囮作戦
「わ、私たちが……ですか?」
セシルは思わず疑問を口に出す。
「ああ。そうだ。これからシャナンには同盟締結の調印式のため、亡国の王都“ムング”に来てもらう」
「ムング……ですか?ならば、カロイの街から東に抜ければ…」
言い掛けた途中でセシルはハッと気づく。ムングの街に行くために重要な点が抜け落ちていることに気づいたためである。
「そうだ。シリック・ドヴァーが落ちた今、東方への移動は非常に回り道をする必要が出てきた。ムングに行くためにはダーグル山脈を迂回して向かうため、非常に時間が掛かることになってしまった」
王国を守る要塞は三つある。
一つは東方への守りの要であったシリック・ドヴァー要塞、もう一つは南方へと続くシュタルバンド要塞、最後に王都の最終防衛ラインであるソヴンマ要塞である。
件の“ムング”は王国の東に位置しており、シリック・ドヴァー要塞の先にある。従来ならば、要塞を越えて二日もすれば辿り着く距離にある。しかし、シリック・ドヴァー要塞が陥ちた今は別の経路を行く必要がある。その一つとして、要塞を覆う様に聳え立つダーグル山脈を大きく迂回して進む経路があった。
「そ、そうでしたね。迂闊なことを申し上げて申し訳ありません」
セシルが謝罪の意を述べる。しかし、アスランは片手で謝罪を制し、言葉を続ける。
「謝る必要はない。シリック・ドヴァー要塞は王国の壁であり、陥落するなど想定だにしていなかった。未だに要塞有りきで考えてしまうのも無理はない。正直、我々も苦労している」
アスランは皮肉めいた笑みを浮かべてシャナンに向き直る。
「さて、話を戻そう。シャナン、これからキミはムングに行く。ただし、彼らと一緒ではない」
「え……?どうして……」
突然の別れを告げる指示だった。今まで苦楽を共にしていた四人と別れ、自分のみがムングに行けと言われても、シャナンには理解が追いつかなかった。
「い、いきなり言われても……どうしてみんなは一緒じゃないの?」
シャナンが不安そうにアスランに尋ねる。四人も同じ気持ちなのだろう。アスランの言葉に皆が注目する。
「言い方が悪かったな。しばしの間、シャナンと四人は別々に行動してもらいたい」
「別?一緒じゃダメなの?」
シャナンの意見にトーマスが強くうなずく。だが、セシルは何か閃いたのか"もしかして…"と呟いた。
その一言にアスランが反応する。
「セシルは何か気づいたようだな」
「は、はい。ですが……」
「構わない。発言を許可しよう」
迂闊なことは言えないとセシルは言い淀む。しかし、皆はセシルの顔を凝視し、何がわかったのかと期待の目を寄せる。
セシルは仕方がないとばかりに、躊躇いがちに軽く咳をした後に口を開く。
「ゴホン。そ、それではお許しを得ましたので、気づいたことを……」
セシルは腕を組みながら話を続ける。
「もしかして……私たちは、囮、ではないですか?シャナンを無事にムングまで連れて行くための……」
しばしの沈黙の後、アスランが笑みを浮かべて答える。
「正解だ。セシル、流石だな。シャーヒン家の血は伊達ではないようだな」
「いや、それは……はは、参りますね」
セシルが気恥ずかしそうに頭を掻く。トーマスも合点が言ったのか、言葉を紡ぐ。
「なるほど…カロイの街でシャナンが勇者であることと私たちが従者であることは知れてしまっている。この先、我々が共に行動すれば、ムングまでの道すがらで魔族からの奇襲を受ける可能性がある、ということですか?」
「そうだ。シャナンは
アスランの言うことに合点がいってシャナンは深く嘆息した。しかし、同時にある疑問が浮かび上がる。
「アスラン……でも……それって、皆んなが狙われるってことじゃないの?大丈夫なの?」
シャナンは少し不安そうに尋ねる。自分だけ助かっても、囮となった他の四人が命を落としたのでは、シャナンの心の負担になるだけだった。
対して、アスランは優しく、そしてシャナンの不安を和らげる様に語り掛ける。
「ああ、彼らにはシュタルバンド要塞に篭ってもらう。そこであれば、魔族とは言え手出しは難しいだろう」
「シュタルバンドに?でも、そこには私がいないよ。もし魔族が私がいないって知ったらどうするの?」
シャナンは自身の疑問をぶつける。先ほどから気になっていたことだった。四人が囮となる、と言ってはいるが、魔族の狙いはシャナンなのだ。四人が要塞に篭っていたとしても、肝心のシャナンがいないと分かれば囮の意味はないだろう。
しかし、アスランはシャナンの疑問が分かっていたのか、優しく笑みを浮かべる。
「当然だ、シャナン。だからこそ、四人には君の影武者を守ってもらうこととする。ラーラ、入って来なさい」
アスランが声を掛けると部屋の扉が開かれ、一人の少女が入ってきた。少女の髪は黒く艶があり、瞳は黒く大きな形をしている。鼻筋はピンと整っており、将来は美人になるだろうと思われる美少女である。
しかし、面々を驚かせたのは、美しい顔立ちだからではない。少女の顔はシャナンそのものだったからだ。
「シャ、シャナンが……」
「二人?」
「何てそっくりなの……」
セシル、ルディとカタリナの三人が言葉を無くす。普段一緒に顔を突き合わせている三人が見紛う程にシャナンにそっくりだったからだ。
目の前の美少女は笑みを携えて敬礼をする。
「紹介しよう。ラーラだ」
「皆さま、お初にお目に掛かります。私の名前はラーラ=フォン=ミッテンハイムと申します。ミッテンハイム家の次女でアスラン殿下の従者としてお仕えしております」
礼儀正しく、自分の名前と出自、立場を少女が述べる。シャナンは少女の口上を聞き、しっかりしているなぁと感心した。
「キミたちはラーラをシャナンとして守護して欲しい。キミたち四人とラーラが一緒ならば、勇者がシュタルバンド要塞にいると思わせられる」
シャナンは思う。確かに、ここまで似ている上にトーマスたち四人と一緒ならば、誰しもラーラを勇者と見紛うに違いない。その上でシュタルバンド要塞に篭っていれば、魔族も手出しはできないだろう。シャナンはこの作戦が上手く行く様な気がしてきた。
その時、ふとラーラの視線が自分に向けられていると気づく。チラとラーラを見ると、シャナンに対して満面の笑みと共に丁寧に挨拶を返してきた。
「シャナン様ですね。お目に掛かれて光栄でございます」
「え、ええ?い、いえ…あの……こちらこそ…ラーラ…さん?」
「ラーラで結構です、シャナン様!」
シャナンは少し気恥ずかしそうに答える。シャナンは目の前の少女の礼儀正しさに、唯々圧倒されていた。自分はこんなにもキチンとできるだろうか。シャナンは調印式で自己紹介をしろ、と言われたらどうしようかと少し不安になる。
そんなシャナンの不安を他所に少女が矢継ぎ早に語り掛ける。
「カロイの街での勇姿は噂ながら耳にしました。迫りくる魔族の軍隊をたった一人で食い止め、そして全滅させた、と……流石は勇者様です!」
キラキラした目で見つめられ、シャナンは少し困った様な、そしてカロイの街で起きた魔族の顛末を思い出して少し気分が悪くなった。
カロイの街から離れた先に駐屯していた魔族軍は、シャナンの内に潜む光の勇者“アヤ”のスキルにより打ち負かされていた。アヤから放たれる致死性の放射線に身を曝した魔族たちは、虚しく死体を
シャナンは自分と本質的には違うにしても、自身が魔族を大量に殺してしまったことに強い罪悪感を抱いている。
そんな自分の悪行を英雄譚として語られても胸が空く話ではない。
「やめて、ラーラ。私は……別に褒められることをした訳じゃない。魔族の人たちを……殺したかった訳じゃないの…」
「シャナン様、ですが……」
ラーラがシャナンの慚愧の言葉に返そうとする。しかし、間に入った者がいた。
トーマスだった。
「ラーラ君。シャナンは疲れている様だ。魔族討伐の話はまた別の機会にしよう」
トーマスの気遣いにシャナンはホッと胸を撫で下ろした。トーマスはいつもシャナンを気遣って助けてくれる。普段はちょっとやり過ぎな面もある。しかし、シャナンにとってトーマスは頼れる存在なのだった。
トーマスの制止にラーラは憮然とした顔で応える。
「あなた……あのトーマス?」
「な、何かね。ラーラ君」
ラーラの汚らしいモノを見るかの様な顔にトーマスは少し
考え込むトーマスに対して、ラーラが不愉快そうに一言を吐き捨てる。
「何かね、じゃぁないわよ。私に近付かないで」
「な!?何故だ!私が何をした!」
ラーラの口から毒言が飛び出す。
「変態ロリコンのトーマスって、専らの噂よ。シャナン様に事あるごとに付いて回って、大人なのに気持ち悪いったらありゃしない」
「な!?バカモノ!シャナンを守るためには付いて回るのは当然だ!」
「ト、トーマスさん、ロリコンだったのですか?」
カタリナが要らぬ追撃をする。
「カタリナ!余計なことは言うな。誤解を生むだろ!」
「ほーら、やっぱり。おっと、近寄らないでくれるかしら。身の危険を感じますのでぇ」
先ほどまでの凛とした清廉さがどこ吹く風か。こまっしゃくれた子供の様相を呈してトーマスを
「こ、このガキ!」
「キャ!やめてください〜ヘンターイ〜」
対するトーマスが顔を真っ赤にしてラーラを捕まえようとする。だが、ラーラはヒラリと躱して逃げ惑った。
二人の掛け合いを見て、アスランがため息を吐く。
「やれやれ。ラーラが珍しく真面目だと思ったのに……猫を被っていただけか」
「は、はは…元気な子ですね」
ルディが苦笑いを浮かべる。ロリコンの汚名が自分にも回ってこないのか、少し心配そうな顔をする。
「全くだ。しかし、トーマスは童女趣味があるのか。知らなかったな」
アスランが訝しそうに呟く。しかし、セシルが首を横に振って否定する。
「いえ……トーマスの場合は、その、そう言う意味でなく、もっとシャナンを崇拝する様な…何というか狂信的な何かだと思います」
「狂信的?シャナン自身に信仰めいた考えを持っているのかな?」
「ええ、平たく言うとそうなりますね」
逃げるラーラ、追い駆けるトーマス……二人の光景を皆が呆れながら見つめていた。
その一方で、シャナンは先ほどの会話に違和感を感じていた。
狂信……信仰……この世界には宗教の概念が無い癖に、関連する言葉はしっかりとある。まるでいつか芽吹く宗教やイデオロギーへの土壌とならんばかりに。
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