子」
「そうなの?」
「なんかチョコチョコ動いてるみたいだけど、止まってるみたい」
カティがそんな事を耳打ちしてくる。
表向きは私の……いえ、”アリア”の使い魔と言う事になっているのだから、コソコソしなきゃいけない。
アイツが来られないという事になっていて、ならなんで使い魔だけ来たのかという話になったら面倒だから。
「今のうちに母さまに会う用意済ませとかなきゃ」
「……お部屋で療養されてるのよね?」
「うん、そう。私たちは移動の疲れを取るという名目で休むし、母さまは挨拶を受ける為に体調を整えるという事になるけど」
「私、お邪魔にならないかしら?」
「カティ……ア、ちゃん。それだと、学園に残る事になっちゃうよね? 誰も居ないよ?」
「う゛……それは、嫌」
「だよね。それにさ、父さまも一回限りって言ってたんだから、それで頃合を見てちゃんとヤクモさんの使い魔って事になるんだし、顔合わせは必要だよ」
「そう、よね」
……来るのだろうか。
ちゃんと、アイツがヤクモという人間として母さまに挨拶をするときが。
想像してみたけど、なんだか恥ずかしくなってきた。
「……やっぱ、ちゃんとした服と、それと──礼儀作法を覚えさせないと」
「?」
じゃないと、私が恥ずかしい。
学園でずっと同じ服着てるってだけでも大問題なのに、母さまの前でヘラヘラと頭を掻いて「すみません、勲功騎士なもので」なんて率直に言われたら目も当てられない。
アイツは変な所で素直だから、普通に指摘されたらそう言いかねないのだ。
それを口にされるという事は、主人である私の管理責任になる。
考えを変えてみよう。
もし立派なアイツを母さまに紹介できたらどうなるだろうか?
勲功騎士だとしても、身なりを損所そこらの騎士に負けないような格好にして。
ちゃんとした礼儀作法も覚えて、母さまに頭を垂れる。
……兄さまに似てるからだけど、素材は悪くない筈。
ただ、表情が平坦すぎてあんまり動かない事が多いというか、最近じゃ前みたいに感情を見せてくれないのが少し寂しい。
──じゃなかった。
挨拶、挨拶……。
『お初にお目にかかります、公爵夫人。私は騎士にしていただいたヤクモと申します。ミラノ様の元使い魔、今は傍仕えとして働かせていただいております』
そう言って、アイツは母さまの前で恭しく片膝をつきながら心臓の位置に手を沿え、頭を下げる。
うん、良いかも。
そんなのを見たら母さまだって変に思わないはず。
やっぱり、会わせるのなら立派に見せてあげたい。
じゃないと、なんか……こう。
「……ん」
胸の奥が、もやりとした。
それがなんなのだろうと思ったけど、不愉快な事ではない筈。
不愉快じゃないのに胸がもやりとするのは何故?
分からないけど、とにかく良いことなのよ、うん。
「あ、そうだ。学園から持ってきた本も、読めるように出しておいてくれるかな?」
「……どっちを、かしら」
「あ~……えっと」
休みとは言え勉強は出来るから教科書とかは持ち出してある。
けど、今回は図書館から借りてきた本がいくらかある。
厳選するのが難しかったけど、これなら大丈夫な筈と選んで持って来た。
「パン」
「パン、ね」
「変?」
「まあ、変といえば変かも知れないけど……。なんなら領地を任されている父様に聞けば早いんじゃないのかしら」
「聞くのは最後の手段──だよ。最初から誰かを頼って、自分で何かを探せない人にはなっちゃ駄目。例え間違ってても良い、自分で考えて、悩んで、失敗の先に成功を掴むようにしないと」
「──それは”アリア様”の言葉? それとも、”ミラノ様”の言葉?」
「姉さまも一緒だよ」
そう、一緒。
私たちは、ずっと同じ。
私が考える事は、元からアリアが考えた事でもある。
だから、魔法実技の成績が低くとも、アリアも学術や知識に関しては全く同じくらい修めてる。
じゃないと、入れ替わった時にバレちゃうし。
「カティアちゃんは、菓子パンとかそういったのは──」
「料理とか、そういったのは一切……」
「だよねえ」
「けど……ご主人様なら知ってそう」
「え?」
「前に料理とかしてたじゃない? あれと同じで、色々知ってそうかなって」
……確かに、”かれー”とか言うものを食べた記憶がある。
外出した時にも食材の買える場所を気にしてたみたいだし、そういった知識と技能があるのかもしれない。
けど──
「ダメダメ、ダメよ!」
「演技……」
「コホン……。それじゃあ、ねぎらうって意味が無くなっちゃうかな」
「あ、労う気持ちはあったのね」
「前に教室で菓子パンを貰ってて、美味しいって嬉しそうな顔をしてたんだ。たぶん、初めての笑顔だった。だから、本当に嬉しかったんだと思って。……私達は、何も報いてないから」
本当、初めてみた笑顔だった。
召喚された最初はずっとオドオドして申し訳無さそうにしてて、決闘を受けてからはずっと強がったフリをして。
魔物の襲撃を受けてからは、もう弱そうな所は見せなかったけど──ずっと、義務と責任しか口にしてなかった。
そんなアイツが初めて見せた、嬉しそうな顔。
騎士になっても見せなかった、寝床が変わっても見せなかった顔だった。
「……私は、主人としてヤクモさんが何を喜ぶのか理解する義務が有る。だから、他人の通った道筋だとしても、そこから他の事を見つけ出さないと」
「──分かった。それ以上は、聞きませんわ」
カティは、そう言って引き下がる。
聡い子。
変に踏み込みすぎず、かといって全くの無関心と言うわけでもない。
踏み込めば巻き込まれる、けど聞かなければ何も分からない。
ご主人様の為、アイツの為に自分にできる事をしようとしている。
「……カティアちゃんは、ヤクモさんの喜びそうな事とか知らないよね? 他に」
「アリア様の傍に居る時間の方が長かったので」
「あぁ、そっか……」
……そういえば、アイツもカティを傍においてる時間の方が短いんだった。
前は使い魔なのに使い魔持ってるとか、騒ぎになりそうだから隠してたわけだし。
最近でも訓練だとかでカティはついていけないから一人だったし。
そもそも倒れてる間はずっと医務室で、寝るときはアリアの部屋だった……。
つまり、主従関係にありながらも相互理解の為の機会が少なすぎた。
じゃあその次となると……私か。
けど、私も私でアリアと入れ替わってるから、全部が全部見聞きしたわけじゃない。
アリアからの又聞きくらいしかしてない。
「……それで、あの。この後”練習”してみるってのは、本当?」
「居ない間に出来るだけ色々やってみたいよね。大丈夫! 手順とか、全部書いてきたし!」
アルバートとグリムのおかげで、少なくとも基礎的なことは分かった。
少なくとも麦を持ってくる必要も無ければ、麦を小麦にする作業も必要ない。
そもそもの話、料理に対する知識が皆無から少しは前進できた。
「これで出来る筈だけど」
「……なんでかしら。ものすごい不安。誰かそういった事に幾らかなれた方は居ないのかしら? こう、口が堅くて信頼できる相手に。今なら聞いても──ご主人様には気づかれないと思うけど」
「ん~……アークリアなら、きっと」
そこまでお話をしていると、戸が静かに叩かれる。
父さまは居ないから、こういう場合に来るのは二人しか居ない。
そして、その一人は母さまの面倒を見てるから──。
「ザカリアス?」
「どうも、先ほどは皆様の前でしたので簡素的なご挨拶しか出来ませんで。お帰りなさいませ、アリア様」
やってきたのは、予想通りザカリアスだった。
執事の長をしていて、父様が家を継ぐ前からこの家に仕えている。
私達が帰ってきてからも直に顔を出せなかったってことは、それだけ父さま不在で忙しい筈。
それなのにこうやって顔を出してくれる。
小父……というのが居たら、こういう人なのかもしれない。
「ジュードさま不在の間、私めがお屋敷を預からせていただいております。その間に何か必要な事柄や物があれば、何なりとお申し付けください」
「ありがとう、ザカリアス。いつもありがとう」
「いえいえ。学園に入られてからは、中々お会いできませんから。一月近くの間、できる事をさせて欲しいのです。私の為にも、旦那様の為にも」
……ええ、良く尽くしてくれている。
けど、ザカリアスを見ていると、私が主人として足りないのを実感させられる。
父さまは沢山を与えられ、それに心から満足しているザカリアスが同じように他者へと与える。
相互補助の関係……と、アイツは言っていたけど、それが私たちには足りない。
私が与えるものは、足りないか的外れ。
けど、アイツは求められたり問えば応えてくれている。
これじゃ、搾取と変わらない。
父さまとザカリアスの関係を見ていれば、自分の至らなさに頭が下がる。
「アークリアは元気?」
「ええ、とても。奥様の傍に居られると思いますが、お呼びになられますか?」
「ううん、いいの。後で自分から行くから。あ~それと……厨房って、私に使える場所ってある?」
「厨房……。大事なご用事ですか?」
「ちょっと、やりたい事があって」
ザカリアスが何事だろうかと首をかしげる。
けれども、私のお願い事は直に叶う事になる。
ただし、目的まで達成できるとは言ってない。
「うえ~……何これ」
「うわぁ……」
アリアも呼んで、都合してもらった物を使ってみたものの、全くうまくいかなかった。
グリムにまで手伝ってもらったのに、手書きの手順通りにやったのに……。
「あぁ……」
う゛っ……ザカリアスまで凄い顔をしてる。
けど、こんなのはパンと呼べる気がしない。
全く膨らんでないし、なんならペシャンコになってしまった。
それに、なんだか臭うし……割ってみたらベシャベシャ。
「て、手順どおりにやったわよね?」
「そ、その筈だけど……」
「──うん、内容は全く同じだもんね。何がダメだったんだろ?」
グリムが嘘をついた?
あるいは、参考にした本が間違ってた?
……ううん、それは考え辛い。
アルバートに責任が行く事を考えれば、グリムがそうする事で得られるものは何も無い。
かといって本が間違ってる筈もない。
文献となったからには、確かに考察や勉強をしたうえで刷られた筈なのだから。
「あ~、コホン。ミラノ様、アリア様。僭越ながら、幾らか助言を致しましょうか?」
「ううん、まだ良いわザカリアス」
「もう少しやらせて」
ザカリアスが助言をしてくれるといったけれども、まだ一回目だ。
これで諦めて泣きつくようじゃ、公爵家の名が無くし、貴族とは言えない。
不屈であれ、如何なる時も諦めず前を見据えよ……!
その通りにするべき時なのだ、今は。
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