大自然#4

 行方不明の男女を探しに森に入ってから2時間が経過した。

 現在地点は、森に入った箇所から直線距離にして6キロメートルほど。

 かつては人間の都市として機能していた亡骸を歩み、植物の王国を更に奥深くへ進んでいく。


「地図によればこの辺りのはずなんだが」


 HUDの右端に表示しているのは衛星軌道から撮影された森の写真に、かつての都市を重ねた鳥瞰図だ。

 この森に入った男女は観光の目的として、かつてのランドタワーを目指したらしい。

 地上から優に300メートル以上の高さを誇る高層タワー。

 数世紀にわたる放置にもかかわらず、かつての建築技術の水準を誇るようにそのタワーは衛星軌道から健在ぶりを確認できる。

 俺の予想では、そのタワーの付近に2人の痕跡は残されていると踏んでいる。

 ただ、この辺りまで来ると酸素の濃度はいよいよもって通常の生物の呼吸が難しくなる水準だ。

 通常であれば純酸素であれど人間は短時間の呼吸で即座の影響は出ない。

 だが、この付近は余りにも過剰に酸素が供給されたあげく、全天を覆うようにして植物の幹や葉が展開されている。

 そのため、放出されたあらゆる気体が籠もることとなり、結果として気圧を乱高下させる要因となっている。

 高気圧下での酸素濃度の高い呼吸は、例えるならばボンベに満たされた酸素を吸入するようなものだ。

 酸素ボンベとは名ばかりで、本来は一般的な空気と同じものが圧縮され、充填されているのがボンベである。

 そこに高圧縮した酸素ばかりを詰め込んだ場合、人間は十数分程度の呼吸で死に至る危険性すらある。

 無論、森の中で酸素ボンベほどの高気圧環境下が生まれるべくもないが、人間が高濃度の酸素呼吸を繰り返して無事でいられる期間は非常に短くなる。

 つまるところ、2人を生きて返すためには急いで発見する必要がある。

 こんな場所へ来たのならなおのこと。

 そうして、歩を進める内に、目的のランドマークタワーへとたどり着いた。


「これはまた、世界樹もかくやといった有様だ」


 自分の眼前。見上げてもなお、その先端が見通せぬ偉容がそこにある。

 多数の樹木によって覆い尽くされた金属の骨格。

 かつては電波塔として機能していたそれは、無数の種類の植物に覆い尽くされた1本の大樹となっている。

 ケミカルライトによって照らし出された表面には枝だけではなく多数の花々。

 見たこともない果実もたわわに実り、この木には、この世全ての樹木としての役割が備わっている気がしてくる。


「だがそれも、根元を見なければの話だな」


 ケミカルライトを降ろせば、大樹の根元には多数の群がる影。

 それら全ては拳ほどの大きさに肥大した蟻だ。


 キシキシ。ギリギリ。


 金属の擦れ合うような音が周囲一帯を震わせている。

 蟻の歯ぎしり。蟻の足音。蟻同士の擦れ合う音に、蟻による捕食音。

 植物の運用には、そもそも共栄する生き物の存在が不可欠だ。

 酸素濃度の変容によって肺呼吸を主体とする生物が著しく減った現在、森は多くの虫を繁栄の友としている。

 その主たる存在が蟻だ。

 人類が最盛期を誇った世界に置いても、その棲息個体数において人類はついに勝ることのなかった生物。

 一説によればその数は1京匹を超えていたという。

 資源を消費する存在の少なくなった今、蟻は森のもたらす資源モノほしいままに運用する生物の一つである。

 結果、年を重ねるごとに個体としての大きさはかつての倍の、更に倍。

 今では、そこら辺の猫と見まごうほどに大きな奴を見かけるほどに巨大化の一途をたどっている。


「さすがにこの群の中に突っ込むような真似をしていないとは思うが」


 遠巻きに蟻の群を観察する。

 可能性として、この蟻の群体に哀れな男女が突っ込んだり、あるいは捕食されたりしていたのであれば、その痕跡があるかも知れない。

 人間大の凹凸や、彼らが身に纏っていたであろう装備品に衣類が転がってはいないか。

 もっとも、本格的に蟻を怒らせたのであればそれらを発見することすら不可能に近い。

 なにしろ、現在の蟻は概ね雑食である。

 大きくなりすぎた個体を維持するため、新たに獲得した消化器官しょくよくは栄養を求めて動物ですら余裕で捕食する。

 巨大すぎる大樹の根に満ちる蟻の数は、人間の跡形を食い尽くすのにものの10分もかかるまい。

 俺は、一通り見回すとすぐに捜索を切り上げ別のポイントへと足を向ける。

 

 ――これは、完全な余談だが。俺は正直なところ虫が苦手である。


 ここに至るまで、数え切れないほどの虫を目にする機会があれども全て見なかったことにしてきたのだが。

 今回ばかりは職務上無視できず直視するより手段がなかった。


 キシキシ。ギリギリ。


 頭の中。口の中。

 蟻の立てる残響を味わいながら、俺は文字通りに苦虫を噛みつぶしたような心地でいた。

 

 

 

 

 

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