4.放課後の狂気

 次の日、優人はマコトと二人だけで話をするために、昼御飯を一緒に食べようとメールを送ったが「今日はずっと忙しいの、ごめんね」と返事は簡潔。

 司令室に行く予定も無く、マコトが利用する下駄箱の近くで待つことにした。

 メールで約束しないのは、しつこくしては気兼ねなく話せないからだ。

 帰宅部の下校ラッシュが過ぎ、下駄箱近くの壁に寄り掛かって暇潰し用の文庫本を広げるが文面は浅くしか頭に入らない。昨日見た、マコトの足に巻かれていた包帯を思い出すからだ。

 そんな中途半端な時間を過ごしてから時計を見ると、一時間は経過していた。

 遅いのは、よく聞く委員会の用事か何かだろうか。

 しかしマコトからは「委員会」としか聞いたことがない。探しに行こうにも、具体的にどの委員会なのかはわからない。

 しかしその手の校内情報に詳しい友人ことを思い出し、すぐに電話を掛ける。

「よう、情報通。ちょっと質問だ。今日、活動してる委員会ってどこかわかるか?」

 校内で最も仲が良い友人である政明は、校内の様々な事情に通じている。

「俺自身は情報通でもなんでもない、人脈があるだけだ。うちの学校の委員会なんて、本当に忙しいのは放送委員ぐらいだぞ。あとは生徒会か」 

「ありがとう、恩に着るよ」

 そう一言告げて通話を切る。せっかくの情報提供に淡白だが、二人は礼儀を省く少ない言葉のキャッチボールが成り立つ仲である。

 放送委員会なら一階の放送室へ行くのが妥当だろう。それにマコトの下駄箱の位置は知っているため、もし行き違いになってもわかる。

 誰もいない物静かな廊下を一人で進む。優人は普段から校内で指定の上履きではなく体育館シューズで過ごしているため、足音がかなり小さい。そんなところはエージェントのようで、職業病かもしれないとつまらないことを思う。

 長い渡り廊下を通って一階へと下る。

 フロアの端にある放送室へ行こうとしたが――なんだろうか、妙な人集りが遠くに見えた。

 賑やかさとは違う雰囲気を察し、優人はすぐに曲がり角を使って身を隠す。

「ふざけんな。あんた、またやったの! マジ迷惑なんだけど」

 体裁を気にしない怒声が、廊下中に張り詰めた重たい空気を走らせる。

 普段から本物の修羅場に慣れている優人には子供の遊びにしか感じないが、嫌な予感がした。

「いっつも失敗が多いけどさ、フォローする身にもなってくんない?」

「普通さ、後輩が先輩のことを手伝うもんだよね。でも、あたしらがあんたを手伝うことがあっても、逆は一度も無いんだけど」

 優人の位置からは遠く、大雑把にしか状況を把握できない。

 ただ確かなのは、罵詈雑言を並べている女子が三人。

 さらに壁を背に彼女達に囲まれて自由を奪われ、重圧を受けている下級生が一人。

「キビキビ動けないわけ? あんたいっつもトロいんだよ」

「それだけないじゃん。少しでも重い物だと持てないし、一人で任せると怪我するしさ、本当に使えない」

「チビだから、高いところも届かないしね」

 仲間同士の罵倒が連鎖することで女子達は高揚し、けらけらと嗜虐的に笑う。典型的なイジメの現場、見るに堪えない醜い光景である。しかしいくつかの具体的な言葉が、優人の予感を確信へと至らしめた。

「すいませんでした」

 普段聞き慣れた愛らしい声が、今は震えてくぐもっている。

 間違いなくマコトである。

 背が低いため上級生達に見下ろされる格好となり、肩身を狭ませて苦痛に耐え続けている。

「あんたさ、なんか子供っぽいじゃん? だからその手のロリコン男に人気あるみたいだけど……実は媚びてるんじゃないの?」

「あー、体育の時間とか見学が多いらしいね。トロいのとかも全部演技なんじゃない?」

「なにさ、ってことは、あたしらは男に色目使うための演技に付き合わされてたってこと?」

 仲間へのいわれのない侮辱に、怒りが瞬時に膨れ上がったがどうにか抑える。

 三人の上級生達はその後も怯えるマコトに、思いつく限りの罵倒と嘲笑を繰り返しながら容赦無い視線で串刺しにして、精神的にいたぶっていく。

 どうする?

 踏み込み止めさせればマコトを守れるだろう、一時的には。

 安直にこのタイミングで出て行き、ただ助けるだけではマコトの立場がさらに悪化するかもしれない。特に女子の世界はデリケートであると景や由梨から聞いたことがある。

 灰色の壁に身を隠しながら足踏みしているのがもどかしい。

 現状で自分にできるベターな行動は何か――それをしばし考えたが、浮かんだのは情けなく小賢しいことだけだった。但し、今何もしないよりは良い。

 優人は鞄からある電子機器を取り出す。

 マコトから貰ったカード型カメラである。

 電源を入れ、胸ポケットにあるスマートフォンと通信させる。ただ、これでは映像が端末へ送信されるだけで事足りない。昨日マコトに説明した通り、設置を考える必要がある。

 スマートフォンを胸ポケットに戻し、再び鞄から別の物を取り出す。

 それは昨日の放課後に由梨へ間違って貸した、自作の鏡だ。

 スライドスイッチを引いてガラス板を外し、そこへややきついがカードカメラを押し込む。あとは背面の蓋を取り外してから、両面テープの剥離紙を剥がす。

 即席だが、壁面設置型カメラとして成り立つだろう。

 これで機器の方は良い。

 マコトと上級生達の様子を伺い、音を立てずリノリウムの廊下を低い姿勢で駆ける。

 画角を考え、盗撮するには都合の良い位置の壁にカメラを貼り付ける。

 偶然だがデバイスが壁と同色なこともあり、気づかれにくいだろう。

 素早くその場から離れて最初に身を隠していた位置まで戻ると、再びスマートフォンを取り出し、イヤホンを付けてから転送されてくる映像を見た。

『そういえば先週まではさ、委員会の日を結構サボってたよね?』

『あー、あれ酷かったな。先輩に仕事押し付けて帰るとか何様?』

 マコトは先週まで《光の柱》事件解決のため、数週間に渡って毎日オーダーとの接続に控えていた。だから放課後に委員会の活動などする余裕は無かった。

 上級生達は虐めている相手がそんな重責を抱えていたとは知らないが、だからといって許されることではない。

 ディスプレイの中で今もマコトは嬲られている。

 しかし会話を含めて何が起こっているか鮮明であり、物的証拠としては十分。これを利用し、上級生達に揺さぶりを掛けることは可能だ。

 あとはマコトを今すぐ解放するだけだが、優人はすでに手段を決めておいた。

 鼻を摘み普段より低い声を出すように意識して、

「しゃーっす、おつかれさまでーす!」

 一階の廊下に体育会系の暑苦しい挨拶が声高に響き渡る。

 古典的な手段だが、これ以上に自然で効果的な方法は無いだろう。

『ちっ……後始末しときなさいよ、あのままにしたら許さないからね』

『早くそのノロマを直しな!』

 すると上級生達三人は、突然聞こえた大声とは逆方向に駆け足で去っていった。優人はその後ろ姿を、身を潜めつつ眉間に皺を寄せて睨む。

 覚悟していろよ、と呟くもまずは疲弊しているマコトの元へ行くことが先決だった。しかしイヤホンからはマコトのものとは違う、別の声が聞こえてきた。

『川原さん、大丈夫だった?』

『乱暴されなかった?』

 放送室の中から出てきた女子が二人、力なく項垂れた小柄な体を労わるように支える。

 彼女達も放送委員だろうか、どうやらマコトのことを心配しているようだった。

『いつも酷いよね、あんなことを三人掛りでなんて』

『川原さんが虚弱体質なことは先生から言われてるのに、あの先輩達それがわかってて無理やり仕事を押し付けようとしてる』

 委員会には味方がいて決して孤独ではない、なら自分の出る幕はないと、優人は安心した。

 誰にも気づかれずこの場を離れようと、イヤホンを外そうとしたときだった。

『わたし達じゃ助けてあげられないけど、ごめんね』

『あの先輩達怖いからさ。それに仕事できない川原さんも悪いんだよ』

 耳のイヤホンを摘む指が止まる。

 浮かんだのは「どうして?」というただそれだけの疑問。

『それじゃわたし達帰るから』

『片付け、頑張ってね』

 引け目を感じる様子もなく、二人の女子生徒はマコトへ手を差し伸べることもせず、自然に離れ去っていく。

 するとマコトは緊張の糸が途切れたようにその場に膝から崩れ落ちた。

 さらに無言のまま、感情をぶつけるようにか細い両腕で廊下を何度も叩く。しかしそれは弱々しくあまりにも痛々しい。

 今廊下には、マコトがただ一人で蹲っている。他には何者も存在しない。画面越しに伝わってくる静寂があまりにも残酷で、放ってはおけなかった。

 優人は設置したカメラを回収し、壁を背に座り込むマコトの元へ行く。しかし近づいても話し掛け方がわからず、何もせずその場に立ち止まる。

 それは映像ではなく自分の目で直接見たマコトの姿があまりに脆く、まるで枯れ木の枝のようであったから。

「優人、くん?」

「そうだよ」

 相手の顔も声も確かめず、だらりと首を曲げたまま悄然とした声でマコトは言い当てる。

 目の前に現れた体育館履きは白地に三本の青いラインがあり、これは一年生指定の印。さらにマコトの知人の中で、普通の廊下でも体育館履きを使うのは優人だけだ。

「見てた……んだよね?」

「うん」

 ごめん、という言葉を手前で飲み込む。失礼な気がしたからだ。

「わたしは情けないね」

 抑揚のない嗄れた声に、返す言葉が見つからない。

「悔しいよ」

 以前に景を励ましたときは機転が利いたのに、今は上手い言葉の一つも思い浮かばない。

 ただそれでも、優人はマコトに対して助けになりたかった。

 オーダーとの事情に加えて、学校ではこんな問題も抱えていたのだ。去っていった彼女達の口ぶりから考えるに、きっと昨日今日始まったことではないだろう。

 理不尽な負担を少しでも軽くしてやりたい、そのための切り札を優人は持っている。ただそれは明日にでも知らせればいい、今は少しでも気分を変えさせてあげたい。

「マコ先輩。今日は委員会なんてほっといて帰ろう」

「そうはいかないよ」

 少しでも元気を取り戻して欲しくて、優人は酷く憔悴し力のない肩を支えようとする。

「片付けなんか、別に今日中にこなさなきゃいけないわけでもないでしょ。あとは僕に任せてくれれば――」

「近付かないで!」

 ぼそりと弱々しく呟かれた一言に、優人は虚を突かれ差し伸べた手を止めて、後退るように一歩引く。

「一人にしておいて」

 普段親しい人からの、思いもよらない明確な拒絶の言葉。

 項垂れて活力を欠片も感じないというのに、何者からの助力も慈悲も跳ね除けそうなその姿は悲痛そのもの。こんな雰囲気のマコトと接するのは初めてだった。

 今もだらりと顔を背け、横髪を結っているリボンで優人から表情を隠している。

「わかった……また」

 もうこれ以上、干渉しても良い事は無いだろう。

 後味の悪さを引きずって優人は元来た道を引き返すが、最後に未練がましくマコトを一目見ようと振り返る。

 まだ不安定で危うさが漂うマコトの後ろ姿が、放送室の中へと消えていった。

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