王国の危機

 シャナンが目を覚まして一週間、ラインハルトとその配下はカロイの街を旅立った。彼は、各地の駅停を襲撃する魔族の遊撃部隊の排除とハイエナの様に各地の村々を荒らし廻る盗賊たちの討伐に向かうという。

 

 ──シャナンが眠っていたひと月で、情勢は大きく変わっていた──

 カロイの街への魔族襲撃は事の一端に過ぎない。同時期に、各地の駅停や村々で魔族の遊撃部隊による襲撃が相次いだ。

 一時期、鳴りを潜めていた魔族の襲撃により、王国側は若干浮き足立っていたことは否めない。

 その隙を突いたのか、王国は国境付近の防衛拠点である大要塞“シリック・ドヴァー”を魔族に奪われる大失態を喫した。


 ラインハルトの話によれば、カロイの街の襲撃は囮で、魔族の本命はこの“大要塞”だったとのことだ。


 話はひと月前に遡る。


 ラインハルトの言に拠れば、王国側は魔族による勇者の襲撃計画を事前に察知していた。そのため、王国は勇者を助けるため、カイン率いる第二騎馬隊とラインハルト率いる王国第三騎馬隊を急ぎカロイの街に寄越したのだという。


 しかし、その裏では魔族たちは別の計画を進行させていた。兼ねてからの魔族たちの悩みの種である“シリック・ドヴァー”要塞、この大要塞の攻略が秘密裏に進められていた。


 カインとラインハルトがカロイの街にあと一歩という地点で、“シリック・ドヴァー”要塞への襲撃の知らせが入った。

 報せによると、魔族軍は総勢二万、要塞側は守備隊が三千と六倍以上の兵力差があった。しかし、要塞の防御特性と天然の要害があれば、普段ならば引けを取る数ではない。篭城して王国側の救援と相手の消耗を待つだけで良いのだ。


 しかし、今回は違った。大きな問題が出てきたのだ。


 その問題は、一人の魔族である。名を一郎、の異名を持つ魔族最強の男が登場したのである。


 魔族軍は最初、要塞からの猛反撃に遭い、一斉に退却をしたという。守備兵たちは追撃の好機とばかりに場外で魔族たちを追い立てる。


 しかし、退却自体が魔族の罠だった。岩陰から金剛羅刹の一郎率いる精鋭たちが、突如として横槍を入れる形で守備兵たちに襲い掛かったのである。


 突然の攻撃に、守備兵たちは潰走した。魔族たちは逃げ惑う兵士たちを刈り取るかの様に追い立てる。対する兵士たちは要塞内に逃げ込もうと必死で敗走する。


 ここで、王国側は判断を誤る。


 王国側は少しでも兵士たちを要塞に回収しようとしたため、城壁を閉じるタイミングを見誤ってしまった。

 一郎は逃げる兵士たちに付け入り、単騎ながら、まんまと要塞に侵入してしまった。

 王国側は逃げ遅れた兵士を見捨てるべきであった。しかし、今となっては、もう遅い。


 一郎はそのまま、兵士たちを蹂躙し、混乱する場内の隙を突く。兵士たちは更に要塞内の奥に逃げ込もうとした。しかし、それも悪手につながる。

 兵士たちの波に乗り、一郎は第二、第三の門を突破し、門の閂を破壊した。


 城門が無ければ、控えている魔族軍の突入は容易い。ましてや数も多く個の力で王国側の兵士に勝る魔族軍である。程なくして要塞は陥落したという話だ。


 しかし、たった一人で三千人もの守備隊の中を駆け抜けるとは、如何に強くても可能なのだろうか。シャナンは疑問に思う。


「一郎は、魔族の中でも別格です。貴女の倒した六郎座など、金剛羅刹の一郎の足元にも及びません……これは、失礼しました。決して貴女を卑下したわけではありません」


 ラインハルトは静かに謝罪した。


「我々はシャナン様の援護も重要と思い、二手に分かれることにしました。要塞への応援には、カイン様が向かわれました」

「カインが?」

「ええ。一方の私はシャナン様の救援に向かいました。もっとも……カロイの街には私たちの力は必要ありませんでした。シャナン様のお力を我々は過小に見誤っていた様です。お許し願いたい」


 ラインハルトは再び謝罪の意を示す。この男はどこまでも丁寧なのだろうか、とシャナンは思った。言葉の裏には何も影を感じず、低く通った声は嫌味の無い慇懃さを醸し出している。


「カイン様は大要塞まで二日は掛かる所を一日で踏破して辿り着きました。しかし、カイン様が到着した時には、大要塞は既に陥落した後でした」

「……カインは……どうしたの?要塞が攻め落とされちゃったら、もうどうしようもないんじゃないの?」

「いえ。カイン様は敗残兵をかき集めて反撃を仕掛けるべく画策しました。要塞は陥落直後で、まだ魔族が要塞を掌握してない今のうちならば、とお考えだった様です。しかし……」


 ラインハルトが声音を落とす。


「またしても、金剛羅刹にしてやられました。単身、砦から出てきた一郎とカイン様率いる第二騎馬隊と戦闘状態となり……そして、第二騎馬隊は敗北しました。カイン様も深傷を負い、這々の体で退却されました」

「そんな……カインが?あの赫騎兵かくきへいが?たった一人に?」


 シャナンは驚きを隠せない。フォレストダンジョンで無類の強さを見せたカイン率いる精鋭たちがたった一人に負けたとは思いもよらなかった。だが、シャナンの問い掛けに、ラインハルトは頷くのみだった。


「魔族たちが小隊で駅停間の通信経路を遮断していたことも大きく災いしました。私たちは各地で起きている状況を知り得ず、全て後手後手に回ってしまったのです。もっと早くにカイン様が応援に駆けつけることができていれば、あるいは……」


 ラインハルトは下唇を静かに噛む。本当に悔しそうだとシャナンは思う。


 最初、シャナンはラインハルトのことを、セシルの父親が送り込んだ陰謀の種と思っていた。何か腹に一物も二物も持つ腹黒い人だと思っていた。だが、今目の前にいる青年は本気で王国の将来を案じ、仲間であるカインに心からの敬意を払う気持ちのいい男にしか見えなかった。

 シャナンはラインハルトの真摯な態度を見て、見直すとともに少しカッコいいなぁ、と思った。


 ラインハルトは言葉を続ける。


「シャナン様。ここから先が重要です」

「え?今のが重要な話じゃないの?」

「はい。ですが、この先は


 自分にとっての……シャナンは一体何のことだろうと身構える。


「我が王国は隣国のザンビエル王国と同盟関係を結び、魔族軍に対抗すると運びとなりました」

「ザンビエル…?確かマーカス先生から教わった話だと、元は同じ国だったとか……」

「ええ。ザンビエル王国と我が王国は元を辿れば同じ国です。しかし、歴史の流れから国は分離し、今は別の国として存在しております。その両国がまた、手を取り合う必要性が出てきたのです」


 この国の歴史……マーカスの授業で一通り習った。作られた存在である彼らが歴史を紡いでいるとは、何とも不思議な話だな、とシャナンは感じた。


「お体の調子が戻り次第、王国までお戻りください。アスラン様が事の詳細をお伝えする手筈となっております。今回の同盟には、シャナン様、貴女が必要不可欠なのです」

「私が……?なんで?」

「……貴女が…勇者だからです……貴女にはザンビエル王国の勇者と共闘して魔族との戦争に参戦していただく必要があります」

「私が……戦争に?」


 シャナンは昏い表情を浮かべた。

 ─

 ──

 ───


「それでは、シャナン様。お達者で」

「うん。ラインハルトも気をつけてね」


 勇者の応じにラインハルトは深く敬礼する。と、そのまま顔をシャナンの耳元まで近づけてヒソヒソと耳打ちする。


「シャナン様。セシル様をよろしくお願いします」

「セシルを?あ、そうか。ラインハルトはセシルのお家で働いてるんだったよね」


 シャナンが合点が言ったかの様に応える。その言葉にラインハルトは笑みで応える。


「今でこそあの様に強くなられましたが……幼少の折はいつも泣いてばかりで、お淑やかな方だったのですよ。気は強く持っていらっしゃいますが、内心はあの時と変わっていらっしゃらないと存じ上げます。ですから、シャナン様が……」

「ラインハルト〜〜、聞こえてるわよ!」


 セシルが両腕を組んで憮然とした表情をする。ラインハルトが普段の態度とは似つかわしくない焦りを見せて姿勢を正した。


「こ、これは……いや、参りました。では、シャナン様、セシル様をよろしくお頼みします」

「こら!よろしくって何よ!私はしっかりやってるわよ!」


 セシルの軽い怒り声を背にラインハルトが颯爽と馬にまたがる。その後、セシルに向かって馬上から敬礼した。


「セシル様。お父上のレプトール様にはお元気でいらっしゃったとお伝えします。それでは、また王都でお会いしましょう」


 ラインハルトは馬の腹を蹴り、一気に駆け出した。お供の兵士たちも一斉に駆け出し、あっという間に小さくなって見えなくなった。


「もう……子供扱いして…」


 セシルは少し頬を赤らめ、満更でもない顔をしている。セシルもこの様な顔をするのだなぁ、とシャナンは少し意外な思いをした。


「すっげぇなぁ……ラインハルトさん。あの若さで騎士団長かよ。カッコいいし、人望もあって憧れるぜ」

 

 ルディが感心してため息をつく。その傍らでトーマスがギリギリと歯軋りをしている。


「ぬぅ……ラインハルト殿……シャナンに一体何を……ちょっとばかりいい男だからと言って……」

「まぁまぁ。トーマスさん。私はラインハルトさんよりトーマスさんのが良いですよ。だから、明日の旅支度を終えてさっさと呑みに行きましょう?カトンゴさんも連れて」


 カタリナがトーマスの肩に手を添える。ラインハルトより良い、と言うよりただ酒に付き合ってくれる点がいいだけだろう、とシャナンは思った。


「まったく、トーマスとカタリナは相変わらずだなぁ……」


 ルディが呆れ顔を見せる。その横で、シャナンが少し暗い顔を見せる。


 明日が……出発の日……


 カロイの街では色々あった。魔法が使える様になったのは非常に嬉しかった。そして、生命の賢人に合い、この世界の一端を知ることもできた。


 それ以上によかったことは、この世界で初めての友達ができた。そして、それ以上に悲しかったことがある……

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