二言目


 その日私は手首を切った。


 死にたかったからではない。いや、死にたくはあったのだけれど、決して死ぬために手首を切った訳ではないのだ。私は痛かったのだ。酷く、酷く痛かった。だから手首を切った。痛いから切った。痛い故に切った。ただそれだけなのだ。

 手首を切ったところで容易に死なないことは周知している。余程深く──それこそ手を切り落とす程の決意を持って──切らなければ死ぬことはない。他にも例えば浴槽に湯を張るなりアルコールを摂取しておくなり、死ぬことに重きを置くのならばやりようはあるのだが、いずれにしても望むような安らかな失血による死を手に入れることは酷く困難である。そんな常識は百も承知で、だからこそ私は死ぬためではなく自分の痛みのために手首を切ったのだ。酷く痛くて、痛くて、けれどもその痛みを私の死ぬ理由にしてはいけないと思った。痛いと思ったのは私自身であり、痛みを感じたのは私自身である。それならばその痛みも私の一部なのだ。痛みを厭ったところで、切り離せる訳ではない。それならば私はその痛みごと自分を自分だと受け入れなければならない。受け入れて、他の私同様に愛すべきなのである。どれだけ醜くとも私を理解して愛することが出来るのは私しかいないのだから。ならばこそ、私はこの痛みを死ぬ理由にする訳にはいかなかった。私が私自身の安らぎのために、私自身を踏み抜くことは決して許されないことだった。痛みを理由に、痛みを手段に選んだ時、私は現世に死ぬことの出来ない私を独り残すことになる。

 だから誰が何と言おうと、私にとって手首を切る行為は死ぬ為の手段でも死に迎合する上での過程でもない。私は私の痛みを形にすることで、私自身を一つに縒り合わせているに過ぎないのだから。

 細胞同士の間にこれまでになかった間隙が出来るその様を、その痛みを、私は愛しく思う。これは私の痛みを私の一部にする儀式なのだ。ぷつぷつと浮き出る赤い数珠が、床に落ちて出来る染みが、全てが私が私であることの証明なのだ。


 床に点々と散らばる赤茶けた染みを見て、今日も母は泣くのだろう。そしてそれを盗み見て、私はまた痛みを負うのだ。私が私を傷つける度に母は泣き、母が泣く度に私の身体はその跡を刻む。そのサイクルがまた私の痛みであり、私はそのことが酷く痛く酷く苦しいのだ。

 私の痛みは私の一部であり私のものであるはずなのに、そうでなければならないのに、その痛みがまた母を傷つけてしまうのだ。


 何故こうなってしまったのか、私には最早わからない。わからなくて、その答えを求めて私は今日も安物の剃刀を手に取る。それを辞めて仕舞えば母はもう泣かないのに。けれどそうしたら私が、私の痛みが行き場を無くしてしまうのだ。行き場を無くした痛みは意思を持って母を傷つけるかもしれない。他の誰かの、何かの、痛みの理由になってしまうかもしれない。それはそれだけは許せなかった。私と、母の涙だけで抑えられるのなら今はそうするしかない。そう思って、そう言い聞かせて、私は今日も。

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