最終章 ドゥーガの火床<4>

 歴代のあわれな巫女姫たちの魂(たま)の結晶を持って、イズーが走る方向を見定めた。


「かえさぬか、小娘が!」

 妖女が絶叫し、イズーに掴みかかる。主人の悲嘆の声に反応したのだろうか、じっと停止していた首なしの青銅騎士も、よろめき、動き出した。

「あっちへ行って。邪魔よ!」

 彼女が蹴り飛ばした。青銅騎士たちが自重で湖に落水し、凄まじい水しぶきがあがる。

 エルリフ! とイズーが袋を投げて寄越した。中にはあの謎の小壷が入っていた。

「爆弾よ、ごめん、一つしか持ってこなかった。ここぞと言うときに導火線に火をつけて、投げるのよ!」

 イズーが命がけでつくってくれる一秒、一秒が惜しい。エルリフは、前を向いた。

 黒狼が軋みをあげて走り出す。エルリフはそのたてがみの突起を掴み併走した。

 その時だった。新たな地響きが足下からせり上がってきて、エルリフはうろたえた。

 地下の岩盤に据え付けられ、命無きはずの竜の炉……”ザラージラ”が、吼えたのだ。口から、この距離でさえも熱風に顔を覆いたくなるような巨大な炎を吐き出して。

 それを合図に湖が突如沸騰したように沸き立ち、赤錆びたまま静止していたはずの鉄獣たちがゴゴゴゴ……! と動き出す。黒い獣と金の髪の牧者……まるで魂を一つにして走るようなエルリフたちを止めようと、恐怖に駆られて押し進んでくる。

「ガアアアアァァーー!」

 猛禽の頭をした獅子の鉄獣が黒狼に蜥蜴の三本爪の腕を振り下ろした。魔鉄と魔鉄がぶつかり合い、きしみをあげてもつれ合う。たまらずはね飛ばされたエルリフの背後からもう一体、今度は竜頭の巨人のごとき鉄人が血のように赤く錆び付いた戦斧を振り下ろした。壁面にいにしえの巨神たちの饗宴のごとき影がこの世の終わりのようにぶつかりあった。轟音と共に猛禽の獅子の首が断裁された。からくも逃れた黒狼がエルリフの前に立ちふさがり、火焔を吐き出す。あまりの熱にエルリフの髪は焦げ付いた。

 黒狼が敵に体当りするたびにばきん、からん、と部品や装飾の一部が壊れていく。

 それでもやめない。黒狼は猛り狂い、牙を突き立て一歩も引かぬ構えだ。

 早く行け……!

 そう言われている気がした。

 エルリフはまろびつつ走り出す。

 背後で行われているこの世のものとは思えない鉄の獣たちの死闘の音が重く響く中を無我夢中で駆ける。行く手を、ほとんど半壊した鉄獣たちが塞ごうとする。数が多すぎる。エルリフは握り締めていたイズーの爆弾の導火線に火をつけた。投げつける。爆発が敵をなぎ倒し、突破口を開く。

 汗と埃にまみれながら、エルリフはとうとう竜に見張られた火床に突き立つ”星の鉄柱”の前に辿り着いた。

 これを倒さねばならない。この自分の手で。 

 一瞬だけ、恐怖とも冷静ともつかない真っ白な頭で考えた。ここで自分(エルリフ)が妖精鍛冶師の主だと宣言すれば、竜の高炉も鉄獣たちも自分にひれ伏しすのかもしれない。

 魔鉄を産み出す純鉄も火床も思いのままに、世界を変えるほどの力を得られる。

 黒狼一騎ですらヴァルーシ王国をこれほどの繁栄と混乱に叩き込んだ。もしもこの力に諸国が気づき、手に入れようとしたのなら……世界は滅びへの道を進むだろう。

 人間たちの世界が、妖精の奸計によって。


(でも、それでどうなる?)


 火の粉と不気味な振動の中、拳を握りこむ。恐怖を跳ね返す、揺ぎ無い確信とともに。

 作りたいのは世界を滅ぼす鉄の神々じゃない。一緒に居たいのは、お前たちじゃない。 

 火床の縁に立てかけられていた古びた大金槌を見つけ、しっかりと引き寄せ、肩に担ぐ。そしてきっと見据えた……ゴルダのつけた“削り跡”……すなわち、破断を。

「本当によいのか」

 血の気が引き、エルリフは握ったばかりの大金槌をあやうく取り落としそうになる。

 震えながら振り返る。

 一人の壮年の半妖人が青く光る目ですでにエルリフをはっしと見つめている。

 ゴルダと酷似した顔立ちをした男は穏やかに、燃え立つエルリフの心に入り込んだ。

「いまお前が考えたことを私も若い頃に夢見た。そして今日まで我が意志を受け継ぐべき者が現れるのを待っていた……待っていたのだ、エルリフ」

 初代の妖精鍛冶師は微笑みながら硬直しているエルリフの頬に触れた。その瞬間、血が沸き立った。妖精鍛冶師の目の奥がいつか見た朱金色に流れる魔鉄と同じ輝きに満ち、エルリフを魅了した。

「鉄は錆びる。生きていく限りお前の血の中の鉄も、赤く、赤く……錆びていく。だが錆は宇宙(そら)に、海に、大地に満ち、再び輝くことも出来る。永遠の炎によって。私とここにいる限りそなたは永遠を生きることだって出来る。それがお前の使命だ。ザラスカヤの力は衰えた。創造神から解き放たれ、今こそ半妖の名に恥じぬ宿願を、我々の世界を採り戻しにいく時!」

「……違う」

 エルリフの心はドゥーガの湖面のように静止していた。

 本当は口の中に血の味がしたせいで正気に戻れた。先ほど倒れた時に切ったのか。

「貴方は、亡霊です。俺や俺の父も取り付かれそうになったことのある……功名心の」

「――――」

「貴方にとっては半妖も人間も、本当はどうでもいいんだ。だって……貴方は職人だから。自分の技を未来永劫見せ、世界をひざまづかせたいだけ。俺はどうあがいても野鍛冶の方が向いています。貴方のようにはなれません。でも貴方を尊敬します……エルリフ。聖ユーリク様!」

 虚を突かれたように妖精鍛冶師が表情を消す。

 エルリフの魔法の一撃(ことば)で性質を変えられてしまったかのように……鍛冶師は思いつめた職人の顔から、柔和な聖人のごとき表情に変貌した。

 そして微笑みながら薄らいで消えていった。

 唯一無二の恩寵を手放したエルリフは、いま一人になり、そうして初めて理解した。

 この血は己のものであり、ゴルダであり、エリンであり、イズーであり、ダニーラであり、ボルドスであり、ミーリュカであり、エルスランでもあり、あまたの祖先であると。

(すべての命の鉄を我が手に……打つ!)

 彼らの腕に代わり、無心に金槌を振るった。

 火花が散った。硬い。けれど手首に伝わる反動の中に、返ってきた弾力の中に、視えた。“相手”の脆さの在り処が。

 見えない力が、たぎる血のように熱く流れ込んでいく。頬を、熱いものが伝い落ちる。

 ゴルダから受け継いだ力は心(ここ)にある。脆さは、弱さではない。

 だれもが抱いている、変わることの出来る可能性(みらい)だ。


(お前はもう、自由だ。赤く流れて地に還れ。

 いずれかの星の下(もと)、また会おう……!)

 

 柱が新たなる妖精鍛冶師(エルリフ)の声無き呼びかけに戒めを解かれた如く、震動を始めた。死闘を繰り広げていた鉄の神々も動きを止めた。押し寄せようとしていた鉄の守護者たちもまだ片足を水に浸したまま、止まる。

 ついに亀裂が走る。ひどくゆっくりと……どこか、待ちくたびれたように柱が傾いでいく。真っ二つに割れながらドゥーガの火床へと。もうもうたる粉塵と衝撃音、振動が地下世界を揺るがし、ばらばらと、頭上から礫が降り注ぐ。

 折れた鉄柱の先端が竜の高炉の腹を直撃した。爆発が起こり、竜の炉は悲鳴に似た爆音をまき散らし始めた。付随する炉も吹き飛んだ。

 破れた水路から大量の水が鍛冶場へと流れ込み、すさまじい水煙と破砕音が耳を圧する。

 魔法の命を失った鉄獣たちも沈降していく。橋桁までも飲み込むほどの大波が起こった。呆然と、炎と水と破壊の中心、ドゥーガの火床の前に立ち尽くしていたエルリフの腕を火炎地獄をものともせず駆け寄ってきたイズーが揺さぶった。

「エルリフ、エルリフ! どうしよう、エルスラン様が……黒狼が!」

 燃え盛る火床を飛び越えて、鉄くずのように動かなくなっていた黒狼の元に駆け戻った。膝をついて手を触れようとしてためらう。

 前髪を伝い落ちる汗が雫のように散る。

「まだだ……まだ。俺たちは、一度は魔鉄に勝った。無害な合金に鋳なおした。君の言うとおり無駄なんかじゃなかった! 分かるだろう? 二つの金属を混ぜたら、どうなるか」

 強く深く、彼女の手を握り締める。握り返しながらイズーも戦きつつ答えた。

「融点が、低くなる……!」

 瞬間、炎が一挙に燃え上がり、最後の熱風の中エルリフとイズーは抱き合った。

 びしりと音がして、鋳込みの後の型ばらしのように、黒狼が、割れた。

 我を忘れ、エルリフは火床に踏み込んだ。イズーの悲鳴がゴウゴウと周囲で飛び交う炎にかき消される。それでもなお炎の熱さのことを忘れた。中から現れた王を渾身の力を振り絞って腕に抱えあげる。

 すかさず、イズーが脱いだ上着でエルリフの髪や服に引火した炎を打ち消した。火傷の痛みを押し殺し、全身を熱いのか寒いのかわからないほどに震わせながら、救い出した王のほとんど衣の焼け落ちた身体を丁重に横たえる。今になって、膝ががくがく鳴っていた。

 気丈さを保っていたイズーすら、震えて言った。


「王様……ねえ、これ、生きてらっしゃるの……?!」

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