運動量無視の武器

 シャナンは大きく息を吸い込み、そして深く吐き出す。深呼吸は自身の心を落ち着かせるのに有効だと本で読んだ記憶がある。できることは思いつかないが、まずは心を落ち着かせようとシャナンは考えた。


 再度、大きく深呼吸をする。すると、頭がクリアになる感じがした。精神が落ち着く。不思議なことに、先ほどまであった心の動揺は消え、シャナンの涙はピタリと止んだ。


 驚く程に冷静になった自分に、シャナンは奇妙な感覚を覚える。精神の回復が早いのも闘気オーラの効果だろうか。


 何はともあれ、立て直しに成功した。そして次にすべきこととして、先ほどの攻撃の違和感を考え始める。


 あの様な大きな鉄槌が、急に方向を無視して反転するなどおかしい。武器の勢いがあればある程、切り返しに必要な力は大きくなるはずだ。


 確かに、義氏は巨躯で力も強そうだ。しかし、今までの攻撃パターンを見る限り、鉄槌を軽々と扱っている感じではなかった。むしろ振り回されている感じが強く、力任せに向きを変えられる膂力はないだろうと思える。


 ならば、一体どうやって武器を切り返したのだろうか。


 シャナンは義氏が言っていた言葉を思い出す。義氏は、武器のことを“自在鉄槌”と呼んでいた。


 ……“自在”……どういう意味だろうか。


 しばし考えた後、シャナンは“そうか!”と、ある考えに至る。もしかすると、あの武器は……


 しかし、シャナンの思考を遮る様に大きな影がシャナンの姿を覆う。


「流石だな、勇者ガッキュウイインチョウよ。我が攻撃を受けて、なおも立ち上がるとはな……」


 義氏が目の前に立ちはだかっていた。


「だが、これで終わりだ!秘技“鉄槌猛虎乱舞”!」


 鉄槌が勢い良く振り下ろされ、シャナンの肩に命中する。それも一度や二度でなく、数秒の間に数え切れない程だ。


 体が肩から大きく崩れる。しかし、闘気オーラの能力で即座に回復する。痛みは残るが、この程度の攻撃ではシャナンを倒すには至らない。


 それよりも、叩かれながら、シャナンは自身の結論が間違っていないと確信する。


 自在鉄槌ザ・ブッチャー……この武器は運動量を自在に操っているのだ、と。


 ────運動量────

 運動量とは物体の運動の状態を示す物理量である。運動量は、物体の重さ、速度の掛け算により表され、大きさスカラーを示す運動エネルギーとは異なり、向きベクトルも値の要素となる。


 また、運動量に変化を与える値を力積と呼び、力と力を掛けた時間の掛け算にて表す。


 もし、ある運動量で動く物体を即座に反転して切り返すためには、2倍もの運動量が必要となる。

 ──────────────


「うん…と、確か、そんなだったかな」


 勢い良く体を打ち据えられながら、シャナンは状況を分析する。義氏の振り下ろす武器が、まるで軽い木の棒を振り回すかの様に扱われている。そのさまは重さを感じさせないかの様だ。


「ふはははは!どうだ、勇者よ!観念したか」


 シャナンは何度も打ち据えられて痛みが激しくなってきた感じがした。これ以上は流石に良く無いと感じて、後ろにピョンと飛び退き、武器の間合いから離れる。


 シャナンの身軽な動きを見て、義氏が歯噛みする。


「ぬ、ぬぅ……貴様、この鉄槌で打ち据えたにも関わらず……回復魔法も相当に使える様だな」


 回復魔法は使えない。闘気オーラの自己修復能力が強すぎるのだ。


「ならば……魔力尽きるまで、攻撃あるのみ!喰らえ、旋風……」


 だが、義氏が技の名前を言い終わる前に、目の前から高速で飛んできた物体があった。物体は義氏の体に命中し、着ている鎧を大きく凹ませた。


「グォォ、な、なんじゃ!?」

「おじちゃん。それ以上、近づかないで。また石を投げるわ」


 石……?


 義氏はシャナンの手に持つ小石に目をやる。小さな少女の掌と比較しても小さい、砂利の様な小石だった。


 先ほどの攻撃は、あの小石か、と義氏は疑問に想う。あの威力、それなりに大きな石の投石でなければ出せない威力だった。まさか、あんな小さな石で自分の鎧を凹ませたのか?義氏は勇者の力に驚嘆する。


「お、恐るべしは勇者の力よ。その小さき体のどこに如何様な力があるのだ!?」

「お願い。もう止めて!でないと、この石を全部投げるわ!」


 手に持つ砂利を広げて義氏に見せる。だが、義氏はシャナンの警告など一笑に付す。


「ふ……武人足る者、如何なる理由があろうと退けはせぬ。勇者ガッキュウイインチョウよ。貴様の奥義“礫弾破裂撃れきだんはれつげき“……とくと見せてみよ!」

「レキ……?なにそれ?」

「“礫弾破裂撃れきだんはれつげき“だ!さあ、来ないならば、こちらから参るぞ!」


 シャナンの投石に義氏は勝手な名前をつける。思い返せば、兄もアニメの影響かただのパンチに妙な名前をつけていたな、とシャナンは思い返す。


 シャナンが首を傾げている内に、義氏はまたもや鉄槌を振り回して近寄ってくる。


「ぬぉおお!喰らえ!奥義”竜巻鉄槌撃“〜!!」


 先ほどと同じ動きだが、名前が変わっている。一体、どの様な違いがあるのだろうか、シャナンは疑問に思う。


 しかし、時はシャナンに思考の時間を与えない。義氏の突進は凄まじく、躊躇する暇は無かった。


 シャナンは掌を広げ、砂利を見る。今の自分がこの石礫を投げるとどうなるだろうか。下手をすると相手を殺してしまうかもしれない。戸惑いつつ、掌の砂利をじっと見てみる。


「貴様!よそ見をするとは我輩を愚弄するか!」

「キャッ!」


 思考を切り裂く怒鳴り声につられて、シャナンは思わず掌の砂利を投げつけてしまう。勢い良く飛んでいく砂利は、まるでショットガンさながらに義氏に向かっていく。


「お、おじちゃん!危ない!」


 シャナンが声を掛けたと同時に礫弾が義氏に命中する。


「ぐ、ぐおおおぉぉぉ!……」


 凄まじい音と衝撃が義氏に 浴びせかけられる。シャナンの放った礫弾は、ショットガンを通り越してマグナム弾に近い威力があった。流石の義氏も強烈な礫弾を浴び、片膝を着く。首を垂れて荒い息を吐く義氏の体からは、少なくない血が流れていた。


「お、おじちゃん!大丈夫!?」


 シャナンは義氏を心配して駆け寄る。敵であるはずの義氏を心配するのは、シャナンの身勝手な優しさなのだろうか。


 だが、シャナンが駆け寄るよりも早く、義氏は立ち上がり、”フン“と鼻息荒く全身に力を込めた。義氏の体にめり込んだ石礫が吹き飛ばされ、全身の血も止まる。


「この程度では我輩は止まらぬ。愛崎ちかさきの名に掛けて、惰弱な振る舞いは出来ぬ!」


 義氏の気張り様から、シャナンはホッと安堵の息を吐く。自分の攻撃でを殺さなかったことが心の負担を軽くしたのである。


 だが、安心したのも束の間、シャナンは全身が鉛の様に重くなる感覚を覚える。


「こ……この感覚……ダメ……もう限界が……」


 シャナンは咄嗟に豆菓子を取り出してボリボリとむさぼり食う。少しばかりの体力の回復を感じるも、焼け石に水に過ぎない。これ以上はもう長くは持たない。早く何とかしなくては……シャナンは焦りを覚える。


「貴様!戦いの最中に菓子を食うなど……舐めるなよ!小娘!」


 義氏が上段に構えた鉄槌を重力と膂力を乗せた重圧で持って振り下ろす。シャナンは研ぎ澄まされた感覚で鉄槌の動きを追い……


 そして、がっしりと鉄槌を掴む。


「ぬぬぅうう……小娘がぁ!離せ!」

「離さないもん!」


 シャナンが力の限りを尽くして鉄槌を掴む。義氏は引っこ抜こうと鉄槌を引き上げるが、びくともしない。


 義氏は困惑する。この小さな少女のどこに如何様な力があるというのだ。本来ならば、草を引き抜くよりも簡単なことではなかろうか。だが、少女の足は地に根が貼ったかの様に微動だにしない。むしろ鉄槌の柄がミシミシと音を立て始める。


「ぐぐぐぐぐ……この我輩と力…比べ…とは……片腹……痛いわ!」

「ぅぎゅうううう……絶対に離さない!」


 義氏は下半身に力をいれ、地面を押し上げる姿勢でシャナンごと鉄槌を引き上げようとする。自在鉄槌ザ・ブッチャーは力の掛け具合を無視して、自分の意思で自在に運動量の向きを変えられる特性を持つ。だが、変えられると言っても鉄槌自身が振られる運動量だけだ。掴まれ、反対の方向に加えられる運動量まで自在に変えることはできない。


 義氏の必死の動きに抗い、シャナンは力を入れる。たとえ運動量が自在になろうとも、絶えず逆向きの運動量を与えるならば、自在にはいかないに違いない。シャナン己が考えをよすがに鉄槌の自由を奪わんとして、あらん限りの力を尽くして鉄槌を掴み、離さない。


「離せ!」

「いや!」

「離さぬか!!」

「絶対いや!!」

「ぬぉおお!は・な・せぇぇぇぇ!」

「絶っっっっっっ対に………いや!!」


 一進一退の力比べが続く。ギリギリと自在鉄槌ザ・ブッチャーの柄がきしんできた。


「ぐ…ぐ…ぐぉおおおおお!」

「ぅぅぅぅぅうう!……えい!」


 掛け声と共に、シャナンは瞬発的に全身の力を発動して、義氏から自在鉄槌ザ・ブッチャーを奪い取った。


「ぬあ!?まさか!」


 武器を奪われ驚きの表情を義氏が見せる。だが、シャナンの次の行動を見て更なる驚愕した表情になる。


「こんな物!……えい!」


 シャナンが自在鉄槌ザ・ブッチャーの柄をへし折ったのだ。


「ぬぉおおお!我が家の家宝が〜!小娘!何をするか!?」


 義氏が怒号を上げる。だが、その先のシャナンの行動に今度は言葉を失う。


「こんな物……あっちいけ!」


 シャナンが全身の力を使い、自在鉄槌ザ・ブッチャーの鉄槌部分を遥か遠くに投げ捨てる。勢い良く飛んで行った鉄槌は瞬く間に見えなくなった。


「ぬああああ!か、家宝が〜!」

「こんな物……いらない!」


 今度は柄を投げ捨てる。風切音とともに柄も一瞬の内に見えなくなった。


「こ、小娘!許さんぞ!よ、よくも我が家の家宝を!御先祖様に何と申し開きすれば良いのだ!?」


 義氏が激昂しつつ悲痛な声を上げる。だが、シャナンは安堵のため息を漏らす。武器が無くなれば、相手も自分の説得に耳を貸すだろう。シャナンはここからが本番だと心を強く持つ。


 だが……


「お願い、おじちゃん!話を聞いて!魔族と人間って争ってはいけないの。元は……ングッ!?」

「武器が無かろうが、無手でも貴様程度!」


 義氏がシャナンの喉を掴む。義氏の力はシャナンの首をへし折らんばかりに込められ、手からは殺意が滲み出ていた。


「もう容赦はせぬ!このまま首をへし折ってくれるわ!」

「ッ……ごの……分からず屋〜!!」


 シャナンが義氏の手を引き離す。瞳には失望と僅かな怒りが込められている。


「もう!少し反省して!」


 怒りを覚えたシャナンは、義氏を担ぎ上げる。鎧を纏った巨躯である義氏を小さな女の子が持ち上げる……異様な光景に義氏が混乱する。


「ば、ば、馬鹿な!?この我輩をこの様な女子おなごが?」

「あっち行け〜〜〜!」


 シャナンは力一杯放り投げる。


「ぐおおおおおおおお……」


 遥か遠くに投げ飛ばされ、義氏は見えなくなった。


「あ……思ったより飛んでちゃった……大丈夫かな?」


 本来ならば死んでもおかしくない行為だった。


 しかし、シャナンの礫弾を受けて平気ならば、あの程度吹き飛ばされても何とかなるだろう。シャナンは自分勝手な理由をつけて気にしないことにした。


 何はともあれ、戦闘は終結した。急いでルディ達を呼びにいかなくては……


 シャナンは全身に力を入れ駆け出そうとする。だが……


「あ、あれ……?」


 シャナンは力無く、ドゥとその場に倒れ込んだ。

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