第五章 聖像<2>
精錬が終わると、いよいよ聖像の部品作製のための鋳込みに移った。この過程は、セヴェルグラドの鋳物師たちに任せた。小さな鋳込みの経験しかないエルリフより大小様々な鐘の鋳造に長けた彼らのほうが腕は確かだと、この時ばかりは自ら認めたからだった。
誰かと一緒に一つのものを目指して、造る。そんな体験自体が、初めてのことだった。
鍛造と同じく鋳造もまた、冷却と金属収縮の見極めに根気と熟練を要する。
型の中に、とろとろに溶かした湯(溶解鉄)を取鍋で流し込む。そして少しづつ、何日もかけて温度を下げながら鋳型を壊す型ばらしの作業に入る。
全ての型をはずし、砂を落とし、思い通りのものが作れた時の喜びは格別だった。
こうして魔鉄が清らかになっていくのと足並みを揃えるように、エルスラン王の症状も急速に快癒に向かっていた。ミーリュカ本人がそう伝えにくるたび、笑顔が増えていった。
新年の儀では、エルリフにとってとみに重要な事柄が二つ、勅令として下された。
まず、エルスラン王は「余への献身ぶりめざまし」と讃え、ミーリュカ・ヴォルコフを大膳職侍従長という要職に引きあげた。外交官も兼ね、貴族会議にも席を得る高位身分となった彼を侮るものは、もう居なくなった。
そして王を救った鍛冶、エルリフへの褒賞としてゴルダロスの姓、ふさわしき俸禄……
さらに”白の街”の一角に小さな館を一棟、賜ったのである。
エルリフ・ゴルダロス。そう、今や自分は、姓持ちになったというのだ。
ゴルダロスの姓。これ以上、王の真心を感じる贈り物があるだろうか?
これだけの行いに対してはミーリュカ同様、「いい身分」も賜ってよいのではないかという者も居た。エルリフは恐れ多いことだよ、と答えるにとどまった。
ダニーラはエルリフと職人たちのために武器庫あげての大宴会まで催してくれた。
しかし、その夜を境にダニーラの足は武器庫工房からは遠のいた。
その頃、ついにレグロナ帝国皇女との婚約を進めることが知らしめられた。
エルスラン王は西方人の君主ながら“東蛮の大帝から武勇と血筋の高貴さを認められた王”として、緊張関係にあった周辺部族との関係も修復してきた。
王はさらに、その身を合金するが如く、西方の大国との血の融和を果たすつもりなのだ。
相手と目されているのは、才媛と名高い第三皇女ラスカリエ姫。まずはレグロナに「見合い」として贈る肖像画を描くために芸術の都フィオーラから画家が呼ばれた。この計画にはフィオーラの元住人でもあるミーリュカが通訳や世話役となって奮闘している。
ミーリュカがずっと抱えていた“負い目”は、いまや立派な職能となった。
真冬になると、聖像の組み立てと仕上げに忙しくなり、世間の喧噪も遠のいた。
黒狼の魔鉄はもはやなんの問題もない良質な鉄に変えたつもりだった。
それでもなお万全を期して、エルリフはサンドールに見せてみた。ちなみに彼は風のように去るどころか、吹き溜まりのように居座り、「ここまで来たなら最後まで見届けなきゃあな!」と言い訳をしている。ヴァルーシの将兵らと武芸の交流をしているシャティにちょっかいを出しまくっているが、彼女が振り向いたという話は聞こえてもこない。
「前も言ったとおり、古代の物をオレ達がすっきり理解出来るものかどうか、わからんね」
サンドールの返答に一抹の不安を覚えたエルリフは、悩んだ。
もう、不気味な女の声を発したり、動き出したり、熱くなったりもしないが……
いっそどこか遠くへ捨てるか、埋めてしまったほうがいいのではないか……庇護者たるダニーラを通して、一度、エルリフは王の意向を再確認したこともある。
『鉄とはいえ、苦楽を共にした間柄。朽ち果てるに任せるは忍びない』
それが、翌日もたらされた返答であった。王の希望に変わりはなかった。
エルリフだって壊れた鉄を見つけたら捨てるより再利用を考えるだろう。
そして、この件について相談できる相手は、もう一人いた。
「あら毛帽子くん、まだ起きてたの……?」
今夜も、また。工房に頻繁にやってくる「同僚」をエルリフは気楽に出迎えた。
「ああ。明日でこいつともお別れだからな。君こそ、まだ寝ないのか?」
「例の検査結果をまとめたから、知らせたほうがいいかなーって思って覗きにきただけ。本当に、よくここまで仕上げたわね。さすがは鉄細工(ゴルダ)の作り手、ね!」
イズーは、感嘆しきりにユーリク像を見上げる。
穏やかな眼差し、頭には豊穣を示す麦穂の冠をかぶり、手には牧者の杖を持っている。くろがねの聖人なので鍍金(めっき)は衣服にだけ使い、あとはすべてやすりとたがねで光沢を整え、細かな金象眼で丹精こめて飾りたてた。聖衣の背面に竜を銀で線条細工にしたところ、職人たちは特に褒め称えてくれた……
「一人以外は、だけど。ボルドスさんは、ユーリク様の衣装に悪竜を彫りこむのは不敬じゃないかって」
「でも、貴方は竜が好きなんでしょ。見ればわかるわ、活き活きしているもの。あたしは好きよ、竜! 錬金術師の守護獣だし」
(……見せたいな。イズーに、俺の竜の鉄細工)
叶うはずもない願いに駆られた自分自身に、困惑する。
「……元々が魔鉄だから、まだみんな信用してないんだ。ついでに半妖人のことも……」
「まあ皆さん、迷信深いこと。これ読む? 読む気ないわよねぇ、どうせ……」
悩ましげに嘆いてみせるイズーは、薄手のマントを脱いで腕にかけながら、持参してきた紐綴じの書をばさばさと振った。エルリフはイズーに黒狼の破片、そして精錬し終えた鉄の塊を預け、調べてもらっていたのである。
それにしても近頃何となく彼女がまとう服の趣味が変わったように思える。今夜もまた胸元が開いたドレスだった。露出度が高いというわけではないが、イズーの体の女性らしい“まろやかさ”が強調されている。
(また変態呼ばわりされる。今度こそ、溶かされる……)
エルリフはなるべく目の焦点を肌色に合わせないよう集中しながら、答えた。
「いや、見せてもらうよ。君が作ったものだし」
横に腰を下ろしたイズーが数ページめくってみせた時点で、エルリフは未知の怖気をふるった。鉄のことなのに数式や表の羅列が並んでいるのはどういうわけなのか……わずかに肩が触れ合い、彼女の磨き上げた銅色の髪がさわ、と腕に触れる。
彼女によれば黒狼の破片は目算どおり落雷を受けて穴ぼこだらけに変質していたという。そして鍛えなおした鉄、これは見事な純鉄に近い、と。
もしも魔鉄に対する理解が不十分で、自分の鍛造が古代の職人を超えられないものだったとしても、ユーリク神の姿形が悪しきものを浄化してくれるはず。
そう祈りを籠め、エルリフは持てるすべてをつぎ込んだつもりだ。
「もう、黒狼だった時の面影は、色にも形にも無い、と俺は思うんだけど。どうかな?」
「本当に、すばらしいわ、この像は。あたしは自分で何かを作り出す人が好き……あ、あんた限定のことを言ったわけじゃないから!」
あ、うん? と返事を返すと、イズーはかえってどぎまぎしたように目を反らした。エルリフはしばらく彼女を見て、そしてそのまま再びイズーの記録に目を戻す。
けれど目は何の字も追ってはいない。これよりももっと大事な“問題”があった。
「明日で、俺の仕事も終りだ。君は……これからどうするんだ?」
「……そうね。もっと温かい町にでも行こうかしら。お金さえあれば、どうにでもなるし」
「そうしたら、サンドールも居なくなっちゃうだろうな。寂しいな、なんだか」
「そう? あの人は案外王様やあんたのことを気に入ってずるずる居座るんじゃない?」
エルリフはシャティに言われたことを思い出す。言ってみなければ、何も始まらない。
「ねえ、その、そもそも君はどうして、アルハーンを出てヴァルーシに……?」
「あたし、もう帰るわ」
「ま、待って。君はここに居たらいい! 錬金術師はヴァルーシでは貴重なんだから」
するとイズーはまじまじと見返しつつ、エルリフの隣に座り直した。やや膝を寄せて。
「具体的には? どこに、どうやって?」
「そうだな、エルスラン様から頂いた家はもう使っていいことになってる。なんなら、いっそ住みかが見つかるまで俺のところにでも居ればいい」
「……で?」
「でって。そうだな、鍛冶場の横に錬金術師の仕事部屋があっても、おかしくはないよ」
「無料(タダ)より高くつくものはない、安物買いはするなってね。あたしは……そう、あんたの、いい……台所使いになるわよ。そもそも錬金術の起源は台所にあるんだから。じゃ、料理と洗濯はあたしね。掃除は……」
「鍛冶場の掃除ならいいよ。土間にするつもりだから。灰を吸いこんだら君の体に障るし」
「お優しいこと。あんたこそ、勝手にあたしの錬金部屋にきて硫化水銀に触ったりしても、もう、知らないんだから……」
「リュウカスイ、え、銀?」
「あたしは家事以外、研究。あんたは朝から晩まで仕事。ばっちりじゃない! こうなると、当面、あたしも他に行く必要、ないんじゃないかしら?」
「でも……俺とずっと一緒なんて嫌だろ」
「……そうでもないかもしれないわ」
「そうなのか。じゃあ、その方向で」
エルリフが結論付けた。けれどイズーはまだ不安そうな顔つきをしていた。
「それで……ころあいを見計らって、手、出す気?」
「何に? 俺、賭博はやらないから安心していいよ。そんな暇はない。俺……もう、誰かと暮らしたいって思うことはないと思ってた。でも君となら、うまくいく気がするよ!」
「……うん。まあ、いいわ。今はそれでいい。頑張った末に、あんたなりにたどりついた結論なのだもの、尊重するわ。あたし、ヴァルーシに来るのがちょっと怖かった……でも、あんたのお陰で、そうでもなくなってきた感じ……」
少し顔を背けた彼女が、そっと微笑んだ。
その瞬間、頬がかっと熱くなり、鼓動が激しくなる。エルリフは自身の変調を悟られまいと目をそらした。また変態呼ばわりされて嫌われてしまう。せっかく彼女が少し、”柔らかく”なってきたのに。触れ合いそうになっていた手の位置をずらす。
彼女の手が、波打ち際のように離れていった。背を向ける。
「おやすみ、毛帽子くん」
なんだか熱病にかかったみたいに寝苦しい夜となった。
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