第7話 ヴァージナルの前に座る婦人
キースたちが、聖堂美術館で銃撃戦をしていた? その同時刻にミルドレッドは、ロンドンのナショナルギャラリーにいた。
キースのアトリエにある、曰くつきの“ヴァージナルの前に座る婦人”。その嘘偽りのないオリジナルを所蔵しているのが、この美術館だった。
ミルドレッドは、目の前にある絵をまじまじと見つめた。やはりキースのアトリエにある贋作とは、光と影の色合いの鮮やかさが段違いに際立っている。当たり前のことだが、オリジナルには例の少年の姿はない。
もっと、よく見ようと絵に顔を近づけた時、
「ミリー、何を見てるんだい? そろそろ学園に帰る時間だよ」
一緒に見学に来ていたシティ・アカデミアの男子生徒が彼女に声をかけてきたのだ。
「分かってるわ。それより、首尾はどう? 今日は次の郊外学習にここを訪問した時に、みんなで盗み出す絵の下見をしに来たんだから、そっちの絵の方は確認済み?」
「それはもう、ばっちりだよ」
男子生徒は、余裕綽綽の笑顔を浮かべた。だが、ふと顔を曇らせ、
「でもさ、僕たちが、色んな美術館から絵を盗みだす時に、すり替えてる贋作って、うちのお抱え画家のキースが描いてるんだろ? 大丈夫かな。いつか世間にバレやしないかって、僕はどきどきしてしまうんだけど」
「何よ、あんた、キースの腕前を疑ってんの! 今まで何件もの美術絵画のすり替えを私たちは、やってきたけど、今だに一件だって、バレたことなんてなかったじゃない」
「違うんだ。僕が言いたいのは、その反対。彼の描いた絵っていうのはさ、贋作でも……何ていうか、本物より、ずっと良かったりするから……。だから、心配なんだよ。いつか、僕らの嘘がバレてしまうんじゃないかって」
確かに、ミルドレッドにしても、それは感じたことがあった。あの青年画家には、並外れた才能がある。小学生とはいえ、大手の画商の家に生まれついた彼女は、絵に対しては驚異的な審美眼を持っていた。キースはいつまでも、贋作師をやっているだけの画家じゃない。それに、ミルドレッドやピータバロ・シティアカデミア自体だって、こんな馬鹿げた盗賊団を続けているわけにはゆかないこともよく分かっていた。
けれども、
「今は、とにかく、レイチェルの命令に従うしかないの。でも、後々、彼女を失脚させるだけの証拠は、ちゃんと手元に集めながらね」
ミルドレッドは、そう男子生徒に告げると、再び、本物の“ヴァージナルの前に座る婦人”の方に目を向けた。
グレン男爵から預かった絵が、いくら出来のいい贋作だっていっても、オリジナルとのこの違い! 困ってたキースを私たちで何とか助けてやれないかしら。
けれども、もっとよく見ようと絵に身を乗り出した時、
「お嬢さん、展示物には手を触れてはいけませんよ!」
近くにいた強面の警備員に声をかけられてしまったのだ。一瞬、気まずいような空気が二人の間に流れる。
「あっ、ご免なさい。このフェルメールが素晴らしくて、つい夢中になっちゃって」
笑えば、アイドル並の可愛さをまき散らす彼女だ。とたんに警備員はでれっと相好を崩した。
「いや~、その年で絵が分かるなんて、お嬢ちゃんは凄いね!」
ふん、ちょろいもんだわと、ミルドレッドは高飛車な瞳で警備員を見据えた。
けれども、彼女は知る由もなかったのだ。この笑顔が後々、自分を窮地に追いやってしまうことになるなんて。
* *
ピータバロ・シティ・アカデミアの医務室。
運が良かったのか、聖堂美術館で撃たれた東洋マフィアの弾は、イヴァンの腕をかすっただけだった。早朝で来館者もいなかったのを良いことに、キースたちは、後始末を警備員たちにまかせて、学園の方に戻って来たのだが、レイチェルは、
「警察には知られないように、さっきのことは有耶無耶にしたおいたわ。色々とかぎまわられると、後々やっかいでしょ」
「あんな騒ぎがあったのに、聖堂美術館側がよく黙っていてくれるんだな」
「グレン男爵との間にホットラインを引いたの。彼は、聖堂美術館にとっては、一番の寄贈者ですもの。あの男に電話一本かけてもらえば、美術館の関係者は誰も口を出せないわ」
「しばらく姿が見えないと思っていたら、レイチェル、あんたは、もう、あの男をまるめこんだのか!」
「まるめ込んだなんて聞こえの悪い。交渉したと言って欲しいわ」
涼しげな顔でさらりとそんな台詞を言ってのける女教師に、キースは呆れたような瞳を向ける。
どうせ、色仕掛けと上手い口車で、話を早く進めたんだろ。胡散臭い男爵と、”超”胡散臭い女教師が、頭をつき合わせて悪巧みなんて、想像しただけで鳥肌が立つ。
すると、先ほどから彼らの話を聞いていたイヴァンが、おもむろに声をあげた。
「あんな悪どい画商と交渉して喜んでいるとは、ここもろくな学校じゃないな。東洋マフィアに狙われても当然ってとこか」
そんな男を女教師は、眼鏡の奥から睨みつけ、
「実際にマフィアに撃たれてるのは、あなたでしょ。胡散臭いのはそっちの方! それに、男爵のことも色々と知ってるみたいだけど、あなた、一体、誰なのよ。それに、あそこで何をしていたの」
イヴァンは、ジャケットを羽織ながら、赤みかかった灰色の瞳を女教師に向けて意味深な笑みを浮かべた。丹精な顔立ちの彼に真っ向から見つめられて、レイチェルは、百戦錬磨の女にしては、不覚にも頬を一瞬、赤らめてしまった。
どきりと彼女の胸の高鳴りが聞こえる。その様子を傍で見ていたキースは、思わず鼻白んでしまった。
知らないんだろ? こいつは、油断してると咽喉ぶえを掻っ切ってくる“連続殺人犯”なんだぞ。
そんな彼の思いなんて、てんで無視して
「絵を探していたんだ」
「お前ってやっぱり画商なのか。 だから、ミリーと俺がマフィアに襲われた時に、グレン男爵の館にいたってわけ」
すると、レイチェルが、
「館にいた? この男が?」
「ほら、話しただろ。ミルドレッドをマフィアから助けてくれた、バイクに乗った男がいたって。それが、こいつ……えっとイヴァン……」
「イヴァン・クロウで構わないぜ」
冗談まじりに彼は言うが、どこまで本気なのかが、よくわからない。けれども、この男が、東洋マフィアを殺ったことは、レイチェルには、秘密にしておいた方が良いみたいだ。
すると、イヴァンは突然、椅子から立ち上がり、
「聞かれちゃ不味い話が、色々とあるんだろ。だから、俺はもう失礼するよ。出口までの道は分るから、着いて来なくても結構だ」
「でも、お前、撃たれた傷は? かすっただけって言ってたけど、けっこう血が出てたじゃないか」
「あんなもの出血のうちに入るものか……俺は、いつももっと大量に見てるぜ」
キースは思わず背筋がぞくりとする。そんな青年画家にくすりと一瞥を送ってから、イヴァンが医務室の扉に手をかけた時、
「ちょっと待って! 分っていると思うけど、ここでの事は他言は無用よ。イヴァン・クロウって言ったわね。あなたも表街道を堂々と歩ける人間じゃないみたいだけど、もし、外で余計なことを話したりしたら、あなたのことだって徹底的に調べてやるわよ」
イヴァンは、ちらりと女教師の顔に目をやった。それから、自分の腕を押さえた彼女の手首を軽く握った。小馬鹿にするように口角を上げる。その手をぎゅっとひねると、
「俺に指図をするな」
その直後に、肩にかけられた手を払いのけて、イヴァンは医務室から出て行った。
思わず、後ずさったレイチェルの姿に、キースは、彼に大拍手を送りたくなる。……が、
「レイチェル? どうしたんだ?」
ふらりと壁側によろめいた彼女を見て、眉をしかめた。すると、
「大丈夫……ちょっと眩暈がしただけ」
そういって、椅子に腰掛けた女教師の顔色は少し蒼ざめていた。
時計を見ると、お昼の時間をとうに過ぎてしまっている。キースは、うっとうしい話は早く終わりにしてしまおうと、
「……で、グレン男爵との会談では、贋作村の権利をシティ・アカデミアに譲るって話も、当然、出たんだろうな」
「出たわ。彼、あまりに四方八方に手を広げすぎて、贋作村の経営にまで手がまわらないようね。でも、顧客が大勢いるものだから、放り出すわけにもゆかず、だから、その話はまさに渡りに舟だったようで。グレン男爵は、詳しい事はすべて、あなたに託していると言ってたわ。詳細はあなたに聞けと。一体、彼はどういう条件を出してきたの」
レイチェルは、俺がグレン男爵の息子を絵から出してくれたら、贋作村を譲るっていう、あの条件の事を知らないのか……。
しばらく、キースは考えてみる。……やっぱり、こんな話はしない方が得策だ。
「特に条件はなかった。まぁ、譲渡には、それ相当の金は必要だろうが、ただ……」
「ただ、何?」
「少し時間をくれと。贋作村を手放すにしても色々な手続きをしなければならないから」
女教師は、一瞬、訝しげな顔をする。
「で、でもさ、待てば、贋作村の利権が転がり込んでくるなら、それはいい話だよなっ」
それはそうねと、頬を蒸気させた女教師。その姿を見て、キースは皮肉っぽく笑った。すると、その笑みが気に食わなかったのか、
「なら、あなたはさっさと、アトリエに戻って、贋作作りに精を出しなさいよ! 手抜きは許さないわよ。そのために契約金を払ってるんだから」
「分かってるよ。でも、一つ言っておきたいんだけど、あんたは、贋作村の経営権を手に入れるなんて簡単に言ってるけど、贋作村を手に入れるということは、あの東洋マフィアを相手にするって事、分ってるんだろうな。グレン男爵だって、それが面倒になって、俺たちに重荷を押し付けようとしているに決ってる」
「大丈夫よ、ちゃんと、そっち方面にもコネがあるんだから。この界隈をちょこまかと動き回っている雑魚のマフィアなんて、いつでも圧力がかけれるわ。成金上がりのグレン男爵とピータバロ・シティ・アカデミアとは、そこのところが違うの。きっと、贋作村だって、うちが経営した方が、上手くゆくんじゃないかしら」
キースは、そんな物なのかなと訝しがる。それにしては、あいつら、随分、殺気立ってたような気がするけど。
「分かったよ。なら、俺はアトリエにもどるから。今日は資料集めに、聖堂美術館に行ったっていうのに、とんでもない事になっちまった」
「資料は見つかったんでしょ。なら、明日にでも取りに行って、せいぜい、完璧な贋作を描いてよ。このピータバロ・シティ・アカデミアのために……ね」
その声が、悪い魔女の声音みたいに、頭の中に気分の悪い余韻を残す。
薄ら笑いを浮かべるレイチェルに、乾いたような一瞥を投げかけると、学園のためじゃなくて、“お前のために”だろ? と、小さく口元で呟き、キースは部屋を出て行った。
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