第14話

 ~ Dream ~


 カティアによって介入され、書き換えられた夢はヤクモにとっての悪夢からは遠ざかった。

 現実のようで、現実ではないような夢が……ただそこには有る。

 魔法で眠らされたのではなく、その日の夜の夢だ──。


「……」


 それでも、一度限りの悪夢からの解放は警戒させないに値しなかった。

 警戒して、警戒して、警戒した先で……。

 何の変哲も無い、現実離れした”夢”しかなかった。


「ねえ、ボーっとしてないで早く着替えさせて」

「あ、あぁ……」


 戸惑うヤクモ。

 日常の延長線でしかないような光景に戸惑うばかりだ。

 だからこそ、ありえない失敗をしてしまう事も珍しくは無い。

 それが、殺されても仕方が無いものだとしても。


「ぶおっ!?」

「きゃっ!?」


 警戒歩行が足を絡めてしまい、ミラノに顔面から突っ込んでしまう。

 背中からとは言え、その衝撃にミラノは押し倒される。

 結果──。

 横這いになったミラノにもたれかかり、下着越しとは言え脇から胸にかけて顔を突っ込んでいる。


「ふぁっ!? いや、違うんですミラノさん! 足が、足がもつれ──ぶがぁっ!?」


 知り合いに対して警戒の意識が薄れているヤクモは、その頬に拳を受け取る事となる。

 距離をとるために後退したことが、拳によって押し出される形となって己のベッドに後頭部を強く打ち付ける。


「ああ、アンタ! 頑張ったからって調子に──」


 当然ながら、その先の言葉は聞こえたりはしない。

 夢の中で意識を失う、そんな器用な事をして時間が塗りつぶされた。


 ~ 現実 ~


「ヤクモ様ですよね!」


 あれから、彼の日常は少しばかり変わる。

 活躍をしたという事実が知れ渡り、ただの無名な男から忠義の騎士へと早代わりし、女子生徒からの認知度が高まったのだ。


「あぁ、えっと……」

「これ、どうぞ! きゃっ、渡しちゃった……」


 戸惑う彼をよそに、その女子生徒はパン籠を押し付けるとすぐに離脱する。

 そのさきで、他の女子生徒と合流して姦しくしているのを見て、ヤクモは居た堪れない気持ちになる。


「よかったじゃない、大層おモテになって」

「良くない……」


 パン籠の中を見ると、お菓子のようなものが入っている。

 それをどうすべきか迷ってから、教室での自分の持ち場の傍に置く。

 ミラノの後ろの席で、ほぼほぼ最後尾の教卓から遠いが高い位置である。


「何が良くないのよ」

「俺は……嫌なんだよ。こういうの。何で安寧とか平穏って言葉が俺の人生から抜け落ちてるんだろう」


 彼は別に活躍がしたくないわけではない。

 しかし、人生の中での挫折と失敗が自信を大きく欠落させてしまい、対人関係において恐怖が介在するようになってしまっている。

 知り合いや縁のある人物なら平気でも、大多数の人間の前や見知らぬ連中に注目されるような事は心を苛む。

 

「……けど、良い匂いだ」

「そうね」

「手作りなのかな……」


 気になって、彼は一つだけ取り出す。

 小さなパンを焼き、バターと砂糖をまぶした簡単なものでしかない。

 だが、バターの香りと砂糖の匂いが彼の食欲を誘う。


 それでも、悪夢を疑って舌の先で触れるように舐めてから、何事もないと理解すると食べる。

 ミラノは……その時の彼の表情を見ていた。


「うん、美味しい」

「アンタ、お菓子がすきなの?」

「美味しけりゃ何でも好きだよ。ただ……こんなものを貰うと、気が引けるな。お礼なんか出来るのかって」

「相手が勝手に押し付けたものよ?」

「だとしても、礼をしないのは人として良くないよ」


 その言葉を真に受けるミラノ。

 彼女は、それでも彼が浮かべた表情を焼き付けながら授業に戻る。

 それは、満面の笑みだった。

 ここ最近の出来事で乾ききった心の中に生じた、一種の清涼剤となる出来事に。

 純粋に嬉しそうな顔をしていて、それをミラノは羨んだ。

 自分の知らない相手のことを知ったと同時に、どういうのを喜ぶのかを知れた。

 それは、主人として報いることの一つになるのではないだろうかと。


 だから、彼女は放課後までまったく無関係な事をノートへとツラツラと書き連ねた。

 それを他者が見たのなら、真面目に詠唱や数式を描いているのだろうと、主席に対して畏敬を新たにしただろう。

 だが、そのノートを持ってこられて困ったのはアリアだった。


「新しい魔法?」

「え? お菓子の作り方だけど」

「あ゛……」


 アリアは、嘘でしょうと己の目を疑う。

 当たり前だ。

 そこに描かれているのは材料や手順などではない。

 『小麦色のパンを黄金色に、野を行く獣から生命を分け与え、小さく大きな幸せを含んで尚高みへ』

 等といった、文字通りの”天才”にしか編み出せない、魔法なのだろうと考えてしまったのだから。


「アイツね、今日女子生徒からパン菓子を貰ってたの」

「う、うん。みてたけど……」

「それでね? あれと似たようなものを作れたら、あいつも喜ぶんじゃないかなって思って」

「あ~……」


 アリアはそこまで話を聞いてようやく合点がいく。

 ここに描かれているのは”見たままの光景を、分かりやすく書き起こしただけ”でしかないのだ。

 盗み見ていたから、話を聞けばアリアにもこの文章からあのパン菓子を想像して、これだと納得が出来る。

 しかし、そんな事を朝からずっと考えていたのだろうかと、アリアは心配になる。


「ね、姉さん。私達、そういうのってやったこと無いよね……?」

「やったことは無いけど、逆算とか匂いや想像した味から材料は分かってる。小麦でしょ──」

「小麦!?」

「そ。小麦だけど……何か変なことを言ったかしら?」

「う、言ってないと……思うけど」


 ちなみに、小麦とは原材料の事でしかなく、それを更に加工して粉にしなければならない。

 しかも小麦粉にした後にイーストや塩や砂糖、水に牛乳等と言ったものを混ぜた上でこねる。

 発酵させ、焼かなければならないのだがそんな事を知る由も無い。

 アリアでさえ様々な勉学とは関係の無い本を読んだからこそ「何か違う」と理解できるものの、貴族であるが故にそれがどう違うのか知らずに居た。


「……図書館に行こうよ。素直に、パンの作り方を調べた方が良いと思う」

「有るのかしら?」

「有るよ。じゃないと、この学園に来た生徒は全員それ以外の知識に触れることなく去る事になると思うし。探すのに時間がかかると思うけど……、市民がどういった生活をしてるか~とか、そういう本に関係しておかれててもおかしくないと思うもん」

「そっか。じゃあ、探しに行かなくちゃ」


 ミラノはやる気満々だった。

 アリアはそっと溜息を吐いてから、何で自分とほぼ同一人物である彼女がこんなにもやる気を出しているのだろうと不思議に思ってしまう。

 けれども、その根っこである「喜ぶのなら、それも良い」と言う考えだけは共通していたので、一緒に探す事にしたのだ。


「む?」

「──やっ、ほー」


 女子寮を出た先、アルバートとグリムがそこに居た。

 アルバートは稽古着を着ており、グリムもまた学生服でありながら幾らか汗を流しているようであった。


「どうも。アルバートさん、グリムさん」

「あぁ。……二人してどうしたのだ?」

「図書館にちょっと所用よ。調べごと」

「……貴様らもか」

「”ら”?」

「どうせ、毒っ気に当てられたとか、そういう類であろう。あるいは、学園と言う空間では十分であったものが、外に出たら不足を知ったか──」


 アルバートは、グリムに頼んでヤクモがまだ”快復”するまでの間、稽古の相手をしてもらっていた。

 それは不足を知り、己の世界が閉じていた事への抵抗だ。

 あの短い時間の中、たった数度の戦いの中で学びえたものを当人抜きで再履修していた。


「残念ながら外れよ。ちょっとした調べごと」

「……そうか」


 違うと聞き、アルバートは少しだけ拍子抜けした。

 息巻いて気負っていたのはあの中では自分なのかと”共有できない”ことを残念に思った。


「あぁ、そうだ。ヤクモの騎士叙任、めでたく思う。構わぬのであれば、祝いの品を差し入れたいのだが」

「あら、驚き。アンタがそんな殊勝な考えをするなんて」

「見くびるな、ミラノ。我とて利害関係においてあ奴を指導者や教育者として頭を垂れ従う事を選んだのだ。それが例え平……いや、相手の方が家柄において下であっても、貴族としてもそれを祝わねばなるまい。そういう細やかな気配りが無ければ誰もついて来ぬ」


 ミラノは、アルバートの言葉に少しばかり目を見開いた。

 彼女だけではなく、傍に居たアリアもまた驚きを隠せない。

 グリムは恩賞を適宜貰っているから知っているが、アルバートはそういった対人関係における要所は幾らか押さえた人間であった。

 貴族の務めを全て履行出来ずとも、自分が不甲斐無いからこそ他人を認める。

 そういった形でアルバートは無自覚に成長していた。


 もちろん、ミラノとてそういった気遣いや心構えは理解している。

 だが、最近までミナセを虐め、ヤクモに決闘を挑んだ男がそんな事を弁えているとは思いもしなかったのだ。

 それだけでなく、学年主席でありながらもそういった事に気づかない自分が、アルバートに遅れをとっているという事実が、驚きとして現れた。


「む。我は……変な事を言ったか?」

「……いえ、変な事は言ってない」

「姉さんは……少し、驚いただけですよ。アルバートさんが、そういった面倒見の良い事を考えていただなんて」

「そう」

「見くびるな、ミラノ。我は我が不出来である事も、劣っている事も自覚しているし、あの日以来ますます出来ぬ事や分からぬ事が増えたと言ってもいい。それでもだ、三男と言う端くれであろうと、そのような瑣末ごとすら守れぬのであれば、我は公爵家だけでなく貴族足り得ぬ」


 真っ直ぐなアルバートの言葉に、ミラノは少しだけ心が重くなるのを感じた。

 学業だけで良いと、それ以外を切り捨ててきた。

 ヤクモを得てからは、どうしようと迷いながらも自分なりに接してきたつもりで居たからだ。

 だが、つもりはつもりでしかなかった。

 今日の出来事があるまで、個人的に報いるということを足踏みしながら空転させていただけだったのだから。

 父親の言った身分や地位の保証と褒賞、それらで報いたつもりになっていたのだから。

 だが、目の前の幾らかお目汚しにすら感じていた男が誰に言われるまでも無く、そんな事を弁え自前で実行しようとしていた。

 それが、ミラノに取って恥ずかしさを感じさせた。


「アルバート、この後暇?」

「む? な、なんだ急に……。ま、まあ……そうだな。ヤクモのところに行った後であれば、空いてはいるが」

「じゃあ、グリムと二人で図書館に来て。アンタのその考え、もしかしたら助けになるかも」

「なに? 待て、おい!」


 ミラノは僅かながらの手助けをえた心持で、足取り強く図書館へと向かっていった。

 いきなり巻き込まれたアルバートは理解が追いつかない。

 それでも、来いといわれて断れるほど、それこそこの4年間何の接点ももてなかった事を考えれば、いかないという選択肢は無かった。



 

 アルバートが来てから、ほぼほぼ無人の図書館に4人が集う。

 本来であれば学業の中で必要な参考資料や情報などが7800万点も収容されているこの図書館は、学年男女問わずに数百名は入り浸っていた。

 だが、今では閑散としており、雑談をしていようものならすぐに居場所が特定されるほどに静けさが勝った。


「で、何をするつもりなのだ」

「パンの作り方を調べようと思って」

「……は?」

「今日教室で、アイツパン菓子貰って喜んでたのよ。アンタは酒だの祝言だのとやったみたいだけど、私は……アイツに今まで何も報いなかったから」

「──しかし、家から褒賞は貰ったのであろう?」

「言葉に詰まってるわよ、アルバート。家のした事は家のした事、主人である私がした事じゃないことくらい分かってて言ったでしょ」

「あぁ」

「アイツはたった一週間の付き合いで、例え使い魔だから仕方が無かったという事を踏まえても、賞賛され報われるに値する事をした。私もアリアも無傷で助かった、アルバートにグリムも不安はあっただろうけど……こうやって、色々考え事が出来る、未来を掴み取ってくれたおかげで言い合うことも話をする事も、考えることも出来る」

「……だな」

「だから、私が主人であり続けるためには、私が報いなきゃいけないのよ。そうじゃなければ、私は主人足り得ないのだから」


 ミラノはぴしゃりと、そういいきった。

 あの使い魔だった男にして、この主人ありと言った様相である。

 相手が貴族であれ、公爵家であれ。

 自分が貴族でないにしろ、素性が不確かにしろ。

 責任と義務を自覚し、斯様にあろうとする言動は二人して似ていた。

 アルバートは、その言動の向こうにヤクモを見た気がした。


「……外出をして、買って来るのではダメなのか?」

「それも考えたけれども、アイツは手作りである事で更に喜んでた。つまり、相手が時間を割いてまでそうしてくれた事をね。たしかに、味や手間、価値を考えるのなら長年作り続けてきた人物の作り上げた物の方が、食べ物にしろ衣類にしろ、それこそ武具防具に至るまで最適でしょうね。けど、それが出来るほどに私たちは学園において家柄が保証されているわけでも、言う事を聞かせる強制力も無い。つまり今の私達が報いるとしたら、莫大な金を支払って価値を保障するか、主人である私が自ら何かをしたという事実で価値に裏打ちをする二択に限られる」

「──……、」

「えっと、つまりですね。私たちは報いるにしてはお金がそれほどある訳じゃないから、出来る事は限られてくるという事ですよ」


 ミラノやアリアに限らず、学園の生徒たちの大半は家から仕送りが行われている。

 それは、学園に居るだけでも衣食住は安泰ではあるが、入寮して家から離れている事を踏まえて色々と不自由しない為にとそうされている。

 平日にしろ休日にしろ、授業が終わったり休日であれば学園外部の街へと繰り出すことが出来る。

 そこで息抜きや肩の力を抜けという事なのだ。

 当然、中には豪遊を見せ付ける事で違いを見せ付けるという意図を持って仕送りをする親も居る。

 だが、親も当人もそれを良しとせずに慎ましくしている事もある。

 ミラノやアリアは、その慎ましいほうであった。


 それを理解して、アルバートは考えを汲む事にした。


「そういうことであれば、しかたが有るまい。して、パンの作り方だったか。二人はある程度の理解は有るのか?」

「いえ」

「まったく」

「……何処から作るつもりだ」

「小麦じゃないの?」

「小麦から全て始まる事は知っています」

「戯けか貴様ら!?」

「──あ~……」


 残念ながら、学園の授業の中に調理だの裁縫などと言ったものはない。

 基本的に魔法使いとは須く地位の高い人物ばかりであり、卒業して家元に帰れば身の回りの世話をしてくれる下人が居るからだ。

 無駄を省き、意味を追求すれば魔法と武芸に特化しがちなのは仕方が無い。

 アルバートとて料理人やパン屋ではないが、それでも二人の考えが無謀に満ちた知識レベルである事は分かった。


「グリム!」

「──お~」


 アルバートは、自身の不足を充足している従者に任せることにした。

 基本的な身の回りの世話を叩き込まれているヴォルフェンシュタイン家。

 当然、三男四男以降含め、家を叩き出されるにしても出て行くにしても例外なく”家から出ても生きていけるように”と、家庭的な技術や知識くらい有る。

 

「──ミラノ。小麦から小麦粉ど~やってつくるか、わかる?」

「挽くんでしょ?」

「──ん、間違いじゃ、ない。けど、なにで、挽く?」

「あ……」

「──そ~ゆ~こと。……探すの、もっと違う所から始めるひつよ~がある」


 グリムの言葉により、ミラノとアリアは自分たちが無謀な事をしているのではないかと気づく。

 だが、それを何とか軟着陸させて落ち着けるのはグリムの役割だった。


「……乗りかかった船だ、仕方があるまい。探す所までは我も手伝う、グリムも二人が主人足りえるように助力し、支えよ」

「──ん、わかった~」


 かくして、ミラノとアリアによる難しい挑戦が始まるのであった。



 ~ ☆ ~


 ミラノとアリアが居なければ、女子寮に篭ったヤクモは部屋から出ることはできない。

 女子寮に男子が居るという異常性と、女子からしてみれば”恐い”だろうと、彼は自制していた。


「ご主人様、何を見てるの?」

「教範だよ、教範。改訂や更新のされてない、俺が常備だった頃のだから何処まで通用するか分からないけど、無いよりはマシだ」


 アルバートやミナセ、タケルに戦いを教える中で色々と再履修したくなったのだ。

 時間を持て余しているという事実も有るが、自分の全開の体たらくに「まだやりようがあったのではないか」と思ったのが大きい。

 勿論、その中にはカティアが自分を主人としてちゃんと呼ぶようになったことや、アリアの使い魔だと偽らなくなったがために”上官としての務め”を果たす為に、塵や埃に埋もれたものを掘り返さなければならなくなった。

 

「心構えだとか、そういうのも乗ってるんだよ。階級に応じた、どのようにあるべきかってモノ。率先して指揮下に入る~とかさ。それを教えるだけじゃなく、上に立つからには己に強いなければならない、求められるありかたや心構えを叩き込む必要がある。残念ながら、ここにはそれを怒声や罵声、反省を持って教育・指導してくれる陸曹が居ないけど」

「やっぱり居た方が良いんだ」

「そりゃね。教範は教範以上のことは教えてくれない。なぜそうなのか、どうしてなのかってのを個人的経験や思考を踏まえて教えてくれるのが指導教官だから、表面を撫でただけの教えなんて追い詰められればいとも容易く瓦解する。理解をしても、習得はしてない訳だから」


 ストイックとでも言うべき言動では有るが、当人にはその意識は無い。

 ただ、当人が手放せない自衛官への憧れが、一時的とは言えその一員であったという誇りがしがみつかせている。

 ──そういうふうに、彼は解釈している。

 

「ん、と?」

「学園でどれだけ勉強をしても、どれだけ武芸を磨いても。実際に問題や壁にぶつかるまでは、あるいは用いるまでは長所短所含めて分からないってこと。魔法の発動時に音や光で敵を誘き寄せかねない事をミラノやアリアは知らなかった。常に万全な状態で、己の得意とする武器で戦えるとは限らないとアルバートは知らなかった。杖がないと無力だと……あの、なんだ。喧嘩を吹っかけて来た男子生徒は知らなかった。それと同じかな」

「難しいのね」

「難しいよ~? 仕事とかなら、愛想をつかされたり勤め先が潰れたりしなけりゃ死にはしないし次がある。けど、戦いに関しては一本勝負待ったなし。運が良けりゃ命がある程度の、基本死が終了条件だからな」

「あの時のご主人様がやった事って、自分が真っ先に切り込んだり方針を示した事よね?」

「それだけじゃないぞ? 俺自身が慌てたり戸惑う所を見せない事で周囲に安心感を抱かせる事、悩んだとしても判断を早く出す事で不安から切り離す事。急いても慌てず、焦れても遅れず……。その上で、自らが先んじて前を行くことで、皆の足を重くさせないようにするとか、色々」


 そう言いながら、ヤクモ自身はあの時大分苛立ちで内心が支配されていたことを思い出す。

 感情的になってはいけない、それを吐露することによって従い辛い雰囲気を作ってはいけない。

 理解はしていても、それが何処まで自分自身行えていたのかはわからない状態であった。

 実際には、どれだけ疲れようと、どれだけ苛立とうとも”敵を排除する”その瞬間にストレスを発散していたのだが。

 彼は、それを「敵を殺すことによって発散していた」と解釈した。


「ご主人様は真面目なのね」

「真面目? いんや、こんなの真面目のうちに入らない。本当に真面目な人なら、学んだ事を錆び付かせたり忘れたりしない。俺みたいなのは真面目系クズっていうのさ」

「そうなの?」

「アピールと姿勢だけは立派だけど中身が伴ってない。人目があるところでは良い子ぶってるけど、人目が無い所ではトコトンだらしなくなるとか。……唯一つ違いがあるとすれば、俺は愛想笑いは苦手だし、人受けが良くないって所くらいか」


 そう言いながら、目的とした頁を探り当てたらしくメモ張にペンを走らせる。

 挟み込まれていた付箋を使い、自前でしおりを作る。

 すぐに、目的とする場所を開けるようにと。


「武器も、色々使った。使ったからにはミラノやアリアに認知されたし、その緒原や性能くらいは諳んじるくらいに覚えとかないと。過剰に期待されて、自分自身がどういう武器を使ってるのか知らないけど期待されたからとやって失敗するような愚は犯したくない」


 そんな事を言った事を、聞いていたカティアは覚えている。

 夜になり”似た者”が戻ってきても、彼女は何も言わなかった。


「ふ~む……」

「う~ん……」


 ミラノとヤクモは、ある種似た者同士だった。

 違いが有るとすれば経験と技術を吸収して知識を蓄える事で”立派”であるヤクモ。

 対するミラノは”理解力と応用力”で新規開拓するにしても誰よりも速く突き進み”立派さ”を見せ付ける。

 

 主人が帰ってきた事で机を明け渡し、自身のベッドの上で作業を続行するヤクモ。

 アルバートやグリムの助けを得て数冊もの分厚い”農耕の歴史”や”市井の生活”等を借りてきたミラノは、その机をスルーして自分のベッドでうつ伏せになりながら本を読みふけっている。

 カティアは、その様子を見て「似た者同士」だと思ったのだ。

 当然、二人とも自分が大層な事をしているとは思わせない。


 ヤクモなどは「教本を読んでる」としか言わず。

 ミラノは「史書」とさえ言い切った。

 見栄っ張りなわけではないが、だからと言って高尚に思われ勘違いされる方が二人に取っては嫌だったのだ。

 

「あの、ご主人様? ミラノ様? 夕餉の時間なのだけど──」


 カティアはそう言うが、反応は芳しくない。

 むしろ、二人とも本を読んで寝落ちしてくれていた方が理解できるのだが、食い入るように本を読んでいる。

 カティアは、いい加減に幾らか限界を感じていた。

 机の上に一息入れられるようにと用意したお茶は既に冷め切って冷たくなっている。

 それどころか、本来なら部屋を温める筈の暖炉ですら焔は非ず。

 その上、斜陽の明かりのみで本を読んでいるからだ。

 しかも、夕餉の時間とはいったが既にギリギリだ。

 このままでは二人とも食事を逃してしまいかねない。


 ヤクモは集中している時、当人に取って優先度や危険度の高い物音などにしか反応しない。

 視野が狭くなるとも、過集中とも言える状態に陥るのだ。

 その隣の主人である人物もまた、同じ特性を持っていた。

 必要だから、欲しいから、習得したいから集中する。

 その集中の結果何度か痛い目を見ているはずなのに、同じことを繰り返してしまう。


 これがヤクモのみであればそのまま時間は過ぎ去って居ただろう。

 しかし、主人であるミラノが居る事は僅かながらにも覚えていたらしい。


「ん゛! あ゛、やっべ! ミラノ、ミラノさん!? 食事、飯抜きになる!!!」


 教本を閉ざし、メモ張とペンを床に落としながらヤクモは腕時計を見つつ、ミラノに近寄る。

 自分自身だけならまだしも、主人にまで欠食を強いるつもりが無い辺り下僕根性丸出しである。

 お手製のしおりを無理やり捻じ込むと、ミラノが見ていた本を強制的に閉ざした。


「あ、何するの!?」

「──ミラノさん? あのですね、教育も勉強も満足な食事が基本なのでしてね? できれ~ば、食堂に行って欲しいのですが」

「一食くらい抜いたって問題ないわよ」

「それが、アリアリなんだよなあ……。カティア、アリア呼んで来て。待たせてると思うし、早く行こう」

「分かった」


 カティアが部屋を飛び出してから、ヤクモは不満気な主人を前に少しだけ考えを纏める。


「食事ってのは、思考や集中に大分影響を与える要素でしてね。一食を抜くと、それだけで能率と効率が落ちるんですよ?」

「む……。それは、アンタのいた場所での話じゃないの?」

「人であれば、誰しも同じであるという発表が出てる。朝の食事を抜くと、最大23%も集中力に差が出て、それが昼食を摂取するまでの時間ずっと続くという事も判明してるんですや。つまり、食事を抜いたミラノは、食事を摂取したミラノの最大27%も勉強も思考も出来ない事になる!」

「ぱ、”ぱーせんと”?」

「に、2割と3分。最大2割と7分です……はい」

「それって、結構重要じゃない!」


 ミラノは理解できない単語を理解できるものに置き換えられた瞬間、自分がしようとしていたことが理解できる。

 つまり、目の前のこの男のために学んでいる事ですら、能率も能力も低下させた状態で知識を仕入れた所で、間違った勉強になりかねないと。

 それだけでなく、夕食を抜いた場合は朝食を摂取するまで持続することになる。

 看過出来ない情報であった。


「……ちなみに、体力や活動限界に関しても最低一割ほど違うから、一食抜いたらその日できる勉強量と勉強の質がそれぞれ下がるし、休息が必要となる量とか、あるいは勉強限界量も減りますかね」

「こうしちゃいられない。アリアの所に行かないと!」

「カティアを向かわせてるから大丈夫だって。そんな、ミラノじゃないんだから」

「ごじゅじんざまぁ゛……」


 部屋を飛び出た所で、カティアの悲しげな声が聞こえる。

 そちらを見ると、本を読んだままのアリアが引きずられている状態であった。

 

「……アリアも、私と同じなのよ」

「あぁ……」


 ヤクモは頭を抑え、空腹で生じたものかも分からない頭の痛みをこらえた。

 

「ふんふん。起源は想像したよりも単純かあ……。けど、この粉引きの機具や器具が必要なんて知らなかったなあ。これって魔法による錬金術じゃダメかな……」


 今自分が廊下にまで連れ出されているとは考えても居ないようなレベルの集中力である。

 ヤクモは同じ説明をしなければならないのかと、アリアに近寄るのであった。

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