第11話 月光が差し込むアトリエで二人きり?!
ナショナル・ギャラリーから少し離れた教会の中で、イヴァンは、ミルドレッドが盗ってきた戦利品を眺めながら、白々と言った。
「子供が窃盗団をやってるとは、本当にろくな学校じゃないんだな」
ミルドレッドは、彼女らしくもなく、まだ、べそをかいている。
「だって、今は仕方がないの。キースがあの学校を乗っ取ってくれるまでは、どんなことでも我慢なの」
「なるほど、そういう訳か」
イヴァンは、特に驚いた風もなく、薄く笑う。
教会の窓から差し込む日が作る色取り取りのステンドグラスの影が、少し斜めに傾き出した。そろそろ、時間も夕刻に近づこうとしているのだろうか。
先に帰った他の生徒たちは、どうしているかしら……きっと、物凄く心配してるに決まってる。
どうしようもなく不安になってまった少女の気持ち。すると、それを慰めるように、聖歌隊の歌声が教会の奥の方から響いてきた。イヴァンはその麗らかな声に耳を澄ますと、
「もう、泣くな。聖歌隊の声が台無しになる」
「だって、だって、本当に怖かったのよ!」
まだ、涙にくれている少女に、イヴァンはちっと舌を鳴らしたが、次の瞬間には、うって変わって優しく微笑み、彼女の顔を覗き込んできた。その心を蕩かすような柔らかな視線に、ミルドレッドは思わず頬を紅潮させた。
「今日、捕まってからのことは、全部、忘れてしまえ。グレン男爵の館の庭で俺が切り裂いたマフィアの時と同じように」
その言葉に、ミルドレッドは、きょとんと目を瞬かせた。
その瞬間、
え? ええっ?
目を泣き腫らした少女は、唖然と上を仰ぎ見た。
教会の天井から、粉雪が舞い散るように、大量の白い羽がふわりふわりと舞い降りてきたのだ。たった今生まれたばかりの天空の光のように、一片の穢れもない純白の輝きが、優美な軌道を描きながら落ちてくる。
天使の羽……
信じられない気持ちで、それを見つめるうちに、ミルドレッドは頭の中が真っ白になってゆくような気がした。そして、
「あれ……? イヴァン? それに私、何でこんな場所にいるの」
黒いレザージャケットを羽織った男は、少女の問いにそ知らぬ顔をして言う。
「ナショナル・ギャラリーからのお土産を俺に見せにきてくれたんだよ。もう、十分に堪能したから、お前はそろそろ学校に帰りな。また、バイクの後ろに乗せて俺が送っていってやるから」
イヴァンに手を取られて、腑に落ちない顔で、ミルドレッド立ち上がったものの
おかしいな……“今日のターゲット”……この絵をナショナル・ギャラリーから盗んだまでは覚えているんだけど……。
けれども、教会の中から流れてくる聖歌隊の声がとても綺麗で、彼女は、夢現の気分になってしまっていたのだ。ミルドレッドは、夢想した。
そうだ、学校に帰ったら、キースに一番にこう言うんだった。
“本物よりも、キースが描いた贋作の方がずっと、いい絵ねって”
彼が笑う顔。それを思うと、少女は楽しくてたまらなくなってしまった。そして、その気分が醒めぬまま、イヴァンが教会の裏から出してきたゼファー1100の後部座席に乗るのだった。
https://img1.mitemin.net/1m/jn/3u24lzbwf0ez93t0a77qd3phhy6h_1643_be_g4_575s.jpg
イラスト:イヴァン・クロウ
* *
「ミリーが無事に帰って来た!」
誰かが叫んだその声とともに、学園中はてんやわんやの大騒ぎになってしまった。
彼女がナショナル・ギャラリーで絵のすり替えに失敗し、警備員に連行されていったまでは、仲間たちが目撃していた。けれども、その後にレイチェルがナショナル・ギャラリー側に探りを入れてみても、”今日は何もなく、平穏無事な日でした”と言われる始末だったからだ。
ミルドレッドの帰りをシティ・アカデミアの正門で、まんじりとした思いで待っていたキースは、彼女の無事な姿を見て、心底、安堵の息をついた。そんな青年画家を見つけて、ミルドレッドが黒い瞳を輝かせながら駆けてきた。
「キース、これ見て! 今日の戦利品! けどね、こんな絵より……」
ところが、盗ってきた絵を掲げた瞬間、
「良かった! ……ミリー、心配でたまらなかったんだ!」
彼にぎゅっと抱きしめられて、えっと小さく声をあげてしまった。
廻りを見渡してみると、生徒たちがいつもの数倍も大げさな笑顔を浮かべて、ミルドレッドを取り巻いている。
「そ、そ、それより、本物よりキースの贋作の方が……」
「そんなもの、どうだっていいんだ。ミリーが無事で本当に良かった」
そんな彼らを訝しげな眼差しで、女教師 ― レイチェル ― が遠巻きに眺めている。
「やっぱり、こんな事を何時までもしてちゃ駄目だ。俺は一刻も早く、この学園を手に入れる。あんな欲深な女に好きなことをさせておくのは、もうご免だよ」
キースに、ここまで心配されたことが嬉しくて、ミルドレッドは、贋作のことを誉めるタイミングをはずしてしまった。それに、いつまでも彼の腕の中にいると、止まりそうなくらい高鳴っている心臓の音を聞かれてしまいそうで、気恥ずかしかった。それだから、
「ちょっと、ちょっと、いい加減に離してくんない? 洋服に絵の具がついちゃったわよ」
高飛車に声をあげる少女。すると、
「おっと、贋作作りの真っ最中だったんだ。もう行かなくちゃ。じゃ、ミリー、後でちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど、また携帯に電話するから。詳しいことはその時に」
キースはそう言い残すと、名残惜しそうな少女を残して、そそくさとアトリエに帰ってしまうのだった。
* *
午前2時。
幽霊がもっとも好みそうな丑三つ時。
月の光が窓から差し込む、夜のアトリエで、キースとミルドレッドとパトラッシュは、彼が仕上げたばかりの“ヴァージナルの前に座る婦人”の贋作をしげしげと眺めていた。
「こんな時間に小学生を呼び出すなんて、それでいいと思ってんの!」
と、言いながらも、ミルドレッドは、隣に立っている青年画家が仕上げた“贋作”の出来に、黒い瞳を輝かせた。
凄い……このキャンバス……ついさっきに仕上がったばかりの絵とは思えないみたいに、17世紀風の重厚さが表わされてて、おまけに、この絵の中の婦人のスカートの
「さすがね。絵を描く事に関しては、私はキースに何も言うことはないわ。と言うより、フェルメールの真作とこの贋作を並べて、どちらが本物かって尋ねられても、私は、迷わずキースが描いた方を指差すと思うわ。それくらいにこの絵は完璧にフェルメールの手法をなぞってる」
審美眼にかけては、末恐ろしいほどの才能を持っているミルドレッドに、絶大に評価されて、キースはこそばゆいような笑みを浮かべたが、
「えっと……そこまで、誉めてもらえて光栄だけど、今日、ミリーにこんな時間にアトリエに来てもらったのは、俺が描いた贋作を鑑定してもらうためじゃないんだ」
「それ、どういう事?」
すると、突然、青年画家は真顔になり、膝を折って少女の目線に自分の目線を合わせてきた。
「な、何っ!」
至近距離で見つめられると、いつにも増して、琥珀色の瞳が綺麗に思えて、ミルドレッドの心臓は飛び跳ねそうに高鳴ってしまった。ち、ちょっと待ってよ。よく考えてみたら、月光が差し込む夜のアトリエで、私、キースと二人きり!
パトラッシュの存在など、てんで忘れてしまっている少女に、琥珀色の瞳をさらに真摯に向けて、キースは言う。
「これから俺がやることに、ミリーは許可をくれるかな? ミリーの迷惑になるようには、絶対にさせないし、後のことは、俺がきちんと責任を持つから……だから」
「だ、だから……何?」
「目を閉じといてくれないか」
ミルドレッドは本当に心臓が止まってしまうかと思うくらいに驚いてしまった。まさか、まさか、まさか、私、お父様とでさえ、キスは頬に軽くする程度だったのに。
青年画家の顔が近づいてくる。
「許可してくれる? 俺を信じて」
「……い、いいわよ……」
どきどきと高鳴り放しの鼓動を抑えながら、ミルドレッドは目を閉じた。すると、
「ありがとう、ミルドレッド」
キースは、感謝を込めてそう言うと、
「アンナ、頼む。ミリーが許可をくれたから」
アトリエの窓の下に置いてあった、少女の肖像画に向かって軽く手を振った。そのとたん、窓ががたんと音をたて夜の風を伴いながら、アトリエの中に入り込んできた。ミルドレッドの目が開く。黒い瞳を月明かりに輝かせながら。
そして、
「また、来ちゃった。天才画家、そして贋作師のキース・L・ヴァンベルト! あなたのお役に立てるなんて、私はすごく幸せよ」
はずむような声でそう言うと、ミルドレッドの中で、“アンナ11歳”がはみかむように微笑んだ。
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