第18話

~ ☆ ~


 ご主人様と一緒に訓練してみたけど、私はまるでついていけなかった。

 こっそりと窓から見たけど、私と一緒だった時よりも軽快に走っていた。

 私は、完全に足手まといだった。

 それでも、少しだけ前進した事がある。


「俺は、お前に魔法を学んで欲しいと思ってる」


 それは、初めてご主人様から全部を聞いた事だった。

 ただ関わらせたくないとか、そういう考えだと思ってた。

 けど、そうじゃなかった。

 ご主人様は、自分が前に出ることが多いと理解していた。

 魔法を新たに学ぶよりは、既存の知識や技能をみがきなおす方が今は戦力になると考えていたのだ。

 それを知らずに、私はご主人様の役に立ちたい、ご主人様を守りたいと一人空回り。

 とても恥ずかしいことだと思う。

 

「……さ~て、任されたからには私たちも頑張らないと」

「ですね、アリア様」


 ミラノ様を演じているアリア様にそう言う。

 ご主人様はいつまでも、一向に気づく様子が無い。

 顔とかあんまり見てないのかしら?

 結構表情の変化とか分かり易い筈なのだけど。

 ……いえ、だからと言って他人の──それも、女性の顔を見て機微が分かるようなご主人様はそれはそれで嫌なのだけど。


「それじゃあ、ミラノを呼んできて一緒に魔法のお勉強しよっか? と言っても、魔法の授業には一緒に居るから、ある程度分かると思うけど」

「いいえ、アリア様。私はご一緒してるとはいっても、独学や独流で魔法を真似しているだけに過ぎませんわ。なので、改めて学べるのなら、それに勝る教育はないかと」

「分かった。それじゃあ、一緒に行こう」


 アリア様と一緒に、ミラノ様のところへいく。

 そして、ミラノ様と合流した私たちは修練場へと足を運んだ。

 ご主人様は今日は自由だと、思い切り外で走り回っている。

 犬かと思ったけど、それを言うと「俺は永遠に狼だよ」と答える。

 狼部隊に所属していたらしいので、そういった意味で”孤高”なのかも知れない。


「それじゃあ、魔法の教育を始めるわね。カティアは──」

「ミラノ様は、カティとお呼びますわ」

「おほん! カティは、主人があの人だから、その素質や素養を引き継いでる筈。絶対じゃないけど、その可能性は高いの」

「ご主人様の?」

「火・水・土・風の基礎四系統と、上級の闇と聖。伝説の無。ヤクモさんはもう使い魔じゃないので、主人と同じ素養や素質を受けられないけど、それでもカティ……アちゃんに変化や違和感がなければ、特に変わりはないはず」


 つまり、召喚された時点でご主人様は本来の主人であるアリア様の素養や素質を上回っていたと。

 それで、使い魔で無くなったけれども私の魔法の素質に違和感が無いのなら、以前と同じように魔法は行使できる……ということね。


「カティはどういった魔法が得意か知らなかったわね」

「今の所、単一系統では水と風、火かしら。複合で二種と三種までは行使したかしらね。それと……聖」


 と、闇。

 と言い掛けたけれども、闇は伏せておいた。

 ご主人様が安らかに眠れるようにと眠りを深め、健やかな明日を迎えられるようにと夢を弄る。

 そんな事をしているという事実を、二人に知られたくなかった。

 知られたとしても、二人は決して悪いように受け取らないと思う。

 けど、それでご主人様が居心地悪くなる可能性の方が大きい。

 ご主人様はそういったことで”被害者のような加害者”になることを望まないから。

 気を使われる事を強制する、その事実を避けたがってる。

 だから、ただの加害者になって自分が悪いと話が済むことを好む。


「へ~、カティアちゃん。聖まで使えるんだ」

「たま~に、ご主人様の射撃訓練の的にしてるのだけど。こういった、魔力を球体にするようなの」


 魔力を球体にして、光の玉にする。 

 制御自体は簡単だし、作る事も難しくは無い。

 これだけでぶったり叩いたりも出来るし、思い切り投げることも出来れば好きに飛ばす事もできる。

 ご主人様がたまに射撃をするときはこれを的にして、好きな距離、好きなタイミング、規則の無い乱雑な動作などと試行錯誤しながら弾を撃つ。

 それくらいしか、今の所やってないけど。


「光の弾、かぁ……。初めて見るわね、こういうの」

「水の弾や火の弾等は大分見慣れたものですけど、光の弾は初めてですね」

「大分硬くて、思い切り飛ばせばご主人様でも吹き飛びますわ」

「「お、お手柔らかに……」」


 ……あ、そっか。

 なんか、ミラノ様が普段から色々と痛い目にあわせてるから忘れがちだけど、蹴り飛ばしたり吹き飛ばしたりまではしてなかった。

 二人が退く訳よね、そりゃ。


「……そういえば、詠唱してませんでしたね」

「あ、そういえばそうよ。カティ、今詠唱した?」

「してませんわね」

「じゃあ、それ魔法じゃないんじゃ……」

「? 必要なのは意志だと、メイフェン先生が仰ってましたわ。それに、ご主人様は『自分が何をしたいのか明確に想像出来るのなら、詠唱なんかいらない』と。私は、それぞれに齧ってみただけ」


 ご主人様のいう言葉だけだと、私の乏しい知識や経験では魔法は使えない。

 メイフェン先生の言葉だけだと、願いにしかならない。

 だから、ちょっとずつ、ちょっとだけそれぞれに取り入れる。

 私がしたいことを確りと見据えて、その為にどうしたいのかを考え、感じる。

 そうすると、詠唱なんて必要なくなる。


「そそそ、それ教えなさい!」

「”アリア”、演技!」


 ミラノ様が、今の自分がアリア様だと言う事を忘れて肩を掴もうとしてきた。

 けれども、それをアリア様が何とかたしなめ、正気に戻す。

 ミラノ様は魔法に幾らか御執心で、アリア様と入れ替わってからはご主人様の相手をしないで済む分勉強に勤しんでる。

 勿論、大半は帰省準備なのだけど。


「ご、ごめん。姉さま……」

「……何をしたいか、それと意志? そんなの、何処にも──」

「けど、ご主人様はそれで魔法を使ってると言ってましたわ。けど、私にはご主人様のような雑多な知識もなければ幅広い知識も無い。だから、別の形になってしまったのだけど……」

「意志、意志……かあ」


 ミラノ様が、そう呟きながら腕を組む。

 本来ならば『アリア様はそんなことしない』と言ってしまいそうだけれども、そのアリア様自身も腕を組んで考え込んでしまう。


「ご、ご主人様曰く全ては”説明できるもの”らしいわ。私はその”理屈や理由”を知らないから……」

「……ということは、火がどのように出来るのか。その仕組みを知ってるってことだよね」

「それだけじゃない。前に起こしたという爆発も、仕組みや理屈を知ってるという事になる。だから詠唱なんて要らなかったのよ」


 詠唱は言葉を綴り、魔法のグレードが高くなるほど詠唱は長くなる。

 けれども、ご主人様はゲームのように”キーワード”だけで発動できてしまう。

 メラ・メラミ・メラゾーマ。

 ファイア・ファイラ・ファイガ。

 なんなら、最近になると簡単な魔法になると言葉すら不要になって指を鳴らすなどの動作で補完出来ているとか。

 指を鳴らすときに、摩擦熱とかを増幅で火として発動させるとか、なんか難しいことを言っていた。

 指や掌を少し動かして風を混ぜることで、風魔法にしてしまうとか。

 私には理解出来ない事をご主人様は簡単にやってのけてしまう。

 ま、まあ。私のご主人様なのだから、世界一で当然なんだけどね!


「とと、魔法の練習だった。今聞いた話だと、カティアちゃんは土の系統は使ってないって事だよね? じゃあ、土系統の練習をしてみる?」

「ええ、その方が良いわね。とりあえず全部やってみてもらって、後でどれくらいの魔法強度まで行使できるかを調べる。その後、複合で何処まで複雑な魔法が使えるか試してみましょう」


 そう言って意気込んでる傍ら、何週目か分からないご主人様の足音が聞こえた。

 壁の向こう側だけれども、私の耳なら分かる。

 ご主人様はご主人様の持つ武器を鍛えている。

 なら、私は私の持つ武器を鍛えないと。

 じゃないと、私は使い魔という名のただの守られるだけの子になっちゃう。




 ── ☆ ──


 ご主人様が戻ってくる少し前くらいに、部屋に戻ってきた。

 ミラノ様は「部屋にもどるね」と言って戻っていった。

 アリア様は私とお茶を楽しんでいる。

 その中に、上気した男の人が戻ってくればどうなるだろうか?


「あ、お楽しみを邪魔して済みませんでした……」


 別に酷く臭った訳でもないけれども、お茶の場に相応しいかどうかは別。

 それを悟ったご主人様は、部屋を出て行こうとした。

 けれども、それよりも先にアリア様が簡単な魔法で扉を閉めてしまう。


「待った。別に出て行くことは無いでしょう。アナタは自分のやるべきことをやって戻ってきただけなんだから」

「いや、その。汗臭い人が傍に居たら楽しそうなお茶会の邪魔になるかなと思って」

「汗を拭いて、着替えれば良いでしょ。ほら、喉だって渇いてる筈」

「──あ」


 アリア様がこちらを見て、すぐに意味を理解する。

 すぐにご主人様の分のお茶を準備し始める。

 部屋でアリア様に教わったお茶の淹れ方位なら、私でも真似できる。

 優雅に、気品を保ちながら、素早く、けど丁寧に……。


「カティア、お茶淹れのレベルたけぇ……」

「ご主人様をご主人様と呼べない間に、アリア様に教わりましたの」

「チクショウ……」


 ふふ、勝った……。

 けど、こういうので良いのかしら?

 ご主人様に出来ない事を私が出来れば良いとは言っていたけど。

 ただ、結構悔しそうな顔をしているのが気になる。

 負けず嫌いなのかしら。


「はい、どうぞ」

「頂きます」


 そう言ってご主人様は少しばかり口をつけたけど、それをすぐに戻す。

 あれ、味は変じゃない筈なんだけど……。


「あっち……」

「そう? カティの淹れたお茶、そこまで熱くないと思うけど」

「舌が弱いんだよ……。猫舌って言うんだけど、熱いのが苦手なんだ」


 良かった。

 不味いからと言うわけじゃないんみたい。

 ベッドに腰をかけたご主人様は、お茶を冷ます意味でも置く事に決めたようだった。


「あ~、疲れた……」

「どれだけ走ったのよ、アナタ」

「キロ3分程度。もうちょっと慣らせば、2分半もいけそう」

「それって、早いの?」

「全力疾走で外壁沿いに5週出来るくらいの体力があって、その速さを出し続けられる力が有るって事」

「それって、体力バカじゃない……」

「体力も早さも全ての基本基礎だからいいんだよ。走るのがお仕事、重いものを担ぐのがお仕事、仲間や人を運ぶのがお仕事、そういったお仕事を長い時間長い日数続けられるのがお仕事だし。体力があれば休みが少なくても、眠る時間が短くても、食事が満足に取れなくても最悪の状態になるのが遅くなるし、体調や能力の低下を抑え込める。だから、以前の時も上手くやれたんだよ」


 ……体力が無いと、一日が短くなる。

 体力が無いと、長く活動できない。

 全部、私に当てはまってる。

 早く寝て、遅く起きる。

 疲れると普段の自分のように身体が動かせないのもわかる。

 けど、ご主人様はあの時一番動いてたけど、誰よりも休んでないし寝ていない。

 食事だって皆よりも取ってないけど、学園に戻るまでその動きが鈍ることは無かった。

 

「体力が無けりゃ、前で長く持ちこたえることだって出来ないし、守る事だって出来ない。なら、今居る面子の中で体力がありそうな俺が体力を鍛えたほうが一番為になる」

「……そっか、そういうことだったんだ」


 ご主人様が役割を分けたがった理由が、ここに来て見えた。

 体力がなければ、あんな激しい行動を連続して行うことは出来ない。

 そうなると、後ろであまり動かさずに助けてもらう方が助かる、ということね。

 ……ということは、ご主人様が盾になってる間に出来る事は、牽制。

 それが、助けるという事……。


「いいな~、俺も魔法ブッパしてみたいな~……」

「ダメ。無秩序な魔法なんて、ただただはた迷惑なだけでしょう。正しい知識、正しい規則、正しい扱い方を学ぶまで勝手に使うの禁止」

「ですよね。……けどさ、一つ思ったんだけどしつも~ん」

「なに?」

「魔力酔い対策の為に、教わった範疇で魔法を使い続けるってのはダメなのかな?」

「それは……良いけど」

「よっしゃ」


 そう言って、ご主人様は右手に炎、左手に冷気と言う器用なことを始める。

 あれ、でもそれって……。


「アナタ、器用な真似するのね。しかも、やっぱり無詠唱……」

「へへっ、昔読んだ漫画でこういうのがあったんだ。これを維持するのも良いけど、これを均等に保って混ぜると凄い魔法になるって」

「漫画……漫画ねえ」

「あ、信じてないな? これ、結構制御の難しい魔法で、失敗すると腕とか身体とか消し飛ぶんだぞ」

「そんな魔法使うな!」

「いやいや、待ってくれって。混ぜてないですやん。制御と放出の訓練としてはこれが最適なんだよ。ミラノには出来ないだろ? 魔法の同時行使とその制御」

「そりゃ……でき、ないけど……」

「人の二倍の魔法を使って、その制御で更に倍の精密さを要求されて、その倍の速さで魔力を消費していく。俺の魔力回路という魔法の体力はからっきしだって分かったんだし、魔法で色々出来るとか凄いとか言われても、持続できないんじゃ一発屋だよ、一発屋」


 ……そう、ね。

 それも考えたりしなかった。

 魔力回路、魔法を何度も使ったり強い魔法を使ったりするのに、ご主人様はまだ適応出来ていない。

 魔力酔いを起こすと酷い目に合うらしいし、そうなるとご主人様が魔法を戦闘面で使う事は難しくなる。

 そうなるとご主人様は盾になることも出来ない……。

 いえ、悪い状態の中で余計に足掻いてもっと酷い目に合う可能性がある。

 それは、避けたい。


「念のために聞いておくけど、その魔法ってどんな威力なの?」

「威力なんて無いぞ。触れれば消滅、それは伝説の素材といわれたオリハルコン製の物であっても、文字通り”消滅”させる為の呪文だから。その名も、極大消滅呪文≪メドローア≫と言う」

「ままま、混ぜ込んだりしたら承知しないからね!」

「大丈夫大丈夫」


 けど、器用ね……。

 ちょっと真似をしてみたけれども、上手く右手と左手で別の呪文を発動させる事なんてできない。

 右手か左手、集中した方にもう片手も引きずられて同じ魔法になってしまう。

 それどころか、グレードを一つ下げないと無詠唱同時発動なんて出来ない。


「……カティも似たようなこと出来るのね」

「出来てませんわ……」

「そうじゃなくて。無詠唱でそれぞれの手から魔法を個別に出すという事がよ。……まったく。アナタを召喚してから主席だった事に意味も価値も無くなってきちゃう気がしてきた」

「長生きした分、色々応用できる知識が有ったってだけだよ。けど、これって結構きついな……」

「力尽きる前にやめなさいよ?」


 ……アリア様、結構”ミラノ様”の演技上手い。

 何も知らなければ、入れ替わってるだなんて思いもしないくらいに。

 けど、チョクチョク違いが有るのよね。

 姉さまと姉さん。兄さまと兄さん。父さまと父さん、母さまと母さん。

 そして、ご主人様をアンタとアナタで。

 ミラノ様は、何で身内に対して”様”をつけるのだろう?

 アリア様は逆に、何でつけないんだろう?

 それは、今でも分からない。

 



 ~ ☆ ~


 ヤクモを名乗る、息子のクラインに似た子と会った。

 彼は妻の為に演じる事に同意したので、その下準備をしなければならない。


「グリム、居るかな?」


 私は自身の召喚した使い魔を呼ぶ。

 ただの使い魔ではない、国にも認められたかつての英霊の1人だ。

 隠密、斥候、狙撃、工作などと弓兵のような彼女はかなり秀でた人物だ。

 召喚したのは、私がまだ公爵家を継ぐ前になる。

 ミラノもアリアもまだ居ない、クラインすら生まれていない頃からの付き合いだ。


「よんだ?」


 娘とあまり変わらない背丈をした子が出てくる。

 これでも女の子で、かつて遠い昔に人類を救った英雄の1人だ。

 ヴァレリオ家には、その家を打ち立てたとされるアイアスという槍の英霊が居る。

 ツアル皇国にも2名、神聖フランツ帝国には1名が。

 この学園には英霊再臨の魔法を作ったとされるマスクウェルが、あの時から居るとされている。

 既に6人もの英霊がこの世に居り、人類の危機が再来だと言われるのも仕方が無いのかも知れないが。


「私は屋敷に戻る。その間、彼を見張っててくれ」

「かれ?」

「街で最近噂されだしている、生きた英雄といわれている青年だよ」


 あれから復興の為に物資だの人手だのを連れてきたのだが、その中で一つの噂が目立つ。

 曰く、1人の青年が少女を引き連れ人助けをしたと。

 曰く、その青年は魔法をも使い数多くを無償で癒したと。

 曰く、青年が避難を勧めてくれたおかげで魔物に殺されずに済んだと。

 曰く、見返りも要求せずに人助けを行った彼は正に民衆の英雄だと。

 今となっては、既に酒場でもその話は持ちきりだ。

 数日前に街へと繰り出した時にその姿を街で見せた事が、ただの噂ではなく実話である事を補強したようだ。


「どうする?」

「人となりを見極めて欲しい。勿論、最優先事項は娘たちに何かをした場合は、その存在を秘匿したままに守る事。それと、後ろめたい事柄をしているようであれば、それも調べて欲しい」

「ん、わかった」


 そういうと、すぐにその姿は見えなくなる。

 彼女に言わせれば「周囲に溶け込んだだけ」だそうだが、それだけでもありえない話である。

 私に出来る支援と判断に関しては既に終わっている。

 後は後任の者に任せて、王に報告するだけだ。


 ──そう、思っていたのだが。


「うぁ、やっべ」


 軽い足取りが近づいてきたと思うと、それが今しがた話にあげた青年だと気づく。

 服装が違い、汗をかなり流している。

 走っていた事やかつての事を考えると、走りこんでいたのだろうと想像がつく。

 だが、なぜ『ヤバい』のか?


「あ、っと。ご……ご機嫌麗しゅう──」

「楽にしなさい。走りこんでいた最中だったのだから、それを妨げた私が悪い」

「その、すみません」


 ……ふむ。

 しかし、独特な稽古着のようだが、そうやって真面目にしていると息子を思い出してしまうな。

 息子も……早いうちから乗馬や剣の訓練を始めていた。

 勿論、子供が大人の真似事が出来るわけが無い。

 それでも、愚直にそうしていたことを思い出す。


「……日課かね?」

「まあ、そんな所です。あの件で、自分が幾らかさび付き鈍っていた事を自覚し、不足を知りましたから。後悔はしても仕方ないですが、また同じことがあったとしても、次はもっと上手くやれるようにと……そんな次第です」

「そうか」


 ひたむきなのか、努力家なのか。

 少なくとも、その事自体は好ましいことだ。

 ミラノから聞いているけれども、学園は昔とそう大きくは変わらない。

 学園の中で世界が閉じてしまうが為、外を知らないままに世間知らずとして育つ。

 学園から出た生徒の一握りは、現実に太刀打ちできずに身を持ち崩す。

 優秀であろうとなかろうと、その差を受け入れられないことは珍しくは無い。

 

「それでは、また会おう。次は屋敷になるだろうけど」

「はっ、その時までには両ご息女の指導を必ずや習得し、ご婦人が元気になれるくらい息子さんを演じられるようになりたいと思います」


 ……義務か責任か。

 どちらにせよ、こんな姿を見てしまうと些か良心が痛む。

 半ば脅迫で、そして残りは善意で固められている。

 脅したにも拘らず、彼は善意で達成を試みようとしている。

 疑っているにも拘らず、善意を持ってそのようにしようとする相手を、直視するのは難しい。




 ~ ☆ ~


 帰るとは言ったが、彼を見ていたことで息子の顔が見たくなった。

 勿論、そう頻繁には来られないのだが、仕方が無い。

 意識がなく、ずっと眠り続けている。

 そんな所を誰かに襲撃でもされてしまえば、息子はあっけなく奪われ連れ攫われてしまうことだろう。


「おぉ、公爵様。お久しぶりで御座います」

「急な来訪すまない。息子の顔が見たくなったのだ」

「ええ、どうぞ。先ほど幾らかお体を解した所で御座います」


 ラムセス。

 かつては屋敷に住んでいた薬師だったが、老齢になったので隠居。

 息子を預けて面倒を見てもらっている。

 

「……変わりはないかね」

「ええ。まるで時が遅くなったかのように、髪もほとんど伸びません。あれから5年経ちましたが、あまりお身体も成長しておりません」

「そうか……」


 説明を受けながら、久しぶりに見る息子の居る部屋まで向かう。

 一室を与えられ、その部屋の中に息子はずっと居る。

 眠りについたまま目覚めず、動くこともなく。

 ただ、微弱な反応と鼓動のみが、まだ生きていると思わせているだけで……。

 死んで居ないが、生きているわけでもないのだ。


 自ら食事も出来ない。

 自ら意志を示す事もない。

 自ら何かを行うこともない。

 呼吸をしているのかすら分からない。


「……5年、か。出来れば、その成長をちゃんと見てあげたかった」

「──申し訳ありません、公爵様。色々と手を尽くしてはおりますが、薬ではどうにも……」

「いや、いいんだラムセス。君は善意でこの仕事を引き受けてくれた。その上、未だに尽くしてくれた上で出来る事をしてくれている。感謝こそすれど、それを罪や咎と思うことは無いさ」

「勿体無きお言葉……」


 そういうとラムセスは、突如来訪したにも拘らずお茶を出してくれるという。

 彼は妻に先立たれたが、あの頃となんら変わらない。

 良い忠臣だと今でも思う。


 ラムセスが去ってから、息子へと触れた。

 そう頻繁に来てやれない事が、父親として無念でならない。

 だが、昨今の国内は大分きな臭く、うかつに弱点をさらけ出すことが出来ないのだ。

 恥部とも言えるが、息子こそが私の最大の弱みだ。


 冷たく、その生命力は去年よりも微弱だ。

 脈を打つ速度も回数も減りつつある。

 もしかしたら、ダメなのかも知れない。

 それでも、見捨てられるわけが無かった。

 公爵として、私は誰よりも失格なのかも知れないね。

 だが、それでもだ……。

 実の兄を殺めてまで公爵家を継いだのだ。

 これ以上、身内を見捨てたくは無い。

 仕方が無いと、言いたくはないのだ。


「……公爵様、お茶が入りました。クライン様の分もどうぞ」

「あぁ、ありがとうラムセス」

「それでは、私は席を外しますので。何かあれば階下にお声がけを」

「分かった。気遣い、感謝するよ」


 ラムセスが去ってから、お茶を少しばかり飲む。

 そして瞼を閉じ、彼を思い出す。

 元気であったのなら、成長していたのなら、そして今も動いているのなら……。

 そう考えると、被せやすい子だ。


 ── 後悔しても仕方が無いし、出来ない事は出来ないって認めないと ──

 ── 僕は、父さんの役に立ちたい。だから少しでも前に進まないと ──

 ── もちろん、ミラノの事も大事にしたいから ──


 昔の言葉が、彼の言動に重なる。

 今も元気であれば、きっとそのようにしただろう。

 私の役に立ちたいから、妻に喜ばれたいから、娘……いや、娘たちが大事だから。

 そうやって重ねていると、意識せずに涙が零れた。

 

「はぁ……。ダメだな、私も。歳をとると涙脆くなる。こんな、こんな筈じゃなかったのだが」


 暫く涙は溢れるままにさせた。

 それから枯れた頃合を見計らって、その残りを拭う。

 彼は、もしかしたら私に取って毒なのかもしれない。

 私でさえそうなのだから、娘たちが彼を悪く扱えないのも仕方が無い。

 性格が幾ら違えども、根っこが同じすぎる。

 誰かの為に頑張り、失敗を努力で挽回し、自らを顧みない。

 そして……命を投げ出して救ったという事までもが、どうしても重なってしまう。

 それを知って、疑うべきだという公爵としての私が居る。

 それを知って、認めるべきだという父親としての私が居る。

 善意を受け入れるべきか、悪意を疑うべきか。

 考えているうちに、問題がどうにも複雑になってしまうのだ。

 

 ……よそう。

 屋敷に来てから、彼の言動を見て改めて考える事にしよう。

 息子の為に出された、息子の好きだったお茶は冷めてしまった。

 娘たちも好きなお茶だが、今は口にする者が居ない。


「……また、近いうちに来よう。今度は彼をつれてくるよ。君に似て、娘たちの為に命を張ってくれた青年なんだ。きっと、気に入ると思う」


 頭を撫でてやりたかった。

 出来れば、まだ元気で小さかった頃に。

 だが、だが……!

 もう、息子は動かないし、喋らないし、微笑み返してもくれない。

 いずれ当主になるのだからと、幼い内から幾らか厳しくした事が悔やまれる。

 父親らしく振舞うべきだったと、後悔してもし足りない。


 ── 後悔はしても仕方ないですが、また同じことがあったとしても、次はもっと上手くやれるようにと ──


 あぁ、その通りだね。

 次は上手くやろう。

 それは君ではなく、まったくの別人だが。

 注ぐ筈だった父親としての愛情を示す事で、私はちゃんと君を思っていたのだと証明したい。


「……また会おう、息子よ」


 ただ、私は気づかなかった。

 諦めと共に沈んでいた気持ちが、凍て付いた感情が似た男によって引きずり出されていた。

 まさか、ラムセスに言われるまで再び涙を流していただなんて……。

 しかし、その涙は流したままで居たかった。

 公爵としてではなく、父親として。

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