21話 黒いゆかりの魔女

 人は、思いがけない不運に襲われた時、どんな顔をするのだろう。突然のことに嘆く絶望の表情か、それとも、予想外のことに混乱する困惑の表情だろうか。


 今の俺は、どちらでもない。確かな自分の意志で、俺はドラゴンを静かに見据えている。


 平らな岩の舞台の上で、俺達はドラゴンと対峙している。トルカ火山を吹き荒れる炎の蒸気は、黒い山の大地の上を赤い血管が通っているかのように脈打っていた。


 アイアンメイスが消滅し、腕輪は再起動している。目の前には、昔物語で見た以上の迫力でもってしてドラゴンが居座っている。爬虫類のような逆三角形の顔を持ちながら、体は象のように巨大な姿。その生物を今相手にしているという震えが、全身を伝わる。


 地面に爪を立てている前足は強靭。後足は地面を叩きつけ、大地を揺れ動かしていた。一対の翼は、翼という字を象徴するかのように、異様に大きな赤い羽が生えている。


 黄金の眼がこちらを見つめる。大きな口からは少し火炎のような息が漏れている。魔導士クロエが、叫んだ。


「お前達もあの女と同じく、アタシを馬鹿にするってんなら、まとめて殺してやるよ!」


 クロエがステッキを振り、ドラゴンの眼が紫に変化する。アオイは、刀の柄に手をかけた。


「話して通じるような相手ではないな。もとより、そのつもりもないが」


「ああ。やることは簡単だ。こいつをぶっ倒す」


 俺はドラゴン打倒という、冒険者の夢のためにここにいるのではない。ごく個人的な理由で、ドラゴンとこの女を倒す。


「補助魔法はいつでもいけます!」


「分かった、頼む!」


 俺とアオイが前に進み出ると、リゼがエンチャントシールドを俺達二人にかける。体が薄い緑の光に覆われた。


 これならドラゴンの攻撃も一度くらいなら防げるはずだ。前に進み、左腕の召喚腕輪に手をかける。


 俺は、腕輪から高レアが出ることを祈って、腕輪の召喚シークエンスを実行した。


「召喚!」


【SR】魔剣フラガラッハ


 いきなりのSR、これは幸先がいい。その剣は、刀身が翠玉のようなエメラルド色をしていて、鍔は青い竜を模した形をしている真っ直ぐな剣。


 魔剣、特殊な効果がついている武器。俺はフラガラッハを構える。その召喚を見ていたクロエが驚く。


「なっ……ただのマジックアイテムじゃないね? ……まあいい。ドラゴンよ、まとめて薙ぎ払え!」


 クロエがステッキをかざすと、ドラゴンの左腕が、右前方から迫ってくる。


 俺は、その向かってきた左腕を岩場の隅まで行って避ける。アオイとリゼも同様に走って避けたようだが、距離が離れてしまった。


 ドラゴンを中心に、取り巻くようにバラけて囲むような陣形になっている。


 まず、アオイが切り込んだ。攻撃を終えたドラゴンの左腕に向けて、居合を決める。ドラゴンの腕にいくつかの切り傷ができた。


 しかし、その時だった。切り傷は何か不思議な力で、みるみるうちに塞がり、跡形もなく治ってしまった。


「無駄なことさ! アタシの再生魔法がかかってるんだ」


 「ははは!」とクロエはおかしそうに笑っている。なら今度は俺が、クロエ自身を狙えばいい。


 フラガラッハを斜め上に振り被ると、そのまま切り払った。剣先から真空の衝撃波が発生し、ドラゴンに直線で向かっていく。しかし。


「馬鹿め! そんな見え見えの攻撃、こっちは飛べるんだよ!」


 ドラゴンが飛行を開始する。羽ばたく翼は、ドラゴンの巨体を持ち上げて、空中に浮いた。


 フラガラッハの衝撃波がそのまま下を通り過ぎるかと思った時。


 衝撃波がドラゴンのいる上方へと直角に方向転換した。


「なにぃぃ!?」


 フラガラッハ。絶対命中の特殊能力を持つ魔剣。それから放たれた衝撃波は、ドラゴンを逃すことはなかった。


 真空の衝撃波が、そのままドラゴンの片翼を切り裂く。ドラゴンは、空中でバランスを崩し、身体を傾けて地面に墜落した。


「無駄だと言っているのに、こしゃくな!」


 墜落したドラゴンは、すぐに体勢を立て直す。すると、翼の切られた根元がみるみるうちに再生していく。


 再生については聞いていたが、実際に目の当たりにすると、驚異的な回復力に少し恐れを抱いた。


 クロエがステッキを再びかざす。今度は宙に円を描くかのようにステッキを回している。ドラゴンの眼の色が変わり、口の隙間から火が漏れ出した。


「何か仕掛けてくるようです、ソウタ様!」


 ドラゴンの右横、少し離れた場所にいるリゼが俺に向かって叫ぶ。俺は、フラガラッハを構え、ドラゴンの攻撃に備える。


 しかし、果たしてドラゴンは、その叫んだ少女の方に振り返った。


 やばい! リゼを狙っている。俺はフラガラッハを振りかぶろうとして、突然腹に重い一撃を受けた。


 太い丸太のようなそれは、ドラゴンの尻尾だった。シールド越しに受けたものの、肺が押しつぶされるかと思うぐらいの衝撃。


 そのショックで、俺はフラガラッハを落としてしまう。岩場の隅に、剣がぶつかる金属音が響いた。そのままフラガラッハは消滅する。


「まずい……リゼ、逃げろ……」


 うずくまり、なんとか立ち上がろうとするも、目の前がチカチカする。



 立ち上がり、はっきりと見えるようになった時。


 リゼのいた場所を、火炎の息がすべて覆いつくしていた。


 ドラゴンの口から吐かれた火炎の息。それは広範囲を薙ぎ払い、扇形に火の残滓が地面に残っていた。


「まさか……」


 その場所に何か光っているのが見える。……あれは、俺がセントラでプレゼントした金色の羽の髪飾り。


 リゼの姿はすでに無く、髪飾りだけが……その場所に最初からそれしかなかったかのように、佇んでいた。……リゼが、やられた?


「この……やろうっ!!!」


 俺は一気に頭に血が上り、召喚腕輪を再び起動した。


【R】ツヴァイハンダー


 長さが自分の身長ぐらいある、鋼の両手剣。重量があるが、取り回しやすいように柄が長い。俺はそれを両手で持ち、目の前に構えた。


 本来なら、この低レア武器ではリゼの補助魔法が必要で、単純な火力では心許ない。


 だが、そんなことは関係ない。あのドラゴンを倒す。


 気づけば、周囲にアオイの姿も見えない。広範囲の炎のブレスは、アオイも巻き込んでしまったのだろうか。


 俺は、悔しさに奥歯を強く噛み締める。


 ツヴァイハンダーを担いで、自分の何十倍もの大きさのドラゴンに、一気に走り向かう。


 ドラゴンの上のクロエはその様子を見て、高笑いをしている。


「あはははは! 全部燃やし尽くしてしまったよ、お前の仲間はね! どんな気分なんだい?」


「……お前だけは、絶対に!」


「あははははは! お前もアタシと同じじゃないか。お前だって、何かを壊したくなったことだってあっただろう!!」


 ――ある。俺はどうしようもなく壊したくなったときがある。ブオーンの悪事を目の当たりにした時。あいつの全てを壊したくなった。クレアを陥れる存在を、ぶち壊したくなった。


「関係ない、断ち切る!」


 ドラゴンに向かって、ツヴァイハンダーを振り下ろす。だが、ドラゴンの左腕の爪に当たり、弾き返される。


「何故、同じ魔法使いを殺した!」


「あははは! お前はアタシと同じなんだよ! お前だって、嫉妬したことぐらいあるだろう!」


 ――ある。俺はどうしようもなく嫉妬したことがある。上手くやれている周りがうらやましくて仕方なかった時がある。転生前の俺は、どうしようもなく心が腐っていた。


「関係ねえ、ぶっ倒す!」


 ドラゴンが、その左腕を振り回してくる。右からやってくるドラゴンの大きな腕を、ツヴァイハンダーの刀身で受ける。もろにその一撃を受け、その威力のまま俺は吹っ飛ばされる。地面には、俺が踏ん張った岩の跡ができていた。


 クロエは、声を張り上げる。


「何がアタシと違うんだい!」


 ツヴァイハンダーを地面に突き刺し、立ち上がる。ツヴァイハンダーは消滅した。俺は顔を正面に向け、言ってやった。


「俺には、リゼや、アオイや、信頼できる仲間がいる。だからもう道を間違えることはない。お前には何もない」


「その仲間も、もう地獄に送ってやったけどねえ! あーはっはっは、いひひひ……!」


 クロエは、顔に左手をあて、狂ったように笑っている。もう既に正気を保てていないようだった。


 ……リゼも、アオイも、あの炎に巻き込まれてしまったのかもしれない。


 だけど、俺は戦い続ける。運命ガチャを引き続ける。


 右手を左腕に向け、左腕の腕輪を起動した。


【R】デスサイズ


 農業用より一回り大きな大鎌。先端部の刃は、命を刈り取るにふさわしい形をしている。右手に召喚されたデスサイズを持ち、勢いをつけて走ると、ドラゴンの頭の上に向かって左腕から駆けあがる。


 突然走ってくる俺の行動に面食らったのか、クロエは一瞬ドラゴンへの指示が遅れた。


 その隙を逃さず、ドラゴンの左肩まで一気に登った俺は、デスサイズをクロエに、振り下ろす。


「なにぃっ!」


 ガキン! という鈍い金属音。そして、大鎌が弾かれる音。クロエの周りには、薄い紫色をしたシールドが存在していた。


 これが、エンチャント大盾アイギス。クロエの絶対防御。


 渾身の力で振り下ろしたにもかかわらず、防御魔法には小さな傷も入っていない。


大盾アイギスに攻撃を……? 小僧!」


 クロエがステッキを振り回す。ドラゴンは身体をくねらし、ひたすらに暴れまわっている。


 俺はたまらず、肩から振り落とされ、地面に激突した。ぶつかった所から、打撲のような痛みが、身体を襲う。


「くっ……ぐうっ!」


 デスサイズを支えに、なんとか再び立ち上がり、ドラゴンを見据える。


「お前も……その目をするのかい! アタシという存在を見下して! あの女が死ぬときも、黒魔導士のアタシを見る愚か者どもの目も、気に入らないその目だった!」


 手を震わせ、顔をこわばらせ、クロエは喚いている。まだ戦う意志はあったが、俺の体はすでに悲鳴を上げていた。


「アタシをその目で見るのを、やめろおおぉぉっ!」


 紫の髪は乱れ、シワはさらに深くなっている。狂気のクロエはステッキを持ち上げ、再度ドラゴンを操作しようとする。


 次にドラゴンの攻撃が来たら、今度こそ、やばいな。


 ……と、そう思った時だった。


「ソウタ!」


 突然、離れた岩場の下方からアオイの声が響いた。

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