第10話 郊外学習
キースは、聖堂美術館から借りてきた、フェルメールと、贋作師メーヘレンの資料を交互に見つめ、考える。
メーヘレンは、フェルメールの贋作を手がける前に、絵の具、絵筆、溶剤にいたるまで、すべて当時と同じものを手作りした。それには、フェルメール・ブルーを作り出す、宝石のラピス・ラズリは絶対に必要なアイテムだ。
先ほどミルドレッドがアトリエに届けてくれた”贋作作りグッズ”。それらを机に並べて、キースはふと思う。
あいつ、もっと色々と口を出してくるかと思ったら、あんなに簡単に引き下がるとは意外だった。
だが、そう思いつつも、袋の中に、注文外の品々が混ざり込んでいることを見つけて、顔をしかめる。
画材やラピス・ラズリを格安で手に入れてくれたのは有難いけど、遠足じゃないのに、このお菓子や飲み物の山は何なんだよ。
一旦、アトリエに篭ってしまうと、飲み食いも忘れて仕事に没頭してしまう青年画家を慮ってか、少女が混ぜ込んでおいた食料品。それを脇に退かせて、キースは偽物作りの工程を頭の中に描きだす。
フェルメールの作品の贋作師を目指そうっていうなら、まずは、これが最重要課題! フェルメールブルーの色を出す、絵の具作りだ。
まず、宝石のラピス・ラズリの原石を細かく砕き水につける。一晩経って水分が飛んだら、それに、にかわ液を混ぜて、模写する絵の濃さと同じになるように、慎重に絵の具の濃度を調節する。
けれども、絵の具ができたって、肝心の絵の方が上手く描けなきゃ意味がない。
俺が贋作を描こうとしている”ヴァージナルの前に座る婦人”
フェルメールの絶頂期の他の作品と、彼の”最後の作品”と言われている、この絵の最も大きな違いは、婦人が身につけた青のドレスの
その微妙に衰えた手法までを真似て、俺は、元絵を削ぎ落として作った17世紀のキャンバスに、”ヴァージナルの前に座る婦人”をそっくりそのまま、描き写さなければならないんだ。
その時、キースはふと、聖堂美術館から借りてきた資料の中のある文章を思い出して、苦い笑いを浮かべた。
”贋作者に必要な才能は、詐欺師としての才能、美術史家、修復家、化学者、筆跡鑑定家、文書係、そして、嘘をつく才能 ”
「まったく、上手く言うもんだ。確かに、贋作師ってそういうもんかもしれないな」
https://img1.mitemin.net/b8/si/99e6oyqlqfd3cf03as2b9105x5n_673_8c_9c_ndx.jpg
フェルメール 「ヴァージナルの前に座る婦人」
* *
一週間後の昼下がり。
女教師レイチェルを先頭にした、”盗賊団”ピータバロ・シティ・アカデミアの一行が、ロンドン・ナショナル・ギャラリーにやってきた。そう、今日は彼らが綿密に計画を立てて準備をしてきた“郊外学習”の日なのだ。
ぞろぞろと列を作って歩いてゆく生徒たちの前を歩くのは、さりげなく四角い紙包みを小脇に抱えた少女 ― ミルドレッドだ。
「生徒の皆さんは、事前に配った見学順路に従って、絵を鑑賞して下さい。絵の説明は、事前に下見をしてくれたミリーたちに任せてあります」
かるく目配せをしてきた、ブルネットの女教師に、黒髪の少女はこくんと首を一つ、縦に振る。
「みんな、こっちよ」
絵を鑑賞するフリをしながら、ミルドレッドは生徒たちを今日のターゲットの絵 ―贋作とすり替える予定 ―の場所へと導いていった。
仲間の生徒たちに目をやると、少し緊張した面持ちで彼らを呼び集め、
「これから、この絵の説明をします。だから、みんな、私の周りを取り囲んで」
ぐるりと集まってきた、仲間の影に隠してもらいながら、四角い包みから贋作の絵を取り出した。
キースが、徹夜で描きあげた絵の中の一枚だもの。絶対に上手く、すり替えなきゃ。
ミルドレッドは、館内の様子を慎重に見極めだした。何のことはない。こんな作業はもう慣れっこだ。そして、頃良いタイミングを見つけると、壁際にいた女教師レイチェルに目で合図を送った。
ナショナル・ギャラリーの館内の灯りが消え、けたたましく警報音が鳴ったのは、その直後だった。あらかじめに館内電源の位置を調べておいたレイチェルが、ミルドレッドのメールを合図に、それをOFFにしたのだ。
「何だ! どうした?」
ざわつく人々の声。
慌てて駆けてくる警備員の靴音。
だが、館内の電気を目くらましのように消せる時間は、ほんの数分なのだ。あまり長引かすと、事態は単なる停電ではすまなくなる。
本物の絵をはずし、その場所に偽物を取り付けた生徒たちの作業は迅速だった。けれども、再び、館内に灯りがついて、逃走経路のに入った時、ミルドレッドは、立ち止まって、そこに展示されてある”ヴァージナルの前に座る婦人”に見入ってしまったのだ。
澄んだラピス・ラズリで彩られた婦人の衣装の青が、今、アトリエに篭った青年画家が贋作造りのために練っている同じ青色と重なった。
“でも、キースは贋作でも、これより、いい絵を描くに決まってる”
ぐずぐずと絵の前に居続けて、動かない彼女を見かねてか、仲間の男子生徒が声をあげた。
「ミリー、何やってんだよ! 長居は無用だ。学校に帰るぞ!」
……が、その時、
「やあ、あの時のお嬢ちゃんじゃないですか」
警備員の一人に、ミルドレッドは呼び止められてしまったのだ。振り向くと、それは、先日、この場所で同じように彼女に声をかけてきた強面の警備員だった。
アイドル並の笑顔が印象的だった少女。彼女が、たった今、すり替えた絵を小脇に抱えているなんて気づきもせず、微笑みを浮かべながら近づいてくる警備員。
まずいわ。あの時に顔を覚えられてしまっていたんだ。
心臓の鼓動がどきどきと警告音を鳴らしている。手にもった戦利品をどうすることもできず、ミルドレッドはうろたえた。
このままだと私たちの盗みが発覚してしまう。咄嗟に、すり替えた絵の包みを後ろに隠そうとした少女の態度に、警備員は、表情を一変させた。逃げ出そうとした、その腕をがしりと掴む。
「ちょっと待って! その包みは何だ」
ただ、震えるばかりのミルドレッドは、蒼い顔をして立ち尽くしている。遠巻きに見つめる他の生徒たちも、助けたいと思っていても、なす術がない。
「お嬢ちゃん、ちょっと、警備室まで来てもらいますかね」
どうしよう……。このままじゃ、絵をすり替えたことが、バレてしまう。学校ぐるみなのが、発覚したら、お父様の名前にだって傷がつく。
レイチェルに促され、後ろ髪を引かれる思いで館内から出て行く仲間たち。そちらを見てはいけないと、ミルドレッドは俯いて床に目を向ける。その後に、
「こっちへ来い!」と、
警備員の男は有無を言わさぬ力で、彼女の腕を強引に引っ張った。逃げ出すこともできず、今にも泣き出しそうな少女が、白い包みを抱えたままで警備室に連行されてゆく。
キース、ごめん。これで、学園を乗っ取るって、私たちの計画も駄目になってしまうわ。
漆黒の瞳から大粒の涙が流れ落ちた。
……がその時、
彼女を捕えた警備員の男が、ゆっくりと前のめりに倒れていったのだ。
「……え?」
ミルドレッドは、突然、意識を失った男と、その後ろから現れた男の姿に目を丸くした。
亜麻色の髪。黒いレザージャケットと同色のブーツ。赤みがかった灰色の瞳。
「イヴァン……?」
少女に向け、彼は笑った。
「そいつのことは気にするな。殺しちゃいない。それより早く、こっちへ来い」
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