5.陽香の冷たさ
マコトも陽香率いるチームリングスの一員であり、裏社会の仕事を担う人物である。そのためしばらく時間を置けば、いずれ気さくな仲に戻れるだろう。
しかし昨日は体調が絶不調で、今日も上級生達からのイジメを受けていたのに、不用意に近付いたのはデリカシーに欠けていたかもしれない。
そういうときマコトへ接するのは自分の役割じゃない。
もっとふさわしい人物が、いつもプラザホテル内の一室に引きこもっている。
なら、今日はホテルの司令室に行くのは控えておこう。
いつも通り新宿駅の京王線改札を出るが、少し寄り道してからセーフハウスへ戻ろうと歩き始めてから数分後のことだった。
背後からは大排気量エンジンが噴ける、けたたましい爆裂音。
跳ね馬のエムブレムをボンネットに冠する赤い高性能スポーツカーが量産車の中に混じり、歩く優人に合わせて減速し歩道に寄ってくる。
やがてウインドウが下りつつ電動ルーフが徐々に上がり、ドライバーの姿が露になる。
「へい、学校帰りかい? 少年」
車高が低いため優人を見上げる形でコックピットから身を乗り出すのは、言葉は軽いが派手な車に負けず劣らずの華やかな装いをした陽香だった。
左右非対称のジャケットに、ベルトや丈が斜めに下りていくタイトスカート、という人目を引くエキセントリックなオーダーメイドの服装。ワインレッドの色や主張が強い点は、普段の改造ジャージと共通点はある。しかしデザインの良さか、または高価な生地や控えめな貴金属類のせいか、ビジネスライクな品性を醸し出すセミフォーマルな装いではあった。
「ええ、学業を疎かにしないように帰宅途中の身です」
「じゃ、そんな寂しい青春を過ごす真面目な少年を、お姉さんが送ってあげようか?」
ガードレール越しにからかうような流し目で「ん?」と挑発する陽香には、いつも通り憎まれ口を叩いてやりたいところではある。
しかし自分達に集まるのは、歩道に行き来する人々の視線。
無理もない。芸術品の域にある高級車のルーフが自動で開き、かつ日常では見慣れない服装をした美女が運転しているのだから。
通行人の注目を喝采と受け取る陽香と違い、優人は居心地の悪さを覚え、素早く車道へ移り仕方なく助手席に座る。
ホールド感のあるシートは、自分の相棒であるテスラと似ていて馴染んだものだった。
「あー、屋根開けたけど、今日はやっぱ少し暑いね。もう少し軽い服装で出掛けるんだった」
陽香はジャケットの襟をパタパタと扇ぎ、一瞬だけエアコンのスイッチに触れようとする。しかし今はルーフが開いているため、すぐに手をステアリングに戻す。
「久々のお出かけですか?」
「そうよ、この子の受け取り。メンテ上がりなのよ。ついでにトランクには買い物袋が少しあるわ。こういうときに、ネットじゃ選びにくいものを買っておかないとさ」
陽香の買い物はいつも、庶民には目が眩むほど高額の場合が多い。
仮に役職なしでも管理部隊の一員なら安くはない給与を貰えるが、リーダーの場合はかなりの額である。役職手当自体も然ることながら、リーダーに義務付けられる外出時間制限に対して、大きな特別手当が与えられるからだ。
「貴重な外出時間なら、買い物はまだしもメンテは丸ちゃんに任せてはどうです?」
「いやー、これは相棒だし大事なあたしのシンボルみたいなもんだし、自分でやりたいのよ」
シンボルという表現に納得する。
陽香ほどこの伝統ある名車が似合う女性に、優人は未だ出会ったことがない。
性格はストイックな面もあり、かつフェミニンな魅力は十分な彼女によく似合う車種だ。
大排気量自然吸気エンジンは少しでも噴かせば唸りを上げる。オープンカーの特徴である電動式ハードトップの開閉も日常で目にすることは希である。それらの特徴は全て一般量産車には無いものだ。さらにボディは、陽香が好む色であるワインレッドに似たコルソロッサ一色。自己主張の強い彼女によく似合うマシンだ。
一方で、高校生であるため車の運転は普段しないが、優人には夜の作戦中に使用するテスラロードスターがある。十分な加速力を有していながら、ガソリン車ではなくタイヤも静音性を重視した特注品であるため走行音が小さく優人の任務とは相性が良い……しかしそれは実用性の話である。
任務に必要な改造を省いても、元々テスラは電気自動車の可能性を探るための技術的実験色が強い車種。そのため陽香のフェラーリのような重厚な気品が無い。
「たまにはこんな車に乗るのもいいですね」
ベージュのレザーが使われたインテリアの細部には、作り手の丁寧なこだわりがある。
「でしょ? 言葉はあんま好きじゃないけど、セレブ感覚。優雅な人生に浸るのも大事よ」
「セレブは格闘ゲームなんてしませんよ、あれは下賎な遊びってやつでは?」
「むー、まあそこはさ、ちっとはズレたとこがあってもいいじゃない。どんなこともステレオタイプは面白みに欠けるわ」
「それって酔狂と紙一重ですよ」
「そこは個人のセンスに依存するところね」
あたしは自信があるから、と陽香は一瞬だけ振り返ってウインクを飛ばす。
「肉食系女子ってやつですか……ああ、この場合は、趣味趣向がしっかりしているという意味ですよ。誤解の無いように」
「えっ、肉食系? はん! 何よそれ、あたしそういう俗世間に染まったやつが好むメディア主動の造語って嫌い」
「尖ってますな」
「そういう造語で特に思うのは……あれよ、あれ、婚活って何よ、婚活って。活動しちゃダメでしょうが!」
「いやいや、明日は我が身と言いますからね。陽香さんだって、もし三十前後で独身ならきっとそういうの行きますよ」
「いいや、天地が裂けても絶対に行かないね。あんな場に行くなら、一生独身の方がマシよ」
妙なところで硬派なこの人ならそうだろうと納得する。
「でも陽香さんなら、そんなのに頼らなくても引く手数多でしょ? 自信あるんでしょうし」
「んー、まあねっ」
拳を握って世間を批判していた姿とは打って変わり、一言で肯定する彼女はご機嫌の様子。
喜怒哀楽が本当に激しい人だ。
部下としては、それを持て余し困ることもあれば、助けられることもあるので複雑だ。
「はいよ、到着」
「ありがとうございました」
セーフハウスであるワンルームマンションの前に着き、フェラーリから降りようとする。
しかし優人は別れる前に一つ話すべきか迷い、後ろ髪を引かれる。
「ん、どうしたの?」
ドアハンドルを引く手を止めた一瞬の躊躇を陽香に気づかれる。
「あ、あのマコ先輩のことなんですが」
陽香は無表情で二度頷く。
「学校でいじめられてるの、知ってますか?」
「うん、知ってるわよ」
昨日司令室でマコトの体調の話をしたときと同じ、何も動揺せずあっさりと答えた。
「確か、ニヶ月くらい前から始まったみたいね、いじめ。そう聞いてるわ」
「えっ……そんな前からなんですか!」
住宅地の中央で優人の叫び声が響き、遠くの通行人が振り向く。
あの酷く汚い仕打ちが、そんな長期間続いていたことに驚きを隠せなかった。
同時に、身内が苦しんでいるのに素っ気ない陽香の返事が、とても冷めたものに思えた。
「知ってたなら、どうして僕に教えてくれなかったんですか?」
「んー、任務ではないしね。話す必要はないでしょ」
「必要性があるなしの問題ではないと思います」
「優人、あんたは頼まれれば何でも解決する便利屋じゃない。あたしのチームのエージェントなんだからね」
「でも僕なら役に立てます、陽香さんならそんなのわかるでしょ?」
「あたしが指示する任務外では、民間人を装い、常識外の行動は慎むこと。そういう規則なのは忘れてないでしょ?」
話題の論点が徐々にズラされていく気がした。自分と陽香のこの温度差は何なのだろうかと、疑問が強まっていく。
「マコ先輩を守ってあげないんですか?」
話の流れを無視して肝心な疑問だけを聞く……いや疑問などではない、ただの願いだろう。
しかし返ってきたのは、完全に予測外のものだった。
「えっ、なんであたしがあの子を守ってあげなきゃいけないの?」
ハンマーで頭を殴りつけられたような、強烈な感触。
耳鳴りが聞こえる。
その後、想定すらしていなかった言葉が頭の中を反芻し続けて、数秒間思考停止する。
聞き違えただけだと思いたかった。しかし残酷にも自分は平静さを失っていないという確かな自意識が優人にはあった。
開けたルーフから見上げる空に浮かぶ雲、それら全てがせせら笑っているように思えた。
「ど、どうしてって……守ってあげるのが当然なんじゃないですか?」
「あたしあの子の保護者じゃないもの」
「普段からあんなに仲良いじゃないですか。あれは嘘なんですか?」
「仲が良いからって、何もかも助けるのは違くない?」
「マコ先輩は……体調管理のために自分の食欲が少しでも上がるように、お弁当をしっかり作ったりもしてるんですよ! だから、学校での負担ぐらい――」
「それは良い事ね。今度褒めてあげようかしら、それとあたしも少し食べてみたい」
期待とは真逆の言葉に、当事者でもないのに裏切られた気分になった。
「あなたも、表面だけを取り繕った人間だっていうんですか!」
上司に対し分別なくいきり立ってしまう。身の程知らずで失礼な言葉なのはわかっている。
マコトを助けずに距離を置く女子生徒達と、今の陽香が同じに思えたのだ。
「はぁ……」
しかし陽香は、怒るわけでも落胆するわけでもなく、一つ大きなため息を零した。
「あんたは身体能力や技術に関しては立派なんだけど、心構えがまだなってないわね~」
二十歳過ぎの女性にしてはやや渋いくらいの苦い表情で、ステアリングに身を預ける。
「あんなことで助けるわけないじゃない。だってあたしは、あの子の上司なんだもの」
「それ、どういう意味ですか?」
「んー……自分で考えてごらんなさいよ」
しかしそのときほんの一瞬だけ、嬉しそうに陽香の頬がほころんだことに、優人は気づかなかった。
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