図書館のヒーロー part3
握られた木刀を震わせ、敵意を露わにするスナネコの前に
触手をぶった切られ、断面から青い粘膜質の液体をボタボタ落としながら
憤るセルリアンが、睨み合っていた。
セルリアンが、体から何本もの触手を出した刹那、その戦いは唐突に
始まった。
ブォンッ!!と、スナネコ の腕より数倍太い触手が振り落とされたのを
彼女は軽く体を傾けて避けると、握られた木刀でその触手を一刀両断。
が、さらに別方向から伸びてきた触手達を捌ききれず、腹部に重い
一撃を、スナネコは食らう。
「グフッ!?」
予想だにしない、あまりに強いその触手攻撃に、思わず後ずさりし、その木刀を離しそうになる。まるで弱点を知ってるかのように、上手いことスナネコ の鳩尾に抉り込んだので、胃の中身が逆流しそうになるのを、喉のすんでのところで止める……
が、スナネコが見せたその一瞬のすきを、大きな一つ目が見逃さなかった。
屈み込んだスナネコの、華奢な小さな背中へと幾本もの触手を、まるで子供がふざけて両手を振り回して連撃を加えるように、ズダダダダダダダダダダッッ!!と振り落とした。
「ッ"ッ“ッ"ッ"ッ"ッ"ッ"ッ"ッ"!?」
容赦のないその攻撃に、寸止めされていた黄土色の胃の中身が吐き出されて
バシャバシャと音を立てて地に落ちたセルリアンの粘液質の液体と混ざり合う。
ツンと鼻を突くような異臭が立ち込める中、一気に意識が、どこかへ飛んで逝きそうになるが、それでもスナネコ は、下唇を血が出そうな程噛み締めて耐えた。
「ゲホッ…!ゴホッ…!舐めないでください!」
小さな体で受け止められる許容量を遥かに超えるダメージを浴びながら……まだ燃え盛っている敵意と憎悪に身を任せて、屈んだ姿勢から体を180°回転、
持っていた木刀で自分を攻撃する触手供を、一気にぶった切った。
なんとか、触手を切ることができた…………が、打った切った触手の先端から
新たな触手がウニュウニュとうねりながら次々に再生されるのが、目に入って
スナネコ の顔は思わず引き攣った。
「こいつ……一体何本あるんですか?」
右へ左へ飛んでくる触手を、慌てて右蹴りと払い面の要領で触手を弾いたスナネコ は、絶望の色をにじませて、そう呟いた。切っても切っても、青黒い体からすぐに再生されるので、触手を切るだけでは無意味───とは行かないまでも、セルリアンが回復に使うサンドスターを使い果たすか、彼女の体力がそれまでに持つか。彼女は既に、自分自身で体力が限界に近づいているのを感じ取り、当然長くは持ちそうにないと、身体中に雫を浮かべなながら、じわりと焦りを覚えた。
とすると、必然的に触手ではなく核である「石」への攻撃を早急に求められるが……
幾本もの触手が、まるで茨の道のように、攻撃への一手を拒む。
彼女は、考える。考えながら、目の前にいるセルリアンの頭上、正しくはそこにある石を睨んだ。
あそこに『面』が決まれば、セルリアンは爆発四散するだろうが、対空砲の嵐のように襲いかかる触手を避けて撃つのは、恐らく無理だ。
じわじわと削られていく体力に比例するように、焦りは増していき
焦りは彼女の理性をどんどん蝕んでいった。
剣道を学ぶものとしてそれはあるまじきことだと、彼女の顧問や自称プロを謳う者達は後から言うだろうが………残念ながら、スナネコにはそんなことを考える心の余裕も、時間の余裕も持ち合わせていなかった。
そして、ついに糸が張り詰めたような彼女の理性は、ぷつんと音を立てて焼き切られた。
「っく!!もうどうにでもなれぇっ!!!」
雄叫びのようにそう叫んだ彼女は、いきなりその体を地面に倒した。
その頭上を、いくつもの触手が全て、彼女に当たることなく突き抜けていく。
「あれ?」と、やった張本人はまさかうまくいくとは思わず、一瞬驚きつつも、慌てて体を再び起こして木刀を構えた。
そう、彼女のやっつけ作戦は、敢えて相手が予想だにしない行動をすることにより
触手を全て避ける。そして、次の攻撃のインターバルまでの僅かな時間で、石を砕く、という作戦だった。
彼女自身、その『予想だにしない行動』というのがたまたま伏せるという行為だったのだが……それはうまく功を成したようだ。
茨の道のような触手群がスナネコ の背後へ消え、がら空きになった本体に向かって、飛びかかった。
まだ一本あるとも知らず。
「うおおおおおおぉぉぉおおぉおおおおおおっっ……え?」
とっくのとうに冷静さなど微塵になくなってしまった彼女は気づかなかった。
否、対応できなかった。
死角に触手が一本、隠れていて、それが当に攻撃しようと飛び込んだ彼女に襲いかかった。空中での身動きが不自由な状況下では、うまく対応できるはずなく、もろに攻撃を受ける。
彼女の首にしっかり巻きついた触手は、思いっきり地面に引っ張って叩きつけた。一瞬の出来事で、何が起きたか理解できない彼女は、突然打ち付けられた頭の痛みに、声にならない呻きをあげた。
次の瞬間には、再復帰の暇を与えないとでもいうように、首に巻きついた触手が、彼女をあげて無理やり立たせた。先程避けた触手達も背後から手足に巻きついて、あっという間に空中で拘束された。
「くっ…うぁ……」
空中で大の字にされてしまった彼女は、もう抵抗するすべもなく
ただただセルリアンに持ち上げられる。
ずっと見つめていると吸い込まれてしまいそうな虚無を移す目に、スナネコ は
最後の抵抗で足をジタバタしてみるが、触手がそれをガッツリと掴む。
「くそっ……やめぇ…ングッ…」
ゆっくりと首に巻きついた触手に力が込められていき、その細い首を締めていった。まだ諦めていない彼女は、ジタバタと抵抗するが、息苦しさがじんわりと意識を蝕んでいく…
だんだん、全身から力が抜けていくのを彼女は感じた。
あぁ…ここでボクは死ぬんですか?
表情などあるはずがないセルリアンの目が、この、首を絞めるという行為を愉しむように歪んで見えた彼女は、いよいよ絶望感が広がる頭の中でつぶやく。
だが、その問いに答えるのは、彼女自身を含め、誰も居なかった。
望んでもいないのに人生のエンドロールを流すが如く、スナネコの脳内には
ゆっくりと今までの思いでを写し始めた。
ここに来てたった数年の、僅かなその思い出達を……………
「カッ…ハッ…」
もはや喋ることもままならない彼女は、消えゆく意識の中で
瞳を閉じかけて、目の前にいるセルリアンを力なく睨む。
ツチ…………ノコ………
その意識を手放し……そうになった時、閉じそうになったその瞳を
スナネコは思わず見開いた。
巻きついた触手を断ち切った、その白い弓矢のようなその少女。
「遅くなりましたっ!」
そう高らかに遅刻を宣言したその少女は、触手を断ち切った後、
本体の上へ目で終えるかどうかの速度で移動すると、ちょこんとした
小さな足が思いっきり石を蹴り落として砕いた。
ぱっかーんと景気のいい音たてて弾けたその巨体は、ただのブロック体となって辺りに散らばった。
落ちかけたスナネコ の体を、さらに小さい博士が、受け止めた。
「あなt…ゲホッ…ゴホッ…!」
「あなたは?」といいかけたスナネコは、急に萎んでいた肺に空気が入り込んできたので、思わずむせてしまった。
なかなか咳が止まらないスナネコの小さな背中をさすりながら、博士は
言った。
「私はアフリカオオコノハズクの博士です。
お前はスナネコ ですね?」
返事すらむせてまともにできないので、スナネコは頷いた。
それを見て博士は安堵したような笑みを浮かべた。
「ふぅ………。
お前の友人から助けるように言われて来ました。
大丈夫……そうではありませんが、命に別状はなさそうで安心したのです」
「ゴホッ…ゲホッ…ツチッ…ノコッ…?」
「えぇ、ツチノコです。お前の親友です。
真っ先に飛び出そうとしていたのを私が止めて、代わりに来ました。」
友人のその名を聞いて、今度はスナネコが初めてにやりと笑みを浮かべた。
普段はクールに振る舞う友人が、自分のために戸惑う姿を思い浮かべて、それがむず痒かったのだ。帰ったらイジってやろうっと、とスナネコは密かに思ってふふと声を上げた。
その様子を見ていた博士は、振り向くと、こちらを見つめる残された三匹のセルリアンを見た。
仲間を簡単に殺された彼らは、恐れるどころかむしろ怒り狂ってこちらに
突進してくる。
また、あの耳に障る野太い雄叫びが、広いグラウンドに響いた。
「ふんっ………死に損ないが、後悔するといいのです」
バサリとその翼を広げた博士は、地面と自身との隙間が数ミリしかない低空飛行で
三匹のうちの一気に間を詰めると、自分を捕まえようとする触手を舞い上がって避けた。その内の一本を掴んだ博士は、砲丸投げのようにその場でぐるぐると回る。持ち上げられたそのセルリアンも、ぐるぐる振り回される。
遠心力で凄まじい速さで回るセルリアンを、地上で間抜けにこちらを見つめるもう一つのセルリアンにぶつけると、両方ともぱっかーんと景気のいい音を立てて
押し潰れた。
そんな間抜けな仲間の死に様を目の前で見ていた最後のセルリアンは、
逃げようとしたのか、アタフタと来た時同様地中に逃げようとするが、それをさせまいと、博士が飛びかかって、直接石をブチリッと捥ぎ取った。
本体である石を取られたセルリアンは球体を維持できずに、どろりと粘液質の液体となって地面を湿らせ、石は博士の手中の中でぱっかーんと、景気のいい音を立てて潰れた。
「ふぅ…ようやく片付いたのです。
久々の運動でちょっと体にきt…ん?」
あっけなく、小学校を蹂躙した四つの球体を撃破した博士は
自分を見つめる、何百という視線を感じた。博士が見やると、
その視線の主である、何百という生徒たちは皆、自分達より小さなこの少女が
あっけなくセルリアンを撃破した様子に、言葉が出ない様子だった。
先ほどの絶叫の嵐が嘘とでも言うように、静まりかえったグラウンドだが、
一瞬の静寂のうち、彼らはどっと歓声を挙げた。
「やったぞー!」「助かった!!」「ありがとう!」
自分に向けられた歓声に包まれて、多少博士は顔を赤らめるものの
すぐに彼らに声では届かないので、指でジェスチャーを送る。
それを見ていた生徒達は、一瞬その指が何を意味するか理解できなかったが、すぐに
その指の先を見て理解した。
何十というセルリアンに呑み込まれた子供達が、ごろごろと横たわっていたのだ。
歓声はすぐに止み、今度は仲間の名前を口々に叫んで、一斉にグラウンドに駆け出していく。横たわった生徒に駆け寄った生徒達が、心臓に耳を当て、あるいは脈に指を押し当てて……
皆「まだ生きてるぞ!」と叫んだ。
それを聞いて泣くものもいれば、歓声をあげるものもいた。
もちろん、それはグラウンドの隅で聞いていた、生徒を守らんと命がけで戦ったスナネコ も同じで、安堵の表情を浮かべた。彼女のもとにも、戦闘を見ていた生徒達が駆け寄って介抱を始めている。
博士は彼らの様子にふふっと微笑んでから、くるりと背を向けて、音もなく飛び立とうとすると、スナネコ の声が彼女を呼び止めた。
博士は、首だけをぐるりと180°回すが、スナネコは驚くことなく言葉を続けた。
「博士さん、ありがとうございました。
ツチノコに、よろしく伝えておいてください」
「………私は伝書鳩じゃないのですよ?
でも、伝えておくのです。私は優しいので」
それだけ言うと、博士は首を戻して今度こそ飛び立った。
遠くから、いくつものサイレンが聞こえる。
先頭はもちろん…何も助けなかった、警察達だったが。
この勝利が吉と出るか凶と出るか。
そもそも果たしてこれは勝利と言えるのか。
裏で少しづつ、恐ろしく汚れた歯車は動き出す。
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