episode 4 カリスタ
鼠の目覚めは実に静かだった。
流水の音が木霊する暗き地下水路にて、彼は醒めた。
「っく、俺は……」
全身に負った裂傷が疼きを上げる。
が、動けぬ程ではない。
彼は体を起こし、周囲の状況を確かめた。
「やはり、届かぬか」
目の前には、無残にも肉を貪られ、骸と化した大蜥蜴だったものが転がっていた。狂った、いや、狂わされた同胞達によってやられたのだ。
あの、地底奥深くより出でし“敗軍の将”の手によって。
「――忌々しい」
彼は、か弱き鼠らしからぬ、鋭き眼光を睨め放つ。その怨嗟満ち満ちる眼はもはや、一点しか見つめていなかった。
――
奴を始末する為なら、何だってする。
そう彼が全身に滾らす信念で、身を打ち震えさせたその時。
「起きたか、ねぼすけ」
背後に響くは、良く通る艶かしい声音。
その声には聞き覚えがあった。
死を覚悟した際、遠くから聞こえてきた声だ。
確か、助けてほしいか、と。
「どうやらお前は私の配下になったらしい」
「俺が、お前の」
「ん、そう」
その正体は、人間の女性だ。
だが何かが違ったのだ。纏っている空気、雰囲気、威容――どれも鼠の知っている人間とは一線を画していた。
人間なら地上で見たことがあった。
全身を武装し、手には石粒のような鉄塊を連続で、そして高速で撃ち出す珍妙な武器を持っている連中だ。
地上では魔物よりも数が多く、地上においての生存圏は人間が支配下に置いていると言って良いだろう。
魔物に対する防衛手段も完全なるもので、迂闊に地上に出ようなら、即刻蜂の巣にしてくる、そんな奴らだ。
しかし、目の前の女は全く以って異質。
どちらかと言えば、性質は魔なる者に限りなく近い。
かと言って魔物かと言われれば、違うだろう。それよりもっと崇高と言うべきか、尊ぶべきもの。
それこそあの
「ところでさ」
麗華は、名もなき小鼠に問う。
「届かないって、何のことだ? 身長の話じゃないよな」
目覚めてからの第一声に、鼠が独りごちった言葉の真意を彼女は確かめたかったのだ。
「――鼠の王に、だ」
「見えてこないな。どういうことだ?」
「あの蜥蜴は、俺が嗾しかけた。肉弾戦では惰弱な王――尤も、俺程度では手も足も出ないくらい強いが、ここの階層では力のある部類に入る奴なら、王を討ち取ることも或いは、と思った訳だ」
鼠は、「結局、失敗に終わったがな」と、自嘲するように付け足した。
「しかし、どうやってだ? 仲良しになったわけじゃあるまいに」
「方法なら色々ある。注意を引いて誘き寄せたり、逆に鼠の王を誘導したりな。だが今回は蜥蜴の性質を利用した。奴は一定以下の大きさの生物は獲物として見做さない。だから接触し、交渉した。まぁ頭の切れる種族じゃないからな。そう苦労はしない」
鼠はそう豪語してみせた。それも、何事でも無く、ごく当たり前のことかのように。そんな彼の言を聞いた麗華は、半ば呆れるふうに言った。
「お前、案外肝座ってんのな」
「そりゃあな。こっちだって死にもの狂いだ」
麗華にはいまいち釈然としない節があった。
――何が彼をそうまでさせるのか。
一体、何の理由があって彼を突き動かしているのか。
単純な話で、戦力差は歴然。勝てる道理がないのである。
だがこの矮小な鼠は、自らの身を犠牲にするのも厭わず、あの
寝覚めに放った怨嗟の言葉から、並々ならぬ恨みがあるようにも思える。
しかし、麗華はそれ以上追求はしなかった。
聞けば答えるのだろうが、そこまでして問い詰めるのは野暮というものだ。
何より、この鼠の怨恨など、彼女からすれば一切存ぜぬ話――言ってしまえば無関係であった。
だがそれでも、“何かある”のは火を見るよりも明らかである。
鼠が麗華に下ったのも、命を乞うたのも、きっとあの王に一矢報いるのが主たる目的なのだろう。
しかし、麗華はそれでも構わないと割り切ることにした。
自分は鼠の力を欲し、鼠は回生を望む。
主従の信頼こそ未だ有らずとも、利害の一致による結束は存外に固いものだと、彼女は了知していたのだ。
それにいずれ、奴とは再び相見えると彼女の直感が告げていた。
後のことは後。
焦ったところで付け焼き刃程度しかモノにならず、結局二の舞三の舞である。
今は眈々と、力を蓄えるべき時なのだ。
鼠も馬鹿ではなく、今がその時でないと理解しているようで、今はこの人間について行き、時を伺う事にしたらしい。
「妙な縁だが、頼むぞ。主」
「ん、私を守れるくらいの力は付けろよ」
「――そうは待たせない」
主従らしからぬこの関係は、鼠に不思議と居心地の良さを与えたのだった。
◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇
蜥蜴の骨に残った微かな肉片をしゃぶって腹の虫を諌めながら、麗華らはステータスを照らし合わせ、今自分たちに出来ることを探っていた。
鼠の食べ損ない故、雑菌等の心配もあったが、背に腹は代えられなかった。
「そういえばさ」
六本目の骨をぴかぴかになるまで舐め上げたとき、唐突に彼女は切り出した。
「お前、名前なんつーの? てかあんの?」
「――まぁ、あると言えば、ある。単に呼ばれてた渾名みたいなものだが……」
鼠はすっぱりしない、何とも歯切れの悪い反応を見せる。
「同族に――というか、まぁアレだ」
「はっはーん、女か」
「茶化すな」
表情の読み取りにくい鼠の顔でも、はっきりと分かってしまうくらい不機嫌そうな顔付きになった。
「で、なんて呼ばれてたんだよ」
「――カリスタ。意味はない」
「へぇ、カリスタねぇ」
麗華は「お前全然カリスタ顔してねぇな」と笑い飛ばすと、鼠――カリスタは、殊更へそを曲げてしまったのだった。
「で、その彼女さんは今どこにいんのよ。合流しようぜ」
「……それは」
――無理。
カリスタは静かにそう呟いた。
「
事情を察した麗華はバツの悪い顔をし、非礼を詫びる。
「……っ、悪い」
「気にするな。あいつは俺と同じで体が小さかった。遅かれ早かれ、殺されてたことには変わりはない」
カリスタはそう気丈に言ってのけるが、語気の陰に憤りを隠せずにいた。
麗華はつるぴかになった骨を放り、紫煙を燻らせた。カリスタの抱く憎しみの底は推し量れないが、悲しみは手に取るように理解出来た。
煙を深く吸い込んで、肺に落とし込む。
喉にまとわりつくヤニのように、そう簡単に拭い去れるものではきっとないのだろう。
「――なぁ、カリスタ」
「なんだ、主」
麗華は実に物憂げで、また蠱惑的な印象を与える目つきで、カリスタを見つめた。纏うタバコの焦げ臭さすらも、色香と錯覚してしまうようであった。
「寂しかったらお姉さんに“ちゅー”して良いのよ」
「どついたろか」
麗華は死んだ。
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