6.プライド

 その後も優人は訴え続けたが軽くあしらわれ、いつもようにふざけながら帰っていった陽香に腹を立てた。

 それでも自分にできることを考え、まず学内事情に詳しい、政明のツテに再び頼った。

 放送委員会の生徒とは直接話をせず、その友人達にさりげなく事情を聞いて回った。

 肝心な質問をするときにわざとらしくないよう、雰囲気作りにも政明は協力してくれた。

 今度何かの形でお礼をしなくてはならないだろう。

「そりゃ親戚のことは気になるよな。あんな病弱そうな人なら尚更さ」

「恩に着るよ」

 政明達にもマコトとは親戚同士だと伝えてある。もし完全な他人同士としていたなら、優人は政明に聞き込みを頼み難く、行動を起こせなかっただろう。

 断片的な情報収集が終わって内容を見返すと、上級生達の名前はもちろん、イジメの詳細も少しは把握することができた。それには、やや目を背けたい気分にはなる。

 具体的な調査と軽いまとめを数日で終え、優人は再び陽香へ直接訴えるべく、プラザホテルの司令室に向かう。

 IDカードを通し二十五階のフロアに入るが、タイミング悪く司令室の前にはマコトがいた。

「よいしょっと」

 陽香が作った『マコちゃん用』と張り紙が付いた踏み台に乗る。

 それには小柄であるマコトの幼さをさらに強調する効果があり、陽香が好きそうな演出になっていた。

 やや屈んでパネル上で網膜と静脈のセキュリティを解錠し、台から降りようとするが――

「あわわわ」

 バランスを崩しマコトが乗ったまま台が傾く。

 しかし先を見越して優人が素早く踏み込み、倒れる小さな体を背後からスマートに支える。

 痛みを恐れびくびくした瞼が少しずつ上がると、数日ぶりのかわいらしい大きな目と見下ろす形で視線が合った。

「ん……ゆ、優人くん、ありがとう!」

 危機を救ってもらい、最初は明るい笑顔でマコトはお礼を言うが、数日前の後味が悪い別れを思い出したのか、すぐに表情が曇る。

「どうもいたしまして……いつも転んでるの?」

 居た堪れない空気を作らないように、優人はすかさずお得意の慇懃無礼なジョークを挨拶代わりにする。

「いつもじゃないよ、たまにだよー」

「でもマコ先輩小さくて軽いから、古いアニメみたいに何回かバウンドしそうだよね」

「もうっ、意地悪」と言いつつマコトはいつもように唇を尖らせる。

「ほらっ、早くドア開けないとタイムアウトになっちゃうよ」

 急かされてマコトは慌てて司令室に入り、優人もセキュリティをパスして中に入る。

「あれ、リーダーいないんだ」

 専用席である大型のメッシュチェアに、今は陽香の姿がない。

 イジメの件をまとめて話しに来たというのに不在で、しかもマコト本人と鉢合ってしまっては意味がない。今日は噛み合わない日のようだ。

 ひとまず二人共いつも通り、ソファの定位置に隣り合うように腰掛ける。

 しかし切り出す話題に優人は困っていた。どうする? 話題が続かなければ気不味くなる。そんな動揺を悟られないよう顔を作りつつ、内心で格闘していたが、

「この前はごめんね」

 自ら躊躇っていた話題を先にされて、優人はやや気後れする。

「また気を遣わせちゃって……って、いつもかな。えへっ」

 今は自虐気味に笑うが痛々しさはなく、口調も自然体で明るく少し安心する。

「僕の方こそごめんね、なんか覗き見するような形になっちゃって」

「いいんだよ、あれはわたしが解決しなきゃいけないことだしさ」

 細い腕でガッツポーズをされるが、優人には当然頼りないものに見えた。

 他にもオーダーの事情もあるが、せめて学校内の事だけでも負担を軽くしてやりたい。すると自然と連想したのは、今もスマートフォンの中にあるあの映像だった。

「それなんだけど……すぐに解決できると思う」

「えっ?」

 怪訝そうに眉をひそめてマコトは首を傾げる。

「この前、屋上でマコ先輩から借りたカメラあるでしょ? あれを壁に固定して、放送室前でのやり取りを一部録画できたんだ。余計なことをしてすまない。ただ誰にも気づかれてないし、それを使って忠告すれば、あの人達も大人しくなると思う」

 具体的なイジメの証拠なため、手早く確実にマコトの問題を解決できるだろう。

「そっか、あのとき優人くんはそんなことしてたんだ……抜け目なくてさすがだね」

「見ていただけでごめん。出ていって直接止めただけじゃ、マコ先輩の立場が危うくなるだけだと思ったんだ」

 助けに入らず隠れていたことを責められた気がして、優人は慌てて弁解するが、

「わかってるよ」

 マコトは微笑んでみせる。しかし単に悲しんでいるだけではない、他にも別の感情を含むような複雑な表情をしていた。

「あの人達の連絡先も、僕のツテを使えばどうにでもなるし最悪はオーダーを使えばその程度の個人情報くらい――」

「そんなのダメだよ」

 淡々とした声でボソリと、その先を確実に遮るように言った。

「リングスとしての仕事以外で、組織の設備を使うのは規則違反だよ。優人くんだって作戦で使う装備を自分のプライベートのためには持ち出さないでしょ? それと同じ」

「私利私欲のためにはもちろん使わない。でも仲間のためなら、考えるよ」

「ありがとう、なんて言わないよ?」

 短い言葉で強く拒否される。

「あの上級生達もそうだけど、マコ先輩を助けないで帰っていた人達も酷い」

「仕方ないよ。だもの」

 マコトはすでに受け入れ諦めたようにかぶりを振る。

「先輩にはあんな下らない事に付き合っている暇はないよ。日常生活の負担はリングスの中で先輩が一番大きいんだから」

「わたしの状況がどうでも、規則を破って良いことにはならない。前の作戦みたいに人助けのためならまだしも、自分のために公私混同はできない」

「確かにオーダーを使うのは過ぎたやり方かもしれない。でも、あのカメラの映像なら――」

「あれさ、丸山さんとわたしが作ったものだよ。利用するにも、権限はこっちにある」

「でも僕がその気になれば仮に証拠なんか無くても、あの上級生達を軽く脅すことくらい造作もないよ」

「そのときはわたし、優人くんの行動をリーダーに報告しなきゃいけなくなる」

 マコトは優人の案を絶対に認めない。

 普段は愛らしい印象の小柄な体に、今は凛とした強さが宿っている。

「でも僕には、マコ先輩をあのままにはしておけない。仲間の理不尽を無視できない」

「大丈夫だよ。あんな子供のいじめ、オーバードースや離人症に比べたらなんともない」

 全く動じないが自嘲気味に、自ら恐ろしいことをあっさり言ってのける。しかしそんなことを言われて引き下がるのは、臆病者か薄情者だ。

「頑なだね」

「あのね、優人くん……お願いだよ。放っておいて」

 絶望を受け入れるわけでもなく、上級生達を庇う様子でもなく、マコトは救いの手を退け続ける。

「どうして、どうしてそうまでして自分を追い込むんだ!」

 真意がわからず優人は責め立ててしまう。それでもマコトの姿勢は乱れないが、後輩の叫び気味の声と強い眼差しに打たれてか、迷うような仕草で俯いた。

「わたしは情けないね」

 視線を合わせず、司令室の隅を眺めて話し出した。

「一ヶ月くらい前かな。二人で一緒に作戦の説明をリーダーから聞いてたの覚えてるかな?」

 ひとまず頷く。うろ覚えだが忘れてはいない。

「あのとき、優人くんはリーダーにすごく信頼されるんだなって……思い知ったんだよ。作戦を安心して任せられるんだなって。実力を認められてる、期待されてるって、すごく感じた」

 前触れもなく、急に褒められて戸惑ってしまう。

「でもわたしの場合は逆だった『苦しいだろうけどお願いね』って。いつもリーダーは優しいけどあのときはわたしのこと、繊細な割れ物を扱うみたいだった。だから思ったの……わたしは優人くんとは違って、まだ信頼されてないんだなって」

 続く話に言葉を失う。

「わたし、優人くんのことが羨ましい。リングスにはチームで一番後に入ったのにリーダーには期待されててさ、わたしなんか心配されてばっかりでお荷物みたい」

 今優人が何を喋っても、全て失礼にしかならないだろう。

「それだけじゃない。優人くんは学校でも人間関係を保ってうまくやってるけど、わたしは全然出来てない。任務でもプライベートでも後輩さんは優秀なのに、わたしは落ちこぼれみたいでさ……悔しいよ!」

 オーダーと接続するリスクは大きく、日常生活の負担はマコトの方が重い。しかしマコトにとって、それは他人に劣っていて良い理由にはならないのだ。 

「だから、学校でわたしのことを助けるなんて……余計なことはしないで。あれは、わたしが自分で解決することなんだから!」

 優人は何もできずにただ固まっていた。

「わたしだって、リーダーに認められたいんだから!」

 その小さな体の内に宿る、尊さとひたむきな姿勢に、胸を打たれたからだ。

「変なことを勝手に喋ってごめんね。今日はもう帰るけど、明日からはまた仲良くしてね」

 最後は何事も無かったかのように、マコトはけろりと普段の明るい様子に戻り「それじゃ」と言い残して去っていった。

 ただ一人司令室のソファに座り、今のやりとりの名残をひしひしと感じる度に、自分の鈍感で独り善がりな言動を思い返し、後悔する。

 顔を覆いたくなるとはこのことだ。

 マコトのイジメ現場から今に至る数日間の自分を振り返り、懊悩とする。

 ただ僅かに清々しい心地良さがあると認めつつ、ソファで寝そべろうとしたときだった。

「フォッフォッフォッフォッフォ」

 突然の、謎の奇声。

 思いもよらなかった第三者の存在に、跳ね上がってソファから身を起こす。

 すると隣の部屋から、物音を立てず気取った仕草で司令室に入ってくる者がいた。

「愛のトレーニングルームから、こんにちは」

 この女、信じられない。

 優人は現れた彼女の姿をただ唖然と眺めて、たじろぐことしかできなかった。

 もちろん陽香である。

 隣の部屋で身を潜め、部下二人のやりとりを察し、ずっと聞き耳を立てていたのだろう。

 悪びれる様子も無く、陽香は平然と専用席のメッシュチェアに腰掛ける。

 そして優越感に浸りながら露骨なにやけ顔で、部下をどのようにおもちゃとして楽しもうか吟味している。

 状況は圧倒的に劣勢。

 場を楽しもうとする陽香に完全敗北を認めるのは癪であるため、翻弄されないよう負けじと表情を締めて、しばらくじっと視線を交わす。

 しかし優人が作った固い面構えは中途半端なものであった。

「どう突っ込んで欲しいですか?」

 間に耐えられず苦し紛れに憎まれ口を言ってみる。

 しかしその切れ味の悪さを察し、陽香の口元は左右とも大きく釣り上がった。

 さらに背筋を伸ばして見下ろしてくるその姿は、完全に勝利の味を噛み締めていた。

「まあまあ、強がりなさんな少年」

 このクソアマが。

「つまりさ、あんたはまだまだってことよ」

 わかっている、だからこそ全く否定できない。

 そんな敗北を内心で認める優人をよそに、陽香はゲーム機を立ち上げて、普段通りジャージ姿で仰々しいコントローラを素早い動作で鳴らし始めた。

 陽香の自信に満ちた不敵な微笑み。

 しかしその中にも僅かに滲み出る恥ずかしさを隠せず、口元はやや緩く綻んでいた。


********************


 陽香へ挨拶だけ律儀に告げて、優人はすっきりしない濁った思考のままセーフハウスへと帰った。

 住み慣れた七畳のワンルーム。鞄をデスクの横に置き、窓を半分ほど開け、ノートパソコンの電源を入れ、冷蔵庫から烏龍茶のペットボトルを出す。

 一連の流れは、すっかり身に染みたルーチンワークだ。

 パソコンがデスクトップ画面になりいつも通り手癖でウェブブラウザを開こうとするが……マウスでクリックしようとする指を止める。

 変わりに、数日前に作ったばかりのフォルダを開き、内部にあるたった一つの動画ファイルを再生させる。

 数日前は端末越しだったイジメの映像、やはり見るに耐えない酷い内容である。

 最も単純なやり方としては、これをメモリーカードにコピーし、マコトをイジメていた上級生達の下駄箱に入れておくだけでも牽制として効果的だ。

 考えれば、さらに効果的なやり方もあるだろう。

 ループ再生するその映像をしばらくぼんやりと眺める。但し思い浮かぶのは、司令室で聞いたマコトの言葉。

 視覚ではイジメの現場、思考ではマコトの意志。

 現実と理想が交錯するが、すでに結論は決まっている。

 確かにこの映像を使えばマコトの負担を軽くすることは容易いだろう、しかしそれはあまりにも野暮なことに思えた。

 イジメがエスカレートしマコトに危険が及ぶ事態になれば、優人は助けに入るだろう。

 現状が続くにしても、悟られないように手助けするかもしれない。

 しかし今マコトの事情を全て解決してしまうのは、間違いのように思えた。

「僕はどうせまだまだですよ」

 優人はループ再生を停止し、そのまま迷いなく、動画ファイルをゴミ箱へドラッグした。

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