第四章 亀裂<2>

 いつだって自分はおろかな人間だったが、“あの時”もそうだった。


 ちょうど、親に反抗し始める年齢だったこともある。ゴルダが作る鉄細工の技法を横で見ていた時のことだ。どうして白鳥や鹿、馬だけなのか? 熊や、狼は作らないのか? と。

 ただそう、聞いただけだ。なのに、父の顔色は見る見る変わり、怒りだした。

『肉を喰らう獣は造らない……!』

『なんだよ、俺にだけいつも、肉を食え食え言うくせに。ねえ狼を造ってよ、父さん』

『なぜ、狼なのだ。誰に聞いたんだ、お前は!』

 ゴルダは拳こそふるわなかったが(人なんか殴ったら自分の心身も傷め、仕事に支障をきたすというのがその理由だ)、その時ばかりは殴られるかもしれないと思った。ただ鉄細工の話をしたかっただけなのに。エルリフは猛烈に反発し、鍛冶にとって何より神聖な火床に金槌を投げつけてやった。灰がもうもうと舞った。

 待て、どこへ行く! という声を置き去りに、鍛冶場を全速力で飛び出した。

 ほんの二日足らずの家出だった。農家の納屋に忍び込んで隠れていただけだ。まったくもって、家出をするほどのことでもなかった。本当につまらない、ただの反抗期だ。  

 雷雨の中、あと数ミーツァという距離までゴルダが近づいた時もあった。

 結局ゴルダは雷雨の中、一睡もせず、温まりもせずにエルリフを探し回っていた。

 ついに農夫に見つかり、帰宅したエルリフが見たものは、肺炎と高熱のために倒れたゴルダの死相であった。医者の見立てでは元々胸を病んでいた可能性が高いという。それが肺炎で一気に悪化したのだろうと。全く、父は気づかせなかった。

 幸い数日後に熱は下がり回復が見られた。付きっ切りで看病するエルリフに、もう大丈夫だ、仕事が溜まってしまったな、とゴルダは笑った。

 あのままの日々が続けば良かったのに。そうすれば自分達はもっと、近づけたろうに。

 数日後の夜、容態が変わり、激しく咳き込んだゴルダは、召される時に言った。

『許してくれ、エルリフ……。お前はいつまでも自由でいるのだぞ』

 瞬間、エルリフの無意識下で長年の疑問が雪解けの川のように、溶けた。

 父の遺言の意味が、突然、分った。父の求めた自由の尊さが、分った。

 捕らわれていたのだ……王都を遠く離れてもなお、ゴルダの心は、黒狼に。

 だからエルリフの「狼」の鉄細工の話に思わず動転してしまった。「誰に聞いた」? ウーロムのような田舎で、誰も、そんなことを息子の耳に入れるはずがない。そう気がついたゴルダはだからこそあんなに取り乱したのだ。

 許してくれ。許してくれ……

(わかったよ、父さん! 俺、分かったよ……! だから、行かないで!)

 またあの夢を見た。雷雨で濡れ光るウーロムの無人路を父を探して走り回る……

 泥だらけになったウーロムの通りの向こう、雷光が人影を影絵のように切り取った。

 父さん! とエルリフは、嵐に向かって叫ぶ。

 人影がこちらを振り向いた。


 激しく明滅する雷光の中で、ゴルダは……にっこりと笑い返していた。

                   

「……ない、で……父さ……ん!」

 目覚めて体を起こした瞬間、血流がまるで導火線についた火のように頭に達し、拳骨で殴られたみたいな激痛になる。思わず呻いて再び寝台に沈み込んだ。

「バカっ、まだ動いちゃだめだったら! 朝まで気絶して、よかったのに……」

 窓がなく、意識も遠く、時間の感覚が沸かない。しかしあれから数時間後……夜明け前、といった所か。ここはどこだ? と記憶喪失患者みたいにエルリフは尋ねた。

「作戦室よ。起きたならついでに包帯を替えるから……うなされてたわよ?」

「……父さんの、夢をみた。死んだ……父さんの」

 ゆっくりと上体を起こす。俯いたままのエルリフの横で、イズーが動いた。

「きっと、お父さんが側にいてくれたのね。ちょっと、待ってなさい!」

 くるりとスカートを翻すと彼女はやけに軽やかに出て行った。 

 エルリフは、急に気がついた。違う、ずっと側に居てくれたのはイズーなのだと。

(一体、なぜ君が看病を? こんな時間まで、付っきりで……疲れてるはずなのに)

 せめて彼女の手を煩わすまいとエルリフは自分の頭をまさぐり包帯の結び目をほどいた。ばらり、と落ちた布は大きく朱に染まっていた。出血は止まっているようだ。

 布を、ぎゅっと掌に握りこむ。気絶している間すらも何かを考えていた気がする。

 魔鉄は血をまぜて作られ、血の持ち主の意志に従う……黒狼は、ドゥーガ湖にあった古代の鉄獣を元にゴルダが新たに造り上げたもの……はじめから、魔鉄だったということだ。

(そうだ! 魔鉄にはすでに古代の力が込められていて、それに、ゴルダの手でエルスラン様の血が新たに合金されたってことだ……)

 いったいいつの時代、誰が造った魔鉄なのだろう。

(問題は、形じゃない。魔鉄そのものだ。鉄の変成から変えないと……変えないと!)

 しかし錬金術師ですら音を上げたのだ。火も風も水も、アルハイル鋼すら効かない。

 火精の炎も、新燃料すらも。一体どうやったら変えられる?

(もう、何もないのか……ないのか! 父さん……)

 雷の中で朗らかに笑っていた父の姿が脳裏を稲妻と共によみがえる。あんな笑顔、生きてる時でも見たことがあっただろうか? あんな雷光の下で笑うなんて……


「…………!」


 いつしか手の中に埋めていた顔を、エルリフはゆっくり、ゆっくりと上げて、目を見開き、愕然としたあと、震えるほどの確信に打たれていた。

 水だらいと新しい包帯を手に戻ってきたイズーも驚く勢いで、ベッドから飛び降りた。

「ちょっと、どこに行くのよ、包帯頭! って、取っちゃだめでしょ、勝手に!」

「イズー! サンドールは? サンドールはどこにいる!」

「と、隣で寝てるけど? それがどう……ちょっと!」


 サンドール! と怒鳴り込んだ瞬間、ヒイィィっ! と悲鳴をあげて寝床から飛び起きた呪術師は寝ている時も頚甲を嵌めている始末であった。

「し、屍体?! 何だなんだ何なんだ、この一番いい眠りの時間帯を揺るがしやがって!」

「あんた、呪いは解けなくても雷は落とせる……そう言ったよな!」

 サンドールの胸倉を掴みあげ、がぐがくと頸甲を鳴らして揺さぶる。

「い、言ってねぇ……! 雷が落ちないように出来るって言ったまでよ!」

「つまり、雷が落ちそうな危険な状態にする条件も知っているってことになるよな?!」

「だ、だったらなんだってんだい! オレは明け方までもう一眠りしてぇんだ!」

「俺は、雷を落としたい!」

「あーあ。あんた、怪我でとうとう頭が……ひいっ、また血が垂れてるぜ!」

「石や金属は落雷で性質が変わることがある。ほんの一瞬でも、魔力、呪いそのものを消すか弱めるかできるかもしれない」

 追いかけてきたイズーもあっけに取られて聞き入る中、エルリフは、結論づけた。

「昔、太陽女神様は人間の鉄剣をなまくらにするのに雷を落とした。俺も、黒狼に雷を落としたいんだ!」

                   ※

「……なんということを、エルリフ殿。失礼とは存じるが……正気か?」

 謁見の間で披露された計画に、ダニーラですら呆然と、そう言った。

「いかれ鍛冶屋め! 昨日、わしのせがれに頭をボコボコにされよったからな!」

 ヴォルコフ将軍が唸り、エルリフをつまみ出そうと動きかけたその時であった。

 突如、広間に雲間から束の間のぞいた陽射しのように明るい笑い声が響いた。

 よりによってこの場で”笑う”とは……

 ダニーラを始め、親衛隊や近習たちは、その不届き者を探して視線を激しく巡らせ、同じ方向に行き当たり、ますます唖然とした。

 笑いだしたのは、玉座の上で少し身を屈めている王その人に他ならなかった。

 この場も誰も、ここ数年間、その笑い声を聴いた覚えすらないようだった。王の膝に口を閉ざしたまますがりついていたミーリュカすら、驚きの眼で主君を見上げている。

「鎚に、火に、水に……雷、とは。よくもまあ次から次にやってくれる」    

 誰が信じるだろう? 笑いながら言う、これが苛まれている当人の態度だとは。

 吹き消された蝋燭のように笑いを収めた王が、エルリフと目を合わせた。

 初めて会ったあの日から、一週間。王の憔悴ぶりは、心かきむしられるようであった。

 頬はいっそう痩せ、首は細り、より凄味を増した眼光は異界に通じる奈落穴のようですらある。一房だけ、漆黒の長髪に白いものが混じっている。先日までなかったものだ。

「サンドールが言うには、招雷術は天気を頼ることになるとのことです。雷雲が来たらお知らせ致します。俺の命を賭けます。どんなことになろうと、責任を取ります。俺以外の誰にも、あの二人にも、職人たちにも、決して罰をお与えにならないで下さい!」

 ダニーラが意見を挟もうと口を開きかけたが、身を引いた。王の決意の固さは、誰の目にも明らかだった。

「ゴルダの息子よ。鍛冶師とは鋼さながら、叩けば叩くほど善い仕事をするものだな」

 ミーリュカも、王の揺るがない覚悟を感じ取ったのか、さらに蒼白になる。

「ミーチャ、聞いたな。これで我らの眠りなき夜にも真の朝が来る」

 エルスラン王が玉座の肘かけごしにそっとミーリュカの頬に触れると、少年はその手に飛びついて接吻した。王はそのまま迷い子を護るように彼を引き寄せた。

 ミーリュカは、その腕にただ震えながらかじりつく。 

「余の願いは一つだけ。黒狼(あれ)の最後には余も立ち会わせること。アレクス、武器庫方の話をよく聞き、決行に備えよ」

 将軍も腹をくくったらしい。御意に! と拳を胸に当て、唸りながら退室していった。

 計画を了承したエルスランはエルリフ一人に向かって片頬をゆがめてみせる。

「ままよ。………ダニーラ!」

 突如呼びつけられ、はっ、とすぐさま御前にかしこまる義弟に王は目を細めた。

「余に事あらば、そなたが次代のカローリ」

「陛下、おそれながら……」

「まあ黙って聞け。他の”公”持ちどもが無用に騒ぎ立てぬように釘打たねばならん。此度(こたび)の実験の間、国璽をそなたに預ける。余の王国と、王宮にあるものもすべてが、突如そなたのものとなるやもしれん」

 さしものダニーラも、肩をわずかに揺らした。

 主君にして義兄を、ゆっくりと仰ぎ見る。怜悧な灰青の目が一瞬惑い、ミーリュカの、陽光を浴びたような青い目とかちあう。

「そんなことには、なりません! あ、あの、信じています、俺は、陛下のお強さを」

 エルリフは思わず割り込んだ。ダニーラが、我に返ったように眼光を消し去った。

 唇を引き結び凍り付いていたミーリュカは、亜麻色の頭をまた伏せてしまった。


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