カランの大勝負

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カランの大勝負

 貿易港スペルリア。世界中の富と品物が集まるとされる港町。

 その欲望の中心地であるカラン大賭博場カジノ

 《カランの至宝》と呼ばれる女支配人が管理するその賭博場カジノは賭金さえ持っているなら悪党だろうが浮浪者だろうが受け入れる。

 

 

 だから、その日の客がみすぼらしい男だったとしても案内人は特に驚きはしなかった。

 日よけのターバンに砂と埃で汚れた外套マント、赤みがかった黒髪と褐色の肌から砂漠の民だと分かるが、装飾品の一つもない様子から男の懐具合は伺い知れた。盛り上がった二の腕を見る限り、荷運びか何かの肉体労働者のようにも見える。

 しかし、案内人とってはどうでもいいことだった。彼が気にするのは面倒な客でないかどうかだけ。その道中に問題さえ起きないなら気にならない。

 

 

 普段ならば一度に数十人を案内するのが常なのだが、その日案内人の元に訪れたのは男一人だけだった。

 カラン大賭博場カジノとはスペルリア港から船で少しのところに位置する離島全体を指す。

 島の外縁は切り立った崖になっており、潮の流れの複雑な内陸湾からしか上陸することはできず、カラン大賭博場カジノは天然の要塞となっている。その為、島に入るにはスペルリア港から案内人の手で渡し船に乗るしか上陸する方法はない。

 

 

「これからカジノへご案内致しますが、その前に誓約書へ署名して頂きます。なに、難しいことはありません。一つ、賭けの結果は絶対。二つ、不正が判明した場合全財産を没収。三つ、賭けることができるものは島内にあるもののみ。何かご質問はございますか?」 

 


 男は少し思案して首を振ると、誓約書に署名した。

 案内人は内心息をつく。カラン大賭博場カジノへ向かうにはこの誓約書に署名をすることが必須なのだが、中には署名を嫌がる者も少なくない。特に富豪や権力者といった自分を上位者だと考えている人物ほどそういう態度が顕著だ。しかし、契約書に署名さえしてしまえばカラン大賭博場カジノに逆らえるものは存在しない。

 

 

 かつて手持ち以上のチップを賭けて勝負に負けた大商人は支店を全て乗っ取られ、大負けして踏み倒そうとした某国の王子はあわや王位継承権を失う直前まで追い詰められた。

 カラン大賭博場カジノにとって賭けの結果は絶対・・・・・・・・。そこには損得の勘定などなく、ただ「カラン大賭博場カジノを舐めることは許さない」という絶対の意思のみがある。誓約書第一項は伊達ではない。

 

 

「では、出発しますよ」

 

 

 スペルリア港から船が出る。

 欲望渦巻くカラン大賭博場カジノへと男を運ぶ船が出る。

 

 

        ∞

 

 

「お兄さん、景気づけの運試しにどうでしょう、一勝負」

 

 

 男が案内人に声をかけたのは船が出てすぐのことだった。

 天気は晴朗なれど波高し。だが通い慣れた航路なので、天候さえ穏やかなら、万が一も起こりそうにない。

 普段であれば客同士の世間話に耳を傾けて情報収集をするのが案内人の日課だが、客一人との相乗りとあっては流石に聞き耳を立てることもできない。

 

 

「こちらも暇を持て余していましたし、お受けしましょう」

「そうでなくては。といっても、島にはすぐ着きますよね」

「えぇ、道具も特にないですし、裏表コイントスでもしましょうか」

「そうですね……、こういうのはどうでしょう。島に無事着くことができたらあなたの勝ち。そうでなければ私の勝ち」

 

 

 案内人の眉がわずかに上がる。

 案内人は男の言葉に妙な引っ掛かりを覚えた。

 賭博師ギャンブラーにも色んなタイプが存在するが、大まかには二種類に分別される。「賭博ギャンブルは運」と考えているか、「賭博ギャンブルは実力」と考えているかだ。後者の場合、勝つためにありとあらゆる努力を惜しまず、賭博ギャンブルを必ず勝てる勝負にしたがる傾向にある。

 

 

 こういう不確定要素の強い賭博ギャンブルを仕掛けてくる手合は大抵何かしら企んでいるのが相場だが、それにしては賭けの内容がおかしかった。島に無事着くことができたら男の勝ち、ならまだ分かる。

 案内人の険しい表情に気付いたのか、男は邪気のない笑顔を浮かべて手を広げた。

  

 

「いや、ちょっとした願掛けみたいなものです。今日、私は大勝負をしにここまで来たのですが、無事に着くなら万全の状態で勝負に挑めるし、何かあっても最初の勝負に勝てるので縁起がいい」

「あぁ、つまりどちらにしても」

「私の勝ち、というわけでして」

 

 

 長らく人と関わる仕事をしていると、時折自分には理解できない種類の人間を見ることもある。

 案内人はこの男もその類の人種だろうと考え、深読みをすることを止め、男との賭けを楽しむことにした。

 

 

 

        ∞

 

 

「面白い男だったな」

 

 

 船はカラン島からスペルリア港へと進路を変える。船内に残るは案内人と船頭の二人のみ。大勝負に来たという男は笑顔で船を降りていった。

 賭けの結果は言うまでもなく男の勝ち。しかし、勝負に負けて試合に勝つ・・・・・・・・・・・とは思いもしなかった。

 

 

 凪いだ海とはいえ、晴朗なれど波高し。

 何事もなく船着き場までたどり着いたところで、一際大きな波が船を襲い、男は手荷物を海にさらわれてしまった。

 しかし男はあっけらかんとしたもので、不幸中の幸いだと笑って賭金であるコイン一枚を受け取って意気揚々と賭博場カジノへと向かったのだ。

 

 

「大勝負の前に銭失いとはツイてない。……いや、本来なら無一文のところが島内での最低賭金だけは手に入れた、と考えればむしろツイているのか」

 

 

 案内人のつぶやきに答えるものはなく、海鳥の鳴き声が一際高く鳴り響いた。

 

 

        ∞

 

 

 カラン大賭博場カジノは名に恥じない広さを誇っている。

 絵札カードダイス、小動物の競走レース場に、闘士ファイターたちが武を競う闘技場コロッセオまで備えている。

 その日の主興行メインイベント一角兎ハッピーラットの競走だったが、賭博場カジノの客は誰一人その競争を見ていなかった。

 

 

赤か黒かブランク・ブランカ?」

 

 遊技盤ルーレットに投じられた球が勢いよく盤を周り、ディーラーが開始の合図を出す。テーブルには数人の客が座っていたが、誰もがたった一人の賭けベットを待っていた。

 

 

ブランク

 

 

 薄汚れた外套マントを羽織った褐色肌の男は、手持ちのチップを全て赤に賭ける。

 おぉ、と周囲がざわめいた。そして、次々に他の客も男と同じ赤にチップを乗せていく。

 マナー違反ではあるが、ルールには違反していない。だから、ディーラーもわずかに眉尻を上げただけで怒りを抑え、ルーレットが止まる瞬間を静かに待った。

 

 

「……ブランク。二倍の払い戻しです」

 

 

 また周囲に歓声が沸いた。

 ディーラーは平静を装い、目の前の男を改めて観察する。生まれつきの色だけではない、よく日に焼けた肌。服装は貧相だが、よく見ればターバンからはみ出た髪はしっかりと油で整えられており、粗野な臭いも感じない。立ち居振る舞いなど細かいところを観察すると、それなりに教養のある人物だということが分かる。

 

 

 最初はただの冷やかしかだろうと思っていた。カラン大賭博場カジノでは誓約書にさえ署名するなら誰であろうと受け入れるので、物見遊山の旅行者や、給料が出たばかりの荷運び夫なども珍しくはない。そういう相手にはカジノの雰囲気を楽しんでもらうために簡単なゲームで遊んでもらうようにしていた。

 

 

 赤か黒かブランク・ブランカ

 遊技盤ルーレットのややこしいルールを全て無視して、赤か黒かの二択を選ぶだけの簡単なゲーム。唯一の例外ゼロは奇数回には赤、偶数回には黒とみなし、無効試合ノーゲームは設定されていない。

 

 

 そのゲームで、男は正解を的中し続けた。

 最初はコイン一枚。勝負に勝つと儲けたコインを全て賭け、二枚、四枚、八枚と倍々に増やしていく。素人がよくやる賭け方だが、大抵は十回もしない内にどこかで負けてしまう。しかし、男はすでに三十回近く連勝を続けていた。

 

 

 最初は男の賭け方を馬鹿にしていた同席者たちも、男が二十連勝を越えた辺りから恥も外聞もなく背乗りを始めた。

 ディーラーにそれを咎める術はない。

 男が不正をしているなら話は簡単だった。四方八方からテーブルを囲む同僚たちがすぐさまイカサマを暴いてくれる手はずになっている。しかし、いつまで経っても不正を暴く声はあがらなかった。

 

 

 すでにカジノの損失は冗談では済まない額になっている。

 しかし、男が不正をしていない以上、カラン大賭博場カジノにおいて賭けの結果は絶対。

 ディーラーの背に冷たい汗が流れたとき、その肩に救いの手が置かれた。

 

 

「だいぶ稼がれたようですね」

「オーナー」

 

 

 腿まで伸びた黒瑪瑙の艶髪は七色の宝石が嵌められた黄金の鎖で七房に束ねられ、豊満な肉体を三色のベールで包み隠す。

 絶世の美貌を飾るのは黄金が六割、宝石が三割。両腕と首筋に巻かれた紐飾り以外は全て一財産はするであろう宝物に囲まれながらも、彼女の美しさを霞ませるほどの魅力はない。

 

 

 店の奥から出てきたのはこのカラン大賭博場カジノを支配する女主人、《カランの至宝》ルシカ。

 ルシカはディーラーに労いの眼差し向けた後、すぐさま男を睨みつける。

 

 

「その豪運、素直に称賛致します。ですが、我がカラン大賭博場カジノがこの程度と思われては困ります」

「つまり?」

「いかがでしょう、貴方の儲けとこの島の全てを賭けて、私の勝負―――受けて頂けますか?」

「喜んで」

 

 

 突然の大勝負に観客が沸いた。

 

 

         ∞

 

 

「ルールはこれまで通り赤か黒かブランク・ブランカで構いません。……が、それでは観客の皆様も飽きたでしょう。一つルールを追加しても?」

「もちろん」

「では、こちらを使いましょう」

 

 

 ルシカが取り出したのは二枚の絵札カード。片方には黒の王、もう片方には赤の姫が描かれていた。

 その二枚をテーブルに伏せ、《カランの至宝》は妖しく笑う。

 

 

「まずは通常通り赤か黒かを選びます。その後、それぞれの色に置かれた絵札カードの絵柄で勝敗を決める、というのはどうでしょう」

「つまり、遊技盤ルーレットで勝っても絵札カードで負けるかもしれない、というわけですね」

「その通り」

「……絵札カードの強弱は?」

「そちらが決めて構いませんよ」

「では、《カランの至宝》に敬意を表して、姫が勝ちとしましょうか」

 

 

《カランの至宝》と呼ばれるルシカの半生は苦難の連続だった。

 幼い頃に生まれ故郷を滅ぼされ、異国の港町にて奴隷商に売られた少女は、血と屍の階段を昇ることで成り上がり続けてきた。時には妖艶に、時には冷酷に、そして手に入れたのがカラン大賭博場カジノだった。

 帰る故郷の無い少女にとって、それは唯一の守るべき場所。賭博場カジノをのために、ルシカは己の全てを費やすと決めた。

 そして、カランを失う時は自分の人生が終わるときだと考えていた。

 

 

 ルシカは目を細めて遊戯台ルーレットの球を持つ。

 そして、勝利を確信したかのように目を見開き、盤を勢いよく回転させた。

 

 

「では、投じます」

 

 

 息つく暇もなく盤上に球を投げ入れ、その間も男が妙な動きをしていないか鋭い目線で睨めつける。

 対して、男は悠然と一枚のコインを手に取り、数回指で弾いてから掌で受け止めた。

 

 

赤か黒かブランク・ブランカ?」

ブランカ



 ルシカの言葉に男は迷いなく答え、コインを黒のエリアに置かれた絵札カードに乗せる。

 その視線はまっすぐとルシカを見据え、口元だけはこれまで同様柔和な笑みを浮かべたまま。



「大した自信ですね。本当にブランカでよろしいですか」

「えぇ。私はこの手の遊戯ゲームで負けたことはないので」

「あら、奇遇ですね。私もこの手の遊戯ゲームにでは負けたことがないんです」

 

 

 カラン大賭博場カジノでは過去にも大勝負が行われたことがあるが、ルシカが負けたことは一度もない。

 カジノの経営権、妾への誘い、カラン島という天然の要塞、それらを賭けた勝負全てにルシカは勝利してきた。

 

 

 ルシカは大きな賭けであればあるほどシンプルな遊戯ゲームを好む。ある時は裏表コイントス、ある時は赤か黒かブランク・ブランカ。特に二つの内一つを選択するようなルールでは無類の勝負強さを誇った。

 稀代の美貌、勝利の女神、カラン島に座する者、すなわち《カランの至宝》。

 

 

 銀の球が盤上を滑り、結末を告げる音が鳴り響く。

 男が、ルシカが、観客が、その場にいた全ての人間が固唾をのむ。

 

 

ブランカ

 

 

 男の勝ち、いやそうではない。

 本来ならこれで終わり。しかし、このゲームはまだ続きがある。

 

 

 ルシカは静かに赤のエリアに置かれた絵札カードをめくる。そして、その模様を対面に座る男に開示した。

 そこに描かれていたのは、高らかと長剣を掲げる恰幅のいい王の姿だった。

 

 

「私の負け、ですね」

 

 

 オーナー、と護衛の一人が声を上げたが、それをかき消すほどの歓声が周囲から沸き起こり、カラン大賭博場カジノ史上最高潮の熱気が場を包む。

 ルシカは静かに賭けの結果を受け入れ、己の全てが空になったと感じた。

 

 

 ルシカは勝利の加護・・・・・を持っている。何かを選択する時、その加護は常に正解を教えてくれた。今日も加護の直感に従い勝負を仕掛けたが、その結果は初の敗北。

 これまで奪われてばかりの人生だったが、ついに加護にまで見放されたか、とルシカは自分自身を嘲笑った。

 

 

 他人から見たら成功者と呼ばれる人生だったのかもしれない。しかし、ルシカは望むものを手に入れたことは一つもなかった。カラン大賭博場カジノですら、生き残るために必死で勝ち取っただけの、ただのガラクタ。

 そのガラクタを宝物だと自分を騙し続けなければ、ここまで生きることはできなかった。でも、そんな無為な人生も今日で終わり。 

 


 ルシカはカラン大賭博場カジノの誓約に一度だけ背こうと、袖に隠していた短剣に手をかけたところで、ルシカを負かした男がその片腕を捕まえた。

 

 

「賭けの精算といきましょうか。これで私はこの島の全てを手に入れたということですね」

「……えぇ、おめでとうございます」

 

 

 がっしりとした、しかし温かみのある大きな手。

 かつて故郷の村で幼馴染の少年に手を引かれて遊びに出かけた記憶がふと蘇り、ルシカは自分にもそんな思い出があったことを今更ながら思い出した。


 観念したかのようにルシカの全身から力が抜けたことを確認すると、男は片膝をつき、カラン大賭博場カジノ中に響くほどの大声で言葉を発した。

 

 

「それでは、この島をあなたに捧げます。どうか私と結婚して頂けないでしょうか。結婚指輪はここ・・に」

 

 

 その宣言に、カジノ中の人間が首を傾げた。

 ルシカが賭けたのはこの島の全て。その中には当然ルシカ自身も賭けの対象となっている。

 男はカラン大賭博場カジノだけでなく、ルシカすらも手に入れたのに、なぜ求婚というまどろっこしい手段を取るのか。

 

 

 更に、二人に近い距離にいた観客は誰もが同じ疑問を頭に浮かべた。

 男の手には装飾品の一つも飾られていない。すなわち、一体どこに指輪があるというのだろうか。

 

 

「冗談はおよしになって。あなたは私を含めて全てを手に入れたのです」

 

 

 男は膝をついて俯くルシカの腕を取り、腰を抱えて抱き起こした。

 

 

「そちらこそ冗談は止めてくれ。君の心を手に入れるには世界一の指輪が必要だと知ってる。だからわざわざこの島を手に入れた」

 

 

 その言葉に、観客の数人が「あっ」と声を上げて男の言っていることを理解した。

 カラン島は外縁部が切り立った崖になっている円状の島であり、内陸湾も外縁部に沿うように丸く広がっている。

 もし鳥のように空から島を見下ろせば、それはまさに、世界一大きな指輪・・に見えることだろう。



 その言葉に、ルシカは幼い頃の他愛ない冗談を思い出した。

 故郷の友人たち、その中でも特に仲のよかった男の子が花の指輪をプレゼントしてくれた時、照れ隠しにこう言ったのだ。

 「わたしとけっこんしたいなら、せかいいちおおきいゆびわじゃないといやよ」と。

 


「あなた、まさか……」

「おまたせ、セルシカピア。迎えに来たよ。どうか私と結婚して頂けませんか」

「えぇ、……喜んで」


 

 後にカランの大勝負嫁取りと呼ばれ、貴族の令嬢から田舎の村娘まで、誰もが一度は憧れる恋愛譚はここで終わる。

 この恋物語は、その知名度の割にルシカの夫となる人物の正体は不思議なほど伝わっていない。

 

 

 曰く、某国の王子である。

 曰く、流浪の英雄である。

 そのどれもが想像の域を越えたものではなく、ルシカ自身も生涯夫について詳しく語ることはなかった。

 

 

 ただ一つ、幼い頃離れ離れになった幼馴染だったのではないかという侍女の言葉に対しては否定も肯定もしなかったという。

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