episode 9 活路
全身全霊を以て行われる、死地への突撃。
愚かな行動。
無謀な死にたがり。
馬鹿な命知らず。
――臆病者はこぞってそう言うだろう。
だが彼女はそれが最善策だと判断したのだ。
その判断に根拠は無かった。しかし彼女の持つ勘が、そうするべきだと告げていた。
そう、いつの時代も、死地を潜り抜けるのは二種類の人間だけだった。手傷を恐れて逃げに徹する臆病者か、血反吐を吐き散らしてでも矢面に立ち続ける豪傑だ。
そしてどうやら、宇多川 麗華は後者に属するようだった。
彼女が後退という意思を捨てた瞬間――。
――それ即ち背水の完成を示し、敵対者は熾烈な戦闘を強いられるだろう。
麗華は疾走を開始するとほぼ同時、水中からの『デスロール』発動による推進力で、僅かに宙に浮いたクロムダイルの真下を目掛けて大きく滑り込んだ。
「あっ……ぶねぇ!」
目論見は見事成功し、紙一重での回避が成功した――その時、ほんの
それはスライディングでクロムダイルの腹部を通過した時だった。
(こいつ――土手っ腹には鱗が無いのか……!?)
そう、あの全力の殴打にもびくともしない硬い鱗を持つクロムダイルだが、腹部にだけは鱗が無いのだ。普段は地面を這っている為、弱点なり得ない部位なのだが、今の状況となれば話が違う。
(弱点を突けるのは……今しか……!)
彼女は細かく考えるより先に、体を動かした。
この好機を逃せば、恐らく、次は無いから。
超人的な集中の中、極限まで引き延ばされた体感時間。
彼女は常識外れの反射神経で、クロムダイルの腹部を視界に捉えた。
そして両腕と左足を以て自らの身体を押し上げ、残る右足で脆弱な腹部を目掛けて強烈な蹴り上げを繰り出した。
万全な体勢からの一撃でなかったため、満足な威力は出なかったが、完全な意識外からの、明らかな弱みへの攻撃――効果は抜群だった。
クロムダイルは苦しげに大きく身体を退け反らせ、安定を欠いた状態で『デスロール』を解いてしまった。気力による推進力を失ったクロムダイルは、回転の慣性を残したまま落下し、コンクリートの地面へとその頭部を強打。勢いが収まることなく、地面を大きく抉りながら横滑りしていき、やがて壁面へと全身を打ち付けたのだった。
「グルゥ……」
ここにきて、クロムダイルは初めて呻き声をあげた。
まともな一撃を貰ったのは、久しく無かったのだろう。苦しみの滲む呻きであった。
「見事だ、主」
「はっ、ぼさっとすんな、まだ来るぞ」
麗華の見せた、華麗なまでの一連の流れを受け、カリスタは思わず称賛の言葉を送った。彼女は笑みを見せながらも、その眼は未だ変わらずにクロムダイルを標的に捉えていた。
――一方、麗子とは対照的に、クロムダイルの眼は変化を見せていた。
これほどの痛手を与えられたのは、本当に久しぶりだった。
クロムダイルの眼が、怒りで赤く染まる。
今までは獲物としか見ていなかった者たちを、自らを害する明確な“敵”として判断したのだ。
クロムダイルは、静かに全身に気力を巡らせ、『肉体硬化』を発動させた。
体表を覆う艶のある濡羽色の鱗は、みるみる内に
更に弱点であったはずの腹部も硬化の対象であり、付け入る隙さえ与えない、難攻不落の要塞をその身に体現しているかのようであった。
「更に硬くなったか。どうする、主よ」
「なら倍殴る」
カリスタの問いに単純明快に答えた麗華は、一も二もなく飛び出した。
そんな命知らずな主だが――カリスタはいつしか、慣れてしまったようだ。
「承知した。援護する」
カリスタは自らの四肢に闇を纏わせ、麗華に併せて疾駆する。
その速度は一時的に麗華を上回り、先に走り出した麗子に追い付いた。
そして真正面からクロムダイルに肉薄し、身体を丸めて大きく跳び上がる。
同時に、背中から尻尾の先端にかけて、鋭利な刃を模した闇を術力全開投入で噴出させ、その推進力を以って縦方向の回転を加えた。
「刃よ、通れ!」
――それは、回転斬りであった。
闇の噴出は想像以上で、カリスタの五体は車輪が如く回転していた。
そのような闇の出力で、且つ『ジャイアント・キリング』の条件には絶好の大きさのクロムダイルに斬りかかったとすれば――得られる結果は目に見えていよう。
「グルゥォ……!?」
突如クロムダイルの目の前に飛び込んだ、
それは恐るべき勢いで肉薄し、正体不明の斬撃を放った。
クロムダイルの鼻っ端から尾の先をなぞるようにし、堅牢な鱗さえ物ともせずに、切り裂いたのだ。
クロムダイルは、何が起こったのか理解不能であった。
理解不能のまま、切り刻まれた。
――数体の二足歩行をする蜥蜴の全力の猛攻に傷一つ付かなかった身体が。
――下層の強大な魔物からでさえ、あまりの頑丈さに忌避されるような自分が。
こんな矮小な者共に……?
「余所見すんな、歯食いしばれ」
自らの誇りそのものであった鱗を断たれた事で頭がいっぱいだったクロムダイルは、前方に迫る脅威に気付けなかった。
そこには、『鞭』をまともに喰らってもなお平然とし、意趣返しと言わんばかりに腹部に強烈な蹴りを入れてきた人間が、右手に握り拳を構えていた。
――大丈夫だ。こいつの拳は初手に受けたが、大した威力ではなかった。
しかも今は『肉体硬化』を使っている。
今更そんな攻撃で、怯むような……。
「――『不殺の型』」
――突如、衝撃。
クロムダイルの脳天に、思わず意識を手放してしまいそうになる程の堪え難い衝撃が加わる。
その一撃はどう考えても、ただの人間の打撃が与えることの出来る威力ではなかった。
「皆殺は殺傷特化……でも中には、お前みたいに端っから攻撃の通らない、馬鹿みたいに硬い奴もいるみたいだ。じゃあどうしようかってなった時――無力化に特化してる不殺の方が、こういうケースは向いてるらしい」
彼女は誰かに教えられるでもなく、ただ己の感覚のみで『不殺の型』の持つ隠された力に気付いたのだ。即ちそれは――。
「――防御無視。お前みたいなの相手じゃこっちのが効くっぽいな」
それは、殺しはせず、意識を奪う事に特化した故に、副次的に齎された結果であった。
殺さないという事は、詮ずるところ外傷を与えないという事。
更に外傷すら与えずに無力化を可能とする事は、与えるダメージはその対象の堅固さ――つまり防御能力に依存しないという事だった。
「もうちょい早く気付いてれば、テメェに一発貰わずに済んだな……まぁ過ぎた話だし、さくっと締めるか」
既に意識が飛びかけているクロムダイルを尻目に、麗華は再び鬼力を満たし、同じ構えを取る。
「安心しろ、ちょっと寝てる間に全部終わってる」
再度、熾烈な衝撃。
一発、二発、三発と、執拗なまでに攻撃を加え続けた。
クロムダイルの硬い鱗も、『肉体硬化』も、『不殺の型』の前ではなんら意味も持たず、防御性能故の鈍重さが仇をなしてロクな回避行動も取れないでいた。
麗華の隕石の落下のような連打は十数発続き、いつしかクロムダイルの意識を奪い去っていた。
しかしながら、『不殺の型』の効果によって完全に殺しきった訳ではない。麗子はクロムダイルのこめかみにめり込んだ拳を引き抜き、カリスタにバトンタッチをしたのだった。
「あとは頼むわ、鮮度落ちるから一撃で締めろな」
「それは魚類だ」
カリスタは闇をするりと伸ばし、術力を込めて物質化させていく。
創造するのは、長く、硬く、また鋭利な針。
金属さえも、易々と貫くような。
カリスタはそれをクロムダイルの眉間に突き立てると、ぽつり呟いた。
「――昨日までバッタ相手に逃げ回ってたような小鼠が、今や巨大鰐すら喰らう闇鼠か」
「はっ、別に悪い気分じゃねぇだろ?」
カリスタの心情からくる独白を、一笑に伏すようにしてみせる麗華。そんな彼女の問いに、カリスタは一呼吸置いてから答える。
「まぁな……その、なんだ。主、こんな俺を拾って貰ったこと、改めて感謝する」
「礼なんて良いよ水臭い。私も結構助けられてっから、ウィンウィンじゃん? ……あ、そうだ鰐の解体頼むな」
「それはそれで話が違うぞ、主」
面倒ごとを一方的に押し付けられそうになったが、カリスタは然程満更ではなかった。
矮小な身体に生まれ、同胞からは無能と蔑まれた自分だったが、今や仕えるべき主を得た。それも
自分を必要とし、頼りにし、また扶助するような、随分と変わった主である。
手っ取り早く戦力を整えるのであれば、このクロムダイルを引入れてしまうという選択肢も取れるはず。しかし彼女はそれを敢えてしないのだ。時々頭が足りぬ場合もあるが、そういった手段が思い浮かばぬ程、我が主は馬鹿ではない。
自分から言わせれば、頭数が不足している現状、それは愚行でしかない。――否、ひょっとすれば彼女の持つ
それでも――それでも、そんな無邪気とも、馬鹿正直ともとれる彼女の奔放さが、どうにも嫌いにはなれなかったのだ。
(――全く、良く考えても奇妙な縁だな)
記憶喪失・出生不明で魔王とやらと不可解な繋がりを持った人間と、ドブネズミよりはマシレベルの名無しの雑魚鼠の巡り合わせ。
世の中、どこにチャンスが転がっているか、案外分からないものである。
(――カリスタ、俺は、見つけたぞ。偽りのない、本当の拠り所を……)
今は亡き友の名を背負い、彼は前に進もうとしていた。
彼は、突き立てた闇を以って、クロムダイルの眉間を刺し貫いた。
……その矢先、ついにその瞬間が訪れた。
◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇
個体名【カリスタ Lv20(max)】
種族名【屍喰鼠】は成長限界に達しました。
進化条件を満たした種族を開示します。
【切裂鼠】
闘力:D 魔力:E 潜在:D
【窮鼠】
闘力:E 魔力:E 潜在:B
【シュヴァルツ・トーポ】
闘力:E 魔力:C 潜在:C
【
闘力:C 魔力:--- 潜在:F
【黒死】
闘力:D 魔力:C 潜在:C
◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇
カリスタが夢にまで見た、『進化』の時だった。
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