第5話
~ ☆ ~
私は、彼が理解できなかった。
ううん、違う。
理解できない、けれども”そうするだろうなあ”という理解はできていた。
今日が初めてかもしれない。
彼は、食事抜きを言い渡されたその日……部屋を抜け出した。
静か過ぎて、まるで本で読む暗殺者とか、そういう感じだった。
最初は食事を抜きにされたから、怒ったんだと思った。
けど、そんな事はなかった。
なんだか寝付けないみたいで、何度も寝返りを打っているのを聞いていたから。
「ちょっと、どこに行くの!?」
呼び止めたけど、聞こえてないみたいだった。
ただ、必死な顔で、けどゆらりとした感じで。
「……どこにいくんだろう」
あと少しで消灯時間、自分が今”ミラノ”である事を忘れたまま追いかける。
羽織者を被ると、ゆっくりとついていく。
素足で踏む床は、とても冷たかった。
もうみんな休んでるみたいで、誰とも会わない。
彼はそのまま外の物陰に向かうと、苦しそうな声が聞こえる。
それから、気分が悪そうに吐いていた。
「ゲホッ、オエッ……」
まるで酔っ払いみたいだなと、私は思った。
時々外出で外に出たときに見かける、素行の良く無さそうな人。
路地などで吐いて、そのまま足取りが覚束無い感じでどこかに消えたりもする。
けど、そうじゃなかった。
「うぁあああああぁぁぁ!!!!!」
歯を食いしばって漏らす、悲鳴のような叫び声が聞こえた。
ガツンと、頭を彼は壁へと打ち付ける。
星や月の明かりの中、仮初めで塞がっただけの傷口から、パッと散る何かがあった。
それを見て、酷く衝撃を受ける。
……確か、アルバートくんとは仲直りしたと聞いた。
貰ったワインをすこし飲んで楽しんでたし、問題はなかったはずじゃ……。
「どうしたら、どうしたら良かったんだよ……」
崩れ落ちて、なんだか……泣いているように見えた。
けど、本当は泣いていない。
ただ、また流れ出した血が涙の様に見えているだけで──。
彼は、膝を抱えるとゆすりの様に身体を揺らす。
駄々をこねているような、あるいは……どうしようもない事に直面したような。
「違う、間違いなんかじゃない。あの時は仕方が無かった。逃げられなかった、逃げたらミラノの使い魔は臆病者扱いされてた。そしたらミラノに迷惑が掛かるから仕方がなかった……」
「俺がなにを言っても、どうせ通らない。口裏を合わせられたら、その声が大きければミラノだって否定してやれないに決まってる。なのに、戦うなって、なんだよ……」
「勝とうとしたのは、確かにやりすぎだったさ、あぁ……。あぁ、うん──けど、それって、上手くいくのなら……だろうが。一人で、味方も居ないのに、何で時間稼ぎなんて選択が出来るんだよ……」
後悔。もしくは、慟哭。
戸惑ったり、受け入れてるように見えたのは……表向きだった。
その事は別に良い。
表と裏なんて、誰にだってあるのだから。
けど、その理由が……私?
「魔法なんて、使わなきゃ良かった……。そしたら、嫌われずに済んだんだろうなあ」
嫌われる? 誰に?
もしかして、私が怒ったからそう思ってる?
けど、別に魔法を使ったところで嫌うわけがない。
じゃあ、何かあった……?
聞いたほうが良いかも知れない。
少なくとも、彼は”秘密主義者”だ。
外に居る時の粗野で粗暴な態度は踏み込まれないための演技。
中に居る時の彼は、彼の正音。
そう考えれば、騒がしくするのもあまり喋らないのも少し分かる。
喋らないのは秘密にしたいから。
騒がしくするのは、何かを隠したいから。
そういえば……私は”彼の気持ち”を、一度も聞いたことがなかった。
”分かった”と”ごめん”という言葉しか聞いていない。
私は……なぜそうしたのかを、聞かなかった。
「ん?」
「やばっ」
足音が聞こえて、直ぐに隠れる。
誰かが着たみたいで、寝巻き姿で外に居るところなんて見られるわけには行かない。
幸い、殆どの灯が下りた中だったから気づかれなかったみたいだ。
そして、私のかわりに二人の影が彼に近づいた。
「ヤクモ。貴様──どうした」
「アルバート、か……。どうした、こんなところに」
あれ、アルバートくん?
なんでこんな遅くに……。
よく見たら、グリムさんも一緒だ。
何か持っているみたいだけど。
「なに、これから世話になるのだからな。詫びや謝礼の品を、貴様の部屋に近いグリムの部屋にでも運ぼうと思ってな」
「──そのほうが、楽」
「はは、だろうな……」
仲直りしたってのは、本当みたい。
けど、困ったな。
彼はもう”演技”をし直してる。
何事もなかったかのように、気分が少し悪かったと──悩みや苦しみは、そっと内側にしまっていた。
「──どうせなら、今飲もう」
そして、彼はアルバートくんからもう一本改めてワインを貰うと、直ぐに飲もうとか言い出した。
え、お外で? というか、私が取り上げたのに?
そう思っていたら、グリムさんは提案をする。
「──なら、わたしの部屋に来る」
「そうだな、それが良い」
良くない、気がする。
けど、どうして良いか分からない。
まさか今この姿で出るわけには行かないし……。
仕方がないから、今目の前でみた事をミラノにも伝えなきゃ。
部屋にまで向かって、ちゃんと真面目に”アリア”を演じてる彼女に部屋へと入れてもらう。
カティアちゃんはもう眠っていて、その寝顔はとても幸せそうに見えた。
少しだけ私は彼女に待ってもらって、頭の整理をつけてから話を始める。
「ごめん、ミラノ。私……彼に酷い事をした」
「したって、どうしたの?」
「私……彼の話も、事情も聞かないで怒っちゃった。それで、なんか……苦しんでた」
「……そっか」
ミラノは変に聞いたりはしなかった。
ただ、話が長くなるかも知れないと、お茶の用意をし始める。
その間、私は何も言えなくて、ただただ自分のしたことが彼を苦しめてるのではないかと考えてしまう。
そっとお茶が出されて、そのお茶が私の冷えた体と心を少しだけ温めてくれた。
「……私、倒れてるヤクモさんを見て、兄さんのことを思い出しちゃって。勝手な事をしたんだって、何をやってるんだって頭に来て──。けど、一人で彼は悩んだ結果そうしたってのが分かったの」
「無謀で、理由のない事じゃなかったんだ」
「独り言だけど、アルバートくんの決闘を受けてなかったら、臆病者だって言われ続けるだろうって。そうしたら、ミラノにも迷惑が掛かるんじゃないかって」
「──それは、あったかもね。デルブルグ家とか、”私達”が気に入らない生徒って少なくないだろうし。知り合いも友達も……居ないしね」
そう、それは問題だった。
”アリア”には幾らか友達……というか、敵対しない知り合いはいる。
もしかしたら同情や憐憫かも知れないけど、病弱な私に良くしてくれる生徒だって居る。
けど”ミラノ”には、友達は居ない。
学業に打ち込み、間違った事を嫌い、それが気に入らなければ排除する。
”アリア”が虐められた時も、彼女はそうした生徒を打ちのめした。
魔法で打ち破り、口撃で圧倒し、羞恥心だけは幾らか持っていた彼らを辱めた。
授業中も、間違いを正すと言う事で逆恨みを買っている。
思い上がった生徒達を、主席と言う表彰で下してきた。
そういう人からしてみれば、逃げれば良い攻撃材料になったと思う。
そして、それは後にまで尾を引く事は間違い無い。
「けどさ、それだったらカティ……アちゃんの言ったようにさ、姉さんが来るまで耐えれば良かったと思う」
「8人を相手に? 実力も分からないのに? 駆けつけるまで、どれくらい掛かるか分からないのに?」
「う゛……。だとしても、なんなら受けずにのらりくらりとかわすとか」
「ミナセく……ミナセが来たのは、決闘が決まってからだから……無理だよ」
もしのらりくらりとかわしたとしても、口先だけの男呼ばわり。
それで私に助けを求めれば主人の威が無ければなんにも出来ない男。
あっさり決着がついていたら、失礼な事をされたとか口裏を合わせられたら数には勝てない。
だからと言って勝っていたら……貴族を貴族と思わぬ行動と敵を作る。
認めたくなかった、けど認めるしかない。
グリムさんが横槍を入れて、”あんな負け方”をするのが最良だっただなんて。
「それと、もしかしたら私が罰を与えたのを怒ってるかも」
「……怒ってるようには、見えなかったけど」
「魔法なんか使わなきゃ良かった、そうしたら嫌われずに済んだって。たぶん、魔法を使ったから勝ちそうになった事とか、それで私が怒った事を言ってるんだと思う」
魔法を使ったから勝てそうになった、勝てそうだったからグリムさんに横槍を入れられた、横槍を入れられたから”一方的な被害者”になれなかった。
たぶん、そういう理由かも知れない。
それだったら、少なくとも”弱者を甚振った”として私は怒れたから。
「……ゴメン、ミラノ。私、無理だよ」
「無理?」
「うん。いきなりで、悪いんだけど……」
”ミラノ”を、これ以上続けられない。
あまりにも色々な事が起こりすぎて胸が痛くなってきてる。
これ以上は、お薬でも抑えられそうに無いかも知れない。
ミラノはそれを理解すると、服装を整えだす。
それは演じていた”アリア”を止めて”ミラノ”に戻るため。
そして、落ち込んでいる私から、”ミラノ”に見えるものを、全て取り外してくれた。
「……分かった。そういうことだってあるもの。アリアが落ち込む必要は無い」
「そうかな……」
「たまたま上手くいっていたように見えて、上手くいってなかっただけよ。それに、初めて誰かを従えるんだから上手くいかなくて当然。今回は……上手くいかなかった、それだけ」
ミラノはそう答えるけど、私にはそれが難しい。
まるで私が兄さんを苦しめたみたいで、兄さんに否定されたみたいに思えて……それが辛い。
違う、別人だって分かってる。
けど……それでも、まさか私の為にそうしただなんて思いもしなかった……。
「……けほっ」
「薬は飲んだ?」
「うん……」
「なら、もう休んでなさい」
そう言われて、私は辛い事から逃げるように休む。
けど、消灯時間を過ぎてからも辛い事は私を追いかけてくる。
昔もそうで、今回もそう。
兄さんが死んだのもさらわれた私のせいで、彼が傷つき苦しんだのも私のせい。
私の、せいなんだ……。
~ ☆ ~
アリアの言うとおりだと思う。
消灯時間後にメイフェン先生に運ばれてきた彼は、翌朝何事も無かったかのように起き出す。
ただ違いが有るとすれば、あの言動を”弱み”だと思ったのかもしれない。
部屋の中でも、外と同じように振舞うようになった。
「と言っても、俺に教えられる事はそう多くないんだけど」
そう前置きして、彼はアルバートたちに講義を始めた。
私は先日の件を理由に、授業を休ませてもらった。
また誰かが悪さをしないように、それと使い魔である彼には医療室を使わせてもらえないから。
けれども、彼は自分の負傷をあまり重く受け止めていないみたいだった。
何箇所か包帯や貼り物をしたままで、約束したとおりに何かを教えるみたいだ。
「俺が……まあ、得意とするのって。そもそも防御系統なんだよね」
「それでは昨日のと違うであろうが」
「いや、防御の部類だよ。防御ってのは防ぐ事だけじゃなくて、回避や、相手の攻撃をはじいたり、いなしたりするのも含まれる。で、回避するにしても弾くにしてもいなすにしても、どう繋げるかを考えないで行うとあまり効果が得られないんだ」
そう言うと、彼はタケルを手招きする。
武芸でもアルバートにおとり、ミナセのように魔法の行使が出来ない生徒だ。
ただ一つ見所が有るとすれば、魔法が使えなくても一定量の実力を有する技術と胆力を持っているということだろうか。
「相手の得物によるんだけど、まず相手の使う武器の知識を持たないと防御は成り立たない。つまり、攻撃よりも難しい事をするってのは覚えておいて欲しい」
「なぜだ?」
「武器によって動作、予備動作、攻撃動作等々が違うからだ。それに、立ち回りも変ってくるから、それを考えないで防御と言ってもただ自分が磨耗するだけだから。剣で基本的に使われるのは──振り、突き、薙ぎ、殴りの四つ。それを細かくしていくと袈裟切り、逆袈裟切りとかになるんだけど割愛。それじゃあ、タケル、普通に切りかかってみて」
「良いのか?」
「まあ、少し遅めで。あと、下手に抵抗しないで流れに身を任せてくれると助かるかな」
「ってことは、技をかけるってことか……了解」
タケルは了承すると、訓練用の剣を構える。
それから、遅いとはいってもあたればたんこぶくらいは出来そうな速度で剣をふるう。
が──。
「よいしょ、っとぉ!!!」
彼は、あろうことか踏み込んだ。
左手で手首を掴み、右手で胸倉を掴む。
そして踏み込んだ足はタケルの足の間に差し込んで、そのままぐるりと身を回し──。
風を切る音と共に、タケルの身体は宙を舞っていた。
そして、地面に叩きつけられたタケルは少しばかり痛そうだった。
「今のは──」
「すっご……」
「と、相手の武器を理解する事で、自分が優位に立てる。動作を知れば、そこに自分の動作を捻じ込めるわけだからね。んじゃアルバート、タケルと並んで立ってくれ」
「今度はどうするのだ?」
「今度は俺を突いてみてくれ」
バカかな?
そう思ったけれども、彼は再び私を驚かせた。
アルバートの突きをいなすと、そのまま槍を掴む。
そして己が回転する事でアルバートを振り回し、そばにいたタケルにぶつけたのだ。
手放される槍と倒れる二人。
二人を無力化しながら、武器を奪った形になる。
「とまあ、相手の得物や立ち位置を考えて動作を咄嗟に選べるようになると、一人で多数を相手に出来るようになる。何度も言うけど、自分の知ってる範囲でしか教えられないし、これ以上に凄い人を俺は知ってる。格闘を専門で訓練した連中が居て……俺は、そういった人から暇を見て教えてもらってただけなんだけど」
そう言って彼は苦笑する。
その苦笑が、兄とそっくりだった。
終始彼は色々教えながらも、絶対に「自分が特別じゃない」事を言い含め続けた。
そうやって”授業”を終えた彼は、なにやら手帳に色々と書き込んでいる。
ああでもない、こうでもないと呟きながら。
「やるじゃない」
「ん、なにが?」
「アルバートたちに教えていた戦い方の内容。見てたけど、随分と慣れてる感じだったし、説明も分かりやすかった」
「そう? なら、上手くやれてたって事かな。教えてくれた人たちに感謝しないと」
「けど、アンタの態度は良くないわね。何で一々自分を卑下してるのよ」
「卑下してたっけな……」
「自分は凄くない、誰にでも出来るって。ずっと言ってたじゃない」
私はそこが引っかかる。
前置きすれば良いし、そうじゃなくても締めで言えばいい筈。
だけれども、ミナセとかが「お~」とか「すごい」って言うたびに、彼は強調し続けた。
「……昨日の事もあるし、調子に乗ってると思われたらまた厄介ごとになりかねないだろ? それに、本当に……こんなものは、凄くないんだ。俺の知ってる人たちはもっと凄かった、俺の知ってる人たちは、もっと色々知ってた、もっと理解してて、もっと……うん」
「だとしても、アンタは自分なりに使い物になる程度に習得して来た訳でしょ。教える人が凄かったことは否定しないけど、だからと言ってアンタが凄くないという理由にはならない」
「いや──」
「最後まで、人の……ましてや、自分の主人の言葉は聞きなさい」
言葉を遮ってまで否定したいのだろうか。
その気持ちは良く分からない。
けれども言いたい事は少しだけ理解できる。
与えられた物だからと、そういうことかもしれない。
それを言ったら私なんて与えられた物ばかりで、自分のものなんて……無い。
「教わった事を習得できた、つまりアンタは理解しそれが自然と行えて、他人に教授できるまで練習してきた事に他ならない。確かに、アンタの言うとおりその”凄い人たち”から見ればお粗末かも知れないし、鼻で笑われるような出来かも知れない。けどね、私や他人がアンタに下した評価を謙遜ならまだしも、否定するのはやっちゃダメ」
「──……、」
「授業もそうだけど、教わった事を理解するだけなら三流でも出来るのよ。それを、個人的に使いこなせるようになって二流。誰かに理解できるようにして教授できて一流。教師がそうでしょ? 魔法の理論や理屈を理解してないのに誰かを教えることも出来ないし、何が分からないのかを理解して導くことも出来ない。けど、アンタはアルバートやミナセ、タケルと言った連中のそれぞれ分からない場所を理解して、その上で彼らに理解できる言葉ややり方を選ぼうとした。なら、立派なのよ」
そう言ってからも、彼は納得しかねてるみたいだった。
私は改めて言葉を選び、ぶつける。
「確かにアンタの……昨日やった事は、感情面からは納得して上げられない。けど、それでも8人を相手に戦う事を選んで、立ち向かって、その上であと少しと言うところまで戦い抜いたアンタは立派でしょ。違うの?」
「……──」
「少なくとも、アンタは”戦いに関して幾らか理解がある”って他人に言えるのよ。勿論、場面が違えばまったく役に立たない事もあるかもしれないし、むしろ足を引っ張るかも知れないけど。それでも、”無”じゃないの。……って、私が言った事は、胸に留めておきなさい」
その言葉をどう聞いていたのだろう。
ただ、数秒の間を置くと彼は細かく頷いていた。
それは何かが浸透していくような、乾いた布に水が含まれていくような僅かな変化。
「──ありがとう」
外での顔に、彼は少しだけ悲しそうにしながらも笑みを浮かべた。
否定的ではない、むしろ受容の顔。
何が悲しいのか、私には分からない。
それでも、一つだけ言えることがある。
彼は、召喚されてから初めて笑みを浮かべた。
~ ☆ ~
アルバートと戦ってから、彼は少しばかり変った気がした。
部屋の中でも少しばかり芯の通った、背筋の伸びた人間になった。
それを肯定的に受け止めてよいのか、否定的に受け止めればよいのかは分からない。
それでも、自信がついたように私は受け取った。
「はい、お茶」
「有難う」
午後一の授業が終わり、一度部屋に戻ってきた。
休憩時間はそれなりに長く、食堂も開いてはいるけれども私は部屋で休む方が好き。
本を読めるし、少しばかり疲れてウトウトしても他人の目を気にしないで済むから。
彼はお茶の入れ方が徐々に慣れてきて、出すまでが大分速くなって来た。
それと同時に、彼は幾らか思い出したことがあるのかもしれない。
お茶を出す前に容器を温めたりして、更に美味しいお茶を淹れられるようになっていた。
「……この前よりも美味しい」
「あ~、えっと。これも受け売りなんだけどさ。今使ってる茶葉って、95度で葉が開くんだよ。けど、容器が冷たいままだとお湯を注いだ時に、その分温度が下がる。で、それを飲むために淹れると、また冷たくなる。だから葉の美味しさを存分に引き出せず、中途半端になるんだとか」
「良くそんな事を知ってたわね」
「書物で呼んだんだよ。それで、今回使った茶葉がたまたまその知識と合致する葉っぱだったから試したんだけど……美味しいなら良かった」
── 美味しいなら、良かった ──
兄と同じことを、同じような場面で、同じ顔をして言う。
……ううん、違う。別人だって分かってる。
けど、どうしてここまで似ているの?
分からない。
けれども……けれども、もし。
兄が今もまだ生きていたなら、同じように学園に来ていただろうか。
私は主席を毎年維持しているけれども、兄さんも同じように主席を取っていたかも知れない。
ううん、違う。
もしかしたら、兄は主席を取り続けて、私たちはそんな兄を凄いと褒めそやしながら今よりも平凡な学生だったかも知れない。
義務も無く、責任も無く、追われる事も無く、走る必要さえなく。
兄の部屋に行って、あるいは兄が部屋に来て。
三人で……こうやって──。
「──けど、まだ美味しく出来る筈。私に教えられる事はないけど、厨房や食堂の料理人や女中がそこらへん知ってるかも。許可するから、好きに聞いてみたら?」
「あぁ、そっか。お茶休憩ってことは、淹れ慣れてる筈だもんな……」
「そうしたらアンタの評価もまた上がるかもしれないわよ?」
「あ~、いや……。実はさ、井戸って厨房の裏にあるじゃん? あそこの料理長にちょっと……嫌われてるみたいでさ。ちょ~っと、遠慮したいかなって」
「何かしたの?」
「いや、何もして無いけど……。魔法使いが嫌いみたいで、この前の決闘で魔法を使ったって事がどうやら耳に入ったみたいで、この前身体を洗いにいった時にさ」
それは初めて聞いた。
料理長はものすごく身体が大きくて、私たちが入園する前からの”武勇伝”は噂程度に聞いてる。
昔傭兵だったとか、料理の品揃えに文句を言った高慢な生徒を叩きのめしたとか、それで取り押さえに来た兵士を全員ねじ伏せたとか、食材の肉は自ら狩ってきた動物のものだとか。
少なくとも、学園を守護する兵士の胴体ほどにある豪腕を見れば、それが嘘じゃないだろうなとは思うけど……。
「……そう。表に出てこないと思ってたけど、そういう人だったの」
「でさ、あそこの女中の長……上女中? だっけ。の子がさ、暫く近寄らない方が良いって教えてくれたんだ。だから、暫くは、ちょっと」
「まあ、無理をして聞いて学んで来いとは言わないわ。あそこの料理長、色々と噂があるから」
「どんな?」
噂を覚えている範囲で教えると、彼は少しばかり唇を引きつらせた。
以前と違って感情や考えている事が表に出づらくなって、分かりにくい。
「そ、そりゃ……。近寄ったら、ボコボコですわな……」
「まったく無関係で無意味な事でアンタが倒れても下らないでしょ」
「そりゃそうだけどさ……。というか、一つ聞いていいか?」
「どうぞ」
「貴方からアンタ呼ばわりになってるのは何でですかね?」
「どこかの馬鹿が馬鹿で無謀な事に首を突っ込んで、文字通り馬鹿げた結果を出してくれたからよ。しかもその日の内に酒を飲みだすし、部屋を抜け出して更に酒を飲んで見回りの教師に運び込まれるだなんて。これ以上の説明は要る?」
「必要ないかな!」
「というワケで。アンタは確かに自分に何ができるのかと言う意味では、私に認めさせたことがある。それと同じくらいに、自分が何をやらかしたのかと言う意味で評価も下げたと言う事を覚えておきなさい」
「は~い……」
「返事は短く!」
「はい!」
……まあ、何時までもフニャフニャと自信も自身も無さそうなままだったらウザかったし、調度良いのかも。
主人に対しての言動はいただけないけれども、それは少しずつ調整していけば良い。
──そういえば、コイツの役割を決めてなかった。
何時までも雑用だけさせる訳にも行かないし、アルバートとの一件は彼の扱い方を教えてくれた機会とも言えるかもしれない。
戦えるのなら、魔法使いにとって致命的な弱点である詠唱時間や行使中の隙を押さえ込むくらいは出来る筈。
流石に学園外の魔法使いたちを相手にしたらひとたまりも無いだろうけど、下手な足手まといにはならないと思う。
……剣、とか持たせたら似合うかも知れない。
兄と同じ武器になってしまうけど、一番無難だし、闘技場でも選んで使ったのがそれだったとか。
「……そういえば、魔法のお勉強が途中だった」
「平日は何かと授業で忙しいし、自分も……ドタバタしてたしなあ。授業中に聞く内容は一応把握はしてるけどさ」
「なんで基本基礎も知らないのに4年目の内容が把握できるの。そんなの、全生徒だけじゃなくて主席の私まで馬鹿にしてない?」
「いや、そういう意味じゃなくて! どう言う事を、どういう意図で教えてるのか。その目的は何かなってのを把握しただけで、授業内容までは把握してませんって!」
「どうだか。あの時魔法を自分の理解の範疇で行使して見せたくらいだし、同じような感じで欠片や自己流での理解くらいはしてるんじゃない?」
「いや、まあ……なんとなく」
アリアが「秘密主義者」と言っていたけれども、それは本当のことだと思う。
彼は自分から何かを発信したりはしない。
常に受動的で、周囲の刺激に応じて反応を返すことしかしない。
それは主人として信用が無いからか、それとも以前の彼がそうだったように他人を恐れ、怯えているからなのか。
「詠唱の授業を受けたと思うけど、感想は?」
「いや、まあ。あんなの語学力や語彙力の問題でしかないだろ。用いる語句や単語に応じて付与する属性や意図が変化するし、SVOC……じゃなかった、主語述語修飾語等々等々の全てで発動させたい魔法の方向性や性能を定めて、命令形で締めて発動させる」
「70点ね」
「あと、物によっては用いる単語や語句を上位系にする事で詠唱文を短くしたり、威力の強化が出来る。火、炎、焔、獄炎みたいな感じでさ。それと、引用する事で強化する事もできる感じでもあったかな。それも、万人が理解しやすいような神の威光だとか、深淵たる闇とか、身の凍て付かんばかりの極寒だとか、地獄の炎だとか。威力を強化する為に装飾しまくって詠唱文を長くすることも出来るし、その上位の言葉を選ぶ事で詠唱を出来る限り抑えたり、想像しやすい文面を作るとか。まあ、この一週間で学んだ範囲だと……それくらいしか、分からなかったけどさ」
「──それくらい”しか”?」
このバカ、なんて言った?
私たちの三年間を、コイツは一週間で殆ど終わらせた。
しかも、所々抜けはあるとしても、概ねその通りなのが腹立たしい。
「……錬金術の授業」
「あれは、単純に等価交換や質量保存の法則、質量と作用の等価性に関する物だったと思うんだけど。魔法で分解と再構築を行うことで抽出や精錬をしてて、別に土塊から金を産み出す技術じゃなかったし」
「死ねこの!!!」
「何でさ!?」
咄嗟に、近くにあった本を顔面めがけて投げつけた。
こここ、コイツ! なんで……なんで私たちの先を行ってるの!?
「わ、わわわ……私がどれだけ勉強したか知ってる? そこにたどり着くまでどれだけ時間をかけたか分かってる?」
「4年目くらいじゃないでふかね……」
「それを? はぁ? 召喚されて記憶も無いヤツに? 一週間で追いつかれる? ざけんな! ふざけんな!!!」
「ひぃぃいいい、ミラノさんのキャラが違うぅぅううううぅ!?」
「じゃあなに、教室でこの前眠そうに欠伸を漏らしてたのって、次元が低くてさぞかし退屈だったってワケ? へぇぇぇえええええ? ふぅぅぅぅううううぅん?」
「専門的な知識はないですけどね! というか、これも本で知ったんだって!」
「どこにあるのよその本! 直ぐに読んで勉強の糧にしてやるんだから!」
「いや、その……召喚される前。自宅の──本棚に?」
「ふぁぁぁあああああっ!!!!!」
気に入らない。
もんのすごく気に入らない。
この四年間、予習復習だけじゃなくて試験前の勉強も含めれば机で寝る事も少なくなかった。
時には寝不足なまま授業に出たことだってあったし、理解が出来なければ寝ないまま翌朝を迎えることすらあった。
な・の・に・?
私の苦労を、コイツはぁぁあああああ!!!!!
「あ~……、今すぐアンタの頭を掻っ捌いてその中の知識を全部見てみたいわ」
「止めてね!? 香や……ヤクモさん人間だから! そんなことしたら死んじゃうから!!!」
喚いているのから目を逸らしていると、時計を見たらもうそろそろ良い時間だった。
残っていたお茶を飲み干すと、直ぐに立ち上がる。
「ほら、最後の授業に出るわよ。それと、さっきの話今度詳しく聞かせてもらうからね」
「マジか……」
今日……といきたい所だったけど、今日は週末で外に出ようという予定を立ててる。
どうせゴタゴタして今日は戻るのは遅くなりそうだし、外を少しでも見せて何か思い出す切っ掛けになるものがあれば良い。
まさかこうなるとは思って居なかったけど、記憶が戻ったのならもっと色々な事を聞きたい。
私が……もっと、成長するために。
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