2章

第13話

 ~ ☆ ~


「以上をもって、叙任式を終了とする」


 その言葉を何千年単位で待ちわびて居た気がする。

 簡略的な騎士叙任式とはいえ、それは気だるく面倒くさい物だった。

 貰い物のマントを羽織、片膝をついて頭を垂れて口上を述べるだけのものでしかない。

 押し付けがましいヴィスコンティ国の貴族としての意識だの、ありがたみだのを語られたけれども、その半分以上はもう覚えていない。


「お疲れ様、ご主人様」

「マジでお疲れだよこんなの……」

「預かるわ」


 ミラノたちは主人としてまだ会場に残っている。

 色々な面倒な手続きだのがあると聞いていたけれども、それに巻き込まれなくて本当に良かった。


「なんでご主人様は不機嫌なの?」

「忠誠を誓ってもいない相手から爵位を貰ったって嬉しくもないし、むしろ無理やり組み込まれた感じがして気に入らないんだよ。騎士になっちまった以上、なにかあったらヴィスコンティの人材として看做されやすい境遇に落ち込んだんだ。面倒ごとや厄介ごとに巻き込まれやすい以前に、ヴィスコンティの貴族連中は自分の下っ端として看做すだろうからそれも気に入らない」

「忠誠かあ……」

「俺は……少なくとも、アメリカ合衆国と日本国、それと出生国であるアルゼンチンにだったら表彰されて嬉しいと思うし、実際アメリカでは直々に表彰状を貰った事が誇りだ。けどなあ……」


 ── ☆ ──


 ご主人様の考えてる事は難しくてよく分からない。

 少なくとも、褒められたという事は良い事で、お金まで貰ってるし身分も向上した。

 なのに、今じゃミラノ様のいない部屋で椅子に腰掛けて膝を組み、足がイライラと動いている。

 

「……そうだ、このお金どうしよう。ストレージにしまってるけど」

「ご主人様の貰ったものなんだから、ご主人様が決めたら?」

「とは言え、今の状況で使う状況ってのが無いんだよなあ……」


 確かに、学園内ではお金の使い道は今の所見当たらないかしら。

 外出しないとそもそも何も無いし、衣食住の全てが賄われてるのだからどうしようもないかも。


「……食堂で金を握らせてもっと良い飯食べるとか」

「それが出来そうなの?」

「いや、無理ポ……。料理長にぶん殴られて終わりだな。あんな拳と丸太のような腕でぶん殴られたら死んじゃう……」


 一度死んだでしょ、と言う突っ込みは不要かも知れない。

 マントを畳んで衣装棚の隅っこにおいておく。

 たぶん、ご主人様が使うことは二度と無いかも知れない。

 寒くなるか、イベントでもなければ。

 

「……暇だなあ」

「授業も無いものね」

「──武器の整備でもしようかなあ」


 そう言って、直ぐに機嫌を直したらしいご主人様は色々なものを取り出す。

 部屋の隅っこで床に毛布を敷いて、その上に道具を展開していく。

 拳銃一つが置かれて、それで準備は良いようだ。


「弾倉を外して、薬室確認して、弾薬排出……。あぁ、その前に安全装置だった」


 手馴れた様子で銃を分解すると、整備を始める。

 油の独特なにおいが、不思議と嫌いじゃなかった。


「見てて面白いものじゃないぞ?」

「いいえ、ご主人様。私にとって初めて見るものだから、退屈と言う事はありませんわ。それに、ご主人様がそれを使ってミラノ様達を助けた事を思えば……興味こそあれど、つまらないという事もないもの」

「そっか」

「だって、不思議じゃない? 数分と掛からずに解体されるちっぽけな物なのに、そこから吐き出される弾は容赦なく死を与える。それによって私は見ておりましたの、アルバート様をはじめ、皆に勇気を与えて下さったのを」

「……褒められた事をした訳じゃないんだけどなあ。俺の現段階における頼られた部分って、いってしまうと破壊と収奪に属する類だ。非生産よりも性質の悪い事を、たまたま良い方向に使っただけに過ぎない。それで助かったという事実は……否定しないけど、それを褒められても困る」

「だとしても、暴力に対抗するには別の暴力が必要だった……それだけじゃないかしら? そうしなければ命を奪われる局面、相手が破壊と収奪を目的として迫ってきた中で、同じ行為で抵抗をするのはそんなに変な事?」


 そう言った時、ご主人様の不思議そうな顔が見ものだった。

 ご主人様は結構不思議な考えをしていて、誰かに向けて言える言葉を自分には当てはめる事をしない。

 自罰的だとか、自虐的だとか。そういう言い方も出来るかも知れないけど。

 

「──守れた事は、誇らしく思ってるよ」

「ふ~ん?」

「は、半分くらいは」

「何で半分?」

「やって当たり前だと思った事で褒められても、実はあんまり……。それに、そういうので何かを認めるとしても、何でミラノたちじゃないんだろうなあって」


 結局、そこなんだろうなあと思った。

 ご主人様は滅私の奉公を行ったけれども、それで礼や賞賛をされるにしてもまったくの別人からそうされても困るだけなのだ。

 守った誰かからではなく、その親や国からされても困ると。

 そう言いたいのだ。


「認められるのって難しいなあ。……あぁ、煤が大分残ってる。こりゃ、三日整備だな」


 筒を覗きながら、ご主人様はそう呟いていた。

 私も同じなのだけどとは、言えなかった。

 今の所私はミラノ様やアリア様によくしてもらっている。

 けれども、ご主人様を取り囲む状況はミラノ様が主なのだ。

 どんなに頑張ってもミラノ様が首を横に振れば否定される、うなずかなければ肯定もされない。

 不在時に新しくベッドが運び込まれてご主人様の待遇は良くなったみたいだけど、裏の話を知っている私からすれば「ようやくベッドが運び込まれた」だけでしかないのだ。

 

「そうだ。カティアって、魔法の訓練とかはしてるんだっけ? ほら、今回まったく知らなかったからアテにしなかったけど」

「一応、ね。けど、ご主人様が望むレベルに達しているかどうかは分からない」

「今度そこを見ておかないとなあ。頼りにするって程じゃないけど、自己防衛や援護が出来ると知っていればまた色々違ったかもしれないし。それに、使い魔としての能力も知っておきたい」

「視界の同化とか出来るんだったわね」

「別行動時に役立ちそうだな、それ……。ドローンみたいだ」

「”どろん”?」

「なぁんで逃げ隠れするんですかね? いや、有る意味正解か……」


 油の匂いが部屋に充満して、私は窓を少しだけ開いた。

 秋から冬へと徐々に差し掛かりつつある。

 晴れの日は減り、曇りや曇天の日が増えてきた。

 肌寒く、朝の寝起きは少しだけ辛い。

 出来ればベッドでずっとまどろんでいたいと思うような季節になってきた。


「カティアに追跡や尾行をして貰って、視界を借りて情報収集とか出来そうだもんな」

「猫になれますものね」

「そういう手段を取らずに済むのならいいんだけど、どうやら楽観視できる世界じゃないみたいだからな。クソ、魔王が倒された世界じゃなかったのか? なんでこんなに統率が取れてるんだ、畜生……」

「統率?」

「地揺れがあっただろ? どうやら魔族というのが出張ってて、魔物を指揮・統制していたという噂がある。南部の都市を守る城壁を破壊して、魔物を乗り込ませる。そうでなけりゃ、中抜き工事でもしたんじゃないかと疑いたくもなる」

「んと、それだとどうなるの?」

「魔物を束ねる魔人というのが存在するのなら、魔王なんて幾らでも立脚できるという話だ。人間も最低二人居ればリーダーが生じるのと同じで、魔人が居るのなら魔王だって幾らでも現れうるって事。つまり、魔物との戦いは……まだ起こりうる」


 そう言われてから、ごくりと唾を飲んでいる自分に気がつく。

 ついこの間までただの猫だった私が、もっと大規模な弱肉強食の世界に居る。

 それも、敵意や害意ではなく、憎悪すら含んだものに。


「だから、備えなきゃいけないんだ。楽観視するつもりは無い。それが俺に出来うる事で、主人でありながら騎士として誰かに仕える俺の責務だからだ」

「責務……」

「ヒトの上に立つ人は、視野を広く遠くまで見なきゃいけない。そして楽観視せず善く備え、下に居る連中の不安を拭い、なんちゃら……。まあ、それくらいしか俺には出来ないし、しなきゃいけないってこと。よし、これでいいかな」


 ご主人様は薄く油を塗った状態で、銃をくみ上げる。

 そして片づけを終わらせると、窓を全開にした。

 部屋に寒さが入り込んでくるけれども、油の匂いを逃す為に空気を入れ替えないと。


「……魔法も、もうちょっと知っておけば換気くらいできるんだろうなあ」

「そういうのは知らないわ……」

「いや、良いんだ。そもそもあるかどうかすら分からない、ただの願望を現実化して期待する趣味は無い。……てか、生徒たちが出てこないな」

「慰撫目的のささやかな場を設けるとか聞いてたけど」

「そりゃ……でて来ないわな」


 メインの建物では、チョットした食べ物と少しのお酒が出る。

 厳かに、あるいは祈るような時間がそこにはある。

 ミラノ様は主席として、アリア様はその妹として参加せざるを得ない。

 なにせ、学年の代表とも顔とも言えるのだから。

 数秒考え込んだご主人様は、直ぐに何か思いついたようだった。


「……今から引き返せば、食べ物と酒にありつけるんじゃね?」

「祈りを捧げて死者を送り出さない無体な輩を入れるつもりは無いんじゃない?」

「失敬な。一握りは持ってるぞ? ただ、名前も知れぬ背景の一部に対して支払う最低限の敬意以上のものは持ち合わせていないだけだ」

「それ、思っても口にしないほうが良いかも。その日のうちに爵位剥奪されかねないわよ」

「ちぇ~っ……」


 え、本気じゃないわよね?

 それとも、ジョーク?

 だとしても、これは笑えないのだけれど……。


「ご主人様。死者には敬意とか、そういうのは持ったほうが良いと思うけど……」

「死んだことを悼んで、望まれぬ死であった事を残念に思う以上に何が出来るんだ? 名前も知らない、学年も分からないし、個人を知らない相手に出来る事なんてそれくらいしか出来ないだろ」

「そう、だけど……」

「それに、知らない奴に想われた所で死者も迷惑だろ」


 冷淡とも、ドライともいえる言葉に私は何も言えなくなる。

 ご主人様の領域は、ちょっとよく分からない。

 見知らぬ誰かを必死に救助したと思えば、学園の生徒に対してはその死をあまりなんとも思っていないように思える。

 パ、パーソナル……なんとか。

 個人的領域? なんか、そんな感じの言葉だった気がする。

 それが、凄く狭いのかも。


「騎士、騎士な~……」


 ベッドに寝転がったご主人様は、まだ納得できてないみたいだった。

 忠誠ってのはそんなに大事なのかなとおもったけど、結構大事だった。

 ご主人様の為に私が幾ら頑張っても、ご主人様が褒めてくれないのならあまり嬉しくない。

 私は、ご主人様の役に立ちたいし、立ててるかどうかを知りたい。


「ふぁ……」

「眠いの?」

「まあ、病室ではあんまりプライバシー無かったからなあ。知らない連中の中に放り込まれてると中々に精神的に負担が……」

「敵と戦ってる方が普通恐くない?」

「敵は敵でしかないから気楽なんだよ」


 まあ、敵は何をしてもマイナスでしかないものね。

 最初から害意と敵意しか向けられないのなら、対応や対処は大体限られる。

 けど、そうじゃなくて中立のヒトほど扱いは難しい。

 敵にするのは簡単でも、中立を維持させたり、”敵にしない”と言うのは。


 寝転がったご主人様の傍に腰掛ける。

 真っ赤な左目が、私を見た。

 何でか分からないけど、あの無能女神の蘇生でも無くなった目が治ったり、切れた腕や脚は繋がらなかった。

 腕と足はあの小さなヒトに繋いでもらってたし、左目はなんでか知らないけど赤いまま。

 まるで使い魔の証を証明し続けてるみたいだけど、その目の奥に魔法式は見えない。


「……寝ないの?」

「寝つきが悪いんだ。いつも疲れきってるか、酒や薬を飲んで寝てたからさ……」

「じゃあさ、私が魔法で眠らせてあげようか?」

「出来るのか?」

「うん。この間、授業で魔法耐性や抵抗のお話があったの。その中に色々な異状を引き起こす魔法について学んだから」

「へえ……。頼んでみようかな。ちなみに、どれくらいで寝落ちるんだろう?」

「数秒持つくらいらしいわ」

「じゃあ、俺は最低でも10秒持ちこたえてみようかな。」 


 ここにミラノ様やアリア様が居たら、苦笑していたかも知れない。

 学園の生徒は魔法を扱うので魔法に抵抗力を持つ制服を着ている。

 ご主人様の服はただの服だから、数秒も持たないと思う。

 けど、命令なら仕方が無い。


「10秒は持ちこたえる10秒は持ちこたえる、10秒は……」


 ガクンと、ご主人様は眠りについた。

 あまりにも早すぎて、改めて学園の制服が凄いのだなと思ってしまう。

 それから、暫く眠りについているご主人様を見つめる。

 ……寝つきが悪いって、本当なのかしら?

 おでこにそっと手を伸ばすけど、ちゃんと寝ているみたいで反応が無い。

 ちゃんと聞かないと分からないくらいに息をしているのが聞こえなくて、少し心配になる。

 

「……どんな夢を見ているのかしら」


 チョットした好奇心、ほんの興味。

 ご主人様が眠る傍らに私も丸まるようにして寄り添った。

 それから、胸に頭を重ねて瞼を閉じる。

 夢の中を覗いてみようと、そう思っただけ。

 もしかしたら少しは楽しい夢を見ているのかもと思って──。



 ……私は、ご主人様を理解していなかった。


「クソ。しぶてぇなぁ、オイ!!!!!」


 夢の中は、眠っているとは思えないほどに激しい。

 場所は学園なのだけど、その周囲に生物の気配が感じられない。

 怨嗟の声がずっと響いていて、その声は重い。


『お前がもっと探していれば、俺は死ななかったんだ!』

『なんで、足元に居たのに気づいてくれなかったの……?』

『崩れる事くらい理解できていたのに、どうして声をかけてくれなかったんだ──』


 それは、学園の南と北の門からやってくる。

 死体、死体、死体……。

 沢山の死体が、中央の噴水広場に居るご主人様の所まで押し寄せてくる。

 遅い足取りは、それでも生命力と数で補われていた。


「いつの間に……!」

「っ!?」


 私の存在に気づいたご主人様は、手にしていた銃を向けてくる。

 ……そうか、私が入り込んだとはご主人様も思わない。

 だから、敵や異物でしかないのだ。

 あの時は背中を見つめるしかなかったけど、改めてその死をばら撒く銃を向けられると恐い。

 思わず屈んでから、発砲音が聞こえないことを不思議に思った。


「……これも、俺にやれってのか。クソが」


 毒を吐き、ご主人様は私の手を掴む。

 そこに優しさは無く、無理やり学園の本舎まで連れて行かれる。

 足取りは速く、歩調は合わない。

 掴まれている腕は痛く、現実で目が覚めているときと同じヒトだと思えないくらいに恐い……。

 本舎に入ると大ホールがあり、その先にご主人様が騎士になる叙任式を行った集会ホールがある。

 ご主人様は大ホールに入ると直ぐに周囲を見て、重い扉を無理やりに閉ざす。


『そうやって逃げるんだ? また』

『一度死んだくせに、妙に生きることに執着するんですね』


 ミラノ様とアリア様の声が聞こえる。

 それは決して友好的な声ではない。

 どちらかと言うと、周囲を取り囲んでくる化け物側の声……。


「ぐっ!?」


 重い扉を閉ざしているのは無理があって、その扉に押し寄せた死体の群れが腕を捻じ込んでくる。

 その腕が、ご主人様の腕を掴み、露出していた二の腕へと指を突き立てた。

 皮膚が破け、肉がもげ、血管が裂けて血が滲んでいく。

 私は、それを見て直ぐに動く。


「ダメ!」


 以前ご主人様とのお遊びで出した光の球体。

 魔力を固めた弾を飛ばし、掴みかかっている死体へとぶつける。

 

「氷よ、氷塊よ、荒れ吹雪く氷刃よ!」


 球体を基点に、扉の更に向こう側へと魔法を放つ。

 扉の手前からじゃ細かい制御で大魔法を使えないけど、球体を素通りさせてから魔法を使えば関係が無い。

 大きな氷塊が落下して、死体を押しつぶす。

 その氷塊が砕け、無数の細かな氷刃となってその周囲を切り裂く。

 その分、ご主人様の時間を稼ぐ事が出来た。


「だっらぁ!」


 面倒くさくなったといわんばかりに、ご主人様は足で何度も蹴る。

 そして、閂を差し込むとゆっくりと崩れ落ちる。

 直ぐに駆け寄って、治癒をしてみた。


「……おかしいな。今まで、味方なんて──」

「ほ、他に怪我した場所は?」

「いや、腕が痛いだけだ……」


 腕が痛いだけって……絶対嘘。

 もう顔は疲れきって、目の下が黒ずんで窪んでいる。

 目は充血しきって真っ赤だし、瞼を閉じるのも辛そうだった。


「……あぁ、なるほど。そういう、やり方で来たか」

「なにを言ってるの?」

「俺に罪と罰を自覚させるだけじゃ温いと踏んで、更にやりづらい状況を作ったって訳だな? カティアを守らなきゃ……守れなかったら、心が折れるって思って……」


 そう言いながら、ご主人様は空いている腕で弾倉を抜き交換する。

 それから、私の背後の窓に向けて群がっている連中に何度も何度も弾を放つ。

 耳が、おかしくなりそう!


「……俺の言う事は、聞けるな?」

「え? あ、ええ」

「短けりゃ一時間くらい持ちこたえりゃ目が覚めるはずだ。それまで、死ぬな」


 けど、ご主人様にとってこんな夢は当たり前みたいで。

 扉を閉じても何処からか声は聞こえてくる。


『敦みたいに頭が良ければ……』

『直(スグ)みたいに、コミュニケーション能力があれば……』

『優しいだけじゃ……』

『優しいだけじゃ……』


 これは、なに?

 誰の声? 分からないけど、ずっと……この二人の声は聞こえる。

 ミラノ様でもアリア様でもない、この学園では聞いた事のない声が聞こえる。


『何で産まれてきたの?』

『何で生きてるんだ?』

『生きた死体って言うんだ』

『生きてないのよ』


 なんで、ご主人様がこんなに悪く言われなきゃいけないの?

 ご主人様は、沢山の人を助けたのよ?

 確かに助けられなかったヒトも居たけど、そんなの……どうしようもないじゃない!


「しつこいな!」


 ご主人様は、回復もそこそこに武器を手に窓まで走る。

 胸元にぶら下がっていた黒くて丸い物体を、窓を破壊しながら外へと放る。

 割れた窓の隙間から銃を突き出して、群がる死体へと弾を飛ばす。

 何十も、何百も。

 敵が居なくなるまで、走り回って。

 

 相手が窓を殴り、飛び散った破片が頬を切り裂く。

 血が流れても、それでも戦い続ける。

 静かになったと思っても、それはただの休憩時間。

 時間が経つとまた死体たちはやってくる。

 責める声が、また大きくなる。


『いやだ、熱いぃぃぃいいいいいいっ!!!!』

『死にたくない。潰れて死ぬなんて、イヤァァアアアア!!!!』

『まだ生きてたんだ、お前が回復してくれたらまだ命だけでも……』


 ご主人様は、徐々に泣き出す。

 分かってると、理解していると。

 出来なかった、足りなかった、届かなかった、考えなかった。

 自分がそうしていたら、助けられたかも知れないと声に押しつぶされていく。

 それでも、戦う。

 窓が破られて、大ホールには居られなくなった。

 集会場まで下がって、私を守ろうとして肩を掴まれ齧られる。

 それでも振り払い、ナイフで横から頭を突き刺して、股の拳銃を抜いて近場の敵を倒す。

 ナイフでの回避からの反撃と、手数を補う為の射撃で一瞬だけ周囲が開ける。

 その隙を逃さずに、ご主人様も集会場へと入ると、今度は長椅子や机を運び続ける。

 私は、何も出来ない。


「分かってる! 分かってる……」


 ちがう、こんなの……夢じゃない。

 これは、ただの心。

 自分で自分を責める、心の声。

 なら、私に出来る事は……簡単。


「──リトルナイト・メア≪小さな悪夢を≫」


 現実でも辛いのに、眠っている間も辛いだなんて馬鹿げてる。

 そんなの、ご主人様は十分苦しんだし、頑張った。

 だから……こんなものは、私が許さない。


 夢を弄る、夢を書き換える、夢をもっと楽しいものに……。

 全部。全部……書き換えよう。


 どんな夢なら幸せになれる?

 どんな夢ならご主人様は癒される?

 それを考えて考えて考えて……。

 思いつきだけで、出来上がった夢を乗っける。


「飛び切りの、良い夢≪悪夢≫を」


 指を鳴らすと、目の前の光景に皹が入る。

 そして、崩れた先には悪夢なんて無い。

 ただ、ご主人様が夢の断片に巻き込まれそうになって、慌てて机の下にもぐりこんでいたが──。


「コラ、何してんのよ!」


 すぐに、ご主人様は引っ張り出される。

 周囲には沢山の人の気配があって、それは死体じゃない。


 ……そう、これは夢を弄る私の、小さな悪夢。

 ご主人さまにとっての、違う意味での……悪夢。

 悪夢がこんなに”優しい”なんて、なんて皮肉かしら。


「違う。お前はミラノじゃ──」


 それでも、ご主人様は信じない。

 銃をすぐに向けて、引き金を引こうとする。

 けれども、それは叶わない。

 私が即座にそんな”夢”を追放するのだから。


 ただ、銃の無い手だけがミラノ様に向けられている。

 それを、傍に居たアリア様も怪訝に見ていた。


 声は、ご主人様を責める声は……怨嗟の声は、もう聞こえない。


 そして、ミラノ様はご主人様のその手を掴む。

 確かな強さで、けれども優しさを忘れない手つきで。

 

「アンタね、騎士になったのに臆病な真似事しちゃって」

「どうしたんですか?」

「あれ、違う。違うんだ。なんで……」

「随分ボロボロじゃない。何があったの?」

「また、アルバートさんでしょうか……」

「って、うぉい! なぜ我のせいになる!」

「──しんよー、無い」


 何事も無い世界、まるで外のような世界。

 どっちの方が幸せなのだろう、どっちの方が残酷なのだろう。

 私には分からない。

 けど──。


「ご主人様、楽しい楽しい一日を始めましょう?」


 そう言って、私はご主人様に手を伸ばす。

 ご主人様は、少しだけ恐れながら……手を、掴んでくれた。

 ご主人様は気づいていない。

 私に触れた手から、自分の全てが”何事も無かったかのように、塗り替えられている”のに。

 だから、その処置が終わってからご主人様が自分の身体を見ても、今の会話と食い違わない程度に汚れているくらいだ。

 武装も装備も無くなって、顔色も良くなっている。

 自分の頬を引っ張っても、あまり痛くないから……夢だと、判断してしまう。


「今、何が起きてるんだ?」

「貴様……寝ぼけるにしても大概にせよ。貴様が騎士になったことを祝おうと、ミラノがそんな話をしていた所であろうが」

「え、そうなの?」

「主人である私が、直々に褒めてあげないとダメでしょ? それで話し合ってたんだけど、肝心のアンタが寝ぼけてるし」

「……そっか」


 そういう夢、なんだ。

 そういった時のご主人様は、とても弱い顔をしていた。

 

 皆が、再び盛り上がる傍ら、夢だという認識のあるご主人様はのけ者のように見えた。

 だから、私は手を伸ばす。

 これは、私だからいえること。

 これは、私にしか言えない言葉。


「ご主人様。せっかくの夢なのだから、楽しまないと」

「──だな」

「目を覚ましても、こういうことは無いけれど……。だからこそ、楽しむのよ」


 狂言回しという、近しいヒトだから出来る事。

 私は決めた。

 悪夢と言うご褒美を見るご主人様を、私が邪魔をする。

 ご褒美と言う名の悪夢を見せる為に、私は頑張る。


 いつの日か、それらがひっくり返って……少しでも、心が救われますようにって。

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