キョウコ登場

 三人が柱に向けて駆けて行く。


 その時、薄モヤからひょっこりと顔を出す少女の姿があった。


「や!シャナン。ひっさしぶり!」

「……キョウコ……」


 シャナンは不愉快に顔を歪める。この少女がヤスミンと並んで危険な存在であることは知っている。この場に現れたのはヤスミンの行動を手助けするためだろうか。三人はキョウコに対して身構える。


「オイ……キョウコ。邪魔するなよ。もし邪魔すんなら、お前をボコって先に進むだけだ」

「ま、ま、待ってよ。エリカに喧嘩を売ろうとは思ってないよ。……売っても負けるだけだし」

「じゃあ、なんで来たんだよ。ヤスミンの手助けか!?」


 エリカがキョウコに恫喝する。だが、キョウコは両手を振って否定する。


「ち、違うよ〜。やだなぁ。僕はみんなを助けるために来たんだよ」

「助けだと?」


 エリカが凄みを効かせる。対してキョウコは及び腰だ。


「いやね。僕はいつもヤスミンにやられてたからさぁ。こんな時にこそ仕返ししたいじゃない?」

「ヤスミンにやられてたのは、キョウコの自業自得でしょう?いっつも裏でコソコソしているから……」

「ま、ま、そうなんだけどさぁ。でもね。僕なりにシャナンのために頑張ろうとしてたんだよ?まあ、上手くは行かないことばかりだけど……」


 シャナンはキョウコの言葉に訝しがる。一体全体、キョウコが自分に何をしてくれたと言うのだ。むしろ、自分の感情を逆撫でし、不愉快にさせた記憶しかない。


 そんな思いとは裏腹にキョウコは言葉を紡ぐ。


「それよりもヤスミンの奴、シャナンのためとか言っているけど、それは建前だよ。アイツは人の苦しむ顔が大好きなんだ。現に僕なんかよく耳を引っ張られるしさ〜」

「それはアンタがいつも下らないイタズラするからでしょ?それに、ヤスミンは顕現しなければ、良い娘なのよ。まぁ、顕現すると、シャナンのためとか言って歯止めが効かないのが良くないところだけど……」

「そうだぞ。キョウコは顕現しなくても問題児だろう?お前は何を企んでいるか分からねぇんだ。いいから、そこを退けよ」


 リンとエリカが無碍にキョウコの受け入れを断る。キョウコは残念そうな顔を一瞬見せる。だが、諦めずに二人の説得を試みる。


「ま、まぁ……僕の悪巧みは置いておいて……その、さ。ヤスミンの柱に行くにはヤスミンの眷属が守ってるだろう?エリカ、あんたの力ではやり過ぎないか心配なんだよ……?」

「……どう言う意味だよ?」

「いやね。同じ十二人の仲間じゃぁないか。如何に目的のためとは言え、ヤスミンの眷属を減らすのは…その……戦力ダウンというか……仲間割れというか……」


 ”ムゥ“とエリカが腕組みして考える。ヤスミンの”眷属“……?


 一体なんだろうか。だが、少なくとも本来は味方だということは分かる。しかし、今はヤスミンの柱を守るために敵対しているのだろう。如何にヤスミンを止めるためとは言え、本来の味方を攻撃するのは得策でない、とキョウコは言いたいのだと、シャナンは察した。


「ねぇ、キョウコ?あなたはヤスミンさんの”眷属“にどうやって対抗するの?」


 シャナンの問い掛けにキョウコが待ってましたと応える。


「僕の権能は”道理”……全ての常識を司る権能だよ。僕に掛かれば、ヤスミンの眷属だろうと僕の言いなりさ」

「言いなり?」

「そう!文字通り、僕の言いなりになるのさ!」


 シャナンは首を傾げて意味を反芻する。


 道理……物事のあるべき姿を示す道標……そんな物が権能とはどう言う意味だろうか。


「ねぇ、道理が…その権能ってどう言う意味なの?」

「ああ、それはねぇ……」

「コイツの考えが全ての常識になるのさ。力は無いくせに、コイツの権能のせいで常識が非常識になったり、非常識が常識になったり、物事の道理を自在に操りやがる……それがコイツの権能さ」

「常識が非常識?」


 シャナンはそんなことができるのだろうかと首を傾げる。


「そうよ。世界の常識は、人々が紡ぐ認識から成り立つの。キョウコの権能は人の認識を操り、常識を書き換えてしまうのよ」

「そうだぜ。恐ろしいのは認識は感染するんだよ。たった一人の認識が元で世界の常識が書き換わるなんざ、恐ろしいことだぜ?」


 世界の常識が変わる、という言葉を聞いて、シャナンは奴隷道徳という考えを思い出す。


 ───奴隷道徳───


 ドイツの哲学者である“ニーチェ”曰く、奴隷道徳とはキリスト教義に基づく、”人の善良“を示す考えである。


 奴隷道徳は自己否定、謙遜それに弱さと言った受苦に根ざした考えを善と定めている。その考えでは、耐え忍び、自らの弱さを受け入れ、常に他人を思いやる慈悲深い人が”良い人“である。

 しかし、相手を支配し、強さを求め、傲慢に振る舞う人は”悪人“として扱われる。


 一般的な考えでも前者は善人、後者は悪人と思うだろう。


 しかし、奴隷道徳が広まる前はどうだったのだろうか。


 キリスト教が国教になる前のローマ時代では、真逆の考えであったと言われている。

 当時、“良い人”とは肉体的かつ支配的な強さが”良い人“の基準であった。

 今で言う良い人の定義である、耐え忍び、自らの弱さを受け入れ、誰にも優しい人など、軟弱者の誹りを受けて然るべき、惰弱な考えに他ならなかった。


 しかし、長い歴史の中で、人々の認識は変わり、今では”肉体的かつ支配的な強さ“は傲慢や横暴と言った悪い意味で捉えられる考えになってしまっている。


 この様に、人々の常識は認識の違いにより書き変わる。キョウコが持つ権能はこの認識を強制書き換えして常識を崩壊させる能力であった。

 ─────────────────────


「確かにお前の権能ならば、被害は少なく済むな」


 エリカが一理あるとばかりにうなずく。


「でしょ!でしょ!?」


 キョウコが嬉しそうに応える。その言葉に反応して、リンも同意の言葉を発する。


「そうね。キョウコ、ヤスミンの眷属は貴女に任せるわ。でも、”本当の世界(イグジステンズ)“の使用は禁止よ。“説明できない(ファンタズム)”なら使っていいわ」

「えーー?“本当の世界イグジステンズ”の方が面白いのに〜。“説明できないファンタズム”なんてつまんないよ」


 リンの言葉にキョウコが不満顔に応える。だが、エリカがギロリとキョウコを睨みつける。


「ま、まあ、そうだよね。“本当の世界イグジステンズ”は流石にやりすぎだよね。仕方ないか」


 急にしおらしくなり、大人しくなった。キョウコに強く出る姿を見て、シャナンは益々エリカが気に入ってきた。


「よし、じゃあ急ぐぞ。ヤスミンの奴を早く止めるんだ!」


 エリカが力強く先を促した。


 ─

 ──

 ───

 四人はヤスミンの柱まで駆けていく。何もない空間にポツンと立つ柱は徐々に大きさを増し、視界にハッキリと映ってくる。


 シャナンは考える。先ほど言っていた眷属とは一体なんだろうか。柱を守る番人のような者か。“ヤスミン“の眷属というならば、リンやエリカ、それにキョウコにも眷属がいるのだろうか。


 そうこう考えている内に、先頭を走るエリカの足が止まる。どうしたのかと前を見ると、幾人かの人影が見えた。


「ほら、おいでなさったぜ。キョウコ、頼むぞ」

「はいはい。えーっと、世界の理に代わり、勇者が命じる。彼我の虚実を操り、真実を謀れ。超越魔法“説明できないファンタズム”!」


 一瞬、キョウコの体がボウっと光った様に感じた。だが、それだけである。一体何が変わったのだろうか。


 シャナンは不思議に思い、キョウコに尋ねる。


「ねぇ、キョウコ。一体何が起きたの?」

「へへーん。ま、見ててね」


 そう言うと同時にキョウコがポケットから小石を取り出し、人影に投げつける。小石は勢いよく飛んでいき、人影の一つに命中した。


「な、何やってるの!?気づかれちゃうよ!」


 シャナンは驚きから大声を上げる。小石が外れたならば、もしかしたら気づかれないかもしれない。しかし、命中したならば、よほど鈍感で無ければ、投げた者に気づき、向かってくる筈だった。


 ……しかし、人影は微動だにしない。


「あれ?」

「どう?私の超越魔法は?彼らにはボク達が全く認識できないのさ。姿や音だけでなく、ボク達が引き起こした事象すら、彼らにはわかんない。たとえ殺されても、なんで死んだのかすら、彼らは知ることはできないのさ」

「流石ね、キョウコ……でもね……」


 ポカリ


 リンがキョウコの頭を叩く。続けてエリカもゲンコツをお見舞いする。


「バカやろう!びっくりしたじゃねぇか!もし魔法が効いてなかったら、どうするつもりだ!」

「まったく……心臓に悪いわよ」

「イテテ……ひどいなぁ、二人とも。ボクを信用してよ〜」


 キョウコが頭を抑えてブー垂れる。キョウコは自信があったが、二人はあまり信用していなかった様だ。


「お前のことだ。適当に唱えて、効果も適当な場合もあるからな」

「うーん。信用ないんだね、ボク……」


 キョウコがションボリして下を向く。流石にキョウコが可哀想になってきたシャナンは場を収めようと口を出した。


「み、みんな、仲間割れは良くないよ。それよりも早く先にいきましょう」

「ま、そうだな。シャナンの言う通りだ」

「そうね。急ぎましょう」


 リンとエリカがシャナンの言葉に応えて先に進む。キョウコは少しばかり悲しそうに後を着いて行った。シャナンは居た堪れなくなり、キョウコに向けて言葉を掛けた。


「あ、あの……キョウコ。ありがとうね。私のために…」


 その言葉を受けて、キョウコは顔を上げて、パァッとした笑顔を見せる。そんなに嬉しかったのだろうか。満面の笑みにシャナンは困惑してしまう。


「ありがとう!いやーシャナンはいい子だなぁ。ははは、じゃあ、頑張ろう!」


 急に元気になったキョウコがシャナンの背中をバシバシ叩く。落ち込んだり明るくなったり、忙しない人だなぁ、とシャナンは思った。


 しかし、キョウコの態度を見てシャナンは少し誤解していたのかな、と思い始める。最初は嫌な娘だと思っていた。しかし、キョウコも人の評価が気になったり、落ち込んだりと普通の人と同じ感覚を持っている女の子なんだと感じた。


 もっとちゃんと話してみれば、キョウコのいい所も見えてくるかもしれない。最初の出会いが強烈だったため、食わず嫌いになってしまったのかと、シャナンは反省した。


「ねぇ、キョウコ……その、私、今までキョウコのこと、誤解していたかも。あなたも普通の女の子なんだね?」


 しかし、シャナンの言葉にキョウコは一瞬だけ眉根を寄せた。だが、直ぐにいつもの呆気らかんとした顔に戻る。


 シャナンはキョウコの一瞬見せた不愉快そうな表情に、少し驚きを見せる。何が彼女の感情の琴線に触れてしまったのだろうか。


 困惑顔のシャナンに対して、キョウコがフゥとため息をつく。


「ボク達はもうじゃない。あの男に殺され、クオリアだけの存在になった”個“の残滓さ。ボク達は……ボク達十二人は…シャナン、キミのためだけに存在する電子の様なものさ。キミの形を作るためにボク達が存在し、ボク達の存在が変化すれば、キミの形も変わるのさ。ボク達はキミのために力を貸す。キミはボク達がであるために生き続けて欲しい。キミがいれば、ボク達は概念として生きていられる」

「ど…どういう…」


 矢継ぎ早にキョウコが言葉を投げ掛ける。シャナンはキョウコの言葉の意味を探るため、聞き返そうとする。しかし、キョウコはシャナンの言葉を聞くことなく、スタスタと前に行ってしまった。

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