第四章 亀裂<3>

「ひどいことになった。オレはもう、終りだよ」

 作戦室の奥、壁を向いて座っていたサンドールの顔色は土気色だった。

 エルリフがもの言いたげに側から離れないのに根負けしたみたいに、サンドールは気の抜けた笑みを投げて寄越す。

「雷落とした瞬間にカローリの心臓が止まってみろよ! 首斬られておしまいだ!」

「ダニーラ様がそんなことはさせないさ……だったらなんで、この仕事、引き受けた?」

「……借りがあってな、あの野獣王に。もっともオレが一方的にそう思ってるだけだがな」

 そこで、サンドールは喉元の頚甲に薄汚れた指先を引っ掛け、せせら笑った。

「こいつ、いつもガチャガチャうるせえなって思ってただろ? お前も」

「それ……青血人(キリダイ)の牙避け、だよね?」

 サンドールはへっ、と鼻先で笑い飛ばした。彼自身、を。

「オレはな、地図上じゃもうレグロナ帝国に呑まれて消えちまった公国の生まれでね。物心ついたころから屍鬼始末人に師事し、十ウン年も、数え切れないほどの葬式を渡り歩いたもんさ。大繁盛だったね! あの時代は。常人魔人入り乱れて戦ばっかりだったからな。青血人に噛まれたホトケの心臓に杭を打ち込んだり、首を切り落とす仕事に明け暮れ……」

 エルリフは少し目を見張ったが、黙って彼に先をうながした。

「もう十年くれえ前かな……ヴァルーシ国境近くの村での葬式の参列者の中に、泣かない奴らが紛れ込んで、じっと俺たちの仕事を見張ってた。そいつらこそ、青血人だった。数時間後、村はまるごと滅ぼされ、俺は命からがら逃げ出した。ひどい土砂降りの夜でね。ちょうどレグロナ騎士団と一戦交えた帰りのヴァルーシの親軍が通りかかって、血の気の余ってそうな一騎が飛び出して青血人どもを切り伏せていった。その凄腕は、どういうわけか右の耳が雷光を反射して光ってた。オレも一緒くたに片付けられちまうもんだと思ったぜ。ところがだ、溝でへたれこんでいたオレを騎乗から見下して、そいつ、雨より冷たい声でこういったよ。“生き直せ、下郎”って。なんて偉そうな若造だ! ってね」

 へへっ、とそこでサンドールは再びぐびぐびと、謎の液体をのんだ。

「ま、実際に“ド偉かった”んだがね……翌朝には言われたとおり稼業とはおさらばよ! でもよ、情けねえじゃねえか、未だにこいつをハメてないとおちおち眠れもしねえんだ」

「だからってそんなに酒びたりじゃ……」

「だから、酒じゃねえ! “聖水”よ。とりあえず、その土地の聖堂に一番近い井戸の水、汲んで、呑んでるだけだ!」

「……さっきの、いい話だったよ。エルスラン様に言ったらどうかな? 喜ぶかも……」

「だああっ、やめろっ、このお人よし魔人め、絞め殺すぞ! オレは王だろうと何だろうと恩着せがましいのはお断りなんだよ! 褒賞金だけ貰って、風のように去るぜ! エルリフさんよ、あんたは善(い)い奴だ。今の魔人よばわりは、謝る。青血人や人狼人と同じ魔人扱いされてるがオレに言わせりゃ納得いかんね。そう、お前ら半妖人は奴らとは違う、闇の生き物とは思えねえ。民話の通りなら別世界(あそこ)から来たんだ!」

 サンドールが指差したのは、あろうことか、空、だった。

困って頭をかく。

「えっと、どういう意味?」

「文字通りの意味よ、星の世界よ! 理由は知らねえが落ちてきたんだ。もしくは、帰れなくなったか。昔話でもそうなってるだろ? 月の娘について地上に鉄を探しに来たって。

 昔話ってのはあんがい真実をついてるもんだぜ。オレならお前らのことを妖精じゃなくこう呼ぶね、星界人……って。どうだ? カッコよくねえか? この方が?」

 サンドールの経験豊かな話は興味深かったが、いかんせん奇想天外すぎた。エルリフはとにかく招雷術について丁重に頼み込んだその足で最大の難関に立ち向かった。


「イズー、お願いがあるんだ。アルハイル鋼と、シャティの腕を借りたい」

 毛帽子から包帯頭になったエルリフに対し、イズーは奇妙な態度を取り続けていた。

「あたしって、皆にとってさぞかし嫌な女でしょうね」

 エルリフは答えに窮しかけた。窓辺に寄りかかったイズーは、虚脱した声のまま続ける。

「なんでも思い通り、計算どおりになると思ってる女。人の迷惑、かえりみず……」

「そんなこと。俺たち皆、同じだ。君も一生懸命だっただけだよ」

「……あんたなら、きっとそう慰めてくるって思いながら今も言ったわ」

「それでこそ、君らしくていいと思うけど」

「バカね、ほんと」

 どっちのことを言ったのだろう? まあどちらでもいいけれど。なぜか口元が笑ってしまう。自分がこうして、彼女と自然に話が出来るようになったことが、無性に嬉しい。

 イズーが、ちらりとエルリフを見たあと意地を取り戻したように話題を変えた。

「シャティに、危険はないんでしょうね?」

「あるよ。彼女が一番、危ない。でも君たちは、アルハイル鋼の剣を貸したりしないだろう? ヴォルコフ将軍ならきっとやってくれる。でも……」

「見くびらないで! シャティはそこらのヴァルーシ男になんか全く引けを取らないわ」

「そう思ったから、まず君に持ちかけたんだ。でも決断は君たちに任せる」

「もし、もしも失敗しても、それはシャティのせいだって思わないで欲しいの。それはあたしのせい。アルハイル鋼は、まだ完成じゃない、最硬度じゃないかもしれない。アルハイル鋼と同等、もしくはそれを越える究極の鋼があるらしいの。東蛮帝国を越えた東方大陸の東の沖合い。幻の島国、都古(ミアンゴ)の刀鍛冶の打つ刀はもっとつよいって噂。あたし、シャティに言えないでいるわ。この地上で最高の剣だって、ウソ、ついてる」

 妙にこんがらがったまま落ち込んでいるイズーに、エルリフは慎重に言ってみた。

「君は、物知りすぎるんだ。シャティなら、並の鋼の剣でだってやりとげるかも知れない」

「……そんなの、言われなくても知ってるわ。あたしの方が、お荷物だって、本当は」

 イズー? と、エルリフはとっさに彼女の手を引いた。驚いてエルリフを見返す緑色の瞳の鮮やかさに少し彼女の目が濡れていたことを知り、ひやりとしながらも言う。

「そんな風に言ったら、だめだ。俺、君みたいな女の子に会ったのは初めてだ。君みたいに頭がよくて勇気もある美人なんて……もっと君のことを知りたいよ」

 じっと凝固したように聞き入っていたイズーの白い頬に微かな赤みがさした。

「あんたって……なるほどね。あの暗黒花畑も均されたわけだわ……いつまで手、握ってるつもりよ!」

 イズーはぴしゃりとエルリフの手を打ち、じゃあね! と小走りに去ってしまった。


 打たれた手の甲は全く痛くもなく、ほんのりと微熱を残しているようだった。

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