第8話
~ ☆ ~
僕は優等人種である魔法使いであり、貴族だ。
そういう風に子供の頃から両親から教わり、疑わずに生きてきた。
魔法が使えるのは、かつての英雄たちや神に連なる存在だからと。
魔法が使えない連中を従え、導くのだと。
そう聞かされていた。
だから、税を納められないのは来る魔王復活の時への備えを挫こうとしていると罰した。
貴族の為に何から何まで差し出して、全力を出せるようにするのが民だと女を連れ帰った。
神の威光を示すためにと、家の調度品を豪華にしていた。
そして、貴族に逆らうのは神や英雄たちに逆らうに等しいと断罪した。
実際、学園に居るとそう思えていた。
魔法が使えるというだけで、子供の僕にすら叶わない連中が大勢居る。
それは、気分の良い事だった。
とは言え、アルバート様のように誰かを虐めるのは気が引けた。
単純に、僕の家柄が下だからだ。
相手は公爵家、目を付けられれば何が起こるかわかったものじゃない。
実際に、同じ公爵家のミラノ様は妹のアリア様の身体が弱い事でからかわれた事で、手酷くやり返したからだ。
何が引っかかるか分かったもんじゃない。
大人しく勉学に励んで、胡坐をかいてふんぞり返っている連中を見返せば良い。
……そういう意味では、僕は若干名の生徒とは違うという自負さえあった。
魔法がとりあえず使えるだけで満足する連中や、卒業さえしてしまえばなんとでもなる連中よりは優れていると。
事実、そうだった。
流石にミラノ様やアリア様、グリム様等といった連中には叶わない。
それでも、魔法とはどういうものかは理解していた。
僕も卒業さえしてしまえば家を継ぐだけだ。
その後父の教えに沿って、いつか来るかも知れない魔王の復活や人類の決戦に向けて民を導き、蓄えなければならない。
その為には、色々とやらなければならないことが多かった。
なのに──
「しし、死んだらどうする! 僕はこんなところで──」
目の前の、素性不明の記憶の無い男は、杖を向けられてもまったく動じる事はなかった。
既に血と汗と煤に塗れている。
チラと聞いた話では、ミラノさまやアルバート様を守ってここまできたのだとか。
馬鹿馬鹿しい……。
学園での決闘はアルバート様が手を抜いたからあんな結果になっただけだ。
今回も、優しいミラノ様が活躍の場としてそう吹聴しているに違いない。
あれから、随分とこの男の評価は分かれた。
当然、貴族や魔法使いであるアルバート様に歯向かったのみならず、あそこまで追い詰めただけでも反逆者の謗りは免れない。
僕だって、あんな光景を見たら父の行動が正しかったのではないかとさえ思えてくる。
貴族は人類の未来の為に存在する。
そんな貴族を相手に歯向かうだなんて、人類の裏切り者も良い所だ。
けれども、その男は無関係だと言わんばかりに杖をへし折った。
その瞬間、僕は魔法使いではなくなった。
魔法が使うことが出来るだけの男に成り下がり、無力な存在に成り果てる。
闘技場での行いが、僕に降りかかるのではないかと逃げ出した。
男は、追っては来なかった。
「なんだよ……なんだよあいつ!」
訳が分からない。
このまま留まればみんな死ぬしかない。
いつ魔物が押し寄せてくるかも分からないのに、こんなところで休憩だって?
ありえない。ありえないありえないありえないありえないありえない。
折れた杖では魔法は使えない。
このままでは、魔物に対して何も出来ないまま殺される。
僕は……武芸の授業は見ているだけだ。
基本的な理論や理屈を学ぶだけで、実際に身体を動かしたりはしない。
アリア様よりはマシだろうけど、それでも他の生徒より劣っている自覚は有る。
「なんだ、クソ……。五月蝿いぞ」
しかし、僕はついていなかった。
逃げ出して喚いたせいで、休んでいたアルバート様を起こしてしまったのだ。
僕じゃない、僕だと思わないでくれ……。
そう願ったが、周囲に人は居ないので到底無謀な賭けだった。
「貴様……学園の」
「すみません、起こしてしまって!」
「……そうか、まだ生存者が居たか」
アルバート様はそう言いながら、身体をゆっくりと起こす。
傍らで眠るグリム様を起こさないようにして、それからこちらへと歩み寄る。
「──たしか、マルコと言ったか。よく無事だった」
「……運が良かっただけです。地面が揺れてから、瓦礫の下に埋もれていたので」
「だとしても──いや、場所を変えよう」
周囲を見て、ミラノ様たちが寝ているのをみて、アルバート様は剣を掴むと移動する。
起こしたくないのだろう、気遣いのできる方だ。
しかし、空の色が不吉だ。
血の色のような朱が朝からずっと続いている。
それは火災の影響ではないと、なんとなく分かった。
「……何か口にしたか?」
「いえ。気分が悪いので」
「なら、無理にでも詰め込んでおけ。ヤクモが言っていたが、無理をして詰め込んだが幾らか楽になった……。かつて兵士をしていたと、眉唾物の情報をグリムが仕入れたが、中々どうして事実のようだ」
「元、兵士……ですか」
なら、アルバート様が勝てないのも道理だ。
学生を相手に元兵士が本気を出すなんて、大人気ないにも程がある。
「理屈は分からぬが、塩を少し舐め、幾らか甘いものを取っておけば底まで腹に詰め込まずとも楽になる。どうやら、あ奴の居た場所では既に確立した知識のようだが」
「──では、頂きます」
ここで「そんな怪しいものを信じたのですか」と言うのは簡単だ。
けれども、事実としてアルバート様が楽になったというのに、それを否定しては心象が良くない。
大人しく従っておくことで無難な対応を取る。
「けど、アルバート様も心配性ですね。他の生徒もきっと無事ですよ」
「……それは無いだろうな」
「なぜ?」
「我がここにまで来る間、ヤクモと合流するまでの先日から今に至るまで……多くの学徒らの死体や死を見てきたからだ。魔法使いだ、特別だと聞かされてきたが、まったく持って思い上がりだった」
「ッ……」
「見ろ、あそこで周囲を見ているあの男を。皆には休めと言いながら、自分は出来る事を探している。武器の脂を拭くなど、今見るまで忘れていたわ。休息こそしてはいるが、頭はまだ戦場の最中のようだ」
言われて見ると、さっきの無礼な男は武器や道具を並べている。
剣の脂を拭い、使えるようにしている。
見たこともない黒いものから箱を取り出すと、黄金色の何かを箱に詰め直している。
傍に置かれていた袋から中身を出すと、飲み物や食料を確認している。
つまり『この先』の為に、既に行動しているわけだ。
休んでいる中で、自分だけは休まずに。
「見よ、マルコ。魔法使いだ、貴族だ、来るべき決戦の時に備えよと言われた我々は無力だ。疲れ果て、焦燥感に駆られ、冷静さを失い、何をして良いかも分からずにただ怯えている。それに比べ、奴を含めた兵士を見よ。魔法が使えずとも何をすべきか理解している。そこに焦りはなく、すべき事を理解しており、冷静さを保ちながら無駄に疲れを生み出したりはしていない。……思い上がり、だったのだ」
公爵家のアルバート様にそう言われて、唾を飲んでしまう。
確かに、今でこそ幾らか落ち着いたけれども……僕は冷静じゃなかった。
周囲に撒き散らされていた暴力と死を前に飲まれていて、逃げることしか考えていなかった。
それと同時に学園の中で魔法が使えない連中を見下していた連中に、自分も含まれると思い直す。
ドクンと心臓が高鳴り……、認めたくないことを、突きつけられた気がした。
「して、これからどうする? 我らは学園まで帰還する事を目的としているが」
「……僕も、そうしたいのですが」
「なら、一緒に来ると良い。学園にも兵は居るし、少なくともここよりは安全であろう。だが、今言った事は忘れぬ方がきっと長生きできるであろうな。魔法使いや貴族だとか、魔法が使えないとか平民だとか関係無しに……場面や状況に合わせて、秀でた者がいる、適した者が居るというだけの話なのだろうから」
そう言ってアルバート様は背中に手を回し、ゆっくりとさっきの男の所にまで進んでいく。
奴は、鋭い眼差しで僕を見た。
「アルバート。休んでなきゃダメだろ」
「済まぬな。同じ学園の徒を見かけてな。……一つ頼みがある」
「なんだ?」
「こ奴も学園まで共に連れて行くことは出来ぬであろうか?」
流石に断りはしないだろうと思ったけれども、奴は少しだけ考え込んだ。
「……静かにさせる事と、勝手な行動をさせないと誓わせられるのなら。あとは、指示に従ってくれるのなら、別に構わない」
「おまっ──」
「そうか! 済まぬな、ヤクモ」
「良いって。同じ学園の生徒で、知り合いや友人を見捨てた方が気分も悪いもんな。……それで、食事や休憩はとってるのか? そいつ」
「いや、まだだそうだ。だから少し飲食させたら速やかに休む」
「分かった。……怪我とかしてるのなら、今のうちに言っておいてくれ」
……アルバート様は、何でこんな奴と親しげなんだろう。
それに、こいつもこいつだ。
三男とは言え公爵家の人間に対して取る態度じゃない。
けれども、アルバート様が気にもしていない手前、僕だけ怒るわけにはいかない。
少しの塩と甘いものをお腹に入れると、幾らか落ち着いてきた。
それと同時に、膝の力が抜けて崩れ落ちる。
アルバート様の前で、なんて無様な……!
「あ、う──」
「いい、そのまま掴まれ。我も、先ほど同じような目にあった。緊張の糸が切れたと言うらしい。無我夢中で、死ぬかもしれない中で疲れや無理に気づけなかったのだ」
「すみません……」
肩を借りて少しばかり運ばれると、ミラノ様たちの傍で床に座る。
本来なら床よりも寝床が欲しいけれども、今はそんなことを言ってられない。
火照った身体や痛みや疲れが、ひんやりとした床で冷やされて心地が良い。
アルバート様も文句を言わずに、床に寝転がる。
……ヤクモという男は、それでも休まなかった。
眠りについてから目が覚めるまでは一瞬のようで、出来るのならずっと眠っていたかった。
あるいは、この現実が目覚めたら偽りであって欲しかったけど、そうならない。
そうは、ならないんだ。
「それじゃ、行動指針を改めて話し合おう。前衛はアルバートと俺が勤める。その後ろにミラノとアリア、それと……そいつを入れる。後方と左右の警戒をグリムとカティアに任せたい」
「それは、安全なのか?」
全員が目覚めてから、作戦会議だという。
その陣形を聞いてから、僕は恐れを隠せずに聞いてしまった。
だが、ヤクモという男はその鋭い眼差しを向けただけだった。
「前衛が一番危険で、その中で俺が前衛を勤めるのは当たり前の話だ。アルバートよりもグリムの方が周囲への警戒が出来るから後方から広く周囲を見てもらう。そう考えるとこの配置は至極真っ当だと思うが」
「だとしても、お前が安全にしてから呼ぶと言う方法も……」
「それは安全な場所が確実に存在する場合に限る。安全化をはかってから呼ぶのを繰り返すのは、戦力の分散と分散した前衛と非戦闘員をそれぞれ危険に晒す事になる。見晴らしの良い平原などなら伏せたり隠れたりしてもらっても実行できるが、市街地では何処に敵が居るのか分からない以上、迅速に行動し続ける必要が有る。それに、道が何処で塞がっているかを知らない以上、無駄な労力と危険性を背負うわけには行かない」
……それは、聞けば正論だった。
当たり前だ。魔物が何処まで入り込んでるか僕らには分からないし、建物の中なんて見ることも出来ない。
窓から矢を射掛けられたり、ウルフが飛んできたらひとたまりも無い。
「だとしても、言い方というものが──」
「今は俺がミラノやアルバートたちの信頼を得て、こうやって指示し考える責任を負ってる。命令と指示出し、判断をやってくれるというのなら喜んで代わる。是非とも、やってくれ。誰一人欠落させず、安全に配慮し、学園にまで到達できるのなら」
闘技場での決闘以上に、凄みを感じた。
あるいは、先ほど杖を叩き折った時よりも鋭い刃物のようだ。
下手に触れれば綺麗に切れる、それは責任と自負があるからそこまで鋭くなっているのだろう。
唾を飲んでから、降参する。
「……よし。で、アルバートと俺は、互いの傍にある視覚を覗き込んで問題が無いかも確認する。進む速度は遅くなるが、安全性を最重視する。グリムとカティアは後ろを適度に見ながら、建物の窓や屋上を出来るだけ優先して見て欲しい。魔法は全員出来る限り使用禁止で」
「なんで!? 魔法は強くて、守ってさえくれれば魔物なんか一網打尽だ!」
「はぁ……」
盛大な溜息だった。
見ればミラノ様も幾らか呆れているようで、アリア様の使い魔である少女も溜息をついていた。
「急ぐって言ったのに、魔法を詠唱してる暇なんてないだろ。それに、魔法で誤射されても困るし、そもそも魔法を使ったら光が漏れる。今のこの空模様の中で魔法なんか使えば、ここに魔法を使える連中が居ると知らせるようなものだ。敵をわざわざ増やしてどうするんだ」
「うぐっ……」
「頼むぞ。何で学園で4年も通っていたお前らがこんな事に気づけないんだ。自分で”自分をもし倒すとしたら、どういう弱点が有るのか”と言う事を考えろ」
自分で、自分を……?
そんなこと、考えた事もなかった。
沸騰しかけた頭の中で、言われた事を想像してみれば的確だった。
敵の規模が分からない中で詠唱し始めて足を止める。
そうなると必然的に前衛は傍に張り付かなきゃいけなくなる。
魔法を使うまでに敵も同じように距離を詰めてくるから、結果として魔法の威力も規模も抑えられてしまう。
当然、魔法を行使した際の光は漏れるだろう。
そうなったら、居場所がばれて敵が殺到する。
……終わりだ。
「わ、悪かった」
「他に、何か意見や考えがあれば言ってくれ。下手に疑問を抱かれて、途中で疑心暗鬼になって勝手に行動を起こされる方が困る」
そうは言うが、アルバート様をはじめミラノ様に至るまで誰も声を挙げたりはしなかった。
そこまで信じているのか、それとも……こいつの考えに太刀打ちできそうな言葉を持たないからなのか。
平民だと、歯向かう馬鹿だと思っていたけれども……言っている事は論理的だ。
論理を棄てたら、人間じゃいられない。
「ミラノたちも適度に周囲を見て、何かあれば報告して欲しい」
「報告するとしても、その時はなんて言えばいいのでしょうか?」
「……停止でも、待ってでも、何でも。まずは全体の動きを止める事を優先してくれれば良い。ただ、急を要する場合はそのまま離れてでも避けてでも、なんでも良い」
……元兵士と言うだけで、ここまで”魔法使い”を含めて考えられるのか。
記憶が無くて、学園での授業なんて少し見聞きした程度だというのに。
なのに、魔法使いの弱点を理解していて、その上でどうすべきか判断している。
それは、とてつもなく悔しかった。
そして、そいつは証明し続ける。
避難所を出てから、学園に至るまでの道中で。
敵を回避し、時には少数であれば自ら即座に始末しに行く。
魔法に比べれば音の出る武器を使ってはいたけど、それでも迅速で素早かった。
幸いな事に……あるいは、そいつの成果なのかもしれない。
誰一人として傷つく事も欠ける事も無く、学園までたどり着く。
「はぁ、はひっ、ひぃっ……」
学園を見た瞬間に、安全が確保されたと合図を見た瞬間に走り出してしまう。
我慢していた小が、僅かに漏れてしまった。
けれども、生きた、生き延びた、生き残ったんだ!
そう安心して、ミラノ様やアルバート様が来るのを見て──。
最後の最後、そいつは横合いから飛んで来た魔法によって橋ごと吹き飛ばされていた。
── ☆ ──
嘘、でしょ……?
私は、目の前で起きた出来事が信じられなかった。
ヤクモのおかげで私たちは学園まで戻ってくる事ができた。
最後の最後まで周囲を警戒して、アルバートを学園に戻してから……。
目の前で、橋ごと消えていった。
「ヤクモ!」
「危ない、下がって!」
崩落した橋まで近づいて周囲を見る。
すると、堀の中で水に沈みかけているのが見えた。
ただ、ピクリとも動かない。
死んでいるのか、それとも気を失っているのか……。
高すぎる堀を前にどうする事もできず、彼が沈んでいくのを見送る事しかできなかった。
「姉さん、落ち着いて! まだ……まだ”繋がって”ますから!」
アリアにそういわれて、まだ死んでいないと理解する。
けれども、それは安心していいということにはならない。
あのままだと、遠からず死んでしまう。
溺れてか、もしかしたら流された先で魔物に見つかって。
……兄よりも、酷い死に方だと考えると、それは受け入れられなかった。
ただ、何も出来ない。
何もして上げられない。
そんな歯痒さだけが、残る。
ここで学園を出てしまえば、彼のした事が無駄になる。
だからと言って、見捨てるわけには──。
「──アル、なにしてる?」
「見て分かろうが。助けに行く」
アルバートは、外套を脱ぎ捨てると袖をまくり飛び込む準備をしていた。
だが、それは愚かな行為だと私にも分かる。
20米(20m)以上下にある水面へ降りるには再び学園を出なければならない。
そうでないのなら、ただの自殺になってしまう。
グリムもその危険性は理解しているようで、アルバートを引きとめようとする。
だが、アルバートは引かなかった。
「ええい、離せグリム! 世話になっておきながら見殺しにするとは、ヴァレリオ家の名が泣くわ! そうでなくとも、奉公した相手を見捨てては何が貴族か、何が公爵家か!」
アルバートの言いたい事はよく理解できる。
貴族の務めは、何かあったときに先陣を切る事と父に教わってきた。
それはかつての英雄たちがそうであったように、子孫である私たちも人類の盾となり矛となって解決せよと。
誇りを教わった中に、民衆を助け導けと言われはしたけど、自分の為に尽くしてくれた相手をみすみす見殺しにして良いとは言われてない。
立ち上がらなきゃ……。
そう思った瞬間、鈍い音が響く。
アルバートが、ゆっくりとグリムの腕の中に倒れた。
「グリム……」
「──自殺こーい、見逃せない」
「で、でも。それは……」
「……恨んでも、構わない」
そう、ヴォルフェンシュタイン家が、見込みの無い事に主人を行かせる訳が無い。
当たり前の事だけど、目の当たりにすると心が痛む。
グリムは、気絶させたアルバートを連れて寮へと戻っていた。
……けど、それが正解なのかも知れないと考えてしまう私が居る。
アルバートはヤクモと一緒に私たちの前を歩いていた。
それは、数度の戦いや魔物の殺害も経験している事を意味する。
一番疲弊していて、一番向かってはいけない人物でもあった。
彼が握り締めていた剣が、意識を失って始めて零れ落ちる。
血と脂で光り、幾らか刃毀れしている。
私は……そんなアルバートにすら、守られていた。
「姉さん?」
胸が、痛い。
違う。苦しいんだ、私は。
なにが学年主席だ、何が最優秀学生だ。
結局、学園に4年間居た私よりも、一週間居ただけのヤクモの方が何でも出来た。
魔法が強いとしても、その弱点に発光まで含まれるとは思わなかった。
例え目の前の敵を倒せても、それによって更に状況が不利になるとは考えもしなかった。
結局、剣とあの武器で素早く、それで居て静かに敵を倒したヤクモが全てにおいて正しかった。
じゃあ、私は?
学園で教わる事を絶対視して、それを”なぞる”だけで満足していた。
それ以上のこともせず、それ以下のこともせず。
ただ、教本や教科書をそのまま飲み込んでいただけだった。
詠唱以外の魔法についても教科書にはあったのに、まだ4年生だからと手を出さずに居た。
……出来る事を、気づけた事を、やらなかった。
「姉さん、大丈夫!?」
「大丈夫よ。ちょっと……疲れとか、色々来ちゃっただけだから」
それよりも、もっと危ない子がいるんだから、私がしっかりしないと。
カティを、見なきゃ。
「カティ……立って」
「ゃ……」
……うん、そうね。
当たり前だ。
自分の主人が目の前で吹き飛ばされて、どこかに行っちゃったら衝撃くらい受けて当たり前だ。
なら、私が今やるべきことは?
そんなの、アイツがした事を考えれば簡単だ。
「アリア、手伝って」
「え?」
「カティを部屋まで運んで、一息いれましょう」
「一息!? ちょ、え。正気!?」
「正気も正気、大正気よ。まず一つ、私たちは疲れきってる。二つ、今の状態で考えても馬鹿の考え休むに似たり。三つ、何をするにしても私たちは”後”を考えなきゃいけない。分かる?」
そう、アイツが流されたのは想定外だけど、アイツの言っていたことを鵜呑みにするのなら私たちは既に”終了後”に居る。
なら、まだ渦中に居るアイツの事を考えるにしても、まず私たちが”状況から脱した”と認識しなきゃいけない。
── 状況中は、何が起こるかわからない。その場合の優先順位を定めておく ──
そう、状況……そして、優先順位。
安全圏に居るからこそ出来る事、それを考える事が彼の行為を裏切らずに出来る事。
「カティ。聞いて。まず私たちは、少しでも落ち着いて冷静になって、休まなきゃいけない。その次に、冷静になってから今の状況を確認しなきゃいけない。橋は一つ壊されちゃったけど、北にもう一つある。そっちに魔物が来てるのかどうかを知る必要がある。第三に、あの流され方なら学園の地図を見て、何処に流れ着くかくらいなら特定できるかも知れない」
泣きじゃくっていたカティが、そこで始めて顔を上げた。
可哀想に、涙で顔がボロボロ。
ハンカチで拭いてあげようと思ったけど、そのハンカチは昨日アイツに庇われた時の血で既に汚れていた。
「──ほんと?」
「ええ、任せなさい。けど、先に言っておく。私もアリアも、そこまでしか出来ない。そして、私はカティも……何か出来ると思ってない。だから、誰かに託す事しかできないの。分かる?」
「……ええ」
「学園からも、少ししたら捜索が行われる筈。その時にアイツの事を教えるくらいの事はできるから。だから、まずは落ち着かなきゃいけないの。良い?」
コクリと、カティはうなずいた。
私たちは、ゆっくりと寮へと戻っていく。
その途中で、慌しく行き来する生徒や教師、兵士とすれ違う。
大半が、私たちの姿を見て驚く。
……学園を出なかった、幸運な生徒たち。
あるいは、近くにいたから奇跡的に難を逃れる事ができた生徒たち。
彼らの目が、今ではとても疎ましく思えた。
そして、彼は生きて戻れなかった。
── ☆ ──
メイフェン先生が連れ帰った”ソレ”は、凄惨な有様だった。
半ば無理やり繋ぎ直した腕や足、そして失われた片目……。
私たちは彼に出会うことを、当面禁止された。
担がれてきた時には見えなかったけれども、負傷ではなく”損壊”が激しいという事は……そういうことなのかもしれない。
「彼はね、通りがかっただけなのにミナセくんとタケルくんを助ける為に奮戦してくれた。これは、この学園に居て誰もが出来ることじゃない。魔法使いであっても、無くても……誰かの為に絶望的な戦いに身を投じた、その事実に私は敬意を示したい」
メイフェン先生はそう言って、彼を連れて行った。
ボトリと、彼の片腕が落ちたのを見てしまう。
最初から切断されていたのか、それとも今の今まで辛うじて繋がっていたのかは分からない。
ただ、私たちが”再会”したとき……彼の顔に苦悶の表情はなかった。
学園の片隅に存在する教会の中で、見つかるだけ連れ帰れた生徒たちの亡骸も同じように並んでいる。
既に消灯時間も過ぎているのに、私はここに居た。
「悩みの無さそうな顔。せいせいした、楽になれました~って? そりゃ……悩みも、苦しみも無いでしょうね」
記憶が無い中、僅かな知識とまったくかみ合わない世界に翻弄された1人の男でしかなかった。
魔法を知らず、歴史も知らず、文字も分からず、身元も身分も存在しない。
自分よりも年下の、しかも公爵家の小娘に良いように振り回されて、その結末が……これ。
自信も無く、俯いてばかりいた不甲斐無い男が、いつの間にか一握りの自信をつけた。
その一握りの自信を私たちの為に使った。
そうせざるを得なかったのかも知れない。
けれども、そうしない勇気が彼には無かった。
見捨てて逃げても、自分の首を絞めるだけだと。
今までの行いを見てきたら、なんとなくそう思う。
思うだけなのは、ソレを確認する術は私には無いから。
そして、これは私が勝手に自分で納得する為の、勝手な理由付けでしかない。
そうでなければ、見ず知らずの勝手に主人になった相手に尽くして死ぬだなんて、訳が分からない。
オチコボレだと揶揄された二人の為に死ぬのも、私には理解しかねた。
友を、親しい相手を作らなかったからだろう。
「理解できないわね。自分を虐めていた相手に親身になって、自分に杖を向けた相手でも学園まで連れて行こうとして……。オチコボレで、何の権益にも繋がらない相手の為に死ぬなんて」
……ここに居るほかの死体となった生徒たちは、どんな死に方をしたのだろう。
けど、私は……傲慢かも知れないけど、一つだけいえることがある。
「アンタは、私の最高の使い魔であろうとしてくれた。もう少し、私がアンタの事を理解してあげれたら、色々違ったかもしれないわね」
開かれている棺の蓋、既に冷たくなった彼に触れる。
マスクウェル学園長が、ここに居る全員に”尊厳”を再び与えてくれた。
どんな死に方かは誰にも関係ない、もしかしたら逃げ惑っただけかも知れない、あるいは誰かに見捨てられただけかもしれない。
けど、そんなのは気にする必要の無い事だった。
少なくとも、腕や足を失った姿のままよりは良い。
目はどうしようもないけれども、それでもこうやって対面しても大丈夫だ。
「……どう、柔らかい? 初めての柔らかい寝床が、棺おけだなんて皮肉だろうけど。……少しだけ教えると、本来なら棺桶にすら詰めて貰えないはずだったのよ? 良かったじゃない、少し……報われて」
独り言だ、独り言。
言ってから、どんな独善だと傍の壁を叩いた。
手が痛い、今だってまだあの衝撃や恐怖、疲れは抜けていない。
けれども、コイツのほうがもっと恐くて、痛くて、疲れてたはずなんだ。
「夜更かししてる悪い子は誰かな~?」
「学園長……」
教会に、マスクウェル学園長がやってくる。
血や変なシミ、そして疲労を目の下に蓄えながらも彼女は笑みを絶やさない。
それは、深刻な表情をしているよりも、今は状況を乗り切るまで頼もしい存在で有らねばならないと自分に課しているからだ。
学園長は腕につけている装飾品を撫でると、こちらまで来る。
「……ヤクモ、だよね。キミの使い魔の」
「はい」
「彼はすこ~し問題を起こしたけど、それ以上のことをしたね。喧嘩をした相手すら一緒くたにして、学園まで送り届けてくれた。それに、彼はそれ以上に誇らしい事をした。少なくとも、この学園の創立意義を忠実に守ってくれたのは、学園の生徒ですらない彼だったんだけど」
魔法が使えるけれども、素性は分からない。
そんな彼が、本来であれば人類の危機が訪れた際には正面を切って戦う筈の魔法使いを守った。
善く率い、善く考え、善く悩み、善く戦い、善く救った。
貴族の務めにも近いことを、縮図の中で行って見せた。
本来なら守られている筈なのは彼で、救われ導かれる筈なのは彼だったのに。
「ボクは彼に敬意を表明する。キミさえよければ、生徒と同列に扱って葬儀を行いたい。……長らく死んだまま現世に留まらせると、魔物化しかねないからね」
「私は……構いません。むしろ、感謝してもしたりないです、学園長。彼も、喜ぶでしょう」
「ふふ、どうかな……どうだろうね。ボクには、あまり喜ぶ姿が想像できないんだ」
「いえ、喜ぶと確信して言えます。学園長は彼を綺麗な姿に戻してくれました。少なくとも、他人に見せられる姿にまで戻してくださいました。主人としても……感謝します」
学園長は私の謝辞を受け取ると、何処からか取り出した不思議なものを咥える。
その葉巻のようなものは青白い光と白い煙を出しながら、臭いとは言えない匂いを出す。
匂いが鼻をくすぐると、不思議と眠くなってくる。
「良いさ。ただ、一つだけ誓ってくれるかな?」
「なんでしょうか」
「もし……もしだよ? またキミが同じように、誰かの上に立った時。今抱いた後悔や言葉を嘘にしないと。昨日までのキミは、誰かの上に立った事がなくて後悔したキミは……今日、カレと共に死んだんだ」
「……はい」
言われてから、なぜだか涙が出てくる。
涙を流してから、初めて私は「誰かに罪を指摘されたかったのだ」と気づいた。
亡骸を前にして、告白のような告解をしていて……。
それもまた、独善的なのだと気づかされる。
一週間は短かった。
けど、24時間が7回もあったとも言える。
その中で、私は彼に何をしてあげられたのだろう。
怯えて、恐がっていた彼に、何がしてあげられただろう。
結局、多くを知る事がないままに私は彼を死なせただけだった。
「……一つだけ面白い話をしよう」
「──なんでしょう」
「神と言うのは気まぐれでね。歴史に名を残す人物であっても惨たらしく死ぬ事もあるし、逆に誰もがあまり注目しないような無名の人物に祝福を与える事がある」
「……なにが、仰りたいのでしょうか?」
「つまりだね、ダイスを振って0から99の中で0を出すような奇跡が起こる事だってあると言う事を、キミは胸に留めておくといい。勿論、そんな奇跡はそう起きないけど、皆無ではないから奇跡と言うんだ」
学園長の言いたい事が、あまりよく分からなかった。
けれども、少しばかり落ち着いたようで、この場に居ることにも”飽きた”所だった。
「……失礼します、マスクウェル学園長。明日の見送り、よろしくお願いします」
「うん、任せたまえ。あまり自慢じゃないけど、何も学園で死者が出ることはそう珍しい事じゃない。それこそ、この学園を設立してから今日までを見ればね。ボクは送り出すよ、たとえ生前が何であれ、死者になれば等しく同じだからね」
ヒラヒラと手を振るマスクウェル学園長。
彼女に見送られて、私は眠る事にする。
まだ……完全には安全も平和も戻っていない。
明日の大半は私も城壁から手伝いくらいはしてみせる。
じゃないと、本当に潰れちゃうから。
~ ☆ ~
「うんうん、若いっていいねえ……」
ミラノ女史を見送り、ボクは彼女が見ていた使い魔を改めてみる。
ヤハウェ、クロムウェル、モンテリオールの三者から名前を抱きヤクモを名乗る1人の男の子。
煙草の煙を少しばかり燻らせてから、火を消して懐にしまった。
「……まあ、ボクは神なんか信じてないけどね。信じるのは確かな情報と、経験と事実に裏打ちされた”現実”という奴だけなんだけど」
そう言いながら、彼女はヤクモへと触れた。
指が空洞になりくぼんだ左目に沈む。
生きていたのならその痛みに悶えていただろうが、そんなことは無い。
「死後硬直も発生しているし、経過を考えれば蘇生するはずがないんだけど。いやはや、生きるということは不思議な事だらけだ」
手を引っ込めると、棺桶の蓋を閉ざす。
そのついでと、イタズラを思いついて彼女は釘を持ち出す。
「神様仏様、迷える魂をそのまま冥府に送りたまえ」
勿論、そんな行為に意味など無い。
その意味を理解するのは、翌日の深夜になってヴィスコンティの2家によって魔物を討伐する部隊が乗り込んできてからだ。
大勢の人の目の前で棺桶の蓋を勢いよく開き、飛び出したのはヤクモだった。
「あっれぇ!? おかしいね! おかしいよね!? 待って!? No,nononono!!!」
「あっはぁ。やっぱり……凄いなあ」
棺桶の蓋を打ち破り、常識や倫理を蹴り飛ばし蘇った男を前に興奮してしまう。
楽しい? 面白い?
どちらでもいいか。
ボクは、これを望んでいたのだから。
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