第3話 初日終了【前編】




「ぐすん……」

「落ち着きまして?」

「う、うん……」


 さすがに鼻水は出なかったけど。

 うあぁ……キャロラインの胸元がぐしょ濡れ……。


「ご、ごめん……」

「平気ですわ。魔法で乾かせますので」

「魔法……」


 ふわ、とキャロラインが胸元に魔法をかける。

 光がチカチカとして、ぐしょ濡れだったところは綺麗になった。

 すごい……。

 あ、いや、ゲームの世界だから魔法はあるか。


「さて、シアさん。そろそろ夜になってしまいます。今日はここまでにして、職業を決めるのは明日に致しましょう」

「え、え? でも、夜からでも冒険とか出来るものじゃないの?」

「不可能ではありませんが夜はモンスターが活性化しますの。ここはプレイヤーさんが入ってくる『神域』とされ、一般プレイヤーもモンスターも入れませんが今からビギナープレイヤーが出歩くのは危ないですわ」

「そ、そうなの……? でも……」

「今夜はお城にお部屋をご用意致します。そちらでお休みください。まずは生活に慣れる事も必要ですわ!」

「う、うん……」


 キャロラインは明るくて優しくて素敵なお姉さんみたい。

 ……こんなお姉ちゃん、欲しかったな。

 涙を拭って頷いたけど、うん、ちょっと待って。


「え? 今お城って言わなかった?」

「では転移致しますわ」

「え、待ってちょっと待って今お城って言わ……」


 あ?


 シュン。

 と、音がして、気がついたらそこは絢爛豪華な玄関ホール。

 赤と金の絨毯と、ホールと同じくらいなシャンデリア。

 左右対称の片階段と、資料本でしか見た事がないような場所にいた。

 わ、わあ……!


「キャリー、遅かったな。新たな民は無事に生活を始めたのか?」


 階段の上から男の人の声がする。

 ……えっと、キャリー? キャロラインの事?


「ただ今戻りましたわ、ハイル様。いえ、間もなく夜ですから、本日は城にお泊り頂こうと思いまして」

「そうか」

「……わ、わあ……」


 思わず声が漏れてしまった。

 階段の上にいたのは純白の礼服をまとった王子様。

 シャンデリアに照らされた緑の髪は金色にも見え、金の瞳でこちらを穏やかに見下ろしている。

 この人も、多分NPC、よね?

 VRゲームは色々やってきたけど、キャロラインに負けないくらい綺麗。


「ハイル様、新規プレイヤーのシアさんですわ。シアさん、あちらはこの『エレメアン王国』国王ハイル・エレメアン様です。わたくしの夫ですわ」

「……お、夫⁉ 王様、が、えっ、おっ……!」


 変な声が出た。

 今『国王』と『夫』というパワーワードが連続で出なかった?

 気のせい? いや、絶対気のせいじゃない。

 おっ、夫おおぉ⁉


「初めまして、シア。紹介に預かった、俺はこの国の王、ハイル・エレメアン。キャロラインは俺の妻だ」

「夫婦共々よろしくお願い致しますわ」

「夫婦!」


 本当に!

 え、待って、王国、国王の、え、妻って事は……!


「キャロラインって王妃様なの⁉」

「はい。普段は新規プレイヤーさんのお出迎えをしておりますが、それがない時は王都の町中でパン屋を営んでおりますわ。……存外忙しくて最近はめっきり開けていないのですが」

「え、待って分かんない、ちょっとなに言ってるか分かんない! 王妃様なのにパン屋⁉」

「働かざる者食うべからずですわ。さあ、まずはシアさんのお部屋にご案内しますわね。そちらでお風呂と……あ、そうですわ、お食事はわたくしたちとご一緒に致しますか? それともお部屋で摂られます?」

「え、え?」


 なんだか突きつけられた選択肢が訳の分からない単語に聞こえる。

 パワーワードが連続で打ち込まれすぎていて、頭がついてこないんだけど。

 少し待って、とお願いして、もう一度噛み砕く。

 キャロラインは王妃。

 ハイル国王の妻。

 そして、普段は私のような新規プレイヤーの出迎えとパン屋を兼任。

 うん、わけが分からない!


「ええぇ……普通こういうのって専用のNPCの仕事じゃないの……?」

「ええ、ですからわたくしがその専用のNPCですわ!」


 そんな胸を張って……。


「フローラ、シアを部屋に案内してくれ」

「かしこまりました」

「あ、シアさん、彼女はフローラ。わたくしの侍女です。このお城にいる間、分からない事は彼女に聞いてくださいませ」

「う、うん」

「ではお部屋にご案内します」

「よ、よろしくお願いします」


 多分、ちょっと他の人よりは……高待遇?

 フローラに案内されて階段を登り、右の扉の方へと案内される。

 キャロラインはハイル国王と左の方へ。

 振り返るとにこやかに手を振られた。

 うう、すっごい美男美女のカップル……。


「シア様こちらです」

「は、はい」


 呼び掛けられて、扉を潜る。

 うっわ、ひっろい。

 うちもかなりの豪邸だけど、やっぱりお城は別格。

 天井は五メートルぐらいありそうだし廊下も三メートルはある。

 長い絨毯に眩い天井。

 白い柱に壁。

 定間隔に飾られた壺や絵画や鎧。

 さすがの私も見入ってしまう。

 ものすごい作り込み技術……まるで本物のお城みたい。

 このゲーム作った運営すごいなぁ。


「客間はこちらです。ゲームルールにより、初日のみ宿泊が可能となりますが、明日以降も無職で過ごされるのでしたら下町の支援宿舎の方に移動して頂きますのでご注意ください」

「え、あ、はい。……無職でも良いんですか?」

「はい。この世界には現実世界で大変傷ついた方が来られます。中には会話もままならない方がいるのです。そういう方は話せるようになるまで支援宿舎で過ごして頂くのです」

「……そう、なんですか」


 つまり私は『かなりまとも』と判断された、という事なのだろうか。

 会話もままならないほど、心をすり減らして逃げ込んで来る人……。

 自殺を考える人の受け皿なのだから、それはそうなのかもしれない。


「……ですが現状本当にこの世界で受け入れなければならないような方々は、VR機を持っていない方が多いと聞きます。……残念でなりません」

「……あ……」


 言われて胸が苦しくなった。

 普及したとはいえVR機は安いものじゃない。

 ゴーグルや本体合わせて安い物でも平均二万円はする。

 ゴーグルだけなら安くて二千円くらいのやつもあるけど……そういうのはスマホと連動するだけの機能しかない。

 ここまでのゲームが出来る機能はついてないのだ。

 そうか、このゲームを知らずにそのまま命を絶ってしまう人も……いるのね……。

 私も偶然広告を見なければ、今よりもっとおかしくなってたかもしれない。

 死ぬ気はないと思いながらも、かなりどうでも良くなっていた自覚はある。

 死んだら負けだと思いながら、どこかで死に場所のようなものを求めていた。


「…………」


 胸に手を当てる。

 泣いたからかな? 胸が少し軽くなっている。


「こちらです」

「わあ、すごい部屋……」

「お風呂はお手伝い致しますか?」

「い、いえ、結構です」

「ではお食事はどうなさいますか? 陛下とキャロライン様にお誘いを受けておられましたが……」

「ひ、一人で部屋で食べます!」

「かしこまりました。ではのちほど夕食をお持ち致します。ごゆっくりお過ごしください」


 一礼したフローラさんは部屋から出ていく。

 それを見届けてから改めて部屋を見た。

 眩しいくらいの灯り。

 天蓋つきのベッドはダブルサイズ。

 ツヤツヤの家具。

 フルーツの載ったテーブルと、赤い革張りの椅子。

 床はフカフカの絨毯。

 はぁ〜……私の部屋も広いはずなのに、この部屋は倍ぐらい広い。

 広すぎてさすがにちょっと落ち着かないなぁ。


「い、いや、まずはお風呂かな」


 というかお風呂どこ。と、部屋を見回すと左に扉がある。

 そちらを開けてみて喉が引きつった。

 ば、バストイレ〜……。

 トイレもあるの?

 少し驚いたけど、蓋は開かなかった。

 ……そういえば現実での私の体ってどうなるんだろう。

 よく考えて始めてしまったけど、一度ログアウトして確認しようかな?


「確か体があるとタップで開くって……」


 宙を指先でタップしてみるとステータス画面が開く。

 うん、簡単。

 そしてログアウトボタンを探す。


「え、ない?」


 メニューのあちこちを探すがログアウトボタンはない。

 嘘、そんな事ある?

 ログアウトが自分で出来ないの⁉


「っ…………」


 驚いて出入り口の扉を開く。

 左右を確認するけど誰も歩いてない。

 焦る気持ちはあるけど、あとで夕飯持ってきてくれるって言ってたし……今は心を落ち着ける為にも一旦お風呂に入る?

 で、でもなぁ……。


「……………………お風呂に入ろう」


 現実に戻る。

 それを考えた時、あの女の顔がよぎって冷静になった。

 忘れろ、忘れろ!

 私は現実を忘れる為にこの世界を選んだんだもん!

 私の体の事はあとでフローラさんに聞けば分かるわよ、多分。

 フローラさんで分からなければキャロラインに聞けば良いわ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る