脳吸い

 サラの一言にシャナンを除く全員が凍りつく。


 ──“脳吸い──

 ”脳吸い“と呼ばれている魔物は魔物の中でも遥か上位に位置する存在である。その性情は残酷で残忍、魔族とは違い、おおよそ人と似つかわしくない虫の様な容貌を持つ。


“脳吸い”は人間の脳を主食とする。そのため、人を家畜のように飼い、その脳みそを啜り生を永らえている。また、高度な魔法を行使し、人を幻惑して混乱に貶める魔法を得意とする。


 能力は下手な魔族より遥かに高く、個体差はあるにしても、レベル換算ならば50から70という強さを誇る。

 ───

 

 今、シャナンたちの目の前にいるのはその“バケモノ”である。醜悪な容貌と噂されるおぞましさと強さから皆の目の色に恐怖が浮かび上がる。シャナンは”脳吸い“のことは知らなかったが、皆が見せる一様の表情からただ者ではないことを察していた。


 それもそのはず。はっきり言うと、シャナンたちに勝ち目はない。彼らのレベルはせいぜい12〜14程度しかない。対して、”脳吸い“はどんなに低能であろうとレベル50は下らない。脳吸いにとって、彼らは蝶に蜜を吸われる華のように脳髄を啜るための獲物でしかなかった。


「…え?脳吸い……サラ…え?」


 セシルが状況を呑み込めず不安を煽るような辿々しい口調でサラに問うた。元冒険者であるサラは”脳吸い“の恐ろしさを誰よりも知っている。時折、街で噂される”脳吸い“の恐ろしさを冒険者時代に幾度かは耳にしていたからだ。


 セシルの不安な眼差しに対して、サラは何も答えない。いや、答えられなかった。この“バケモノ”に一瞬たりともスキを見せてはいけない、彼女の全身がそう告げていた。


 だが、サラの思いとは異なり、その醜悪な生命体がセシルの疑問に代わりに答えた。


「いやねぇ。“脳吸い”なんて貴方達が勝手につけた名前じゃない。わたしには“ルサッルカ”という名前があるのよ」


 不快な存在が体をくねらせ答える。


「……その…ルサッルカ様が何の用だってんだ!」


 ルディが気力を振り絞り言葉に応える。彼は気丈にも振舞っているが、姿を見せた異形の存在に足の震えを隠せなかった。


「ふふふふ…ヒ☆ミ☆ツ!」


 ルサッルカの冗談めかした返答は返って一行に恐怖を感じさせた。


「…………トーマス、撤退よ。今すぐ……出口まで……逃げなさい……ジェガン隊長に……応援を…ここは…私が…」

「ッ…ですが、サラさん!あなた一人では……」

「いいから!…行って…」


 サラの強い口調にトーマスがたじろぐ。サラの強さの程は完全には把握できないが、ゴブリンとの戦いで見せた能力の片鱗から、少なくとも自分たちより格上だとは理解できる。だが、このまま彼女一人にしてもいいのだろうかとトーマスは逡巡する。


どうすべきか迷っているトーマスをサラが強い瞳で見つめる。その瞳に見据えられたトーマスはハッとした。彼女の瞳には怯えなど微塵も見せず、毅然とした強者の自信が見て取れたからだ。


それと同時に、自分たちはここにいても何もできない、いや、むしろ足手まといにしかならないと瞬時に思い直した。なすべきことを理解し、決断した彼の行動は早い。トーマスは力強く声を張り上げる。


「撤退だ!!逃げるぞ、みんな!」

「ッバ、バカかよ、トーマス!サラを置いて行く気か!」

「うるさい!とにかく逃げるぞ!!……サラさん、ジェガンさんと一緒に必ず戻ります…」


 トーマスがルディの頭を抑え込み、腕を引いて逃げ出した。釣られてカタリナとセシル、それに手を引かれてシャナンが駆け出す。


「あ!ダメよ、逃げちゃ」


”脳吸い“ルサッルカが慌てた様に隠し持っていた鞭を取り出し、逃げ出すシャナンたちに振るおうとする。しかし、サラが間に割って入って行動を阻害する。


「…ちょっと……相手は…私よ……」

「あらん。ちょっと邪魔よ、あなた。急がなくても全員相手してあげるわよ」

「黙れ……”世界の理に掛けて…相対する者が…私の許しなく…先に行くこと……禁ず……対価として己が死を与えん……制約と誓約命に代えても!“」


 サラとルサッルカの間で暗い光が瞬く。サラは不敵な笑みを浮かべ、ルサッルカを見る。対するルサッルカが渋面を作りサラを睨む。


「ちょっと!何よ、あなた!なんで取引魔法ディーリングマジックなんて使えるのよ!」


 ──取引魔法(ディーリングマジック)は自身を対価に相手に制約と誓約を持ち掛ける魔法である。

 サラが仕掛けた制約は“サラを無視してシャナンたちを追えない”である。対して、誓約は“対価としてサラの命を差し出す”である。

 この条件を破ると違反者に死が訪れる。解除するには魔法を仕掛けた相手を殺すしかない。言い換えるならば、シャナンたちを追いかけるためには”脳吸い“はサラを殺す必要がある──


 サラは脳吸いの言葉を無視し、右手と左手につけていた二つの指輪を外していく。指輪は両手の中指に嵌められ、それぞれが色違いの宝石で装飾されていた。


 サラが指輪を一つ外す度に彼女の雰囲気が変わっていく。気怠そうな雰囲気から徐々に相手を威圧する空気を醸し出していた。


「久し…振りに……本気を出すわ。…私の力を存分に味わうがいい…わ!」


 全ての指輪を外した後、サラが身に纏う空気が変わった。そこにはただの魔法使いと呼べない強力な力が見て取れた。


「ん〜?あなた…ただの魔法使いではないようね……分析アナライズ!」

「甘いわ。魔法障壁マジックバリア!」


 ルサッルカが相手の能力を探る分析魔法を使用してサラの能力を探ろうとする。対してサラも魔法を防ぐための防御膜を張り、分析魔法を防ぐ。だが、魔法の発動が一瞬遅れ、一部の情報のみをルサッルカに与えてしまった。


「……あら!驚いた!あなた理知者ワンダラーなの?こんなとこで出会うなんて珍しい餌もあったものね」

「御託はいいわ、虫野郎。今の私は気が立っている。死にたいならかかって来い。嫌ならさっさと尻尾を巻いて逃げるべきね!」

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