宙の女#1

「てっきり、起き上がらないから死んだのかと思ったわ」


 こちらを宇宙服の女が見下ろしている。

 フルフェイスのマスク越しに見えるのは、案内人ボン・ボヤージュに見せられた写真に瓜二つの顔。

 整った柳眉を、今はなんだか拍子抜けだとばかりに八の字に曲げている。

 周囲を見回せば、真っ暗ながらに植物は見当たらず人工的な建物の趣がある。

 床はリノリウムに近い感触。

 かつての名残か、カウンターやエレベーターがいくつか見える。

 転び出て来た背後を振り返れば、そこには樹皮で出来た壁と、そこに開けられた大穴が一つ。

 蟻達は、その大穴の途中に横穴を作り出入りしている様子だった。


「それで、あなた、何者なのかしら」


 反応のないこちらに焦れたのか、腰に手を当てて女が尋ねてくる。

 しかし、正直なところ、俺は状況を把握出来ていなかった。

 気分は兎を追いかけて穴に飛び込んだら、その奥に不思議の国が広がっていた登場人物のものと相違ない。

 死を覚悟して飛び込んだ先で、まさかこんな人工的な空間があり、宇宙空間でもないのに宇宙服を着込んだ人間がいるなんて非現実にも程がある。


「耳が聞こえてないのかしら」


 もしもーし、と大声でわめき立てる女をどこかぼうっとした心地で眺めながら、状況を整理する。

 蟻の巣穴に飛び込んだところ、どうにも自分は世界樹タワーの基部に備わっていた建造物に飛び込んでしまったらしい。

 チケットカウンターがあるから、売店などが集まっていた建物なのだろう。

 植物の浸食からぽっかりと守られたこの空間は、蟻達にとっても好ましいものではないらしく巣穴の対象とはならなかった。

 結果として間隙エアスポットとなったこの場所に自分は運良く逃げ込むこととなり、九死に一生を得た。

 おそらくは、そういうことだ。

 女がどうしてここにいるのかはこの先の話になる。


「君は、街に2日前に戻る予定だった学生で間違いないか」

「ええ、そうよ――。なんだ。聞こえてるんじゃない。よかった、頭でも打ったのかと思ったわ」


 女は問いかけに、キョトンとした表情のままに答えた後、こちらが応答したのに満足したのかにっこりと笑顔を浮かべた。


「――わたし、ヴィヴィアンよ。他人ヒトソラの女、なんて呼んだりするわ」


 まるで、自分のことを宇宙人のように語る女だった。


「俺は、カナリアだ。君たち二人が森に入って戻らないというので捜索に来た」

「あら。まるで自分のことを鳥のように紹介するヒトなのね」


 よろしくお願いしたいわ、と彼女は唄うように告げてから、


「でも、よくここにいるのがわかったわね?」


 フルフェイスのまん丸い首をコミカルに傾げてこちらに尋ねた。


「その疑問はどっちかというとこっちのものだ」


 彼女の疑問に俺はため息交じりに答える。

 こちらかすれば、何故、一学生に過ぎない人間がこんな場所に逃げ込んでいるのか甚だ疑問である。

 カナリアの任務は確かに森の監視であり、内部の探索ではない。

 だが、森の一番近くで暮らしている以上、人類の生存圏の中では森の内情に詳しい部類の人間である。

 そんな人間ですら知らないような場所を、どうして地球の外で育ったただの人間が知っているのか。


「どうしてこんな場所に逃げ込んだんだ?」

「だって、一番大きな建物だったじゃない」


 ヴィヴィアンはあっけらかんとそう答えて見せた。

 余りにも当たり前でしょう、というその態度に一瞬、呆気にとられる。


「森の中を進んでいったら遠くに、この途轍もなく大きなタワーが見えたのよ。

 目的もなく建っているはずもなし、きっとかつては観光対象にもなっていたことでしょう。

 なら、その内側には何か面白いものがあるかも知れないじゃない」


 だから、蟻の巣穴を越えてまでこの場所にたどり着いた、と彼女は両手を腰に当てて語って見せた。

 宇宙服に酸素タンク。大型の懐中電灯。


ソラの女っていうのはぶっ飛んでるっていう意味なのか?」

「――、ま」


 口の辺りに手を当てて、ヴィヴィアンは驚愕の表情を浮かべている。

 なんてことを言うのでしょう、と言わんばかりのその形相。

 実際、口にした俺自身もなんてことを言っているのかと思わんばかりだが、言わずにはいられなかった。


「こんなに早く言い当てたヒトを、わたし、はじめて見たわ」


 わたしは物事を宇宙速度で考える女なの、と今度は誇らしげな表情で語る。

 その様子を見て、俺は思う。

 なるほど、こんな森に入り込むなんて世間知らずの学生ばかりと思っていたが、その考えを改めよう。


 ――こんな森に入り込むのは、世間知らずか、宇宙人みたいな女くらいだ。


 俺はこの宇宙速度で考えるぶっとんだ女をどうやって連れ帰ろうかと考えながら、俺は心の中で頭を抱えていた。

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