第6話
~ ☆ ~
「なあ、カティア。見えるか? ようやく……外が見えた」
聞こえてますわ、ご主人様。
けど、私も少しビックリ。
今までは学園の中か、前に居た世界の車とつめたいコンクリートの記憶しかないから。
人が沢山居て、建物も見たことが無い物ばっかりで、学生だらけの場所とは違う。
子供が居て、大人が居て、色々な職業の人が居て、色々な意味でうるさい。
「──……、」
「人前は苦手とか言ってなかったかしら?」
「人混みは苦手とは言ってないかなあ。それに、自分たちにとってそうであるように、自分たちも彼らにとっては背景≪モブ≫の一人に過ぎないから気楽でいいよ」
「へ~、気楽……ね」
ご主人様は自分の格好を忘れてるみたい。
どこの世界に……というか、この世界にジーンズやYシャツ、Tシャツを着た人間が見当たらないのだけれど。
それに、首からヘッドホンぶら下げてるし、完全に”変人”でしかないのだけど。
というか、ご主人様地味にずっと小さな音量で何か再生してるけど、気づかれないのかしら?
まあ、人間の聴力とじゃ比べ物にならないから、私には聞こえるのだけど。
それって精神安定剤代わりなのかしら。
私には分からない言語だけれど、クラシックやオーケストラのような曲ばかり流してる。
心細いの?
「質問」
「はい、どうしたの下僕?」
「下僕て……。店とか有るみたいなんだけど、どれがどういう店か分からないから聞きたいな~と」
「……そうねえ。学園をでて直ぐが商店街で、週末に学生が遊びに出る時に商売が繁盛するからここら辺は色々な品やお店が揃ってるわ」
「えっとですね。基本的に学生の方が気に入るような品揃えが学園傍に有ってですね、鍛冶屋等と言ったものは少し離れた場所になります」
「へ~……。あの学生が集ってるのは?」
「あれはツアル皇国発祥の漫画って言う、絵と文字を組み合わせた簡単な読み物を売ってる場所。書物より取っ掛かり易いけど、その分情報量は下がってしまうわ」
「普通の書物とどっちが安いのかな」
「どっちも貴族御用達よ。時々それを民衆用に仕立て上げた紙芝居と言うものもあるけど、こちらでは人形劇の方がまだ主流かしら」
「なるほど」
漫画があるのね、この世界は。
けど、漫画と聞いてご主人様が少し元気になったように見える。
こう、なんと言うか……チラチラと目線がそちらに何度か向かってるのだけど。
「言っとくけど、漫画や本を買い与えるつもりはないから」
「あぁ、うん。それに関しては異論はないよ。ただ……」
「ただ、なに?」
「学園に図書館が有ったと思うけど、あれは利用出来たらな~って思うんだ」
「……そういえば、何度も本を通して知った事があるとか言ってたものね。それに関しては掛け合ってみるけど、期待はしないで。私が借りてきてあげる事は出来るけど、たぶん良い顔はされないと思う」
「そっか。まあ、身元不詳だから無教養の民扱いされて、本なんて読めるのかって笑われるよな……。カティアは読み書き出来るからすんごい羨ましい」
「逆に何でアンタに出来ないのよ」
「読めるけど書けないんだよ……」
それに関しては私が一歩リードしてる。
ご主人様はなんだか良く分からない能力で色々な恩恵を得てるけど、知識まではもらってない。
何かを経由させないと文字は読めないし、理解してるわけじゃないから書けない。
私は何もしなくても読み書きできるのだから、頼ってもらえるかも知れない。
それは嬉しい事。
「私を頼ってくれてもいいのよ?」
「駆逐艦かよ……。早い内に読み書きできるようにしようっと」
「それはッ! ……困るわ」
「いや、困らないだろ……」
このご主人様は、多くの事を自分で何とかしようとする。
自分にできること、自分にやれること、求められてること、影響。
それは長い孤独の影響、それは他人を信じられない臆病さ。
自衛隊と言うものを離れてからそうなったと、知識として知っている。
人の為に働き続けて、その”人”に拒絶され、否定され、跳ね除けられた。
仲間が居て耐えられた事が、仲間が居なくなって耐えられなくなった。
辞めても”元”と言う肩書きだけがついて回る。
余計な事は言えず、余計な事はできず。
組織に義理立てして、あるいは狙われるのを恐れて。
「服屋なんて大通りに置いといてどうするんだ。学生はずっと制服なのに」
「……あはは」
「はぁ……」
「え、なに?」
「服に用は無くても、下着には用があるのよ。男子はどうだか知らないけど」
「サーセンでしたぁ!!!」
直ぐに平身低頭、90度も状態を下げて謝罪してる。
”オンナノコ”は結構不便だと聞いてる。
私も同じように不便になる時が来るのかも知れない。
なら、少しは学んでおかないと。
「……けど、そうね。来月になったら行ってみる?」
「え? 何で?」
「アンタ、自分がずっと同じ格好をしてるって分かってる? 洗ってるのは分かるけど、制服じゃないんでしょ?」
「私服だけど……」
「同じ服をずっと着てるって思われたら嫌じゃない?」
「まあ、それは分かるけど……。俺は今のこの格好が一番楽で、材質や素材的にも戦闘も出来るような物なんだ。それに見合うものがあるかなあ……?」
「無ければ近いものを持ってくる。流石に特注まではできないけど」
「そんな事したら姉さんのお小遣いが無くなっちゃいますよ」
おこづかい……貰ってるんだ。
私たちはご飯とかお茶とか、好きに貰ってるけど、それ以上は無い。
与えられるものが全てで、それ以上のものは手に入らない。
ご主人様がお酒を好きでも、それを買うお金も無い。
……ダメダメ、ダメよカティア。
ご主人様は言ってた、高望みをしすぎると相手からの要求も増えるって。
今は少しずつ頑張らなきゃいけないときで、まだ安定してない。
一週間しか経ってないもの、早すぎるなんてものじゃないわ。
「それだったらさ、カティアに何か見繕ってやってくれた方が良いかな。俺は……ホラ、男だからいいけど、カティアも同じだろ?」
「あぁ、そうね。学園では猫になってもらってたから、忘れてた」
「俺に関してはアルバートの件もあって、幾らか血や泥に塗れてるって印象で幾らか押し通せるようにできるからさ。それなら無骨だとか、そういう印象でやっていける。だからさ、頼むよ」
「わ、私は……大丈夫よ? 人目に触れないように、ずっと猫で居るから!」
「そういうわけにはいかないだろ。カティアはもっと色々な人に触れて、色々な事を知らなきゃダメだ。その時に負の要素になりかねないものは、出来る限り排除しないと。俺は幸いアルバートやグリムが最近親しくなれたことだし、ミナセやヒュウガってのも居る。大丈夫だって」
たしかに、そうかもしれない。
私はご主人様に比べると、経験の無い知識だけの状態だ。
そして今私が居るのは人間の世界で、人間の社会だ。
ご主人様はもう30年近く人間として生きてきた。
けれども、私はまだ数ヶ月の猫としての生しか経験してないし、人としてなら一週間くらいしかない。
ご主人様は言うとおり何とかできるのかもしれないけど、私は……そこらへん上手くやれる自信は無い。
「じゃあ、カティアちゃんの服は私が見るという事で解決ですね」
「「え?」」
「あらら、二人揃って同じ反応って主従って感じですね。けど、私抜きで話を進められると寂しいですね。カティアちゃんも、一緒に寝起きしてる仲なのに」
「あ、その。そんな……。別に、蔑ろにしてた訳じゃ──」
「なんて、冗談です。けど、それだったらヤクモさんが一緒に来てくれると嬉しいな~とか思っちゃったり」
「なんで?」
「カティアちゃんが受け取る初めての贈り物は、主人からの方が嬉しいでしょ?」
うん! そう、そのとおり!
と……口に出しかけてしまった。
けど、それを口にしたら幾ら何でもはしたなさ過ぎる。
それに、こういうのはもうちょっと、こう……。
「──……、」
あ、何か言いかけた。
けど、その口を何も言うことなく閉ざす。
なにを言いかけたのか分からないけれど、黙ったという事は飲むということなんだと思う。
「……お世話になります」
……なんか、気に入らない。
ご主人様が頭を下げてる姿を見るのが、嫌だ。
こう、もうちょっと……堂々としていて欲しい。
私が与えられたご主人様の情報だと、昔はもっと凛々しかった筈なのに。
今じゃ、なんだかそのイメージとは違う。
緑で斑の模様の服、似たようなヘルメット、そして銃と言う武器。
それを手に、背中には重そうな物を背負ったまま突き進んでいく。
汗と泥、そして小さな傷で血が流れても勇ましい。
── 逓伝しろ! 状況報告! 分隊長に俺が送る! ──
── ほら、頑張れ。あと匍匐で緊迫して、銃剣をつけて突撃するだけだ ──
── よし、よくやったな。疲れたか? 水分を少し飲んで呼吸を整えろ ──
昔の話だと分かっていても、それが嘘だと思いたくない。
ただ、どうしたら良いのか……。
「それで。これからどこに向かうのか、そろそろ教えてくれても良いんじゃないかな」
「ま、そうね。今日は出来ればそのダッサイ服を変えるのと、アンタに持たせる武器でも見てみようかと思ってたの」
「ダサいって、酷くないか……?」
ダサ……い、かどうかまでは……。
「他に服って持ってたかしら?」
「いや、家にあったのは基本全部似たり寄ったりで……。下に着る服は、いつも速乾迷彩シャツだったかな……」
「……ダッサ」
「ダッ──!?」
流石に年がら年中迷彩速乾シャツは、代わり映えが無さ過ぎる。
それに、繊維や糸の表面が掠れて”老い”のように草臥れた色の服を着ているのも、なんかなあ……。
あぁ、でも。
ご主人様の居た世界だと”帰還兵”だとか”古参兵”ってのがそういう色合いの服を着てたみたい。
曖昧な自分の未来、あるいは結末はそういうものだったということなのかもしれない。
定年を迎えて、それでも元気で胸を張れる終わり方を迎える。
けど、それは社会活動の終わりでしかなくて、人生の終わりじゃないのを知らない。
その後、ご主人様はどうするつもりだったのかしら。
「魚屋って無いのね」
「そういや魚は見ないなあ……。保管が聞かないか、保管して運んできても商品として割が合わないからじゃないか?」
「どういうこと?」
「該当するかは分からないけど、塩を使って食べ物を保管するという手段があるんだ。水分を奪う事で脂身や細胞がグズグズになったり、菌の繁殖を防ぐ事で鮮度を保たせる事で遠隔地まで運ぶ事が出来る。けど、塩漬けにするって事は魚だけで運搬できないから輸送能力を使うし、その塩が高くつけば売る際にその分値段を上げないと割に合わないっていう考え方。つまり、売り物として適さないって証明なんじゃないかな」
「塩漬けを知ってるのは驚きだけど、ハズレよ」
「違うんだ?」
「海の魔物も結構強いのよ。漁をしてもその度に船に修理が必要になったり、死傷者が絶えない。じゃあ、死傷者や修理の分魚の純粋な値段は上がるし、それに塩や輸送を加えると最早売り物にならないのよ。それに、魚と言ってもどれが魔物でどれがそうなのかなんて誰も知らないし、口にするのは海岸に多くの面積を接してるツアル皇国位かしらね」
「あぁ……」
「なんだ、残念」
どうやら、魚はここら辺では食べられないみたい。
それは純粋に残念で、是非とも食べてみたかった。
こう、なんというか……本能?
自然と空腹になるのと同じように、適度に口にしてみたいという欲求が私の中に存在する。
勿論食べた事はないけれども、食べたら美味しいという情報はご主人様経由で貰ってる。
こんなの、生き地獄。
「ヤクモさんの居た場所でも塩漬けしてたんですか?」
「いや、冷やしてたんだ。勿論血抜きだの処置だのはするけど、その上で冷やす事で同じように菌の繁殖を抑えることで保管してたかな」
「非効率的ね。冷やすという事は専属で魔法使いでも居たの? そうじゃなかったとしたら、氷を手に入れなきゃいけない。塩よりも高くつくでしょ、そんなの」
「残念だけど安上がりなんだよなあ……。そういう技術が確立されてて、電力と言う資源を確保できれば場所を問わずに物を低温で保ったり、文字通り凍らせて冷蔵する事ができたんだ。で、そのまま冷蔵や冷凍で内地にまで輸送して、それで売ってる」
「輸送手段は?」
「その輸送する乗り物をそのまま技術で固めてるんだよ。だから輸送しながら冷やしてるし、同じ技術を用いてるから変に嵩張る事もない。ありがたい時代だよ」
「──なにその”無”の系統の魔法みたいなの」
「無の系統ってそういうことが出来るのか?」
「私は”時間から切り離す”という認識をしてるけどね。温かいものや冷たいものをそのまま時間から切り離して、その瞬間から時間が止まったみたいに保存できるの。腐ったりしないし、痛んだりもしない」
「そっちの方が凄いな……。冷蔵や冷凍と言っても、常に干渉し続けるわけだから乾燥したりもろくなったりするし、最終的にはどうあがいても消費するに値しない存在に成り下がるからな……」
「それも受け売り?」
「いや、実体験。冷凍庫に保管してた野菜が完全に干からびて、触ったら崩壊するくらいにダメになってた……」
「どこでも出来るって、家?」
「うん、家。大体どこの家でも持てるし、文字通り国民全員が持ってるといっても過言じゃないくらいのものだったよ」
「アンタのいた場所がどうなってるのか気になってきたわね。それに連なるものは何かないの?」
「いや、残念ながら」
それは嘘。
ご主人様、ストレージと言う物の中に色々なものを隠している。
それは衣類だけじゃなくて、色々な装備が含まれていて、燃料や発電機、冷蔵庫とかも持ってる。
けど、それを出したりはしない。
武器も、自分も──ご主人様は出さない。
恐れている、出す事でどうなるのか予想がつかないから。
いつも”悪い方へ転がる事”を考えている。
「……悔しいわね。アンタは色々知ってるし、その中には私の知らないようなものが沢山ある。けど、その欠片もここには無いなんて」
「それって再現できないのですか?」
「技術ってのは裏打ちされた別の技術が必要な事が多いし、それを再現する専門的な知識も能力も無いからな……。魔法で雷撃……電撃系統を扱うことは出来ても、それを適切な”電力”にする知識が無いから無理」
「チッ……」
「ミラノさん? もしも~し! 舌打ちしたよね? しましたよね!?」
「するわけ無いでしょ」
「嘘だあ……」
……けど、何だかんだ少しずつ進めているのかもしれない。
ご主人様も、前までならこんな振る舞いをしてない。
適度に切り上げて、後は黙っている事の方が多かったから。
そういう意味では、変化があったのかもしれない。
あの変な赤髪が決闘とか言ってご主人様を虐めたのが、良い方向に進むだなんて……。
普通逆だと思うのだけれど、人間って本当に意味が分からない。
それでも……それでも良い。
幸せになれるのなら、何でも──。
私はそんなご主人様の姿を見つめて、一度だけ瞼を閉じる。
そして、それが幻だと気づいたのは再び瞼を開いたときだった。
「なんだ、こりゃあ……」
先ほどまで私が見ていた幸せな時間は、遥か彼方へと消えていった。
今は先ほどまで見ていた光景はどこかに消えて、阿鼻叫喚と言う単語が思い浮かぶ情景へと変っている。
叫び声、悲鳴、鳴き声、怒声……。
様々な”負の感情”が、場を支配していた。
地揺れの後、ご主人様は周囲の状況を見るために私を引き連れて外へと向かった。
崩れた建物、瓦礫や破片で塗れた空間。
先ほどまでは忌避すべき対象ではなかった筈の赤が、疎らに散らばっている。
人も、地面も、壁も、世界も。
「はぁ、はぁ……」
ご主人様の様子がおかしくなったのはその時だった。
周囲の状況に飲まれたみたいで、胸を掴んで苦しそうにしている。
その様子を見ていると、私の目の前で胸を抑えて倒れたあの瞬間が蘇る。
私の目の前でご主人様は死んだ。
そして同じ用に胸を抑えて、苦しそうにしていると心配になってくる。
けど、それは杞憂だった。
ご主人様は大きく呼吸を一度だけ行うと、ストレージから幾つかの装備を出す。
漆黒の布に赤い髑髏のマークがはいった物を頭に巻きつけて、バンダナにした。
そして、灰色のヘルメットを私に投げ渡す。
ついでに手袋まで飛んで来た。
「……カティア、悪いが付き合ってもらうぞ」
その声は、私の求めていたものだった。
けれども、状況は私の求めていないものだった。
凛々しいご主人様は、初めて私を求めてくれた。
その顔立ちや勇ましさは、胸を高鳴らせるのに十分。
「ヘルメットを被って、手袋着用。それと、周囲だけで良い、呼びかけをしながら人の捜索。それと、動かない人が居たら事情を聞いて、動けない人は最優先で報告。質問は?」
「──ないわ」
「よし、それじゃあ右手から掛かってくれ。間違っても大通りには向かわないこと。この通路だけで良い、確保しよう。それじゃ、かかれ」
そういうと、ご主人様は小走りしながら自分も手袋を装着する。
その様子を、私は作業をしながら盗み見ていた。
「大丈夫ですか?」
「君は……」
「建物の傍は、倒壊の危険性と二次被害の可能性があるので、近くの広場に移動してください。どこか負傷は?」
「崩れた建物で肩をうって……右腕が動かないんだ」
「……失礼」
肩の外れた男の人の肩を、無理やりにはめなおす。
それから、ご主人様は軽く魔法で癒してあげる。
「動く……」
「それじゃあ、下がってください。近場で他に被害にあった方を見たりしましたか?」
「いや、そんな余裕は……何が起きたのか」
「──では、言ったとおりに」
ご主人様は更に走る。
「これは……」
「あぁ、俺の妻が崩れた家具の下敷きになって。なんとか引っ張り出したけど、動かないんだ!」
「旦那さんは、怪我は?」
「少し指を切ったりしたけど、それ以外は」
「それじゃあ、少し失礼します」
そういうと、目を開いて瞳孔を確認する。
それから首に手をあてがい、耳と目を寄せて呼吸と脈を確認する。
「……呼吸はしてます、頭を打ったことで一時的に昏倒していると思いますが、専門的なことは分からないので改めて医者に掛かってください。家屋の近くは建物が崩れる可能性があるので、奥さんを連れて広場まで向かってください」
「あ、あぁ」
私も何かしないと、頑張らないと。
そう思って周囲を見ていると、子供が泣いている。
小さな子、膝を怪我している、それ以外に目立つところは無いけれども、建物の近くから動かない。
「どうしたの?」
「お父さんが、中で……」
「中……」
見た先では、火災が起きている。
まだ致命的ではないけれども、人が中に入るには厳しい。
私には、どうにも……。
「カティア、どうした!」
「か、火事の起きてる中にお父さんが居るみたいなの!」
「分かった!」
それだけで、ご主人様は急いでこちらに来てくれる。
「場所は? 部屋とか」
「えと、えっと……」
「──カティア。回復させたらこの子を下がらせて」
時間が持ったいないと、直ぐに行動を始める。
魔法で水を出すと、それを己にかける。
何で水で火を消さないのだろうと思ったけれども、それで被害を広げたら意味が無いのだと暫くしてから気づいた。
入ってから数分後、ご主人様はずぶぬれの男と共に建物から出てくる。
それとほぼ時を同じくして、建物は火災のせいか分からないけれども崩れ落ちた。
「おと──」
「まて、蘇生をはじめるから下がっててくれ。たぶん煙を吸いすぎたみたいで、意識が無い」
そういうと、ご主人様は先ほどと同じように脈や呼吸を確認する。
腕時計を見てから、ご主人様は腕時計を内向きにすると胸を圧し始めた。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち……」
ボキリと、骨が折れるような音が聞こえた。
けれども、ご主人様はそのまま胸を何度か圧すると、息を吹き込む。
三度目になると、ご主人様の表情は険しくなった。
「げほっ、うおほっ!?」
「お父さん!?」
「カティア、説明を頼む。父子の搬送を確認したら、そのまま作業続行」
蘇生を終えてまもなく、ご主人様は再び舞い戻っていく。
私は意識の無かった父親に事情を説明すると、子供をつれて退避するように伝えた。
勿論、回復も行って支障がないようにして。
そうやって、目に見える範囲で人が居なくなると、今度は声がけで瓦礫の下敷きになっている人が居ないかを確認し始める。
目視出来ないだけで、埋もれながら生きている人が居るかも知れないから。
そこではも、私は耳が役に立つといわれて手伝った。
「……ご主人様、ここから人の声が聞こえる」
「よし、分かった。誰か居ますか? 居ますかーっ!」
僅かながら聞こえる声に、ご主人様はマズ周囲の状況を確認する。
瓦礫をどう退ければよいのか、それによって状況を悪化させないかを計算する。
地面や瓦礫の上に転がって、隙間から中を確認しながら。
「お願い。たすけ、て……」
「大丈夫、大丈夫。直ぐに助け出しますので」
たぶんその時が初めてだったかもしれない。
ご主人様はまるで火事場のバカ力とも言えるような勢いで、建物の残骸を一人で持ち上げて安全な場所に投げる。
途中からストレージでも良いかも知れないと、目の前で瓦礫を格納していった。
数分後、赤子を庇うようにして埋もれていた母親の姿が出てきた。
両足を大怪我、頭と背中を酷く傷つけている。
それでも、赤子は無事だった。
「私は、いいから。子供を、先に……」
「カティア、赤ん坊を。奥さん、大丈夫。直ぐに魔法で治します」
「え、魔法……? 貴方は……」
笑みを浮かべると、ご主人様は何度も何度も未熟な魔法を重ねてかけ続ける。
潰れていた足が治り、そのままでは遠からず失血死していただろう母親を救う。
その間、ずっと声をかけ続けて、自分がどうなっているのかを確認させずに居た。
「……よし、これでもう大丈夫。奥さん、良かったですね。奇跡的に軽傷で済みましたよ。立てますか?」
そう言いながら、ご主人様は手を貸して女性をゆっくりと起き上がらせる。
それから赤子を渡させると、避難指示を出す。
「ありがとう。なんとお礼をして良いか……」
「いえ、大丈夫です。子供を大事にしてあげてください。道中もお気をつけて」
そう言って、ご主人様は作業を続ける。
けれども、勿論二人だけじゃ限界がある。
火事はどうしようもないくらいに広がった。
奇跡的に保っていたバランスを崩して、建物が更に倒壊し崩れた。
瓦礫が音を立てて崩れ落ちて、隙間を埋める。
……その中で、死者を出した。
燃え上がる人が居た。
建物の上階から逃げられずに居た人が、放り出されて背中や頭から通りに放りだされた。
瓦礫の奥から、シミのように血が流れ出した。
三時間も経過して、ご主人様の見た目はボロボロになっていた。
汗で顔はテカり、煤や血で黒と赤に濡れている。
目は既に充血し、息もかなり絶え絶えだった。
それでも、救い出せたのは57名。
そう、57人もの命が救われた。
悲鳴が、怒声が……遠のいていった。
「んん゛ッ!!!」
ご主人様は傍の壁に頭を叩きつける。
他人の血ではなく、自分の血がバンダナからにじみ出る。
それから、数度呼吸を繰り返すと自分の顔を叩いた。
「……カティア、本来の任務に戻ろう」
「周囲の状況──」
「あぁ、そっか。周囲の状況か……。いや。学園までの道を確認して、戻れるかどうかを確認しよう。その途中で、手助けできる人は手助けする程度で」
「分かりましたわ」
ご主人様は一歩目を踏み出そうとして、その膝に力が入らずにガクリと崩れ落ちる。
けれども、折れ曲がった膝に手をあてがうと、無理やりに立ち上がる。
「……ご主人様、仕方が無い事も有りますわ」
「仕方が無い……という言い訳は、しない」
その意味は、私には分からない。
けれども、救えなかったのは仕方が無いという事では終わらせられないのだろう。
ご主人様の目は、今までに無いくらいに活きている。
大通りは広さの分だけ混乱は少ないかと思ったけれども、そんなことは無かった。
荷馬車や馬車、それに倒壊した建物や出店などの障害物が、完全に道を埋めていた。
学園までの道は大分遠く、眼前ですらこうなのだから、最後までこうなのだと思ったに違いない。
バンダナを外すと、数秒俯いてしまう。
「──戻ろう。もう5時間38分も経過してる。俺は、出来る事を……務めは果たした」
本当にそう思っているのかは分からない。
けれども、これ以上は時間的にも距離的にも離れる事ができない。
悔しいのかも知れないその顔は、もう既に大分汚れと疲れに塗れていた。
戻る道中、ご主人様にヘルメットと手袋を返した。
私も改めて自分を見ると、綺麗な白い服は大分汚れてしまっていた。
「悪い、遅れた」
「お帰りなさ……ひゃぁぁああああっ!?」
鍛冶屋に戻ると、出迎えたアリア様が驚いている。
当たり前かしらね。
血と煤でここまで汚れるなんて、外を知らないアリア様からしてみれば『地獄』のようでしょうに。
ある意味、地獄だったけど。
「周辺状況と、学園までの道を軽く調べてみたけど、ダメだ。ちょっと今から書き起こすけど、ミラノの容態は?」
「……ダメです。今日は、そう遠くまで動く事が出来ないでしょうね」
「この鍛冶屋を借りるしかないか……」
「いんや、ダメだ。火は落としたが、燃えやすい場にミラノ嬢やアリア嬢を置いてはおけぬ」
「……なるほど。──簡易的な地図だけど、このように記した場所は瓦礫や障害物で一杯だった。少なくとも安全性や踏破難度を考えると──」
ご主人様はゲヴォルグ様やアリア様を相手に、出来る限り話をする。
その中で、アリア様からの提案で近くにあるお屋敷にいくのはどうだろうかと提案がされる。
……上手くいくのかしら。
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