episode 8 食うか食われるか

 二人は、ただひたすらに下層を目指した。

 その道のりはひどく静かで、水のせせらぎと二人の足音のみが静寂の中で木霊する。

 麗華が一撃で葬り去った戦王鼠ドフの配下との遭遇以降、魔物との接触は無かった。


 上層の魔物は、凄まじいペースで戦王鼠ドフの息がかかった鼠たちによって駆逐されているようで、見掛けるのは無残にも食い尽くされた死骸のみであった。


 それを尻目に麗子は口を開いた。


「はぁ……いい加減腹も減ってきたな」


 たらふく獲物にありついているであろう鼠たちに思いを馳せながら。


「文句言うな――と言いたいが、そればかりは同意だ。前は俺でも狩れるような動物もそれなりに居たが、それさえも狩り尽くされているようだな」


 そう、現状の問題は食糧に他ならなかった。

 短時間で大きく成長を遂げたためにエネルギーを消費したのと、長距離の移動も相まって、二人の腹の虫は今にも暴れ出さんとぎゅうぎゅうと喧しく騒ぎ立てていた。


「こんなことならリザードクロウとか食っときゃ良かったなぁ」

「主、あれはやめておけ。前に屍肉にありついたことがあるが――あまり思い出したくない」


 余程不味かったのか、ひどく項垂れながら「歯が立たないとはあの事だ」と付け足した。曰く、無理に噛みちぎろうとしたら、肉が硬すぎて顎が外れかけたという。

 それを聞いた麗華は、殊更な落胆ぶりをみせた。

 何ならもうそれでもいいから、来た道を戻って食って来ようかと本気で思い始めた。


「どっかに寿司でも落ちてねぇかなぁ」


 過去の記憶は夢幻の彼方だが、食い物の事は厭でもぽんぽんと思いつく。それも、こんな世界では絶対に口にできないであろうものばかり。


「ステーキ食べたい……ハンバーガー食べたいぃ……ケーキもラーメンもカレーもアイスも……」


 叶わぬ欲望ばかり募る一方、みるみる腹は空いていく。

 そんな時だった。


「お、おいカリスタ。あれ食えそうじゃね?」

「いや、正気か?」


 彼女の視線の先には、全長にして大人三人分はあろうかという巨大なワニが、水中にて潜伏していた。だがしかし、巨大ワニの視線も確とこちらを向いており、その目は明らかに獲物を狙う目であった。


「主よ、腹が減りすぎて捕食者と被食者を間違えてるぞ。この場合、向こうが我々の事を食えそうだと判断するべきだろう――というかきっとされている」


 長らく強者に怯えながら、隠密生活を送ってきたカリスタには、手に取るように理解できた。あれは、自分たちを狙っている目をしていると……更に言えば、数日何も口にしておらず、かなり気が立っているという事まで分かった。

 ギラリと覗かせる鈍色の牙は、今までに数えきれない程の獲物を屠ってきた事を容易に想像させる。


「関係ねぇ。この世は食うか食われるか、だ」

「人間に、本当の意味でそれを言われるとは思いもしなかったぞ」


 麗華はまず『皆殺の型』を発動し、全身に鬼力を巡らせる。瞬く間に真紅のオーラが全身を覆い、臨戦態勢を整えた。

 次に巨大ワニを注視し、ステータスを確認する。


「開幕は敵勢調査が基本だよな」

「主よ、よく分かってきたな。その調子で無謀な戦闘は避けるようにしてくれ」

「はは、ご冗談を」

「いや冗談じゃないが」


 ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇

【 クロムダイル Lv.32】

闘力:137 魔力:68 戦力:169


体力:C 筋力:C 俊敏:F

気力:D 術力:− 知力:E


『噛みつき:★★★』『デスロール:★★☆』

『暗視:★★☆』『鋭牙:★★☆』

『肉体硬化:★☆☆』『遊泳:★☆☆』

『鞭:★☆☆』『鈍重:---』


解説:迷宮の下層に潜む、金属と見紛うほどに硬質の体表を持つ鰐の魔物。並外れた咬合力と硬さに加え、肉体を硬化する能力も持つ。代わりにその身は重く、動きも遅い。

 ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇


「概ね見た目通りのステータス――それよりも、解説からすればここはもう下層らしい」


 麗華はそう呟き、ゆっくりと歩み出す。

 そしてカリスタに向けて言った。


「いつも通りだ。私が引きつける間に一撃かましてやれ。デカイ相手は得意だろ?」

「そうだな――主もせいぜい派手に暴れてくれ。得意だろう?」


 カリスタは皮肉のつもりか、麗子の言を借りて茶化すようにそう聞いてみせた。

 すると麗子は一笑の後、視界内にクロムダイルを捉えながら言う。


「得意なんてとんでもない――」


 体勢を屈め、地に着く足に力を込める。


「――専売特許だ」


 麗華は踏み込み、何かが爆ぜるような音がした。

 次の瞬間には彼女はそこに居らず、固いコンクリートに刻まれた彼女の足跡のみが残っていた。

 彼女は一跳びでクロムダイルへと迫り、勢いを殺さぬままに拳を突き出した。


 鈍重なクロムダイルは一切の身動ぎを許されぬまま、麗華の全身全霊の一撃の餌食となった。


 ――はずだった。


「……っ!? 固ってぇ……!」


 鼠の頭蓋をも打ち砕いた麗華の殴打は、クロムダイルの堅牢な体表にダメージを通す事が出来なかった。

 それどころか、その硬すぎる鱗に拳が傷付けられ、逆に攻撃を加えた方が血を流す羽目になっていた。


「くっそ……っ!」

「横だ構えろ!」


 予想外の事態に気を取られていた麗華は、自らの身に迫る脅威に気付いていなかった。半身を水中に埋めていたクロムダイルが、遂にその重い身体を持ち上げたのだ。

 カリスタは声を荒げ、喚起する。


 ――クロムダイルの尾は、今の今まで水で隠れて見えていなかったが、非常に長く、また先端はまるで鉄球のような形状をしていた。

 常軌を逸した硬さ、弩級の重量、するりと長い尾。その三つの要素が掛け合わさった『鞭』が放つ一撃の持つ破壊力は、凄まじいものだった

 しなる尾の先端が、麗子に迫る。


「やばっ――」

「主ィ!」


 刹那、それは麗華の腹部に直撃し、ろくな抵抗も許されぬまま打ち飛ばされる。

 その身はくの字に折れ曲がり、ほぼ水平に吹き飛んでいった事から、クロムダイルが放った攻撃の衝撃力が窺えた。

 麗華は凄まじい勢いのまま吹き飛ばされ、今に壁に全身を打ち付けられそうになった。


「――っ、間に合えっ!」


 その寸前、カリスタは術力を闇に全力で注ぎ込み、麗華の衝突予測地点に薄い闇の膜を多重展開し、彼女を受け止めて衝撃を緩和するクッションを顕現させる。

 結果、衝撃を殺す事に成功し、彼女の身にかかるダメージを最小限に抑える事に成功した。


「悪ぃ、しくじった……!」


 幸い、戦闘不能になるほどの痛手は負っていないようだった。


「主、まだ動けるか?」

「げほっ、おかげさまで。お前が言ってくれなきゃ、型の切り替えが遅れてお陀仏だったわ」


 あの一瞬、麗華はカリスタの促した注意に即応し、型を攻撃特化の皆殺から比較的防御寄りの不殺へと切り替えていたのだ。不殺の型も、皆殺と同様に鬼の気力で強化されていたようで、防御性能もそれに準じて上昇していたらしい。

 しかしそれでもカットできたダメージはたかが知れており、彼女の身体は未だ激痛に疼いていた。

 だが麗華はなんとか身体を起こし、体勢を再度整えた。


「しっかし、なかなかやるなこいつ。これが下層のレベルってやつか」

「あぁ、戦略も今までの流用では駄目だ。魔物ごとに性質を見極めていく他あるまい――来るぞ!」

「おちおち会議なんてさせてくれなそうだな」


 追撃と言わんばかりに、クロムダイルが大口を開け、全身を回転させながら猛進してくる。その動きは『敏捷:F』と思わせない程疾く、巻き上がる水は荒れ狂う水流と化していた。


「ちっ、これが『デスロール』かよ……!」


 鈍重な肉体をカバーし、更には武器とする強力な能力――麗華はそう感じた。クロムダイルのような堅固で重い巨体でこんな能力を使えば、例え顎の餌食にならずとも、身体に掠っただけでも致命傷であろう。


 ――通路は狭い。

 今から後退の動きを取っても、既に速度が乗っている『デスロール』に追いつかれてしまう。水路に逃げようにも、それはわざわざ相手のホームに飛び込むようなものだ。

 ともなれば、彼女の考える選択肢は一択であった。


「来いよ、相手してやる」


 滾る、鬼の気力。

 麗華が取った行動は、単純シンプル

 クロムダイルが放つ『デスロール』に対しての全力の突貫であった。

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