第19話 クチナシの花ほどすがしいものはない?
「面白い話だが、ちょっと整理しよう。まず、時期だ。ピアノの音が聞こえたってのは、いつ頃?」
「えっと……半年ぐらい前かな」
半年前、一度聞こえたきりなら大して役に立ちそうな情報ではない。アジトが二箇所以上あるかもしれないのだから、尚更だ。
「クチナシの花の匂いってのは、甘くて香ばしい感じのだよな。ちょっと待ってくれよ……」
携帯端末で調べてみた。六月中旬から八月にかけて咲くらしい。ちょうど時季は今と被る。このことを伏せて、節子に聞いた。
「花の匂いを感じたのは、いつぐらい前だった?」
「何度かあったけど、一番近いのは、二日ぐらい前かな」
よし、それだ。俺は車のリアウィンドウを下げた。運転席側は半分ほど、節子の座る助手席側は全開にする。
「その花の匂いは感じるか?」
「ううん、無理」
「このままちょっと回ってみよう。っと、その前に、何かおやつが欲しけりゃ、コンビニで買ってやるぞ」
「……」
「何だ、遠慮してるのか。コンビニの菓子が買えないほど貧乏じゃないって、前に言わなかったっけか」
「そんなんじゃなくて。太ると怒られてたから。嬉しいし、食べてみたいんだけどさ。心の方が受け付けにくい感じ」
「――そうだったな」
忘れていたのは俺の方だった。
「よし。では気が向いたら寄るとしよう。今は捜索が先だ」
「あ、それなら花屋さんに寄ってみてよ。クチナシの花、売ってるんじゃないかな」
賢いじゃないか。確認作業は必要だな。
花屋に立ち寄り、クチナシの香りを節子に嗅がせてみた。
「これだった。間違いない」
力強い返答があった。ようやく具体的な取っ掛かりができた気がする。
ついでに俺も花の匂いを覚えようと嗅いでいたら、花屋の店員に不審がられてしまった。ここで店の人にいい顔をしようと、クチナシだろうが何だろうが花を買ってしまうのまずいだろうな。車の中にその匂いが充満して、アジト探しの手掛かりを掴めなくなる。
ということで、折衷案として、種を買った。それも観賞用じゃなくて、食用になるオクラの種だ。節子のセレクト。
「何でこれにした? オクラが好きなのか」
店を出て、車に戻ってから聞いてみる。
「オクラは好きでも嫌いでもない。普通。ただ、先生役の亀山が言ってたんだよね。花も食べられるって」
「まじか」
寡聞にして、知らない話だ。
「オクラの実とおんなじで、噛んでいると粘り気が出るとか言ってた」
「ふうん。犯罪者の一味を信用するのもどうかと思うが、いずれ試してみるとするか」
そんなふわっとした約束をしてから、車をスタートさせた。
探索すべきテリトリーに戻って、車をゆっくりめに走らせる。ほとんどが住宅街を通る道なので、見知らぬ車が行き来するのは目立つかもしれない。俺達の乗る車こそ不審車と見なされ、通報される恐れがなきにしもあらずだな。冗談にもならない。
早く成果を上げたいものだと内心念じて、しばらく経った頃。節子が不意に叫んだ。
「あ! 今、匂いが」
「本当か? 何にも感じなかったが」
車を停め、鼻が鈍いのは喫煙のせいかもしれないなと密かに自嘲する。
続く
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます