一章 勇者の旅だち
絶望からの異世界召喚
「……ここは……?」
薄暗い部屋の中、眩い光に包まれて少女は目覚めた。
先ほどまで自由を縛っていた荒い縄の拘束が感じられない。不思議に思い、少女は手足を動かす。
痛みは無い。知らず識らずの内に、折れ曲がった腕や足が元に戻っていた。
先程まで感じていた痛みと絶望、それに諦観から虚ろとなった思考は急速に明敏になる。
暫くすると少女を包む光は次第に薄れ、部屋は暗闇と静寂に包まれた。漆黒の闇の
「だれか……いるの?」
誰がいるか分からない空間に話し掛ける。だが、応答は無い。無情なこだまが響くだけだった。ただ分かったことは、反響から部屋の大きさは然程広くは無いというだけである。
しかし、少女は先ほどまで捕らえられていた小さな部屋が想起され、不安を募らせる。また漆黒の闇への恐怖も少女を捕らえた。抗いようの無い不安から誰がいるかも分からない空間に対して必死で声を上げる。
「ねぇ! 誰かいないの!?」
再度の呼び掛けに反応したのか暗闇の奥から低い声が漏れている。その声は決して少女を歓待するかのような明るい声ではなかった。むしろ、不審と懐疑を混じらせた声であるため、聞く者に大きな不安感を抱かせる声であった。
だが、少女は人の声だと分かっただけでも良かった。心に石の重石を置かれたかの様に少しばかりの躊躇はあるのだが、少女は三度、声の主に対して声を上げる。
「あ……アナタは誰? 誰なの?」
先ほどよりは声量を落とし、明瞭な口調になる様に口を大きく開けて喋る。大きな音では無いが、広がりを見せる声はより広く部屋内にこだました。
しばしの時間の後、件の音の主から独り言とも取れる声が漏れる。その声音には、当然ながら良好な色は見られなかった。
「この声は……子供……?」
怒りの混じった声である。子供であることに何が怒りを覚えさせるのか。少女には理解が出来なかった。だが、その怒りの矛先は一体何に向けられているのかだけは分かる。理解の先にいる存在は自分自身こと、この少女がいるだけであった。
何故に自分が怒りを買うのか少女は理解できてない。少女は不安からか喉の渇きを覚える。喉の焼けつく痛みと小一時間ほど前に、男に抉られた肩への見えない痛みが混同され、少女の瞳には薄らと涙が浮かんできた。
発狂しそうな声を抑え、痛みを覚える健康的な肩を抱き抱えて少女は身震いしながら、勇気を振り絞る。
「お願いします! 助けて! 私は……」
「やはり子供か!? ……くそ! 失敗か!」
「一体なぜ失敗したのだ! 何が悪かったと言うのだ!」
少女の言葉を遮り、多くの成人男性の声が聞こえる。大人…それも怒気を孕んだ強い口調に少女は強い恐怖に襲われる。
濃い闇の中、少しでも現状を理解しようと少女は考えた。見えないながらも目を凝らし、声のする方向を見やる。すると闇の色とは異なる人と思われる薄黒の影が、何やら
群を為す影は少女を気にも留めず、喧騒を増す。不快な音が徐々に多くなり、少女の耳にもハッキリと届くまでに大きくなった。
怒り、悲しみ、戸惑い、嘆き……様々な負の感情が
音と影が闇の中で踊る舞台は程なくして終止符を打たれる。
何者かが灯をつけたのか喧騒の元から薄暗いながらも光が差し込んできた。光により、闇が照らされ、周りが見えるようになった。
少女は光を追い、視線を走らせる。
床には六芒星なのか五芒星なのか幾何学的な紋様が走っている。友達とのお絵かきで書いた模様に似ているが、少女には紋様の意味は理解できない。
だが、紋様からは薄暗い闇が立ち込め、周りの光を吸収しているのか、黒い闇で彩られている。
更に光の先に目をとばすと、そこには黒いローブに身を包んだ数人の男たちが少女を見据えていた。声の先に人がいることは理解していた。
だが、少女が思っていた以上に十数人、いや、数十人に近い男たちが少女を睨むかのような視線を向けていた。
男たちは失望と怒りの感情を織り交ぜた表情で少女を睨みつける。その視線を受けて、平然としていられる幼子はいるのだろうか。当然ながら、少女も男たちの負の視線に気圧され、大きく恐怖を湧き上がらせる。
少女の脳裏に、あの薄暗い部屋で男にされていた行為がフラッシュバックする。
何度謝っても許してくれない。
焼けた鉄バシを手の甲に押し付けられたこともあった。仰向けのまま、水を流し込まれ気管に入ったこともあった。バット、ハンマー、包丁、果てはドリルまで……
ありとあらゆる苦痛を受けた少女は目の前の男たちが、あの男の群れに見えてしまった。
「ヒッ……ア……イヤ……ア…ア……」
声が枯れ、止めどもない涙が溢れる。
忘れていた感情が波のように押し寄せる。少女は戦慄し、自身を嬲り続けたあの男への恐怖と絶望が蘇っていた。
泣いても叫んでも助けてくれない。何で私がこんな目に。ママとパパに会いたい…少女は絶望の淵に沈みこむ。
頭を掻き毟り、その場に少女はうずくまる。少女は瞳を大粒の涙で濡らしながら、恐怖から泣き始めてしまった。
しかしながら、男たちは少女を睨み付ける。どのような失敗なのか、少女には皆目見当がつかない。だが、その失敗の原因を少女に端するかの如く、不愉快な視線を少女に送り続けていた。
男たちの悪意が少女の感情の臨界点を超えた時、それが起きた。
周りの空気がひどく肌寒くなり、男たちは寒気を覚えた。何が起きたのか男たちは咄嗟には理解できなかった。だが、男の一人が少女の周囲から霜の如く薄靄が溢れていることに気付いた。また、別の男は黒い影の様な存在が少女に流れ込む光景を目撃した。
男たちは少女を取り巻く現象を目の当たりにする。しかし、その現象は男たちそれぞれが全て異なる現象であった。現象の差異が起きた理由は不明だが、一つ分かることがあった。
少女から強烈な悪意と殺意が溢れていることだった。サメザメと泣く少女は姿だけ見れば、儚げな少女にしか見えない。だが、その体から溢れる力は恐怖を体現していると言っても過言では無い負のオーラが溢れていた。
男たちは、少女から溢れる不可思議な負の力を認識してざわつき始める。そして、男の内から一人が身構えると、別の男が身構える。身構える男が一人増えれば、次は二人増える。いつしか、男たち全員が、少女に対して、敵対的な構えをとることとなった。
この瞬間、少女の泣き声が止んだ。そして、暗闇から、暗く鈍い眼光を男たちに向ける少女が今まさに立ち上がろうとしていた。
だが……
「止めよ!」
凛とした声が響き渡る。瞬間、男たちが声の主に視線を向け直した。その声に反応して男たちが姿勢を正す。それと共に、突然の
闖入者は、豪奢なマントを携え、腰には細身剣、服装は重厚とは言えないが、革鎧程度の役割を果たさんとばかりの厚手の生地で編んだ布と皮を張り合わせた服を着ていた。
声の主は歳の頃なら20代前半か後半くらい、細身ながら着くべき筋肉は着いており、しなやかさを携えた青年であった。
「ア、アスラン様!? 本日は王女様の命日であったのでは……?」
「用事は済んだ。母の墓前には救国の誓いを立ててきたばかりさ。それよりも、この剣呑な事態は何だ?」
「そ、それが……あの…儀式が…」
男の一人がおずおずとアスランと呼ばれる青年に返事をする。その態度に訝しんだアスランは何か察したのか少々興奮気味な口調をとる。
「儀式? 儀式と言うならば……もしや!?」
何かを察したアスランは、男たちを駆け入り、その先にいる少女へ視線を向けた。
「……子供…? これは…召喚が成功した…のか?」
泣いている少女の元へたどり着いたアスランが若干の戸惑いを覚えて少女を見下ろす。泣いている少女は完全に子供であり、屈強な兵士では無い。だが、この場には似つかわしく無い存在だ。
状況証拠しかないが、アスランは感覚的に分かったことがある。この少女が、アスランが求めていた存在なのかもしれない。
アスランは肩を狭めて泣いている少女にそっと手を掛ける。
「すまなかったな。皆を許してやって欲しい。悪気はなかったのだ」
青年が少女を抱きしめ、心をなだめる。その瞬間、少女の感情は久しく忘れていた感覚を取り戻す。
この感覚は、冷たい金属や悪意ある狂笑に対してのなだめでなく、久しぶりの暖かい人肌と優しい声への感覚であった。
思い掛けない状況に、少女は落ち着きを取り戻して、アスランの顔を見る。少女の瞳に映るアスランの顔には優しさと慈しみがあふれていた。
青年の表情を受け止め、“ここは安心していい場所”だ、と少女が理解した後、恐怖からでなく、安堵から来る止めどもない泣き声が部屋を包んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます