第5話
池袋西口五差路の立食いソバ屋で、そばを啜り、握り飯を胃に放り込んだ。
面倒だが堂島に詫びを入れなきゃならない。嫌味の一つや二つ覚悟しているが、また野暮用を頼まれかねない。煙草に火を点けて一服すると、電話した。
「お疲れさまです」
「聞いたぜ。迷惑な女だよな!」
「あっ! 申し訳ないです」
「ちゃんと手なずけておけよ。舐められてんじゃねぇか?」
「お恥かしい・・・・・・堂島さん! あのおっパブの直井って奴とは長いんですか?」
「そうでもねぇ。あいつは池袋だろ。おれは基本新宿だからな」
「そうですか?」
「あいつ、手が早ぇってのは聞いた事あるな」
「・・・・・・」
「なんでもデートクラブにルート持ってて、店の子そっちにも流してるみたいだぜ。オーナーが愚痴ってた!」
「おれ、直井さんの電話番号聞かなかったんすょ。今後また女の子紹介させてもらいますんで、番号教えてもらっていいすか?」
「おぅそうか! よろしくな」
おれは慌てて煙草の外箱に電話番号をメモる。
「まぁそれはそうと澤村! バイトしないか?」
きた! 全身に緊張が走る。
「10万踏み倒そうとしてるアホがいて、回収してこいや。一割やるよ!」
おれは胸をなでおろした。
「ありがとうございます」
「やるか?」
「堂島さん! ガキの使いじゃないんだし。1ってのはないっすよ!」
「がめつい野郎だな!」
「すいません」
「んじゃ3でどうだ!」
「すぐに金取ってきます!」
あの中年男と彩音が今も一緒にいるかも知れない。直井をとっちめて中年男を引きずり出し問い詰める。ただ、今は回収が先だ。目の前にぶら下がっている肉を喰わない犬などいない。
堂島の話によれば中年女がホストに入れ込んだ金らしい。旦那に内緒でホスト通いを続けて首が回らなくなったのだ。住まいは目白、旦那の給料があるから生活には困っていない。回収は容易いだろう。
電話を切ると店を出た。目白までは一駅だ、歩いて行ってもさほど時間はかからない。
堂島から女の名前と住所がショートメールで届いた。
『矢田泡子』住所をググると馬場へ下るおとめ山あたりだ。
メトロポリタンの脇を抜けて目白駅に出る。仰々しい門構えの住宅地を歩いて行くと、新宿の高層ビル群を見渡せる斜面に出た。地図の赤いピンはこのあたりを指している。矢田の表札を確認してインターホンを押した。玄関横のガレージに車がない。時間を確認すると午後四時すぎ。近所のコンビニで缶ビールを買い、飲みながら時間をつぶす。彩音に電話してみたが繋がらない。路地からパトカーが出てきた、ゆっくりとおれの前を通り過ぎる。しばらくして、また路地から車が出てきた。今度は白いアウディーだ。矢田の玄関の前で止まると車は後退してガレージに収まった。おれは缶を握り潰してゴミ箱へ放り投げる、注意深く様子を見ていると、買い物袋を両手に下げた女がガレージから出てきた。
「矢田さんですか?」
おれは笑顔で問いかける。
「はい。そうですが・・・・・・」
堂島の言ったとおり中年女ではあるが、長い黒髪が気怠そうな雰囲気を醸し出し色気があった。おれは堂島に言われたホストクラブの名を名乗った。泡子のカールした睫毛が揺らぐ。
「返済期日を過ぎている事はご存じですね?」
「えぇ! まぁ」
「今日お支払い下さい。こちらも困りますんで!」
「急に言われても・・・・・・」
「ここで旦那さん帰宅するまで待っても構いませんよ」
泡子の手に力が入った。
「本当にごめんなさい。今は手持ちがなくて!」
「旦那の金やカードは?」
「無理です、使うわけにはいきません」
「じゃぁ仕方無いですよね。今から消費者金融でもヤミ金でも行って金作ってください」
「なんとかもう数日待ってもらえませんか?」
「みんな同じ事言うんすよ。待てません。駅のそばのサラ金探しましょう」
泡子は腕時計に目をやると小さな声で言った。
「買い物袋、重いんで置いてきます」
「車の中に入れとけばいいですよ。何時間もかからないし」
「冷凍ものがあるんで・・・・・・」
おれは軽く舌打ちした。籠城されたら厄介だ。
「携帯預かりますんで、行って来てください」
泡子はスマホをおれに渡して、両手に大きな買い物袋をぶら下げて玄関に入っていった。
大きめのサングラスを掛けて泡子が家を出てきた。おれは携帯を泡子に返し、駅へ歩くよう促した。
「歌舞伎町のホストですか?」
「そうです。お店にツケが溜まっちゃって!」
「あぁ! 男じゃないんですね」
「そうです」
それを聞いておれは少し安堵した。特定の男に貢ぎだすと、彩音の友達みたいにどん底まで行くケースがあるが、店になら骨の髄まで持っていかれるほどではない。
消費者金融で審査を待つ間、泡子はハンドバックからホストの名刺を出しておれに見せた。見覚えのある名刺だった。黒地に金色の文字。彩音のバッグにあった名刺と同じ店だ。もしローンが返せなくなったら連絡をくれれば、稼ぎの良い仕事を紹介すると言って、おれは金の入った封筒を受け取った。泡子はその後、他のホストクラブに入りびたり、ある若いホストに熱を上げ、おれの手でソープに沈む運命になる。
もういらないから、と泡子がくれた名刺に印刷してあるホストクラブをググる。おれの無いはずの脳みそに名案が浮かんだ。目白駅から山手線に乘り新宿で降りた。歌舞伎町は嵐の前の静けさなのか、呼び込みの親父達も覇気がなく、寂れた風が吹いていた。名刺のホストクラブの入っているビルを見つけたが、派手な看板は無く、足元に安っぽい電飾スタンドがあるだけだ。おれはにやついた口元を引き締め直し、店内に踏み込んだ。胡蝶蘭のスタンド花が並んでいたが、人の気配がない。おれは通路を抜けていく、客をもてなすソファのあちらこちらに若い男がいるのが見えた。
「店長いるか?」
コンビニの弁当を掻き込んでいた茶髪が振り向いた。奥のソファでスマホをいじっている若造と目が合ったが、シカトを決め込んでいる。おれは財布から小さなチャック袋をつまみ上げた。
「脱法ハーブ・・・・・・だよな! この店に来た女から預かった」
おれは手近なソファーに尻を沈めて煙草に火を付けた。
「おまえら、聞こえてる癖にふざけたマネしてるとポリ公呼ぶぞ!」
「何のようだ」
用紙を見ながら計算機を打っていた男が言った。
「矢田泡子! 知ってんなぁ!」
返事は特にない。
「奴のツケ、チャラにしろ!」
「知らなぇなぁ!」
おれはスマホで彩音の画像をスクリーンに出すと奴らに翳した。
「こいつからハーブ預かってっからな」
計算機の手を止めると男はスクリーンを見た。
「それによ届け! 出してないんだろ、ここ」
半分ハッタリだった。普通ならど派手にデカい看板をだし、スタンド花は店の外に目立つように飾るはずだ。
「あんた、どこのもんだ?」
ヤー公だと思ってるらしい。おれは内心ほくそ笑んだ。
「チャラにしてくれりゃ、黙っとく。それだけだ」
「てめぇ」弁当を喰っていた茶髪が立ち上がった。
「まぁ待て」男がそれを制する。
「後ですっ呆けられてもいけねぇ、一筆くれ」
おれはテーブルの紙ナプキンを広げた。
「矢田泡子宛てでいいな」
男は以外にも平静を装い言った。おれは頷く。
煙草を灰皿に押し付けて、紙ナプキンと交換にハーブのチャック袋をテーブルに投げ捨てた。おれは紫色に暮れる夜空を見上げて、大声で笑わずにはいられなかった。
今夜ぐらい贅沢にご馳走を喰ってやろうと思っていたが、どうも一人だと二の足を踏んでしまう。結局松屋の牛丼で腹ごしらえすると、直井に電話した。
「お疲れさまです。昨日彩音って子、連れてった澤村っていいます」
「あっ! お疲れさまっす」
「ご迷惑おかけしてすみませんでした。お詫びにもっといい子いるんで、これから伺ってもいいですか?」
「ありがとうございます。是非どうぞ」
「じゃあ後ほど」
池袋まで夕方きた道を歩いていくと急に尿意がした。タイミング悪く着信音が鳴る。
「おっ~澤村か! おまえ取り立て行ったか?」
相変わらずデカい声だ。
「いえ、それが野暮用あってまだでして・・・・・・」
「そっか。クラブから連絡あってな。矢田泡子の件は無しになった」
「えっ? そうなんですか」
おれは、ほくそ笑んだ。
「あぁ、すまんな」
「いえ、また何かあったら、よろしくお願いし」
また切りやがった。
道端の植木に向かって立ちしょんしていると、ルンペンがおれの隣りに立って連れしょん状態になった。ぶるぶるっと身震いしてズボンのチャックを締めるタイミングが同時になった。ルンペンと目が合う。今夜のおれは懐に余裕がある。おれはポケットから小銭を出すとルンペンの手に握らせて言った。
「ひと~つ人生の生血を啜り、ふた~つ不埒な悪行三昧、みっつ醜い浮世の鬼を、退治てくれよう桃太郎」
開いた掌に目を落とすとルンペンは、ジャンバーのポケットからまだ吸えなくもない吸い殻をひとつ、おれに差し出した。おれはいちを有難く頂戴して合掌すると、おっパブに向かった。
相変わらずやかましいユーロビートが響いている。昨夜とは違うイケメンのギャルソンが別室へおれを案内した。
「あれ? おひとりすか?」
直井が挨拶がわりに言った。
「直井さん。デートクラブなんて最近流行るんすかね? 困るんですよね、人の女使っちゃ」
おれは挨拶もなしに捲し立てて、丸いパイプ椅子に腰掛けた。
「バックいくら入るんだか知らねぇが!」
「そんなつもりじゃないんすよ。あの娘が帰るって言い出したもんで」
「おたくが紹介した男とふけちまったんだよ! どうしてくれんだ!」
直井のおっ立っている小指を見ていると、おれのイラつきは頂点に達した。
「なんとか言えよ」
パイプ椅子を蹴り倒すと、直井はぴょこんと跳ねてボソボソと何かを言った。
「聞こえねぇ! ちゃんとしゃべれ!」
「バックはあの娘に渡すよう先方に伝えますんで・・・・・・」
「そか! わかりゃぁいいんだよ」
あの中年男の電話番号わかるよな
「分かります。名前は偽名かも知れないっすけど、飯井っす」
直井はスマホに登録済みの電話番号を見ながら言った。
「おれが電話した所で、尻尾ださねぇだろうから、おたくが段取りとって会わせろよ」
「了解っす」
「いま電話しろ」
「いまですか?」
只野から電磁パルスを借りてくればよかった。脅しに使える。直井は渋々飯井に電話した。
「火曜の昼、一緒に飯いかがですかって言ってます」
「3日さきか? まぁいいだろ」
「場所は予約してから連絡くれるそうっす。不動産っす、これありますょ」
直井は指を丸くして言った。小指は相変わらず立っていた。
「あと、デートクラブの事務所どこだ?」
「それは言えないっす」
「はは~ん、もしかして、おたくが勝手にお散歩コース作って、小遣い稼ぎしてんじゃないの?」
直井の顔が引き攣った。
「そんな事してないっすよ」
「免許証見せろ」
おれはスマホで撮影する。
「堂島の兄貴に事務所訊いてみるって手もあるけどな! まぁいいわ。逃げらんねぇぞ、 写真撮ってあるからな。段取り頼んだぞ」
直井は肩を落として立ち尽くしている。おれはポケットからルンペンに貰った吸い殻をつまみだしと、奴の口唇に突き刺しライターで火を点けてやった。
缶ビールを買い込むとハーブで面倒をかけたネカフェに潜り込んだ。その後も彩音から連絡はなく、ネカフェに戻ったおれは撮影会モデルが出来そうな女のブログを物色してメールしてみたり、桃太郎侍の続きを見たりした。
寝入ったのは明方だと思う。ペアシートでないせいか椅子がリクライニングせず、目が覚めると身体のあちこちが痛かった。
翌日は、缶ビールや食い物を買い込む以外は、下界に降りる事はなかった。本来おれは出不精で用事がなければ一日中家でごろごろしている。この歳になってなんだが将来の夢はヒモだ。直井から電話があって集合場所はおっパブに変更になった。話が済んでから食事を奢ってくれるらしい。夜半彩音に電話してみると、なんと繋がった。
「彩音! おれだ! いまどこだ?」
「・・・・・・」
返事がない。
さすがに未だかつてない長い家出に、おれはマジで心配しだした。
「おぃ! 聞こえてるか?」
それきりビープ音しか聞こえなくなった。
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