ごめんね、アチャンポン

「シャナンちゃん、明日、街を立っちゃうのかい?」


 ンゲマの家のおばさんが寂しそうに尋ねる。


「うん。王国がね、私の助けが必要らしいの」

「まいったなぁ。街を救った勇者様がこの街を離れちまったら、先行きが不安だぜ」


 ンゲマの家のおじさんが口をへの字にして応える。


「ふふ、大丈夫よ。この街にはカトンゴさんの私塾もあるし、冒険者組合のダグダもいるじゃない。私じゃなくても、この街は守れるわ」

「なぁに言ってんだ。また魔族が古代の兵器を持ってきたら、魔法使い程度じゃ敵わねぇだろ?やっぱ勇者様がいないとなぁ!な、シャナンちゃん!」


 おじさんはシャナンの背中をバシバシと叩く。シャナンは思わずむせ返ってゲホゲホと咳き込んだ。


「あんた!勇者様に何すんのさ!」

「おお、わ、悪い、シャナンちゃん。大丈夫か?」

「う、うん。平気よ。大丈夫」


 見た目だけなら華奢なシャナンである。この儚い少女が千もの魔族軍と対峙して、一人で全員を惨殺したとは普通ならば思うまい。


「それより、おじちゃん。おばちゃん。豆菓子、たくさん買いに来たのだけど……」

「おう!豆菓子は麻袋に詰めてあるぜ。合計で百袋だ。流石にシャナンちゃんでも持てないだろ?」

「っバカ言ってんじゃないよ。この娘は勇者以前に女の子なんだよ?こんな重さの麻袋をシャナンちゃんに持たせるなんて、何考えてんだい!」

「お……そうかな?シャナンちゃんなら持っていけると思ったんだけどな……」


 おじさんは頭をポリポリと搔く。シャナンは困った顔をして言葉に応える。


「じゃ、じゃあさ。あるだけ荷車に積んでくないかな?あ、お金は王国が支払うからね」

「おお!シャナンちゃん、やる気じゃねぇか。だがな、金じゃねぇんだよ、シャナンちゃん。この麻袋は我が商店の意地だ。おい、若ぇの連れてこい。街中から荷車を集めろ!」

「え、えええ〜〜?」

「まったく、呆れたわ」


 シャナンと商店のおばちゃんは困った顔をする。しかし、二人の困惑顔を無視して、商店で働く若者たちは声に急き立てられて荷車集めに奔走する。

 

 30分ほど待った後、街からかき集められた荷車が商店の前に集合した。


「じゃあ、お前ら、積み込めぇ!」


 おじさんの掛け声と共に若者たちが荷車に豆菓子の入った麻袋を括り付ける。程なくして、百袋もの豆菓子が複数の荷台に括り付けられる。


「じゃ、シャナンちゃん。いや、勇者様。流石にこれじゃぁ、無理だろ?」


 荷車を引く紐を数十束渡されてシャナンは困惑する。一体、こんな紐をどうすれば良いのだろう。


「シャナンちゃん。この荷車を全て運べたら、豆菓子を全部プレゼントしてやるぜ。どうだ?やるかい?」

「ぇええ?プレゼントってってこと?それはよくないよ。お金は払うよ〜」

「はははは、そんなことは、この荷車を……ンゲ?」


 シャナンは荷車全てを片手で軽々と引っ張る。まるで買い物袋を手に持つ様に。


「このまま、持ち帰っていいの?」

「むむむ、俺の負けだ!持ってけ泥棒!」

「わ、私は泥棒じゃないし。お金は後で払うからね〜」


 少女は荷車を軽々と引き連れ駆けて行く。その後ろ姿に感嘆して商店のおじさんとおばさんはため息をつく。


「はぁぁ。流石だねぇ。あんな子がンゲマのお嫁さんになってくれたらねぇ」

「………そうだな。しかしな、シャナンちゃんは大きな役目があるんだ。俺たちにはどうすることもできねぇ。なら、応援するしかないだろ?」

「そうねぇ。……そう言えばンゲマは?」


 おばさんがふと思い出したかの様に自分の息子の所在を気にする。


「あいつは……シャナンちゃんより一足先に墓地に行ってるよ……」

「………そう……」


 二人の間に長い沈黙が流れた。


 ─

 ──

 ───

「世界の理に導かれ、死者はこの世界を形作る礎になろう」


 治癒術師が墓地に向かって言葉を紡ぐ。この言葉は死者への手向なのだろうか。


「魔族による悲劇で多数の方々が亡くなりました。しかし、彼らは世界の理の一部になり、我々と共に歩んでいきます。ですので……皆さま、悲しんではなりません。笑顔で送り出してあげましょう」


 魔族襲撃から一月……墓地には多数の人々が集まっていた。この世界では人が死んで一月後に儀式的なをする習わしらしい。


 曇天の空模様は人々の暗い感情を表しているかの様に今にも泣き出さんとしている。


「……くだらないな……」


 ボソリとシャナンは呟く。その言葉にはこの世界の真実の一端を知る者しか吐けない言葉の重みがあった。


「……シャナン?今何か仰いましたか?」

「ううん。何も」


 シャナンはトーマスの言葉を軽く受け流す。


「……。神様や仏様もいないのに……何でこんなこと、するんだろう……」


 この世界は生命の賢人たちが作り上げた世界だと言う。

 人々は宗教、神仏ならびに超自然的な存在を信じたり語ったりはしない。いや、それ以前に彼らは宗教、神や仏といった形而上の概念を知らない上に、理解できなかった。

 

 ただ唯一信じる概念が“世界の理”である。

 魔法を使う時、覚悟を示す時、何かに縋る時、出てくる言葉が“世界の理”だった。


 シャナンは最初、“世界の理”が宗教的な概念を指す言葉だと思っていた。しかし、トーマスやルディ、セシルにカタリナ……全員に尋ねても“世界の理”は“世界の理”であって、信仰の対象として崇めてはいない。彼らの中では“世界の理”は幼き時から無意識化で理解している世界を構造するナニカ得体の知れない概念であるらしかった。


 召喚されたシャナンは”世界の理“をよく理解できない。それは、自分がこの世界の住人でないからかも知れない、と考えていた。

しかし、この世界に一年以上住んでいて分かる。この世界の住人も形而下で”世界の理“を詳しく語れる者はいない。誰も知り得ない不可思議な概念なのである。


「シャナン。明日、もう旅立っちゃんだって?」


 ンゲマが話し掛けて来た。


 ンゲマは魔族の襲撃により、一度死亡した。だが、ヤスミンの魔法により、擬似的なクオリアを精製して復活した。このンゲマのクオリアは、他者のクオリアを集めて再演算してクオリアになっているという。 


 目の前にいる男の子を見て、シャナンは思う。


 


 だが、シャナンの疑問を他所にンゲマは次に続く言葉を語り掛ける。


「あの時…助かったよ。俺、刃で刺された時、絶対死んだと思ったんだ。でも、シャナンが助けてくれたんだろ?ルディさん達を呼んで、俺を回復してくれたんだよな?」

「………うん…」


 シャナンは嘘を吐く。本当は超越魔法により、擬似の復活を施したに過ぎない。しかし、真実など何の意味があろうか。

 

 シャナンはンゲマの顔を見て、ポツリポツリと言葉を返す。


「ンゲマ……あれから……体は…大丈夫?何か違和感とか……前と違っているところ……無い?」

「んぁあ、いや。むしろ前より調子良いぐらいだ。ホラ見ろよ。……よっと!」


 ンゲマが逆立ちして元気な姿をアピールする。ぎこちないながらも元気な姿を見せようとするンゲマを見て、シャナンは思わず笑みを溢す。


「お、シャナン。やっと笑ってくれたな?」

「え…?」

 

 逆立ちを終え、地面に足で降り立ったンゲマが笑みを浮かべて話し掛ける。


「最近、シャナンが塞ぎがちで少し心配してたんだよ。……まあ、あんなことがあればな…」

「………」


 ンゲマの少し寂しそうな顔を見て、シャナンも顔を下に向けて黙り込んだ。


「アイツのことは……残念だったよ。俺よりも先に攻撃を受けてたからな。間に合わなかったのも仕方がない」

「……ンゲマ…」

「でもよ、俺達が悲しんでいるとアチャンポンも悲しむぜ。最後だから笑っていようぜ」


 ンゲマの言葉に含まれる一言でシャナンは心が掻き毟られる思いがした。


 ──アチャンポン──


 カロイの街で出来た友達で、自分が友達の名前を聞き、シャナンは慙愧の念に絶えなかった。


「ブージュルク家にいるはずのアチャンポンの両親には、あれから連絡が着かないんだ」

「……なんで…着かないの?」

「カロイの街の暴動にブージュルク家が一枚噛んでいたという噂があるんだ。もしかすると、アチャンポンの両親も関わっていたかもしれない。そのせいかな、自分の娘が死んでも顔を出したくもないみたいなんだ……」

「……」


 ンゲマは墓石に刻まれた墓碑銘を見る。


「アチャンポンはずっとこの街に眠ってるよ。……会いたくなったら、また来いよ。シャナン」


 ンゲマは泣いているのか笑っているのか分からない顔をして見せる。シャナンは、ンゲマの無理をした表情を見て更にやるせなくなった。


「シャナン。俺、大きくなったら……王国の兵士になることにするよ」

「え……じゃあ、商店はどうするの?」

「魔族を倒してからやれば良いさ。俺は……もう、アチャンポンみたいな奴を作りたくないんだ……」


 ンゲマが悲壮感漂う表情で語り掛ける。シャナンは返す言葉も無く、黙って聞くしか出来なかった。


「でもな、シャナン。勇者であるお前が……俺が兵士になるより早く魔王をやっつけてくれたら、そのまま商店の後継になるかもな!」


 ンゲマがニッと笑う。この笑顔を見て、はやっぱりンゲマだな、と確信した。


「じゃあな、シャナン!いや、勇者シャナン様!……王国を…世界を頼むぜ!」


 元気な言葉を発して少年はこの場を走り去る。その後ろ姿からは泣き顔を見せまいとしている必死さが見え隠れしていた。


 ンゲマが墓地を去った後、遠くから見守っていたトーマス含めた四人がシャナンに近づき、そっと肩に手を当てる。


「シャナン……私たちは先に宿屋に戻っています。後からゆっくり戻って来ていただいて結構ですよ」

「……うん。ありがとう、トーマス」


 シャナンの儚げな後ろ姿を残して、皆は墓地から去っていった。一人残されたシャナンはただ一人、墓石の前で佇んでいた。


 ── アチャンポン=スイカスト──


「スイカスト家……あれから調べたよ。アチャンポン」


 シャナンは悲しそうに独り言を呟く。


「暗殺とか裏工作とか……そんなことをしているブージュルク家の分家だったんだね。アチャンポン。だから、ブージュルク家の暗殺者だって分かったんだね……」


 別に責めるつもりはない。

 むしろ、家の事情を知りつつ、魔法を覚えようと必死だったアチャンポンが可哀想に思えてきた。あのまま魔法を習得して家に戻ったら、暗殺者になっていたのだろうか。

 

 暗殺者になることが……人に危害を加えることがアチャンポンの望みだったのか。いや、そんなはずはない。あのアチャンポンがそんな汚い仕事をしたがる訳がない。


 シャナンは自分の疑問を墓の下に眠る友達に尋ねる。


「アチャンポンは……お家に帰ったらどうなりたかったのかな……少なくとも暗殺とかそんな物騒なことをしたかった訳じゃないと思うけど……」


 冷たい土の下で眠る少女は答えない。


「もしかしたら、お家を変えたかったのかな?もっと別のお仕事に就きたかったのかな……?」


 空からポツポツと雨が降ってくる。


「私が……私が……勇者なのに…弱いから……」


 シャナンの瞳からも雨が零れ落ちる。


「アチャンポンを選んでしまったから……私が適当に選んでしまったから……」


 ヤスミンから誰かを犠牲にする必要がある、と言われてシャナンはアチャンポンを差し出した。

 確たる思いがあった訳ではない。で選んだに過ぎない。この神も何もない理不尽な世界で、頼ってはいけない存在に頼ってしまった自身にシャナンは強い自責と後悔を感じていた。


「ごめん……アチャンポン……」


 雨が大降りになる。まるで少女の心の模様を表しているかのように。


「ごめん……ごめんなさい…………」


 暫しの沈黙が流れる。


「……ごめんなさい……、アチャンポン……」


「ごめんなさい、私が弱くて…」


「せっかく友達になれたのに…。ごめんなさい、あなたを選ばなくて…」


「ごめん……アチャンポン……」


「ごめんね…」


「…ごめん…」


「ごめんね……」


「ごめんね…アチャンポン」


 少女の絶えない謝罪と慟哭は誰もいない墓地に大きく響いた。だが、降り続く雨足にかき消され、誰の耳にも届くことはないだろう。

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