独白

紅野 小桜

一言目


 たった一度の機会を逃してしまった。後悔していることがあると言うのなら、きっとその点に尽きる。

 私はもう、死ねない。


 初めて自殺を考えたのは、いつだったか。正確に覚えている訳もないけれど、中学生の頃だったのは確かだ。最早理由さえも覚えていない。当時の私のことだから、大方失恋したとかそんなところだろう。余りにも軽薄で、余りにも在り来たり。言ってしまえばしょうもない理由で、当時の私は自らの命を手放すことを考えた。

 けれどもその時の阿呆みたいな「死にたい」という思いは私の心に染み込んで、とっくに身体の一部となってしまったらしい。当たり前のように、流れるように、私の心は死にたいと呟く。私にとって死にたいと思うことは、息を吐くようにとまではいかずとももう毎日のことで、最近では寝る前に喚き始める「死にたい私」をはいはいと適当にあしらって眠りに就くこともお手の物だ。


 それでもふと、思う。


 どうしてあの時死ななかったんだろう。どうして、死ねなかったんだろう。

 中学生の頃は、三階の廊下から窓の外を見下ろしては「この高さから落ちても死ねるのだろうか?」等と考えているくらいだったし、友人に「あなたが死ぬと悲しい」なんて言われただけでまだ死んでは駄目なのだ、と自分を叱責する程度だった。それくらいで死ねるのなら、きっと人類はもっと少ない。

 高校生になってからはどうだったか。何故かその頃のことの方がよく思い出せない。苦しかった。死にたかった。いや、違う。生きていたくなかった。この世界に存在していたくなかった。出来ることなら、母親の腹の中にいた頃に戻って二度と産まれ落ちることがないようにしたかった。

 生きているという事実が、自分の存在が、酷く酷く痛かった。

 生きる意味なんてなくていい。生きているだけでいい。意味なんて後から見つけられる。生きていることはそれだけで価値がある。

 そんな言葉は死ぬ程浴びてきた。でも私には、皆が皆日向から喋っているようにしか見えなかった。そんな明るいところから私を見て、何をわかったような口を聞くのだと憤慨した。

 今思えば、そんなことを言う彼らだって各々闇を抱えていたのだろう。けれど私は幼かった。ある日突然自分の周りに闇が満ち満ちていることに気がついたのだ。他人の闇などに目を向ける余裕があるはずもない。


 だから死のうと思った。

 生きる意味がいらないのなら、死ぬことにも意味などいらない。死にたいから死ぬのだ。生きていたくないから死ぬのだ。


 どうせ死ぬのなら満足できる死に方をしたかった。せめて死ぬ時期だけでも理想の時期がいいと思った。

 私は学生の間に死にたかった。

 制服を着て死にたかった。


 いじめられている訳でも親と不仲な訳でも失恋した訳でも将来に大きな不安がある訳でもない。理由もなく死ぬ。なんて愉快だろう。私が死んだ後にその理由を他人があれこれ推測するなんて、これ以上ない程に滑稽だ。

 死を選択した理由なんて、どこを探したって見つかりやしないのに。

 けれど、勝手に決めつけられるのは癪だった。受験生と言われるような学年で死ねばきっと理由はそれになるし、そうでなくとも季節を見誤ればそこに理由を見出されてしまう。むろん将来に不安がないとは言わない。進学できる保証もないのだ。いや、仮にそんな保証があったとしても、制服を着て死ねないのなら何の意味もなかった。


 友人と遊んだ日にふと思い立って、帰る途中にホームセンターでロープを購入した。それから一週間程度、食事をほとんど摂らなかった。味噌汁なんかの、液状のものだけで済ませてしまった。勿論具は食べなかった。親があまりにも心配するので、数回の食事はちゃんと飲み込んだ後にトイレで人知れず吐くようにした。母はそんなこと露程も知らぬのだと思うと何故か笑いが込み上げてきて、私はそれを胃液と一緒に吐き出した。


 6月の中頃だったと思う。ちょうどいいと思ったのだ。梅雨のじめじめとした気候が、鬱々とした私の心情にお似合いだと思った。夏休みもまだ始まらない。新学年に慣れていないような時期でもない。あぁ、今を逃してしまえばいつ死ぬと言うのか。

 遺書のようなものはとっくに用意していた。担任や学校にいらぬ迷惑をかけてしまうことは望んでいなかったから、いじめ等はなかった、担任には毛程も責任がないといったことを書き、家族への感謝と謝罪の言葉を書き連ねた。先日購入したロープをネットで得た知識を頼りに結び、そして私は首を括った。


 けれども死ねなかった。


 苦しいと思ったことは覚えている。これで生きる苦しみから解放されるとも思った。けれど次の瞬間、私は部屋の床に倒れ込んでいた。

 私は顔を上げて、そしで歯噛みした。ロープをかけていたカーテンレールが歪みきっていた。そもそもそんなものが人1人の体重を支えるなど、到底無理な話だったのだ。そんなことは少し考えればわかったはずだ。いや、わかっていたのか。わかっていて、それでも私はここを選んだのか。どこか死にたくないと怯える自分が、そう選択させたのか。それとも何か?神がまだ私に生きろと仰せか?苦しみ足りぬと、そう仰せか。そうか、なら生きねばならぬ。私はまだ。

 呆然とカーテンレールを眺めながら、私は自分の中の濁流を見つめた。怒りと、悲しみと、悔しさと、安堵。それは死ねなかったことに対してでもあり、生きたいと思った自分へ向けたものでもあり、私という存在を取り巻く全てに抱いたものだった。行き場を失った濁流は、やがて私の瞳から零れ落ちた。

 失敗した。失敗したのだ。私は死ねなかった。生きている。まだ、まだ。失敗した。もう、もう死ねない。

 私はもう、死ねないのだ。

 そんなことはない、死のうと思えばいつでも死ねる。そうわかっていても、私はもう死ねないと強く思った。そしてそのことに絶望した。この世界で、醜く生きねばならぬ。幸を喜び不幸を嘆き、そうして地を這いつくばるようにして生きていくのだ。今死ねなかったということは、そういうことだ。それが私の運命だ。


 だって、今が理想だった。今後どう頑張ってももう私にとって美しい最期は得られない。


 多分それは、美学のようなものだった。何の理由もなく、学生服で死ぬことが私にとって何よりも美しい死だった。二度目はない。二度目は死への執着だ。理由のない死にはなり得ない。

 一頻り泣いて、私は次の日からまた普段の生活に戻った。死ねないことがわかったからには、最早母の作るものを吐き出す必要もなかった。

 娘が死のうとしたことなど知らない母の笑顔が、私には酷く悲しかった。


 そしてその呪縛は今も私を締めつけるのだ。父母の、祖父母の笑顔が、励ましの声が、呪いとなって私の心を締め上げる。

 けれど死ねない。生きねばならぬ。苦しみながら、生きねばならぬ。


 だから私は悔やむのだ。死ねなかったことを、ただそれだけを。


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