怪人トーマス

 ──少女は眠る。昏々と──

 ──まるで、街で起きた凄惨な戦いを記憶から無くそうと努めているかのように──


 魔族の襲撃から一ヶ月……カロイの街は少しばかり復興の兆しが見え始めてきた。かつて程ではないが、街の往来には人々が行き交い、商品の売り買いに応じる活気のある声が街を賑やかしている。


 しかし、魔族が残した爪痕は大きい。人々の見せる笑顔の裏には一月前に街を襲った惨劇の悲しみが隠されていた。

 

 だが、惨劇の結果に、何かしらの理由や原因を持たせる必要性を誰も感じていなかった。国境付近の街であるカロイは、昔から魔族に限らず、マムゴル帝国などの蛮族からの襲撃を度々受けている。

 彼らの襲撃は災害と同じで、防ごうにも完全には防ぎようがない事象なのである。襲撃の度、街の住人たちは一つの過去として“襲撃”を受け入れ、そして、どの様な結末でも“結果”として受け入れていた。


 なお、今回ほど酷い結果は過去には例がない。だが、それでも彼らは“結果”として受け入れている。この街に住む者の宿命であらん、とばかりに……


 そんな街の治療院で一月あまり昏々と眠り続けている少女がいる。


 ─名をシャナン─


 街を救った英雄であり、魔族が街を襲撃した原因の“勇者”でもある。少女は浅い呼吸を繰り返し、眠り姫の如く穏やかな顔を浮かべて眠っている。


 一方、その傍には、全身を毛で覆い、悪臭を放つ謎の怪人がいた。


 まるで美女と野獣である。側から見ると、怪人が少女を襲わんとばかりに狙っている様にも見えた。


 しかし、治療院の面々は知っている。この面妖なる人物は少女を崇拝する敬虔なる信望者である、と。醜い相貌を纏った怪人は瞳孔を開き、爛々とした目を輝かせて少女を見ている。


 怪しい……一体、この人物はなんなのだろうか。


 その様な疑問を棄ておいて、治療院の扉が開かれる。少女を見舞いに来た面々が手に手にお見舞い品を持って入ってくる。しかし、怪人は振り向きもせず、少女を凝視するばかりである。


「ッくさ!……ちょっと、トーマス!いい加減にしてよ!」


 背が高く、しなやかな肢体をする女性が声を掛ける。だが、地に根を這ったごとく、毛玉の怪人は応えない。


 「ッくッッせ!おい、トーマス!なんだよ、その体臭は!?鼻が曲がるぞ!」

 

 快活な若者が鼻を抑えて渋面を作る。髭達磨の男性らしき怪人は少しばかり反応する。


 「ッキャッ……!臭い……何ですか、トーマスさん!?この臭い!」

 「こ、これはひどいのぅ……なんじゃ?これは?」


 豊満な身体をした女性と白髭を生やした老人が呆れた顔で部屋に入ってくる。


 誰しもが部屋に入って思うことは目の前の毛達磨の臭いである。毛の塊はどうしようもない表情に見える顔を皆の前に見せる。


 「…………シャナンが…………起きないのだ…………」


 異臭の原因がボソリと呟く。


 「………シャナンが………目覚めない限り………私が為すべきことは……何も無い」


 年若い若者が呆れ顔して応える。


 「はぁ……バカヤロウ、トーマス!もし今の時点でシャナンが起きてみろ!髭を剃れって言われる程度じゃねぇぞ。お前、臭いんだよ。体くらい洗って来いよ!ただ見てたって、シャナンは起きてこねぇぞ!」


 そして長身の女性も若者に続いて話を紡ぐ。


 「まったく……トーマス。アンタ、フォレストダンジョンから全く変化ないのね。呆れるわ」


 最後に豊満な身体の女性と年老いた翁が語り掛ける。


 「トーマスさん。ご心配なのは分かります。だからと言って、このままで良いとは思いません。だから、体を洗った後、呑みにいきましょう?」

 「おい、トーマスよぅ。脳まで筋肉のお主が考えても仕方あるまいに。治癒術師が言っておろう?シャナンは過剰な疲れから、ただ眠っておるだけだとな。座して待っても仕方あるまい。だから、呑みに行くぞ!」


 周りの言葉に、臭いを放つ毛玉は応えない。いや、応える義理はない。自分が聞くべきめいはコイツらではない。目の前に眠れる少女──勇者であるこの少女こそが、我が主人なのである。


 悪臭の根源であり、毛に覆われた物体は口を開き、凶悪な口臭を放ちながら、反撃する。


 「貴様ら……シャナンのためにも自重しろ。シャナンはいつ目覚めるとも知れない戦いに身を投じている。だが、我々は残念ながら、その戦いには参戦できん。ならば、我々がすべきことは何か!?」

 

 怪人が力強く、声高に主張する。だが、一人の若者は無情な結論を下す。


 「何もねぇよ。治療院の人達も言ってんだろ?力を使い過ぎて眠っているだけだって。シャナンが闘気オーラを使い過ぎたんだよ。大人しく寝かせてやれよ」


 だが、若者の言葉には応じず、怪人が言葉を返す。


 「シャナンは……魔族の軍隊との戦闘で疲弊している。たった一人で……しかも千もの魔族相手に戦うなど、如何に考えても勝ち目はない。だが……」


 異臭を放つ怪人は髭を掻き分けて言葉を続ける。


 「シャナンは勝った。勝ったのだ!しかし、しかし、しかしかしかし!……我々が不甲斐ないせいで、戦いには参戦できなかった。だからこそ、シャナンは全身全霊で戦い、そして、力を使い果たしたのだ……」


 怪人が一息ついて、次の言葉を発しようとする。その言葉は、怪人からすると、重要な言葉であったかも知れない。だが、話を聞いている面々は“また始まった”と言う疲れた表情を見せて、聞き流そうとしていた。


 「シャナンは……勇者は帰ってくる!その時に備え、我々は……」


 その時、傍らに眠る少女がピクリと動き、ゆっくりと起き上がった。


 「ふぁああああ。うーん。よく寝たわ……」


 怪人の演説を遮り、少女が大きく伸びをする。目を擦り、ひと月ぶりの光に視界が追いついてない様であった。


 「シャ……シャ…シャナン?お目覚めに……おめおめおめおめお目覚めに………ななななななななったのですか!?」


 怪人が声高に叫ぶ。その声は歓喜に満ち、口端に喜びが満ちている。


 しかし……


 「臭い!何この臭い……?」


 少女が鼻をつまみ、怪人を拒絶した。


 「く……くさい?いえ、臭いは問題じゃありません。それよりも、私はシャナンの復活をひと月回りも……」

 「ちょっと!近寄らないで、トーマス!トーマスがとっても臭いの!」


 怪人ことトーマスがこの世の終わりであろうかとばかりの顔をした。


「ち、近寄らない……で…ちか…近寄らない……」


 毛で覆われた下の表情は分からない。しかし、怪人こと、ひと月も体を洗わず、体臭塗れとなったトーマスは歯の根が合わず、ガチガチと鳴らし始めた。


「シャ……シャナーーーーー……ン……お許しを!斯くなる上は、この身を持って詫びるのみです!」


 トーマスが辺りを見回すと、テーブルの上に果物ナイフが置いてあった。彼はナイフを手に取り、いきなり自らの髪と髭をゾリゾリと剃り始めた。


 皆が呆気にとられる間に、トーマスはナイフの剃り返しで負った傷と、剃り終えた坊主頭を皆に晒す。何故、近づくなと言われて全身の毛を剃ったのか皆理解できないでいた。


 だが、トーマスの変わった姿を見て、シャナンは思わず噴き出した。


「プッ……トーマス、私はそこまで言ってないよ。髪や髭じゃなくて、体を洗ってきて欲しかっただけなのに……フフフ……ハハハハ…」


 少女の快活な表情を見て、血塗れ坊主が大きく破顔した。

 

 ──“自分は嫌われていない。もう近寄るな、とは言われない”──


 そう思い、シャナンの前に身を乗り出し、近づこうとする。しかし、肩をポンと叩かれて体を後ろに引かれた。


「はいはい。じゃあ、トーマスくんは今から体の毛だけでなく、きったねぇ体もキレイキレイしようか」

「ルディ!?何をする!私はもう毛も無く綺麗になったのだ。これ以上何をする必要があるのだ!?」

「うるさいわね。ちょっと、皆、トーマスを運ぶわよ。カタリナ、足持って。カトンゴ塾長は猿轡を用意して」


 皆がテキパキとトーマスを羽交い締めして梱包する。すっかり梱包されたトーマスは部屋の外で待機していた治療院の人たちに連れられて、どこかに運ばれてしまった。


「まったく。治療院から苦情が出てたのよね。オタクの重戦士が“臭い”って」


 セシルが手を払って、やっとのことで厄介払いが出来たと安堵する。シャナンもトーマスの奇行を見て笑っていたが、しばらくすると、今の状況を理解したのか、急に大人しくなった。


「セシル……私、今度はどれくらい眠っていたの?」

「……ひと月ね」


 指を一本立ててセシルが答える。“ひと月”……長い期間が経っているとシャナンは少しばかり気落ちした。


 だが、それ以上に気になることが幾つかあった。


「ねぇ……街は……どうなったの?魔族や……暴動は?それに……ンゲマやアチャンポンは?」


 最後の言葉にセシルたち皆が渋い顔をする。シャナンはもう既に結果は知っている。だが、誰か別の者の口から答えて貰わずにはいられなかった。


 自分が選んだ結末……いや、あの時の行為自体が真実であったのか。できれば、夢であって欲しい、と。


「色々あるわ……それに、王国の情勢もひと月で大分だいぶ変わったの。まずは体を休めて。詳しい話は明日、話すわ」


 セシルが優しく語り掛ける。だが、シャナンは一刻も早く知りたかった。先を促す様に言葉を発しようとした時、治療院の隅に見慣れない男が立っているのが目に入った。


「シャナン様……セシル様の仰る通りです。今はお体をお休めください。貴女はひと月もの間、眠っておられた。体の負担は相当に大きいでしょう。それに、真実は逃げません。今はご自愛をお願いいたします」


 長身でオールバック、眉目秀麗な男は静かに語り掛ける。王国の騎士団長が見に纏う戦袍を羽織り、服の上からでもしなやかな筋肉がついていると分かる程度の体躯をしている。


 少女に慇懃な物腰で語り掛ける男は静かに話を続けた。


「申し遅れました。私はシャーヒン家の鷹爪騎兵隊を預かるラインハルト=フォン=リヒターと申します。今は、非才な身ながら、王国騎兵隊、第三隊の隊長を兼務させていただいております」

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