第4話
~ ☆ ~
我が、負けた?
いや、負けたわけではない。
そう、グリムが居たおかげで負けずに済んだのだ。
つまりあの戦いは引き分けである。
しかし、ミラノのあの顔を見てしまった後では、最早何のために戦ったのかすら分かりようがない。
嫌われたに違いない、そう考えると憂鬱だ。
『アル、いる?』
「……あぁ」
あの後、ミラノが去ってからの事はよく覚えておらぬ。
ただ、気がつけば部屋にまで戻って、床で転がっていた。
グリムが来たのであろう、心配そうな声が聞こえてきた。
「……なんだ」
「ん。あの人、運んできた。手当てもしてきた。たぶん、だいじょーぶ」
「──そうか」
それを聞いて少しばかり安堵した。
少なくとも、横槍とは言え頭に矢を受けて昏倒したのだ。
そうでなくとも、様々な傷がある。
大事無いと言う事は、少しでも気休めにはなる。
「ミラノは、怒っていたか」
「ん。すごく」
「──であろうな」
怒らぬ訳が無い。
今更になって、あの男になぜあそこまで苛立ち突っかかったのかを理解する。
あれは兄だ、ミラノ達の兄なのだ。
我とほぼ変らぬ年齢でありながら、既に幼い頃から魔法に秀で、剣も取り扱っていた。
両兄程ではないにしても、我が越えねばならぬ妄執そのものであった。
5年以上前から既に魔法を扱う事を許され、剣や乗馬も教えてもらう。
その時の我は、まだ何もやらせてもらえなかったと言うに。
そして4年前……最後に会った時も、有耶無耶になったが負けたのだと思う。
曖昧なのは、それ以降が爺の訓練で大変だったせいだが。
そうだ、見ているといらいらするのは──我の、一方的な感情のせいだ。
否定できない、気づけば否定の仕様が無い。
己の劣等感を突きつけられて、無自覚に相手に対して怒りと苛立ちを覚え、攻撃をした。
そんな貴族がどこに居る? それが貴族らしいとどうして言える?
我は違う、巷に聞く貴族至上主義などどうでもいい。
ただ、このままでは学園を出た後に放り出されることは理解している。
三男など、保険にすらならぬのだから。
「これから、どうすれば良い? 我には……分からん」
「──アルなら、そーいうと思った。けど、だいじょーぶ」
「なにが大丈夫なものか」
「約束、してきた。アルが謝れば、話は聞いてくれるって」
「……謝罪したとて、聞き入れてくれるとは限らぬであろうが」
「なら、何もしない? このまま、終わり?」
終わり、終わり……。
いや、違うな。
「グリム、違うぞ。我は……終わった男だ。これ以上、なにができる?」
「出来る事、ある」
「聞かせてみよ」
「謝って、アルと戦ったヤクモとも仲直りして──あの人に戦い方を教わる。で、ヤクモと仲良くなれば、ミラノも許してくれる」
「馬鹿な。相手は素性も知れぬ男だぞ」
「アル、それは間違い。アルも下手したら素性の無い男になる。悩んでるよゆー、ない」
その通りだ。
我は学園を出て、父に認められなければ軍部にすら行けぬであろう。
だからと言って、屋敷に残る事をあの父が許すとは思えぬ。
そうなったら、どのように生きてゆけば良い?
平民の世界も、平民の社会も、平民の思考も、平民の生き方も知らぬ。
長兄は跡継ぎとして、次兄はその補佐や何かあればその予備として役立つ。
だが、我は……何も無い。
「立ち止まったら、ほんとーに終わり」
「──どうにかなると、そう思うか?」
「それ。悩んでるのが、もう立ち止まってる。だいじょ~ぶ。アルの為に、わたしが居る」
そう言って、グリムは胸を張った。
……それを信じてやりたいが、信じようとする自分のことを信じられぬのでは話にならない。
ええい、我の事はどうでも良い。
グリムだけなら信用に足る、それで良いではないか!
「……こんな事をいうのはおごがましいと重々承知した上で言う。済まぬ、グリム。助けてくれ」
「ん、わかった」
グリムはそういうと、衣装箪笥まで向かう。
その中から、父から送られてきたワインを取り出す。
親しき友と飲み交わすようにと言われ、送られ続けてきたが、未だに部屋の中で眠り続けている。
4年間、ずっと熟成させてしまった品だ。
「アル、少しだけ飲む。それから話をする」
「景気づけか?」
「酒は、気を紛らわせる。アルは今、喪失状態。そこから抜け出さないと、話が進まない」
「そ、そうか」
グリムにワインを開かせる。
今までも何度かこうやって飲んできたが、その大半は今と同じように良い思い出が無い。
1年目、上には上が居ると武芸の訓練で絶望した時。
2年目、授業に半ばついていけなくて、自分が思うより未熟だと理解した時。
3年目、実家にて、両兄の凄さを改めて思い知らされ、かつ学園にて手合わせをしてくれる者が居なくなった時。
そして今……4年目だ。
あと2年しかない、あと2年で認められなければ放り出される。
武芸だけでも認めさせれば、軍部に引っかかる事はできる。
そうでなければ、我は両兄に圧倒され、その凄さを噛み締めながら死んでゆくだけの人生になってしまう。
── アルバート。お前には学園を卒業したら外に出てもらう ──
それは昨年の言だった。
今でもあの時の絶望は覚えている。
確かに我は不出来で、取り得は無い。
だからと言って、死ぬだけの人生など……。
ごくりとワインを飲むと、甘さと僅かな苦味が舌を撫でる。
二杯目を飲み、そのまま「ちょっと横になる」とグリムに言われ、再び横たわった。
暫くすると酔いが回り始め、徐々に思考が沈んでいくのを感じた。
煩雑な事柄も、悩みも……遠のきだす。
「アル。あと2年で、認められなきゃいけない」
「あぁ」
「なら、ヤクモに手伝ってもらうの、悪くない。アルの戦い方、じーじも言ってた。考えてない。ヤクモ、凄い考えた戦い方してる。アル、あれがひつよー」
「……分かるぞ」
「アルが追い出されても、わたしも一緒に行く。けど、だったら、追い出されないほーが良い。わかる?」
「そうだ」
「なら、アルは謝って、手伝ってもらうだけでいー。足りない分は、私がやる」
「なにを、要求されるかわからんぞ?」
「だいじょーぶ。アルに言われて、しばらく見てた。けど、ヤクモ……外と中で大分違う」
それは聞いている。
外では粗野で粗暴のような態度をしているが、部屋の中では従順な……あるいは、思い返せばミラノ達の兄のような態度や口調なのだと言う。
どちらが真なのか分からぬが、どちらも真なのだろう。
でなければ、8人を相手に戦いを飲むと言う事を考えはしないだろうから。
どちらも真ではあるが、どちらも真ではない。
当人も迷っているのだろう、自分がどう振舞えば良いのか。
いまでは、その考えは正しい。
「ヤクモが許してくれたら、ミラノとも仲直りできる。けど、まずは強くなるのゆーせん。ミラノに認められるくらい強くなるのは、そのついででできる」
「……分かった。済まぬグリム、貴様にどう報いれば良い?」
「ん。疲れたぶん、後でなにかちょーだい?」
「……貴様の欲しがるものは、いつも理解が難しい。前回はツアル皇国の弓を欲しがり、先週はヘルマン国のナイフを欲しがった。もう少し女として欲しいものは無いのか?」
そういうと、胸倉を掴まれ引き起こされる。
眼前には無感情な顔があり、グリムが間近で睨んでいる。
「──どーせ、胸無い。私に女らしいのは、もっと後」
「お、おう」
グリムは良くも悪くも小柄で起伏が少ない。
年齢もミラノ達よりも上ではあるが、それを感じさせないくらいに同じ背丈もしている。
当人は「これから、これから」と言っていたが、毎年言い続けている。
そして、毎年それを言う羽目になる医者の往診で、成果が無い事も態度から理解している。
「……ヤクモ見てくる。起きたら呼びに来る」
そういうとグリムは去っていった。
暫くして、グリムが戻ってくる頃には幾らか酔いも醒め、覚悟も決まってくる。
そうだ、まずは生きねば意味が無いのだ。
であれば、あのヤクモを利用してやればよい。
武芸を認めさせれば、少なくとも生き延びる事はできる。
もしそうなったら……ヤクモに何かしら恩を返すとしよう。
そこからの話は、グリムの言ったとおりに何とか運んだ。
ヤクモという男は横槍を入れられたことを怒っていなかった。
それどころか……何か思うことがあったのだろう、すんなりと受け入れたのは気になったが。
父から貰ったワインを対価に、手合わせをしてもらう事を約束することが出来た。
これで少なくともこのままミラノ達と断絶する事も避けられるだろう。
我の未来も明るいな、あっはっは!!!!!
と、行くわけがあるまい。
「何か申し開きはある?」
「……いや」
ヤクモの部屋を出た後、直ぐにミラノに出会ってしまった。
そのまま「面を貸せ」と、アリアの部屋に連れ込まれる。
ミラノは足を組んで床に腰掛け、我はツアル皇国でいう”せいざ”で床に座らされていた。
グリムはそんな中、アリアの部屋にあったお菓子を食べている。
裏切り者めが……。
「その、信じられぬと思うが。奴とは……ヤクモとは、和解したのだ。なんなら確認してもらっても構わない。そう、謝罪を……一応、だな」
「アリア、行って確認してきて」
あ、ダメだ。
これは本気で怒っている。
顎で妹を使うミラノなど、見たことが無い。
その目の奥に焔を滾らせ、我から目を逸らす事は無い。
それは少しでも「嘘」を見出そうとする詰問者のソレであった。
アリアが最近召喚したと言う白い猫と供に部屋を出て行く。
そして、望まぬ形でミラノと対面する形となった。
「アルバート。私ね、と~っても、怒ってるの。一つ、私の使い魔であることは承知してた筈。二つ、にも拘らずあんたは8人でよってたかったボコにした事。三つ、あんたは昔アリアを病弱だという事でからかった事を含めて今回で二度目。四つ、私が虐めとか大ッ嫌いなの。そして五つ目……あんたは私に嫌な事を思い出させた」
「──……、」
「私はね、学園であんたが何をしようと興味が無い。少なくとも最近じゃ変な派閥を作って、同じ教室に居る生徒を虐めてた事だって黙ってきた。それはね”私の与り知らぬ事”だからよ。もちろん、心底軽蔑してるし、ソレがたとえツアル皇国と言う他国の人間かつ、魔法の行使が出来なくて武芸にすら不向き、成績が良くない奴だとしてもね」
ミラノの言葉には、返す言葉も無い。
そして、改めて突きつけられると全てが突き刺さる。
黙認していたと言うわけではなく、ミラノは……ただ自分に関与しない事だから無関係を装っていただけなのだ。
ソレを聞くと、4年めに入ってから行ってきた全てが自分の首を絞めにきたのを感じた。
「……少なくとも、あんたのことは少しだけ気に入ってたのよ?」
「え……」
「あんたは、1年生の時から無我夢中だった。何度も失敗したし、何度も怒られた、何度も上級生にいびられたのを見てきたし、何度も打ちのめされたのも見てきた。けどね、それでもあんたは武芸に関しては嘘吐きじゃなかった。私には理解できない分野だけど、あんたはヴァレリオ家の一員たらんと4年間頑張り続けてきた。あんたは気にしてないだろうけど、その手を見れば分かるのよ」
そういわれてから、己の手を見る。
そこには、何度も裂けたり槍を握り続けたりした事で出来たマメがある。
指の付け根は幾らかタコが出来、手の模様は擦り切れて消えていた。
「まあ、見込み違いだったみたいだけど。あんな真似をするなんて、絶対に無いと思ってたから。少なくとも、嫌がらせはしても実害は今まで誰にも加えてこなかった。けど、今回は違ったわね。あんたは、私の知らない間にだいぶ堕ちたみたいね」
そういったときのミラノの目には焔は無かった。
氷のような冷たさは、無関心を。
そして表情は、どこまでも哀れみを示していた。
まさに、信じていた男が堕落し、裏切られた事を示すかのように。
その瞬間、我は深く頭を下げた。
土下座と言うらしいが、ソレがどこまで効果を持つかは分からぬ。
ただ、そうしなければならないと……感じたからだ。
「奴の……ヤクモに関しては、本当にすまなかったと思っている」
「すまなかったで済むと思ってる?」
「我は……嫉妬したのだ。いや、あるいは否定したかったのだ。奴を」
「なんでよ」
「貴様らの兄、クラインを彷彿とさせるからだ!」
ミラノはその時、漸く話を聞く気になったように見えた。
身体を起こし、胸中を明かす。
無自覚になぜ攻撃したがったのかを、なぜ否定したかったのかを。
劣等感、あるいは焦り、もしくは……羨んでいたのだと。
「そうだ、我は忘れていた。あるいは、思い出さぬように蓋をしていた! クラインと言う、同年代でありながら既に剣も魔法も馬も扱う男の事を。我が……不出来である事を直視させる現実を! それに気づいたのが先ほどだ、グリムと話をしてからだ。そうでなくとも、我は……俺は! 日々邁進する貴様を見ていると、焦りに満たされる。許せとは言わん、ただ理解してくれ! 全ての非は俺にある。だが……その根底は悪意ではない、ただの──弱さから、来たものだと」
どんな弁解だ、どんな言い訳だ、どんな告白だ、どんな脅迫だ。
正音を晒せば理解すると? 弱い事をぶちまければ納得するとでも?
しかし、自分のした事の説明をつけるには避けられぬことだ。
ミラノは──瞼を閉ざして、裁判官のようにただただ聞いているだけだった。
しかし、言うべき事を言い終えると同時に、アリアが戻ってくる。
……正直、全てを吐き出してから戻ってきたのは都合が良かった。
出なければ、この沈黙を前に耐えられない。
「姉さん。あのね。聞いてきたけど、ヤクモさん仲直りしたって。ワイン飲んでた」
「は? ワイン? なんで?」
「……アルが、仲直りの印に、ヴァレリオ家の産物あげた」
「え。ヴァレリオ家のワインって、安くないでしょ。なんでこいつが……あ~、もう。ワケわかんない」
ミラノは頭をかいた。
いや、しかしだな。
あ奴がそれで受け取った以上、それは合意なのでは?
「ワイン没収してきて!」
「えぇ~……」
再び部屋を出て行くアリア。
ヤクモも災難よな。
せっかく貰った酒を即座に没収とは……。
「……もういい。少しだけ理解はしたから。けどね、これだけは言っておく。あんたの劣等感と不出来を、優れた誰かのせいにすんな。私は努力をして、自分で掴み取ってきた。これを他人にとやかく言われは無い。それと同じで、兄さんもあんたの知らない場所で沢山怪我と失敗をして、その上で一年のうち僅かな時間会うあんたの前で立派に振舞えてただけってのを覚えておきなさい」
「あぁ……」
「ん。おはなし纏まった?」
話が佳境を迎えたと知ると、グリムが口を開く。
既に口周りは菓子クズで一杯だ。
壮絶な場に居合わせたと言うに、まったく意に介した様子は無い。
「ミラノ。私からもお願いある」
「なに?」
「ヤクモ、怪我した。たぶん、ふじゆー」
「そうでしょうね」
「だから、少しめんどー見る。これ、アルもどういした」
「……そうなの?」
そんな事を呑む訳が無いと言外に言いたげな顔であった。
しかし、ここで引き下がるわけには……ッ!
「あぁ。あの決闘において、グリムは我が劣勢と見て横槍を入れた。それは……俺──我の教育不足だ。だが、それを行ったのはグリムだ。責任は我にある、だが罰せぬわけにはいかぬ。短期間ではあるが、我の謝意を含めて受けてくれると……ありがたいのだが」
「──まあ、邪魔にならないのならいいけど」
「ん。だいじょ~ぶ」
なにが大丈夫なのだ、なにが。
だが、当初の険悪な雰囲気は幾らか抜けたように思える。
少なくとも、幾らかは最悪な状況を脱したかのように思えた。
~ ☆ ~
ここ最近、珍しい子がここに来るようになった。
ヤクモって言うんだって、ツアル皇国の人みたいな名前。
ヴィスコンティの子に召喚されたとか言ってて、人間なのに使い魔だから珍しいんだって。
主人の子の命令でありあわせの食事しか出せないけど、夕食の時は裏に来て身体を洗うのと同時に暖かいご飯を貰うことになってる。
「坊主はまだ来てないのか?」
「まだだよ、おやっさん」
おやっさんは学園内に出来た貴族じゃない子に、少しだけ同情している。
同情であってるかな? むしろ、どこか気に入ってるのかも。
何時来てもいいように、湯浴み用のお湯を別で準備してたりしてるし。
「というか、気が早いよ。だって、いつも来るのは食事の時間がある程度たってからじゃん。まだ食堂開けたばっかりだよ」
「おぉ、そうか……。てか、それだったらオメェも出て注文受けてこいやトウカぁ!」
「おやっさんが呼び止めたんじゃん!!!」
こんなやり取りも、いつもの事。
だから追い出されるように食堂に向かってから、主人の子を見つけた。
けど、あの子は居ない。
「あれ~……?」
「調度良かった。注文したいのだけど」
「はい。それは構いませんが。使い魔くんは……どうしたのかな~と思いまして」
「あぁ、あいつは……ちょっと罰を与えたのよ」
「罰?」
「……それを知る必要が有る事だと思わないのだけど」
あ、やば。
気になって聞いちゃったけど、当たり前だよね。
えっと、こういうときは──。
「失礼しました。お部屋に食事をお運びした方が良いのか、女中の長をする者として気になっただけなので」
「部屋に──」
「姉さん……」
確か妹さんだと思うけど、何か言いたそう。
けど、主人の子は首を横に振った。
必要ないってことみたい。
「不要よ」
「畏まりました」
食事抜きか~。
けど、食事抜きってよっぽどの事をしたんだろうなあ……。
なんだろう。
襲った……ってのは、あんまり想像つかないかな。
じゃあ、一人でイタシてる所を見ちゃったとか。
それだったら災難だよね~。
あの見た目だと……何歳かな。
18歳? それくらいだと、女子寮で生活してるとキツイモノがあるよね。
おやっさんと冒険者として旅をしてたとき、やっぱりそういうのは男の人にとってはつき物だったもん。
まあ、おやっさんには何かいっとかないとな~。
そんな事を考えながら、仕事をしていると徐々に学生達が増えてくる。
忙しくなるのは仕方が無いけど、話の内容がなんだか同じようなのが多いのに気がつく。
(平民……決闘?)
暫く仕事をしながら聞き耳を立ててると、大体分かったことがある。
平民の子がアルバートという子と決闘をしたこと。
8対1で勝ちかけたこと。
不思議な魔法を使って、その大半を倒した事。
あれじゃ面目丸つぶれだとか、後はどうでもいいこと。
けど、この話はよくないんじゃないかな~とか思ったり。
おやっさんは、奥さんを貴族に奪われた上に殺された。
貴族や魔法使いが嫌いで、それでも奥さんに褒められた事や料理人の夢を諦められなくて今はここで仕事をしてる。
それまではね~、傭兵で色々な国を旅してたんだ。
その途中で私を拾ってくれて、そのまま旅をして……。
もう何年もお仕事してないけど、大分等級も上がってた気がする。
もったいなかったかな?
それから暫くして、食堂でお仕事を終えて厨房に戻ると不機嫌そうなおやっさんが居た。
お湯を捨てて、取っていた食事もゴミにしてる。
何かあったのかな?
まあ、その理由が分かったのは、私が裏に出て、濡れたその子を見つけたからなんだけど。
「そっか~、魔法使えたんだ~」
「――なあ、俺は何か悪いことをしたかな? それとも、魔法使いだから嫌われたのかな」
「おやっさんは魔法使いが嫌いだからね~。どうしてかは知らないけど、会う前に何かあったんだよ」
「……そっか」
傷ついた顔で、その子は暫くそこに立ち尽くしていた。
前に食事を蹴飛ばされた時のような言葉遣いもしてなくて。
なんだか、お父さんやお母さんに怒られた子供みたいに暫く立ち尽くしてた。
「ほら、身体を拭かないと」
「……けど、俺と関わったら、君も怒られるんじゃ──」
「大丈夫大丈夫。きみが来てくれたのが終わり際だし、後は下の子にやってもらえば良いからね~」
「はは……」
乾いた笑いだった。
けど、せっかく渡した布を使う気配が感じられない。
仕方が無いな~と、私が拭いてあげる事にした。
「いや、いい……」
「大丈夫大丈夫、これもちょっとしたご奉仕だって」
「──……、」
布を止めようとしたけど、私が止めないでいるとされるがままになる。
濡れそぼった身体が、ある程度湿った程度になった。
けど、おやっさんがお湯をくれないとなると、結局は井戸の水で身体を洗うくらいしか出来ないんだよね……。
「……大丈夫だよ。おやっさんも、たぶんちょっとビックリしただけだよ。すこ~し時間を置けば、たぶん元通りになるからさ」
「だと、いいなあ……」
……食堂で聞いた噂からは、なんか拍子抜けなくらい印象が違う。
8人を相手に勝ちかけたとか、まったくそんな感じはしない。
身体は服で隠れてるけど、ちょっとカッチリしてるみたい。
勝てなくはないかな~? それでも、魔法が使える相手に勝てるってだけでも平民じゃないか。
ただ、いまはおやっさんに水をかけられただけで子供みたいに震えてる。
俯いて、自分の中に閉じこもってる。
その子は少しだけ溜息を吐いて、布を返してくれた。
「……ふぅ、有難う。あのさ──」
「うん、分かってるよ。機嫌がいいときがあったら知らせて欲しい、でしょ?」
「そう。あんまりこう言いたくないけどさ、周りの連中って身分が凄い連中ばかりで──初めて、だったんだ。トウカやおっちゃんみたいな、あまり気兼ねすることなく話ができる相手って」
「……分かるよ、分かる」
気兼ねなく話せる相手って、大事だもんね。
私だって、人間じゃないけど人間のフリをして仕事をしてる。
獣人はまだ他の国では居場所が少ないし、魔物の一種だと思われてる。
その事を知ってるのは学園長さんとおやっさんだけ。
ただ、なんだろう。
この子と話をしてると、引き込まれていく感じがする。
守ってあげたい?
う~ん、どうかな。
よく分からないけど、話をすると「聞いてあげなくちゃ」って思う。
悲しそうだと「元気になって」って思っちゃう。
不思議な人だなと思う。
「それじゃあ──俺は行くよ。有難う」
「あ、ちょっと待って。……はい、これ」
「これは?」
「乾燥乾し肉だよ。お仕事の途中とかさ、お腹すいたりするよね? それあげる」
「いや、そんな……」
「いいって。おやっさんが水をかけたから、そのお詫び。それに、早く戻らないと着替えたり出来ないよね? だからさ、それでおやっさんのことは言わないで欲しいな~」
「──貰わないでも言わないつもりだったけど、それで……君が納得するのなら」
「君じゃないよ、トウカだよ。名前があるんだし、気兼ねなく話が出来る相手だって思うのならさ、ちゃんと呼んでほしいな」
「……だな、違いない。──有難う、トウカ」
トウカ、ちゃんとそう呼ばれた。
当たり前なのに、なんだかそうじゃないように思えた。
苦しい? 違う、なんだろう。
嬉しい? それも、なんか違う。
痛みじゃない、むしろ暖かい気もする。
「じゃ、また」
「あ、うん。またね!」
彼が去っていくのを見送ってから厨房に戻る。
そこでは、珍しく難しい顔をしているおやっさんが居る。
こういうときは、ちょっと扱いが難しいんだ。
「……謝らねぇぞ」
「ん? 私はおやっさんのこと分かってるから、何にも言わないよ。謝れとも、謝らなくてもいいとも」
「チッ……」
「けどさ、珍しいよね。記憶が無いから良く分からないのに、おやっさんが先に手を出すなんてさ」
たぶん、食堂の噂を聞いちゃったんだと思う。
それで、奥さんの事を思い出しちゃって、黙ってた事に腹が立ったんだと思う。
それを責める事も出来ないし、だからって慰めることもしない。
おやっさんは、昔からそうしてきたから。
「なにか、言ってたか?」
「ううん、悲しそうな顔をしてただけだよ。それで、ゆっくり歩いて帰ってった」
「──そうか」
泣いた訳じゃない、言い訳をしてたわけじゃない。
おやっさんも裏切られたかも知れないけどさ、あの子もおやっさんに裏切られたと思ってる。
まあ、考えたらおやっさんの事情を知らないのに、いきなり水をかけられたほうが可哀相なんだけどね。
「トウカ、酒取ってくれ」
「え? まだ、仕事中だよ?」
「今日は、先に戻る。もう仕込みの指示はしてある。偉そうに見てることしか、もうやる事は無ぇのさ」
それじゃあ仕方が無い。
お酒を取ってくると、持って帰るのかな~って思ったら、その場で飲み始めるよね。
ビックリ。
酒には強いけど酔いが回りやすいから、直ぐに鼻が赤くなる。
それから、酒瓶を持ったままおやっさんは俯いてた。
「……うし、戻る! 仕事ちゃんとしろよ!」
おやっさんは先に厨房からでて、学園の隅にある宿舎に向かっていった。
私も皆がちゃんと掃除やお片づけしたのを確認しないとね。
お仕事お仕事。
と、やっぱりおやっさんがいないと普段よりも少しだけ遅くなっちゃった。
皆もすこし緊張感がなくなったみたいで、幾らかおしゃべりしながらお仕事をしてた。
普段も終わり際はそうなんだけど、今日はいつもより気楽そうに見えた。
「たっだいま~」
「遅かったな」
「いや~、ちょっとおやっさんの真似事をして皆の事を観察してたんだ。居ない時、どんな風になっちゃうんだろ~って」
「そうか」
それ以上は深くは聞かれなかった。
おやっさんはどうやら部屋に置いてるお酒にも手を出してるみたい。
部屋の中も少しお酒臭かった。
「あ~、疲れた。休む~」
「だから、部屋に入って直ぐに脱ぐんじゃねぇ」
「え~? おやっさんしか居ないし、いいじゃん。それに、この服装ってガチガチに肌を隠すから嫌いなんだよね」
「だからって下着姿になる奴が有るか、ったく……」
とはいっても、仕方が無いじゃん。
肌が幾らか出てないと空気や風を感じられないし、感じられないってことは周囲の状況を把握しづらい事になる。
傭兵の時の癖もあるけど、獣人は大体そんな感じらしい。
あとは、振動だとか、音だとか。
まあ、色々あるけどね。
「トウカ。学園で、魔物は、襲ってこないって何べんもいってるだろ。それに、人間もだ」
「分かってるよ。そうじゃなくてさ」
「……程ほどにしろよ。あまり行き過ぎたら、庇いきれねぇ」
「は~い」
おやっさんの許可を貰うと、久しぶりに”尻尾”を伸ばす。
文字通り、普段は人間に化けることで隠している耳や尻尾を出して。
「にゃ~、やっぱり落ち着くな~……」
「……そうか」
おやっさんは、そういうだけだった。
大人しいな~、静かだな~って思ったら奥さんの絵を見てた。
画家に描いてもらったもので、今じゃその小さな紙一枚が奥さんの全て。
家も失って、多くのものを失って……見つけ出せたのが、僅かなものだけ。
私は久しぶりに出した尻尾を手入れする。
見えなくなったように見えるけど、私の感覚では”そこに有る”から、自由に動かせない分凝る。
ほぐさないと尻尾を吊るということも有るし、毛並みにも良くない。
あんまり毛並みとか気にしても仕方が無いけどさ、見栄えが良くないのは気分が良くないもんね。
「──おやっさん、あんまり飲みすぎたらダメだよ」
「わかってる」
「ならいいけどね」
毛並みの手入れを終えた私は、耳も少しだけ解す。
それから、ゆっくりと身体を横たえた。
人間って、面倒くさいんだな~……。
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