第7話

 ~ ☆ ~


 久しぶりに父さんの隠れ家に来た。

 隠れ家と言うのも変だけれども、忙しくなるまでは時々ここに母さんと一緒に来ていたと聞いた。

 骨休めだとか、たまには屋敷の事を忘れたくなるとか。

 

「……ここは大丈夫なのか?」

「私たちが小さい頃使ってましたし、老いた女中や執事が時折手入れや清掃をしてくれてますので。今でも普段どおりに使えるはずですよ」


 父さんは、事故や老いてから仕事が難しくなった人にも仕事を与えた。

 その一つがこの家の管理で、半隠居状態の人でもちゃんと給金を貰ってる。

 

 昔私とミラノが決めた鍵の隠し場所が変ってなければ、植え込みの中に……。


「あった……」


 家の鍵が有った。

 これで中に入ることが出来る。

 そんな中で、ヤクモさんは周囲を見てる。


「カティア、周囲をちょっと見といてくれ」

「分かりましたわ」

「どうしたのですか?」

「……まあ、今に分かる」


 ヤクモさんは、庭の隅に置かれていた梯子に目をつける。

 何をするのだろうと思っていると、壁に立てかけるとそれを思い切り破壊した。

 何の躊躇いもなく、更に砕いていく。


「何をしてるんですか!?」

「……あんな事があったんだ、日常を失った連中が食料や安全な場所をどこかに求めるのは分かりきってる。どこの誰が主導で救うのかは分からないけど、それまでの間秩序は無い。最悪の場合でも、梯子を使って二階に来られるのは防げる」


 それは……考えもしなかった。

 だからと言って、庭師の道具も破壊するのは何か違う気もするけど。


「武器になりそうなもの、刃物、鈍器……これらは隠しておきたいけど、中に余裕は?」

「ありますけど……」

「じゃあ、後で運び込んどく」


 そこまでする必要が有るのだろうか?

 私には理解できない理由や理屈が有るのかも知れない。

 

「……ほら、ミラノ。家だぞ」

「うん……」

「歩けるか? 疲れてないか?」

「だいじょうぶ……」


 ──けど、彼の懸念は当たり前かも知れない。

 ミラノが何も出来ない状態で、一番まともに動けるのはヤクモさんだ。

 私は詠唱しきれない可能性や体調を悪くする可能性がある。

 カティアちゃんはどれくらい凄いのか分からない。

 じゃあ、従ったほうが良いんだと思う。


 ミラノを家に入れて、食事を作ってくれる。

 まさか料理まで出来るとは思って居なかったけれども、食べた事もない料理を出された時は驚いた。

 最初は不安だったけれども、食べてみると意外と美味しくて。

 学園の薄い味の料理ばかり食べていたから、新鮮でよかった。


「アリア。家の中の物って自由にしていいか?」

「何をするつもりですか?」

「窓や扉を塞ぐ。塞げなくても、進入し辛い状態を作っておきたいんだ」

「……そこまでしなきゃいけないのですか?」

「何かあったときに後悔したくない。何もしなかったからと、そんな理由で失いたくないんだ」


 学園にいたときとは違って、その目は活きている。

 信念や自信に裏打ちされたその眼差しは、兄さんと一緒だった。

 

「……分かりました。ですが、私も一緒に行きます」

「分かった」


 カティアちゃんにはミラノを任せて、私は彼のすることを見ておこうと思った。

 彼がまずしたのは、全ての窓の施錠を確認したところから始まる。

 勿論、開いている場所なんかない。

 その次に、納屋に有った縄を持ってくると適当な長さに切りそろえると窓を縛り始める。

 その後に、彼は針金まで用いて縄を固定する。

 やりすぎではないかと思ったけれども、確認で彼が難度か揺するとうんともすんとも言わなかった。

 最後に仕上げといわんばかりに、先ほどの農具や道具を斜めに差し込んで破壊しなければ通れないようにしてしまった。


「よし。この要領で一階の窓は全部封鎖する」

「このやり方に意味は有るのですか?」

「縄は窓の固定、針金で縄と縛りを強化。最後に挟み込んだものは鳴り鼓代わりだな。最初から破壊するにしても時間は稼げるし、音を大きく立てさせることに意味がある。休んでても目は覚めるし、場所の特定がしやすい。それで、出来れば……二階に布陣したい」

「逃げ場がないんじゃないでしょうか?」

「そうでもない。カティアにグルリと見てきてもらったけど、二階の寝室の一つは窓から出ても一階の屋根が足場になって、そのまま外の納屋の屋根に飛び降りる事が出来る。そこから柵を飛び越えれば外には逃げられる」

「私にも出来るでしょうか……」

「カティアをつけるから大丈夫。既に検証済みで、飛び越える時に足を引っ掛けて顔面や背中から落ちなければ足を挫いたりする心配もない」


 この人は、短時間でどれくらいのことを考えたのだろう。

 それからも彼は使えるものを全て使って一階の殆どを閉めてしまった。

 あとでビックリされるかも知れないけど、仕方が無いことかもしれない。

 何も無ければよかったよかった、何かあったとしても助かったと言えればそれで良いのだから。


 その作業中、ガチャガチャと裏口の扉を何者かが開こうとする音が聞こえた。

 その瞬間、ヤクモさんは剣を抜いてから静かに足音を殺して歩く。

 明かりは最低限にしていたから、外にもれては居ない筈……。


 足音を殺しながら歩くその姿は慣れていて、外の世界から途絶えない喧騒に紛れて完全に消えている。

 私もついて行きたかったけれども、ヤクモさんが作った罠の位置がまるで見えない。

 引っかかると家具が倒れてくる仕掛けや、甲冑や武器が降って来る仕掛けなんかもあって、それで私が引っかかるのは馬鹿らしかった。


 暫くして、無理やりこじ開けようとしたらしく、音が酷く大きくなる。

 そして、ヤクモさんが言ったとおりに仕掛けたものがやかましく音を立てて、誰かが来たことを教えてくれた。

 ただ、それも暫くすると聞こえなくなる。

 少し待つと、剣を収めたヤクモさんが戻ってきた。


「さっきのは……」

「分からん。けど、入ろうとしていたみたいだけど、音が酷く鳴るのを誰かが居ると警戒したみたいで去っていった」

「……仕掛けをしていなかったら入られていた……?」

「さあ、どうだろうな。けど、相手が小心者で犯罪者っぽくなくて良かった」


 その”良かった”の意味が、よく分からない。

 戦いにならずに済んだという意味なのか、争いに発展せずに済んでよかったという意味なのか。

 ──殺さずに、済んでよかったという事なのか。


 ただ、私は忘れない。

 明かりがない中でも、ヤクモさんが見せた横顔を。

 熟練の兵士が、覚悟をもって戦いに望むかのような表情を。

 たぶん……殺さずに済んでよかったと、そういう意味なのだろう。

 

「というか、アリアは寝てて良いんだぞ。こんなの、俺のやる事だし」

「なぜ、ですか? やる事に含まれているものなのでしょうか?」

「──別に、使い魔だからだとか、そういうんじゃないけどさ。仕えている以上は自分の持てる”他人に誇れるモノ”を駆使するのが当たり前だと思うし。それに、一週間しか一緒じゃなかったとは言え、見殺しにするのも危害が加えられるのも気に入らないしな」


 そう言いながら、疲れているだろう表情を滲ませたままに彼は作業を続けた。

 私にできることは何もなくて、けれどもその姿を見続ける。

 まるで、義務と責任を負った兄のようで、懐かしい。


「よくそんな罠が作れますね」

「まあ、色々な作品を見てきたってのもあるし、先輩や上官がこういうので教育を受けた人だったから、それを聞いて教わってさ。まさか本当に使う日が来るとは思ってなかったけど」

「使わないかもしれないのに教わって学んだんですか?」

「使うかもしれないから教わって学んだんだよ。それに、習得してれば使う使わないは選べるけど、使えないのは最初から論外だからなぁ……よし、これで大丈夫かな」


 そう言ってヤクモさんは汗を拭った。

 秋だけれども、鍛冶屋から出て戻った彼はすでに汗と血に塗れていた。

 そして今も食後からずっと作業のしっぱなしで、休憩も取っていない。

 完全に日は沈んで、闇の時間が既に支配している。

 今では、ヤクモさんの言った「秩序が失われた」と言う言葉が、徐々に染み渡ってきた。


「……最後にもう一回、見回りをしてから休みに入る。アリアは部屋に」

「──分かりました」


 たぶんこのまま無茶しちゃうんだろうなあって思った。

 だから私は静かについていく。

 同じ動作で、罠を避けながら。

 そして私たちは知られる事になる。

 クラインと言う名の、今は存在しなくなった兄の事を。

 それがまったく同じ髪で、同じ姿で、同じ声をしていると。

 

 ただ、それを知った時の彼の顔は……たぶん忘れられない。

 傷ついたような顔をしていて、けれどもそれはすぐに氷のように解けて消えていった。

 ……私たちが、兄の代わりにしていたと、そう思われたかもしれない。

 それは否定できない。

 だから私は本当の召喚主は私なんですよと言い出せなかった。

 攫われ、死の原因を作ったのが私なのだから。

 だからミラノはどう扱ってよいか分からない。

 根っこは同じ私たちが、目の前で兄に死なれた彼女には無下に扱えない。


「俺には、その兄さんの代わりはできない」


 けれども、彼は正直にそう言ってくれたのは私には嬉しかった。

 彼は言った。

 過去となった人と重ねると、いずれ自分たちはすれ違い破滅すると。

 それは分かってる、つもりだったんだけどなあ……。




 ~ ☆ ~


 だから、俺はこうなると思っていた。

 あの時、悲鳴と怒声と鳴き声が怨嗟のように広がる”被災地”に踏み込んだ瞬間。

 鳴き声が頭にこびりついて離れない、まるでガラスを引っ掻くかのような不快感だ。

 あの嗚咽や怒声が鼓膜を今でも叩き続けている。

 助けてという声が、見えない手になって自分へと絡み付いているようであった。


 違うんだ、出来ないんだ、無理なんだ。

 俺はもう自衛官じゃない、自衛隊じゃない。

 仲間が居るから、組織に居るから、一人じゃないから出来る事がどうして一人に出来る?

 

 ── 助けて ──


 道具もない、出来る事なんてたかが知れてる。


 ── たすけて ──


 誰かを助けるという事は、誰かを見捨てるという事なんだ。

 それを何で理解してくれない?

 

 ── タスケテ ──


 なんで、どうして……。

 俺は安らかな二度目の人生を送りたかっただけなのに。

 どうして、こんな事に……。


「お前が、助けてくれなかったから。俺は焼け死んだんだ」


 違う。どうしようもなかったんだ。

 そこに居るだなんて、知らなかったんだ。


「どうして、気づいてくれなかったの……?」


 瓦礫の下で、声を出してくれなきゃ気づけるわけがないだろ。

 血が出てから、初めて人が居たんだと気づいたくらいなのに。


「来てくれてたら……」


 建物ごと崩れ落ちた中で、潰れたりひしゃげたのをどうしろと言うんだ。

 半ば倒壊していて、登り方も分からなかった。

 下手に踏み込んでいたら、文字通りミイラ取りがミイラになっていたんだ。


 出来なかったんだ、無理だったんだ……。

 足りなかったから、届かなかったから──。


『お前が、自衛隊を辞めたから──』

「そんなことは、俺が百も承知なんだよ!!!」


 無職の五年が、ありえた五年を思い出させてしまう。

 あの時、崖から落ちていなければ。

 両親の死で、頭が空っぽになっていなければ……。

 陸曹になって、多くの知識と技能を得ていたら。

 救えたはずだ、届いた筈だ、助けられた筈だ。


 そう思った瞬間に、世界が激変する。

 いつもの事だ、慣れた話だ。

 これは俺の向き合わなきゃいけない、精神病なのだから。


 自己愛とも、責任回避とも言えるこの睡眠中の世界は──容赦なく俺を食い散らかす。

 夢の中でも、負傷したりすると目覚めてからも麻痺や痛みとなって蝕んでいく。

 腕が動かない、足が動かない、片目が半日ほど霞んで見えないなど……日常茶飯事だった。

 それでも、5年も家の中に引きこもって変化から隔絶されると、夢さえ見なくなったが──。

 変化を受け入れたことで、また見るようになってしまった。


 場所は、今日のあの通りだ。

 周囲は被災地状態のまま、悲鳴が頭にこびりつく。

 ただ、夢だと理解できるのは”死体”が沸いて出るからだ。

 瓦礫の下から、這い上がってくる。

 火災の中から、炎上しながら走ってくる。

 叩きつけられてひしゃげた死体が、四つんばいになって犬のように駆ける。

 そして、いつものようにゾンビモードが始まる。


 自分を責める声が響き渡る中、自分を攻撃してきそうな連中がやってくるのだ。

 何度も、何度でも。

 

「武器武器武器武器」


 もう、何年も付き合っていれば分かる。

 これが俺の心象世界だ。

 傷つけば許されると思っている、責められれば気が済むと思っている、攻撃されれば被害者ぶれると理解している。

 だから、これは自己愛の世界でしかないのだ。


 通りから引き返して鍛冶屋に入るが、そこには幾らでも武器が転がっている。

 防具や盾を積み上げて出入り口を封鎖して、窓を急いでバリケード補修した。

 当然、その最中でも襲われる。

 隙間から皮膚と肉をこそぎながら突っ込まれ、その指や骨で腕を掴まれて皮膚や肉を持っていかれる。

 激痛が走り、出血が始まる。

 夢だからと放置すると、翌日に擬似的な貧血に近い状態になる。

 そうでなくとも、死に掛けると本当に死に掛けるのだ。

 幻痛のように、生身が誤解と錯覚をして。

 夢の中でも痛みがある、感覚が全て生きている。

 息もあがるし、疲労感も存在する。

 睡眠障害だと医者には言われた。

 そういえば、貰った薬を治ったと思ったから飲んでいない。

 だから、悪夢を見る。


 別に、必死こいて生き延びる必要は無い。

 そもそも、生きるつもりがあれば家に引き篭もってなど居ないし、仕事もしている。

 例え片足が不自由でも、それなりの仕事は……あったはずだ。


 けれども、今は守らなきゃいけない相手が三人も居る。

 じゃあ、向き合わなきゃいけない。

 戦わなきゃ、いけない。


 見知らぬ誰か、見たことの有るかも知れない人が殺しに来る。

 主人の居ない鍛冶屋で、俺はなぜか転がっている見慣れた武器を手にする。

 小銃、拳銃、銃剣……そして、借りた剣。

 弾帯、ホルスター、弾倉等と基本装備があるのは、最早見慣れた光景だ。

 最低限抵抗できる余地だけは残しながら、これは『どれだけ生き残る事が出来るか』を自分自身に試している。


「あぁ、やっべ」


 装備を整えている間に、バリケードの破壊音が聞こえる。

 急いでそちらに向かって、ゾンビのような連中を倒す。

 まるでホードモードや防衛ゲームだ。

 プレイヤーは俺一人、敵は俺自身。


 これはHow to Survive≪どのように生き延びるか≫ではない。

 これはHow to Died≪どう死ぬか≫なのだから。


『なんで頑張らなかったんだ?』

『どうして、あそこで行動しなかった?』

「黙れよ……」


 どこからか声が常に聞こえ続けるのも、いつもどおりだった。

 自己否定と被虐と自虐の声が常に聞こえ続け、自分が認識している”罪”を指摘し続ける。

 もっと頑張っていれば助けられたのではないか、もっと色々知っていれば救えたはずだと。

 それを──俺は撥ね付けられない。

 口ではどうしようもなかったと言えても、心の中では「出来たのではないか」と引きずってしまう。

 

 硝煙と火薬の匂いが立ち込める。

 銃撃とナイフで倒れた死体は、暫くするとリサイクルされるかのように消えては攻勢に再び加わっていく。

 無間地獄、無限の戦闘。

 俺が精神死や植物状態にならずに済んだのも、自衛隊で色々教えてくれた上官や先輩たちのおかげだ。

 じゃなければ、アリアが気にかけた”罠”だなんて、今でも上手く使えるわけがない。

 

「弾、弾、弾、弾……」


 敵は無限で、攻撃には限りがある。

 敵を倒せば、弾が僅かに手に入る。

 つまり、戦って抵抗する事が”生きるために抵抗している”とみなされるのであろう。

 無駄撃ちが、出きる訳ではないが……。


「……2時、38分か」


 現実と同じように時は過ぎていく。

 ゲームのように敵は即座に仕掛けてくるわけでも、攻撃し続けてくるわけでもない。

 時間も、俺にとっては敵だ。

 疲れ、眠気、集中力の欠落、感覚の磨耗……。

 負傷が増える原因も、そこに有った。


 それでも、今日は早く起きると決めているのだ。

 眠りにつく前に、そう意識して眠りについた。

 自分から起きる事はできずとも、自然に目が覚めるか眠る時間を定めて眠ればそれがこのゲームの終わりだ。


『そうやって、隠れてるだけなのね』


 ついに、やってきた。

 今まで出てこなかった理由が分からないくらいで、ミラノが現れる。

 勿論……味方なんかじゃない。


『アンタは、そうやって他人からも自分からも隠れ続けてきた。今回も、言い訳がしたくて”言い訳からも逃げた”のよ』


 ……罪への自覚がないことよりも、自覚したまま罪と向き合う方法が分からない。

 自分を罰するにしても、こうやって他人の姿を借りて行っている限りは”それで贖った”と勝手に認識したがってるのだから。

 自殺をするのに「すみません、殺してください」だなんていう馬鹿がどこに居る?

 己の意志で、己の決断で、己の手で自らの命を絶たねば意味が無いと言うに。

 俺は──それが、出来ていない。


 けど、こんな”俺の被害妄想”に現実の彼女たちを巻き込むわけにはいかない。

 そう思って、銃を向けるけれども──。


『ほら、アンタは自分と向き合えない』


 ミラノの後ろに、両親が居て。

 俺は……彼女の魔法で打ち抜かれた。


 咄嗟に庇って差し出した左腕に彼女の雷撃が被弾し、腕時計がはじける。

 それとほぼ同時に”目覚めの時間”がやってきて、目が覚めた。


『ざぁんねん』


 ミラノの姿が、周囲の光景が、死体たちが、俺でさえも消えていく。

 まるで死後天国に行くかのように、全てが曖昧になっていく浮遊感を感じた。


 そして、目が覚めると俺はベッドに居た。

 数秒だけ考え込んで、自分の状況を把握すると守るべき三人を起こさないようにベッドから抜け出す。

 朝食をどうしようかと考えながら、俺は左腕が幾らか痺れているのをウザったく感じる。

 昨日みたいに鍋や刃物を使った料理はやらない方が良いだろうと、簡易的な食事にする。

 少しばかり、なぜこの世界に存在するのか分からない”冷蔵庫”を開くと、その中に酒があるのを確認した。

 必要経費だと自分に言い聞かせて、酷い疲労感と全身の幻痛を誤魔化す為に飲む。

 それから、アーニャに頼んで薬をもらおうかと少しばかり悩んだ。

 当然、それは却下した。


 ミラノたちを心配させるわけにはいかない。

 薬を飲む使い魔や主人と言うだけで、ミラノだけじゃなくカティアまで不安に思うだろう。

 これは、俺が解決しなければならない心因性の問題だ。


「……そうだ、やらないと」


 俺の都合なんてどうでもいいし、そんなことで今の状況が解決する事はない。

 俺が困ったからと言って社会も世界も待ってはくれないし、そんな都合で見逃してくれる相手もいない。

 なら、こんな思考は……”自分”は殺すべきなのだ。

 自我を殺し、己を殺し、任務完遂の為の機械となれ。

 

 そうだ。

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……。


「──よし」


 両手で己の頬を叩いた。

 すると、少しだけ酒の勢いもあって意識は晴れる。

 疲れはどれくらいのレベルだ? 行動に支障はない。

 眠気レベルは、集中力や思考の妨げになるか? 否、これくらいは現役時代でもあったことだ。

 では己の使える手札は全て晒したか?

 いや、俺はもらった武器を一度として使ってなど居ない。

 その上で問う。


 俺は、後悔のない行動が出来ているか?


「……銃の整備と調整が必要だな」


 その時初めて、俺は与えられたそれらの武器を出した。

 黒く、鈍く光る俺の”商売道具”。

 紙パックに入っている実弾を、弾倉へとこめていく。

 小銃の5.56mmを、拳銃の9mmを。

 レッグホルスターに弾帯、それに負い紐等も取り出して利便性を追求する。


 ── え、香山。お前、スピードローダー使ってないのか? ──

 ── 三点スリングは普段は身体に有る程度密着するように、いざと言う時にフックを外して取り回せるように調整する事 ──

 ── タクティカルリロードとエマージェンシーリロードは別物だ。それを使い分けられるようにする事 ──

 ── お前らは銃を持って強くなった気で居るかも知れないけど、接近された時の対処法を知ってるか? ──

 ── 相手との距離に応じて、詰めるべきか離すべきかを考え続ける事 ──

 ── 君たちが訓練するのは、何も戦う為だけじゃない。守るべき相手を守れるようにする為だから ──

 ── 強くなりなさい、大地。技術や能力じゃない、心も鍛えなさい ──


 作業中に、過去の話を思い出す。

 候補生時代の頃から、中隊に配属されてからの日々。

 その毎日が、今必要とされている。

 ミラノやアリア、カティアを守る為には知識と思考が必要だ。

 そして、幾らかの経験で更に補強し、安全性を高めなければならない。

 


 じゃなければ、また俺は後悔する羽目になるから。





 ~ ☆ ~


 週末の外出で、我はいかなければならない場所があった。

 それは、我が父やその祖先が代々学園の生徒で有った時に、少しでも楽が出来るようにと郊外に持つ家がある。

 我が父とミラノの父も、かつては郊外の家で短い休暇を過ごした事も、学園から離れたい時などにも利用していたと聞く。

 今でこそその利用者は居ないが、今日は両兄が来ている。


「ようっ! 3月ぶりだな、アルバート!」

「元気そうですね」

「あ、あぁ……。うむ。両兄共に変わりないようで……なにより」


 う、上手く喋れぬ。

 言葉遣いですら曖昧になってしまい、そんな自分がもどかしく思える。


「んで、グリムっちもおひさ~」

「おひさ~」

「兄さん。それは止めろとあれほど……」

「良いじゃねえか。口うるさいのが居ないからな」

「二人は?」

「今回はお二人にはお留守番をしていただいてます。というよりも、アルバートに会いに来るのにあの二人が居ると、緊張して見ていられませんからね」


 次兄のいうように、居なくて助かった。

 長兄エクスフレアの従者は奔放さと対になって厳しい性格をしている。

 今のグリムとのやり取りですら両者を責めていた事だろう。

 次兄キリングの従者は逆に奔放的な性格をしている。

 だが、その慈愛と優しさを兼ね備えた甘さは、ダメにされそうで苦手だ。

 

 ヴォルフェンシュタイン家の者は、従者を出す事を代々の使命としてきた。

 己の仕える相手に応じて技能や知識、性格や態度を変えると聞く。

 互いに補い合い、助け合っていく。

 それがあり方なのだが……。

 グリムを見て、我の何を見ればこんな性格になるのか理解が出来ぬ。

 昔と何も変わっていないような気さえするし、下手すると主人である我が不甲斐無くて従者として戸惑っている可能性すらある。

 だが、槍を扱い正面から戦う我を補うように弓や魔法に秀でているのは従者としての変化なのやも知れぬ。

 ヤクモを監視しろと言った時に、壁に張り付いていたり縄で窓から見張っているのを見たときは、その技能の高さに相変わらず驚くのだが。

 

「聞いたぜ、アルバート。最近学園での素行が良くないらしいじゃねえか」

「あ、いや……」

「感心しませんね。学園は基本と基礎を作ると同時に、将来の自分の繋がりを作る場でもあるのですから。貴方の言動が家に泥を塗る……と、までは言いませんが。味方を作らず敵を増やす行いは慎むべきです」


 ……別に、隠していたわけではない。

 だが、よくもまあ半年近くも露呈しなかったなと思う。

 あるいは、これ以上は良くないと誰かが流したかだ。

 そう考えれば、グリムくらいしか居ないのだが。


「──ん。発言許可」


 しかし、少しばかり疑った相手が手を上げる。

 なにを言うのだろうかと思ったが、彼女は発言許可を貰うと一度咳払いをする。


「──アル、最近虐めとか止めた。いま、そんなよゆーなど、無い」

「虐めとかダッセエなあ……。けど、何で余裕がなくなったんだ?」

「──強い相手、見つけたから。下じゃ無くて、上を見るようにしたから」

「上、ですか」

「あ、あぁ……。我は、戦い慣れた相手を見つけたのだ! そ奴に、負けたくなくて、だな……。少し、また、少しだが……頑張るように、したのだ」


 信じてもらえるとは思っていない。

 あるいは、疑われて当然なのだ。

 別に目が覚めたとは言わない、けれどもやるべきことが出来たのは事実。

 我は……あの時、目の前で7人を蹴散らし、我ですら打ち倒しかけたあの戦いぶりに、胸が躍った。

 遊戯ではない、むしろ本格的な実戦に近い戦いぶりをする男が現れたのだ。


「……我は、休暇の時に家に戻った時くらいしか、相手が居なかった。だが、今は……違う。あの男は、我が見込んだあいつは……強い」


 そういうと、長兄が我の肩を両手で掴む。

 驚き、硬直し、間近でその燃えるような瞳を覗き込むことしか出来ない。

 ほんの僅かな時間ではあったが、長兄はそれで離してくれた。


「──なるほどな。俺は信じるぜ」

「根拠はない、直感と言う奴ですか」

「いんや、目が燃えてたのさ。俯いたり、逸らしたりせずに見つめ返しやがった。その目は怯えてはいたが、恐怖しちゃ居なかった。つまり、後ろめたい言葉じゃないのさ」

「なるほど。では、私からも新しい情報からそれを真実とします。……彼が一日だけ、様子を見に来たそうですよ? お忍びで、姿を隠したまま。最近召喚された、記憶の無い男性がその相手のようです。8人を1人で蹴散らし、あわやと言う所まで行ったそうだとか」

「──ん。アル、その人に教えてもらってる。だから、アルはいそがしー」


 疑いはしたが、どうやらグリムではないらしい。

 というか、爺が御忍びで来ていただと……?

 それはつまり、噂が本当かどうかを確認しに来たと言う訳ではないか。

 ……虐めをしたままであったなら、どうなっていた事やら。


「ええ、それは受け入れます。ただ、伝言も有ります」

「伝言?」

「はい。『おい、坊。随分”余裕”があるみたいだな? 性根がどうやら曲がったみてえだから、今度の休みを楽しみにしていろよ?』だそうです」

「ガッ……!?」


 休みを、楽しみにしていろ?

 それはつまり、事実上の死刑宣告ではないか!

 あのクソ爺……槍に秀でているからと、屋敷に戻れば好き勝手しおってからに。

 満身創痍なまま学園に戻るのは、何時になったら終わるというのだ!


「それに、グリムから父の渡したワインをその方にあげたとも聞いています。……良かったですね、アルバート」

「ああ、よかったよかった。このまま親しい友人の1人もできないまま卒業していくのかと、俺たちは心配してたんだ。その変な演技がかった口調と態度までし始めて、ついに終わったかと覚悟までしたもんだが……。いやぁ、本当に良かった!」

「ちっとも良くない! というか、それをいったのはグリム、貴様かぁ!」


 グリムは、ゆっくりと首をかしげる。

 まるで悪気が無かったかのような仕草に脱力しかけた。

 だが、いやまて。

 演技だと改めて突きつけられると恥ずかしいのだが……!


「演技ではない! 強者は強者たる態度をだな──」


 なんとか、両兄を言いくるめなければと思った。

 だが、それは叶わなかった。

 

「……ん?」

「揺れ……?」


 その言葉が、突如として今までの空間をぶち壊す。

 地面が揺れるなどと言う経験など無い。

 ましてや、地面が揺れるなどと言う事がありえるとは思ってなど居なかった。

 天井から吊り下げられたシャンデリアが揺れ、金具の弾ける音が聞こえる。

 その先に居るのは我で、まったく動く事ができずにいた。


 死んだやも知れぬ。

 そう思ったが、そうはならなかった。


「キリング!」

「はい!」


 次兄の魔法でシャンデリアの落下速度が緩まり、長兄が飾り物の槍矛を傍の装飾具から取り上げると、それを思い切りふるった。

 破片が飛び散り、真下に居た我は庇われる。

 長兄は、破片ですらも我には届かせぬと立ちはだかった。


「兄さん!」

「あ~、ってって。流石に無茶があったか」

「あ、あぁ……」

「アルバート、無事か?」

「どこか、怪我は!」


 長兄と次兄が直ぐに腰を抜かし、ヘタリ込んでいる我の心配をする。

 グリムは、何事かと既に扉を開いて外の様子を見ている最中であった。


「いや、俺は……」

「無事なら良い。グリム、何が起きた!」

「──分からない。けど、凄く地面が揺れた……感じ」

「……となると、グズグズしてらんねえな。キリング、親父んとこに早馬で行ってくれ」

「私がですか?」

「アルバートに数名つけて学園に送り返す。残りは俺と一緒にここいらの掌握に入る。……外を見ろよ」


 そういわれて見た外は、知っている光景では無かった。

 建物が崩れ、街中で火事が起きている。

 それが特定の場所ではなく、見える範囲のほぼ全ての場所で起きている。

 つまり、この都市は全て被害を受けた訳だ。


「途中で立ち寄った村に俺の従者が来てる筈だ、護衛はそいつにしてもらえ」

「……分かりました」

「おい、地面に這い蹲ってねえで、アルバートとグリムに……そこの三人、一緒に行け。んで、学園まで行ったら真っ直ぐ戻って来い。護衛だ、ちゃんと送り届けろ」


 長兄は、既に次期当主としての意識があった。

 自分も状況を把握できていないだろうに、次兄含めて指示を飛ばす様は心を穿つ。

 俺もああなりたいと、強く願っても届きそうにない。


「アルバート様、急ぎましょう」

「あ、あぁ……」

「アルバート。落ち着いたらまた会おうな!」


 飛び出していく次兄と、居残って僅かな手勢を纏め上げる長兄を後にして、俺たちは学園まで戻ろうとする。

 


 だが、その考えは甘かった。

 建物が崩れていれば、見知った道ですら通れなくなる。

 既に夕日の傾いていた街中で、遭難するかのように往生していれば日が沈むのは道理だった。


「仕方がありません。今日は井戸の傍で休息としましょう」


 そう兵士が言った時には、既に現実味を失っていた。

 瓦礫や不慣れな足場を進めば膝が笑い出す、周囲は先ほどまで無かった悲鳴などで溢れている。

 そんな中を歩いていれば、助けてくれと求める声が飛んでくる事も少なくはない。

 だが、我らは──誰の1人として助けたりはしなかった。


「携行食糧をどうぞ。あまり良いものではありませんが、我慢なさってください」

「いや、助かる。感謝する」

「いえ、仕事ですから」


 そう、仕事なのだ。

 善意や好意は無く、ただ仕方が無くそうする。

 長兄や次兄に比べて、俺にはそういったものが無い。

 秀でたものも無く、家では常に萎縮している。

 そんな相手に誰が敬意を払うのか。


 兵士が差し出した携行食糧を受け取ろうとしたが、その差し出した手に何かが飛び散る。

 それが何なのかを見たときには、兵士の首根に斧が刺さっていた。


「魔物だと!?」

「魔物!?」


 なぜ、学園内部に!?

 理解が出来ぬ、納得も出来かねる。

 だが、そこに居たのはオークであった。

 緑がかったはだ、ふくよかな腹部、巨体と醜悪な顔面を見れば理解が出来る。

 しかし、なぜ都市の内部に?


「──アル」

「う、お?」

「──それで自分の身、守る」


 そう言ってグリムが投げ渡したのは、先ほどまで生きていた兵士の剣であった。

 自身はそのまま懐に忍ばせてあったナイフを出すと、生き残った二人の兵士に加勢する。


「何処から来るんだ、こいつら!?」

「ダメだ、抑え切れな──」


 長兄に貸し与えられた兵士は、ウルフに喉を噛み千切られ、引き倒されてゴブリンに滅多ざしにされて死んでいく。

 グリムはその状況を見て、逃げることを選んだ。


「アル!」


 その後、気がつけばどこぞの建物の影で、麻袋を被って二人して身を寄せ合うしかなかった。

 カチカチと鳴る歯に、グリムが指を差し込む。

 それでも鳴り止まなかったが、血の味が口内に広がると僅かに正気を取り戻せた。

 ……歯が、グリムの指を僅かに噛み切っていた。


「グリ、む」

「──今日は、ここで休む」


 麻袋の奥底に居る事で安心などしていられない。

 だが、今外に出れば闇の中で魔物を相手にしなければならない。

 見つかるな、見つからないでくれと祈る事しかできないが──。

 グリムは、混乱する俺の頭を抱きしめる。


「だいじょ~ぶ、だいじょうぶ。恐くない、恐くない」


 情けない。まったく持って、情けが無い。

 誰が主人だ? どちらが従者か。

 武芸の家に生まれながら、一度も戦う事もせずに従者の胸に顔を埋めて震えている。


 だが、グリムの胸に抱かれていると、徐々に安堵が去来する。

 そして、頭の中で線が切れるような感じがした。

 緊張のしすぎだと理解したのは、翌日の朝にグリムによってたたき起こされてからだ。





 その後、魔物たちの中を突っ切り、我はヤクモ達と再会した。

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