大自然#5

 300メートルの世界樹タワー周辺を調べて2人の痕跡を探すも成果なし。

 こうなってくると、この場所にたどりつけなかったと考えるべきだと結論するしかない。

 だが、だとするならばどこを探すべきか。

 蟻の群がっていたエリアを離脱しながら俺は半ば途方に暮れていた。

 相変わらず森の中は真っ暗闇で、有視界は20メートルもない。

 陽射しがあれば少しはましになる公算も立つが、しかし、悠長に日の出を待つだけの時間的余裕はおそらく残されていまい。

 一分一秒の消費によって2人の生存率が下がるのであれば、当てずっぽうでも探索を進めるしかないというのが現実だ。


「さて、どうしたものか」


 来たときよりも広い道。6車線道路の中央部分を歩きながら俺は独りごちる。

 左右の乱立する木々ビル群は、葉と枝の間にかつての建物の名残を覗かせている。

 机、椅子。キッチン、看板。冷蔵庫、ショーウィンドウ。電子レンジ、本棚。

 窓ガラスの一辺も残っていない長方形の空洞は、その奥にかつて、生活が営まれていた痕跡を抱いている。

 だが、俺が探しているのは今はいない、かつての住民の痕跡ではない。

 今を生きている、人間の痕跡だ。

 足跡、ゴミ、声、生き物の死骸。なんでもいい。

 彼らがここにいるという証拠を求めている。


 ――その時だ。


 遠く、微かに音が聞こえた。

 フルフェイス越しのくぐもった音は、始め震動として伝わった。


「どこだ」


 周囲を素早く見渡す。繰り返される音は低い。

 加えて、誰かの声ではない、木々の擦れる音に、石や砂がハラハラと落ちる儚げな音。

 震動は、やがて大地を揺らす。

 その時になれば、それが認識したくはない足音だというのは嫌というほど感じられていた。


「――嘘だろ、おい」


 ビルビルの合間から、現れたのは、あらゆるものをどよもす巨体。

 鼻のように伸びる巨大な角はケミカルライトに照らし出されて、黒光りしている。

 かつての多脚から幾本か進化の過程で足を失った省いたのだろう、4本足で根と地面を蹴散らし歩く様はまるで王者のよう。

 5メートルほど真っ黒な体は今見ると、鋼鉄よりも硬そうなのに、磁器のようになめらかに見える。

 角の根元には6つの複眼が、まるでピントを合わせるカメラレンズのように回転しながらこちらを見つめている。

 口には蟻を咀嚼くちゃくちゃとしていて、まるで躾のなっていない子どものようだと、どこか遠のいていく思考が感想を漏らしている。


甲虫ヘラクレス


 かつて、手のひらサイズ大だった昆虫も、今や目も当てられない有様である。

 だってこれじゃあどう足掻いたって怪獣だ。

 無人の無機質な森コンクリートジャングルを自由に闊歩する様子はたしかに名前の通り勇壮極まりないが、これでは余りに可愛げがない。

 飼育するだなんて夢のまた夢。数世紀にわたる盛衰の末、今じゃ力関係は完全に逆転している。

 がりっ、というひときわ硬そうな音と共に口から吐き出されたのは蟻の頭部だ。ゴロゴロと地面を転がり、まるで磁石でも付いているかのように俺の方へと向かってくる。

 寄せばいいものを、俺は迂闊にも思いっきり迫り来る怪獣に目を合わせてしまった。

 観賞用の昆虫なんて冗談じゃない。

 こんなに強烈な殺気食欲を宿した瞳の持ち主は、完全に食べる気満々の捕食者プレデターに相違ない。

 瞳を逸らさず、ジリジリと。凶悪な生物に出会った時の対処法に従い、決して走るようなことはせず距離を開けていく。

 だけど、それが適用できるのは昆虫相手じゃなくて動物だ。

 森の熊さんなんて可愛げな生物、カナリアの職に就いてからこの方、一度もお目にかかったことはない。

 なにより。

 相手に、こちらを類推するような、そんな高度な知能が備わっているなんて思えない――!


 叫びや雄叫びの代わりに、甲虫はバンッ、という空気を炸裂させる音と共に羽を掲げる。

 かき鳴らされる羽音は、今まで聞いたどんな生き物の咆吼よりも恐ろしい。

 その巨体が大地を離れるのを確認するよりも早く、俺は脇目も振らず駆けだしていた。

 

 

 

 

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