第3話 とんでもない誕生日
翌朝、大聖堂に近いカフェテラスで、広げたタブロイド紙にすっぽり顔を隠しながら、キースはコーヒーをすすっていた。ミリーが彼に支払った250ポンドは女教師に返してしまったし、バイト料ももらえぬままに帰ってきて、結局、財布の中身は寒いままだ。
とんでもない、誕生日。そう、今日は俺の17回目の誕生日。でも、もうそんな事はどうでもよくなってしまっていた。今日のタブロイド紙の地方版の一面は、数日前のロンドンの殺人事件なんかじゃなくて……
「聖堂美術館ですりかえられた謎の風景画。作者は誰……」
声を殺して、そばに座っているパトラッシュに新聞の内容を読み上げる。
「昨日、聖堂美術館で盗まれたとみられる複製画の後に残されていた、作者不詳の風景画に注目が集まっている。捜査本部は、“何故犯人が、複製画を狙ったのか”という疑問とともに、この残された風景画が事件解決の重要な鍵を握っているとの認識を深め……あああ、本当にこれは、マジにヤバい」
あの絵の作者って……一番の容疑者は俺か?
「どうしよう、どうしたらいいんだ? パトラッシュ」
犬に相談したって面倒みてくれるわけでもないが、とりあえず、そう言ってみた。だって、このままだと本当にフランダースの犬みたく、悲劇の最後を迎えてしまいそうだ。
すると、その時
くわんっ!
と、パトラッシュが一声ないて、キースの膝元を口で噛んで引っ張った。
「え?」
くわんっ!
何だ? 俺に一緒に来いって言ってるのか。
キースがその言葉を声にする前に、パトラッシュはもう走り出していた。
「ちょ、ちょっと、待てよ!」
駆けてゆく一匹と一人。その行き先は……
ピーターバロ・シティ・アカデミア。
“僕は見つけたんだよ。
すべての謎はそこにある!“
と、パトラッシュが言ったかどうかは、定かではないが、
それでも、この17歳の誕生日に、キース・L・ヴァンベルトの運命の輪は、確実に違う方向に回りだしていたのだった。
* *
「パトラッシュ、ここって、あの学校の裏じゃないか」
延々と続く赤レンガの壁。裏手といっても、ピーターバロ・シティ・アカデミアの建物は豪華の一言につきる。だが、キースは鼻先に感じたかすかな香りに、おやと顔をしかめた。
油絵具の臭い?
彼にとっては、おなじみの香りが壁の向こうから流れてくる。その時、横にいたパトラッシュが、前足でレンガ壁をぼかんと殴ったのだ。すると、あろうことか、壁の一部がいとも簡単に崩れ落ちた。
「おいっ、壁を壊すなよっ」
そう言ってみたものの、キースは、まじまじと目の前に都合よく出来上がった“出入り口……のような穴”を見つめた。
この豪華な建物の壁が犬のパンチごときで壊れるわけがないじゃないか。
この建物、あの先生、そしてクソ生意気な生徒たち。何もかもが怪しすぎるぞ……畜生! おまけに、わざとらしく作られたこの穴は、何なんだよ。
パトラッシュのくるくるした瞳が、キースに語りかけてくる。
“行こう! 真実を見つけたら、きっと何かが変わるから”
* *
見えない糸にひかれるように、キースとパトラッシュはレンガ壁の穴を通り、学校の敷地内へと入り込んでいった。入ってすぐの場所に、”下りてください”と言わんばかりの“地下への階段”が見えている。
「行くよ、行きゃあいいんだろうが」
半ばやけくそになって、キースはパトラッシュを伴い、その階段を下りていった。
地下室……?
先ほど嗅いだ油絵具の香りが漂ってくる。そして、その部屋の扉を開いた時、
「この部屋は……一体、何なんだよ!」
部屋の中の壁という壁……どちらを見ても、絵、絵、絵!
相当な広さがあるにもかかわらず、地下室の部屋の壁にはおびただしい数の絵画が掛けられている。
おずおずと部屋に入ると、キースは壁に掛かった絵に目をやった。
「ピカソのサインがある……こっちは、ゴッホ、ターナー、ロイスダールまで? でも、これは……」
また、つんと鼻についてきた油絵具の香り。
その瞬間、キースははっと、目を見開き、部屋中に掛けられた絵をぐるりと見渡した。ところ狭しと壁に貼られた肖像画たちの瞳が、視線を返すように物珍しげに若い侵入者を見下ろしている。
古い絵から、こんなに油絵具の香りがするものか……。という事は、
「
驚きすぎて、言葉が出てこない。その時、
「失礼ね。ちゃんと本物も混じっているわよ」
部屋の扉の向こうから、聞き覚えのあるアルトな声が響いてきたのだ。
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