第二章 黒の都<3>

 武器庫と呼ばれる建物は、むしろ宝物殿とでも呼ぶに相応しい構えであった。

 が、とてつもなく奇妙なものがそこにはあった。横倒しになった黒い巨大な装置が武器庫の扉を塞いでいる。巨大な二つの車輪、はずれかけた二本のアーム、あらぬ方向を向いた鋼鉄の巨大矢。縄……おそらく弦(つる)であったものが、垂れ下がって微風に揺れている。まじまじと、エルリフが見入ろうとした時だ。

「しまった、ここは通れなかったんだ。すまない、裏から回ろう」

 マントを払い、きびきびと方向を転じたダニーラにエルリフも慌てて着いていく。

「あ、あの、なんであんなところに弩砲が? 物凄く壊れてたし」

「ほう、さすがに目が利くな。二晩ほど前にひと騒ぎあってね。片づけろといったのに……これも急病人増加の弊害だよ」

 なにやら呑気すぎる答えだ。本気なのか、巧みにはぐらかされているのか。

 武器庫内部に通じる勝手口のような扉をくぐる。やがて広がった眺めに、息を呑んだ。

「うわあ……!」

 完全装備の甲冑一式がずらり、何十、いや、百領以上はありそうだ。鎖かたびらに細かな金属板を編み細工で結びつけた胴鎧、それに籠手や脛当て、滴型の優美な兜……繊細な金属打ち出しに流麗な紋様を描く細条細工、目にも絢な黒と金に輝く黒金(ニエロ)……あらゆる装飾技法で飾られた儀礼用甲冑の数々は、芸術品の域に達していた。剣や槍、弓などは数え切れないほどだ。ヴァルーシ王家の宝物のほんの一部だとしても圧倒される。

 ダニーラは若い職人の好奇心が満たされる頃合いを見計らったように告げた。

「我々が、君たち鍛冶に成し遂げてもらいたい仕事は奥の間に運び込んである。以前はここに一緒に置かれていたのだがな……」

 彼が指差す先には無骨な黒鋼の扉があった。輝く施錠鎖が唯一の装飾といえた。 

「大膳職殿もご帰還されたし、今は大丈夫なはず……だ」

 なにやら謎めいた言葉を呟きながら、ダニーラは鉄鎖でベルトに繋いでいた大きな鍵を取り出すと、錠前を外し、扉をあけはなった。

 冷気が闇の向こうから押し寄せる。エルリフは立ちすくんだ。

 はじめ、それは暗がりの中、軍馬用の馬よろい一式にも見えた。

 恐る恐る近づいてみるにつれそれ自体が黒い獣形であることが分った。

 巨大な「鉄細工」の獣がこちらを睨み付けていたのだ。

 体高は馬ほどだが、尾まで含めると全長は一回りほど大きいだろう。

 何よりも異彩を放つのは、頭部の巨大さだ。同じ黒い鋼が頭部をすべて覆い、喉元は竜の鱗のように何枚も鉄板が重ねられ、頭部の重量をしっかりと支えている。

 鉄の歯列を剥き出し、眼(まなこ)の切れ込みはこめかみに届かんばかりに鋭く、口はさらに長大で、何かをあざ笑っているように半開きになっている。尖った耳は繊細な打ち出し技法で再現され、その先端は渦巻き模様となってうなじへと続いていた。

「これは……いったい、何ですか……!」

「我々は鉄獣、もしくは暗に”黒狼”、と呼んできた……ウリンド河岸で東蛮王を敗走せしめた”ユーリクの獣“の正体、勝利の獣だよ。先代のザヴィツァ王がさる名工に命じて作らせた魔の兵器……もっとも、実戦で使われたのはエルスラン様の御代からだが」

「これが、動くんですか?!」

「鋼鉄の猟犬の如く、王の命令のみに従う。背中の背びれのあたりを見てみたまえ」

 エルリフは近づき、灯りを近づけてみた。、炎を模した蝶番がついているのに気がついた。胴体側面の部分の装甲を跳ね上げられるようになっているらしい。

「場合によってはここから乗り込み、移動手段とすることも出来る。陛下が以前洩らされた弁では、黒狼を操られる時、黒狼の“目”で風景が見えるそうだ。まさに魂も、身も人馬一体……いや、人狼一体となる。黒い鋼の獣が敵軍を蹴散らす様にヴァルーシの戦士たちは幾度も救われ、そして……畏怖した。残虐非道な東蛮の騎馬軍たちですら、悲鳴をあげて壊走したのを私もこの目で見た」

「…………」

「陛下は多くを語っては下さらぬ。しかし、戦の時は終わった。軍備の増強こそ怠られねども、もう“魔の兵器”は必要ない……そう申された。我ら将兵も、そう思っている」

「これを、俺にどうしろとお望みなんです? 陛下は……」

 ダニーラがまっすぐにエルリフを見下ろした。

「カローリ=エルスランは、こう仰せだ。黒狼を……この呪われた鋼をば溶かし、ユーリク神の聖像に鋳造し直し、新たなる国の守りとして崇めよ、と」

 エルリフは血の気が足りないような頭で、見るも巨大な“鉄細工”に再び目を向けた。

 砂鉄や鉄鉱石は、それだけでは使い物にならない。木炭と一緒に蒸し焼きにし、合金することで、銑鉄や鋳鉄と呼ばれる穴だらけのごつごつした黒い固まりに生まれ変わる。この段階ではまだ鉄は柔らかい。用途にもよりけりだが、溶鉄炉や高炉という高温装置でさらに加熱し、赤い粘液状になるまで溶かし、焼き入れをし、叩き、精錬し、不純物を取り除いていくことではじめて鋼(はがね)……人の手なるもっとも硬質な物質になる。それが道具や武器になるのだ。それこそが、鍛冶の技であり、自分の仕事だ。 

 鉄である以上、炎の力を借りて再び溶かせばいいだけの話だ。しかし……?

「呪われた鋼って、どういう意味です?」

「陛下が近頃、お伏せになっている理由だが。実はな……この黒狼めが陛下を差し招くのだ。お目覚めの時もお眠りの時も。そして、陛下もまた黒狼を求めて“ご乱心”あそばされる。そればかりか……陛下には時折、亡き王妃(あねうえ)の幻影が視えるようだ」

「そんな……」

「ヴァルーシ中からすでに何人もの鍛冶師が呼ばれ、解体し、打ちこわし、粉砕しようとあまたの手を尽くしては……失敗した。試みていられるうちは良かった。やがて狂気に陥る職人が続出してな。自ら炉の中に飛び込もうとしたり、焼けたやっとこで耳をつまんだり……二晩前の騒ぎというのも実はこれだ。ミーリュカが居ない間、陛下がまたご乱心めされた。真夜中に寝室を抜け出し、武器庫から黒狼を開放せんとなさり……近衛軍の勢力を結集しなんとか止めることは出来たが。まこと、妖しの力をのぞいてもなお並みの鋼ではない」

 そんな金属があるのか。普通の鍛冶屋が扱うものでは、ありえない。

「もはやレグロナ砲を打ち込むか川に沈めるかしかないという所だ。それだって、果たして効くかどうか。荒っぽい手段を取るのも気がかりだ。鉄に呪われた陛下の御魂がかえって危険にさらされては元も子もない。陛下は鍛冶こそが救いをもたらす、と信じておいでだ。エルリフ殿、そなたが失敗すれば陛下はいよいよ命の瀬戸際に立つ気であらせられる。ご聡明なる陛下はおのが狂王となることを断じて認めはしないのだ」

「ダニーラ様、俺は、武具師でもなんでもない、ただの野鍛冶です! 鍋とか、鎌とか……鉄の人形とか、何でも作ったけれど、そんなものしか……!」

 数歩後退ったエルリフを、ダニーラが微かな憐れみを込めた眼差しで追う。しかし、もしも逃げ出す素振りを見せれば直ちに剣を抜刀しかねない殺気をも秘めている。

 頭の片隅で、見せしめのクルーゼの躯(むくろ)が動き、エルリフを嘲嗤う。

 恐ろしい幻影を振り払っても、ダニーラの無慈悲なまでに沈着な瞳に回り込まれている。

「大丈夫。出来ずとも、殺されたりはしない。なにせ先王に命じられ、これを作り上げて献上した王認武具師は“人間”ではなかった。並みの技と技量でもって打たれた鉄ではないのだ。君も鍛冶なら、耳にしたことはあるかもしれない。ドゥーガ生まれの半妖人(フェヤーン)の、ゴルダという男で……エルリフ殿、どうかしたか?」

 ふらり、と真っ黒い獣の前に立ち、震えをこらえながら、見上げる。

「……触って、みても?」

 態度の急変に困惑するダニーラの前で、エルリフは、黒狼の首筋に右手を触れた。皮膚がはりつく感触、焦げる臭い。悲鳴を上げて倒れこんだ自分をダニーラが受け止めた。

「いかがした、エルリフ殿!」

 上半身を支えられながら、ずるずると座り込む。足腰から力が抜けてしまった。火傷の激痛に苛まれる右手を涙の滲む目で見る。皮が……いや、肉が剥がれたかもしれない。

 無傷のままの指先は激しく震えてはいるが見つめ続けても水膨れも変色もない。

 一方、困惑しきりだったダニーラが覚悟の色を見せた。片腕でエルリフを支えたまま手を伸ばし、黒狼の鼻面に触れる。数秒してから、手を引っ込めた。

「何も感じない。ただの冷たい鋼、だが」

「熱い……熱かったんです。ダニーラ様、俺……」

 エルリフは、帽子をむしり取った。ダニーラが目を見開き、君は……と掠れ声で呟く。

「半妖人、だったのか」

「……はい。俺の……俺の師匠、俺の父親も、ゴルダという男、でした……!」

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